第322話 背後の影

 「どうやらリサ王女様の居場所がはっきりするこの地を敵に狙われたようですな」

 ベルモンドが後ろ手を組んで窓の外を見ている。外では兵士たちが飛竜の死骸を片づける作業を行っていた。


 「誰一人誘拐されたり、殺されたりしなかったのは不幸中の幸いでした。帝国は精鋭の暗殺部隊を送り込んできました。おそらく鬼天配下だった者でしょう。しかしまさかリサ王女様の仲間がこれほどお強いとは向こうも知らなかったのでしょうな」

 コベィの街の統治責任者であるンダ・ズ・ナーアという白髪の紳士がリサたちの顔を見回した。


 「奴らは王女とカインの誘拐と私たちの暗殺を目的にしていたようですが、リィルまでさらおうとしていたというのは本当ですか?」

 未だに目覚めないカインが横たわるベッドの端に腰を下ろしたセシリーナが言った。


 「ええ、リィル様を“森の恋人”という暗号名で呼んでいたようですが、拘束具を準備していたことから見てもリィル様は最初からさらうつもりだったようですな」

 ベルモンドが答えた。


 さらわれそうになっていた袋詰めのリィルを救ったのはこのベルモンドだ。彼が襲撃者を倒した。


 「リサ王女とその婚約者を人質にとってしまえば新王国に対して有利に事が運べるし、新王国自体の求心力が衰えますので、リサ王女とカイン様が狙われたのはわかりますが、何か心当たりは?」

 ンダは小さなイスを左右に揺らして落ち着かない様子のリィルを見た。


 「そんなもの、何もありませんよ」

 リィルはぷいと横を向いた。

 みんなが活躍する中で自分だけ簡単に捕まってしまったのが悔しいらしい。なんでも入ってきた賊を夜這いをかけて来たクリウスだと思って油断したらしい。


 「そうですか。まあ皆さんご無事でなによりでしたな」

 ンダは少し硬い笑顔を作った。


 そこに集まっているリサ王女のパーティは、仮面で顔を隠している者もいるが、かなりの美女たちであることはすぐ分かる。信じがたいが、夜襲してきた暗殺部隊二十名のうち8人をこの美女たちが討ちとった。


 しかも、そのうちの5人はサティナというたった一人の美少女が討ったというから驚きだ。

 帝国随一の暗殺者たちを戦慄させた美少女は今はいない。彼女はカインの状況を一目見るや外に出て、魔法を使って誰かと連絡を取っているらしい。


 「ンダ様、みんな無事とおっしゃられましたが、カインの意識がまだ戻りませんわ」

 彼女はリサ王女の後見人で補佐役のセシリーナだ。仮面をつけており正体は不明だが、魔族の物凄い美女でカインの妻の一人だという。たしかに仮面に隠れていない口元を見ただけでぞくぞくするほど美しい。


 「そうですな……」

 ンダは思わず窓辺のベッドに全裸で横たわっているカインという何の取り柄も無さそうな男を見た。


 この男、どうみてもモテそうな顔ではないのだが、部屋に集まってカインを心配している女性たちは全員目もくらむような美しさだ。このうち誰か一人だけでも国同士が争って奪い合いになりそうだ。


 「手は尽くしたのですが。……医師の話では一番のダメージは頭部への打撲らしいですな。肩の傷は思ったほど深手では無いそうです。即効性の睡眠薬が刃に塗られていたようです。まあ、頭部への打撲自体もたんこぶ程度ですから、本来ならいつ目覚めてもおかしくないらしいのですがね」


 セシリーナが薄い布団をカインの胸元まで引き上げるのを見ながらンダは腕を組んだ。


 「でも、あれから既に半日ですわ。目覚めないなんてやはりおかしいですわ。何かどこかに問題があるのではないでしょうか?」

 壁きわに置かれたイスに座っていたミラティリアが不安そうにンダを見上げた。


 リサは何も言わないがうなずいている。

 リィルはどうせ何でもないと分かりきっているような感じだ。


 「カイン様……」

 ルミカーナはカインの衣服を膝に置いたまま、怪我の確認のため脱がせたというパンツをぐっと握り締めた。


 セシリーナはふぅとため息をついた。


 さっきカインのへその下に浮かぶ紋を久しぶりに明るい所で確認したのだが、以前に比べだいぶ変化している。


 この部屋にいる女性はリィルとリイカを除いて全員が当然のようにカインの妻か婚約者になっているし、三姉妹も知らないところでかなり積極的に接触していたらしい。

 特にアリス。あんなに可憐で清楚な雰囲気をさせながら、実は既に妻レベル、かなり濃密で親密な関係になっているようだ。


 ルミカーナもそうだ。


 ルミカーナは「私がもう少し早く駆けつければ」と自責の念に囚われているようだが、彼女がもう少し早く夜這いしていたら、それこそ終わりだった。ベッドの上で激しく天国を行き交っている所を襲われ、今ごろカインは連れさられていたに違いない。ルミカーナが密かにカインと深い仲になっていることくらい紋を見れば一目瞭然だ。



