第347話 魔王襲来2 ー時空裂の青竜ー

 「竜はどうして動かないのでしょうか、カイン様」

 俺の隣でエチアが不安そうな顔をしている。


 遥か彼方の巨大な竜はうずくまったままだ。


 今は偵察部隊からあれが竜だと言われて初めて気づく程度の点に過ぎないが、ここから帝都までの中間地点ほどの距離にいるらしい。その距離を思えば、その巨大さが分かるというものだ。


 しかも竜の近くでは魔王オズルの姿も確認されている。この展開は恐れていた最悪のシナリオと言える。魔王がついに邪神竜を復活させて攻めて来たのである。


 「召喚直後にいきなりあれだけの超攻撃を放って、息が上がったとか、スタミナ切れってわけじゃないんだろうけど、膨大な力をじっくり練り込んでいるって感じがするな」


 俺はたまりんとの視覚同調を使って竜の恐ろしい姿を間近で見ることができたが、エチアが怖がるといけないので内緒である。

 竜は最初の一撃で黒鉄関門を半壊させたくせに、その後はあそこから動かない。何かを待っているのか、竜の周辺にいるはずの魔王オズルもまだ直接的な攻撃は仕掛けてこない。


 そんな竜の動きを監視しながら、黒鉄関門ではミズハ女王の元に主だった面々が集まって各種作戦が練られた。

 

 まずは竜の出現により、真魔王国軍と同盟国軍の主力部隊は南の砦やオミュズイの街まで一時撤退することが決まった。魔力を持たない人族の兵ではあの竜に対抗する手段はない。ここに立て籠っても被害を大きくするだけだ。


 ゴッパデルト将軍に率いられた新王国軍は半日前に黒鉄関門を出立している。各同盟軍が南に向け速やかに撤退するのを支援するためだ。そして、その後を追うように真魔王国軍と同盟軍の部隊も続々と街道を南に向かって移動を始めている。


 今やここ黒鉄関門に残るのはミズハ以下、魔法が使える者を中心に選ばれた戦士たちだ。その数は千人もいない。


 貴天オズルも真魔王国軍がこれほど早く黒鉄関門を放棄するような決断を下すとは思っていないはずだ。

 俺も当然撤退を勧められたが、三姉妹やサティナ姫たちを始め、黒鉄関門に集合した妻や婚約者の多くがここに残ることになった。チームリーダーを自負する俺としては真っ先に逃げ出すわけにはいかない。

 

 「さあ、カイン、エチア、これを飲むんだぜ。栄養剤だ。精がつくんだぜ。これを飲んだら約束どおり、私はエチアを連れてオミュズイまで撤退する。それでいいんだな?」

 窓から外を眺めている二人の所にジャシアがグラスを持って現れた。


 ジャシアとエチアは接近戦ならかなり強い。しかし遠距離系の攻撃魔法は使えないし、防御魔法や支援魔法が得意という訳でもない。それにエチアは記憶そのものが戻っていない。そのため二人は撤退する最終部隊と共に間もなく出発する予定である。


 「ありがとう、ジャシア。エチアの事は頼んだぞ」


 「なーーに、任せておくんだぜ。それよりもついさっきまでお盛んだったんだぜ。獣人は鼻が利くんだ。これからあのヤバい奴と戦いが始まるんだろ? これを飲んで消耗した分の精力増強なんだぜ」

 うん、ジャシアにはバレバレだ。


 俺は大浴場のサウナ室に忍び込んできたミラティリアと一戦交えてから作戦会議に出た後、エチアたちが心配でここに来ている。


 俺はグラスを受け取ってぐいっと飲み干す。


 「なんでしょう? 妙に苦いですわ」

 エチアもグラスを空にした。


 「本当だ。なんか苦い気がするな。この味は……。ジャシア、これはどこにあったんだ? これ本当にただの栄養剤か?」


 「棚にあったんだぜ、これだぜ」

 茶色の瓶である。ラベルに海辺の絵と貝が描いてある。


 「ゲジ貝濃縮エキス入り……。これであの娘も大喜び、男無双の……、カイン、これ何て書いてあるんだ?」

 ジャシアがラベルの文字を読み上げ、途中で眼を細めた。

 ぶぅううううーーーーっつ!