 ーーーーーーーーーー


 俺はふわふわ浮かびながら部屋を漂っている。


 俺の足元には、ベッドに寝ている俺がいる。これが幽体離脱というやつだろうか? 意識はあるのだが肉体からずれて、素っ裸の状態で宙を漂っている。


 しかもこの状態だと色んな声が聞こえてくる。どうやらみんなが考えている心の声が聞こえてくるらしい。


 うーーむ、ここまでみんなの考えが聞こえてくるとちょっとヤバい気がするな。みんな俺を心配してくれているんだが……。特にリサ、ちょっとまだ早いよ。王女が俺の裸を見てそんな想像するもんじゃない。あと、ミラティリアもどこに注目している?


 しかし、それよりも意外だったのは、扉のところでお堅い顔をして立っているリイカという賢そうな美女!


 この新王国官僚の美女は密かに俺にかなりの好意を持っている。


 おそらく強気に誘ったらすぐに婚約確定?

 いや、それどころか俺からのそれ以上の強引なお誘いを待っている? 彼女はベッドに誘われるのを期待しているのだ。これは思いがけず良いことを知った。


 「おーい! 俺はここにいるぞ!」

 リサの前で手を振ってみるが全然気づかない。


 みんなの前に立って手を振ってみる。近づいたり遠ざかったりするがやはり誰の目にも映らないようだ。


 「?」

 セシリーナだけが何か気配を感じたのか、目の前に立つ全裸の俺の股間のあたりを凝視して「妙ね」と首をかしげた。


 「うーむ、どうすればあの身体に戻れるのだろうか?」

 思案している俺の肩をトントンと叩く者がいた。


 「今、考えているんだ。後からにしてくれ」

 俺はそいつに言った。


 誰にも俺は見えないらしい。

 かわいいメイドたちや、壁際で控えているリイカとかいう美女のスカートの中を下から覗いたりしたが気づかない。

 色々試してみたが誰にも触る事もできない、すり抜けてしまうのだ。


 「ん? 誰も俺に触れないんだよな?」

 そう言えば、今、俺の肩を叩いたのは誰なのだ?

 そう思った途端、とても怖くなる。


 なんだか、振り返ってはいけない気がする。


 トントン……再度誰かが俺の肩を叩いた。


 うおおおお! 怖い! 怖すぎる!

 俺は決心して恐る恐る振り返った。


 目が死っ!

 そこに化粧の濃い女が微笑んで……いや、その少し青い剃り残しのある顎が……


 「ぎゃあああああーーーー!」


 俺は逃げ出そうとして、そいつに掴まった。

 ニタアと笑ったそいつが急に分厚い唇で俺の口を奪った。


 「ぎゃあああああーーーー!」

 俺は素っ裸なのである。

 目の前にはケバい女装をした逞しい男が……そいつが俺の股間をつかもうと怪しく指を蠢かせた……。


 「うぎゃあああああ……!」

 逃げようともがくが、凄い力で逃げられない。


 こいつだ!

 こいつがクリスたちが前に言っていた背後霊に違いない。


 見れば見るほどおぞましい。一見美女に見えるだけに、男だと分かるとおぞましさ倍増だ。


 そいつの硬い股間が俺の素っ裸の尻に当たっている。

 「うぎゃああああ……!」

 これは人生最大のピンチではなかろうか。


 そう言えばクリスが言っていたっけ。

 「今はまだ何もしない」というクリスの言葉が脳裏をよぎる。

 つまり、その時が来れば何をするか分からないという意味だったのかも知れない。


 男の唇が動く。

 “好きよん”とか言った気がするが、まるで恐ろしい呪いの言葉のようだ。俺はさあっと青ざめた。


 「だ、誰か! 助けてくれえええ!」

 叫ぶ俺の背中にケバイ女装をした男がしがみついてきた。

 やめろーーっ!

 お尻に硬い物が当たってるんだって!

 俺は手足をバタつかせてもがいたが、誰の耳にも悲鳴は聞こえていないのだった。

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