 噴いたがもう遅い。

 エチアもなんだか少し頬が赤くなってフラフラしだした。


 「おっと、危ない! 大丈夫か!」

 転びかけたエチアを抱きよせると胸の中で赤い顔をしたエチアは俺のポケットの小さな花に気づいた。


 それは美しい薄いピンク色の小さな花だ。

 なんだかとても懐かしい……。

 そして、それは何か大切で愛おしい記憶とつながっていたような……。エチアの脳裏にうっすらとその時の光景が浮かぶ。


 「カイン、この花は?」

 ドクン……、エチアの中で滞っていた何かが動いた。本能を掻き立てるゲジ貝の効能か、体内の血脈の流れが一層激しくなる。


 「これ? 俺の部屋に飾ってあった花の中にこれがあったんだ。覚えてないかな? これってエチアが囚人都市で初めて俺にくれた花だよ」


 「!」

 急に大きく目を見開いたエチア。


 そして、その瞳に涙が浮かんだ。

 「それは恋を告げる花ね?」

 ああ、あの時、絶望しか見えなかった闇の中で見た淡い夢……。美しい星空の下、優しい温もりの中で眠った唯一の思い出。


 「カイン……」

 エチアが俺の胸元をぎゅっと握り締める。

 「どうした? どこか痛い? やっぱりゲジ貝エキスだなんて飲んだから……」

 「違う」

 エチアはゆっくりと首を振った。そして俺を見上げて微笑む。

 「カイン……あなたって、本当にバカなんだから……」

 幾筋もの涙がその頬を流れ落ちる。


 「!」

 その瞬間、俺は理解した。

 背中に細い腕を回してぎゅっと抱きしめ、再度俺の胸に顔を埋めたエチアは確かめるように男臭い匂いを吸い込む。

 「この匂い、間違いない。会いたかった! ずっと、ずっと! 会いたかった、カイン! 生きていてくれた!」

 見上げた瞳がうれし涙であふれている。


 「お、思い出したのかっ! エチア、俺のことがわかるのか!」

 「もちろんわかる! わかるよ! 全部思い出したの!」

 「エチアっ!」

 俺はエチアの細い腰に腕をまわして約束のキスをする。良かった! 本当に良かった!


 「いきなり思い出した? エチア、記憶が戻ったのか? どうしてなんだぜ? まさかこの薬が効いたのか?」

 ジャシアは薬瓶を見ながら、優しく抱き合う二人を見て「良かったんだぜ」と軽く鼻をすすった。 


 「カイン、大好き! 今なら言える。あの時、貴方が伝えてくれた大切な言葉を胸に、私は必死でもがいて、生きてきたの! もう誰にも止められない、カイン愛してるっ!」

 エチアは俺の指に指を絡めて笑みを浮かべる。


 こんな危急の時に限って、こんな再会が訪れる。

 俺はエチアの震える肩を抱きよせて誓う。

 絶対にあの竜を食い止め、生きて帰る。今度こそ俺はエチアを幸せにする!




 ーーーーーーーーーーー

 

 黒鉄関門を遠くに臨む空の上で魔王オズルは眼下の邪神竜をじっと見下ろしていた。


 「ふふふ……時空裂の青竜が行動を開始すれば、もはや誰にも止めらない。このまま世界は滅びに向かう! その最初の生贄としてお前たちを捧げよう! ゲ・ロンパ、そしてミズハよ!」


 魔王オズルは空になった黒宝珠を片手で砕いた。そのかけらが光ながらパラパラと邪神竜の背に落ちて行く。


 この付近では数万人の兵が死んでいる。

 獣天と鳥天が黒鉄関門で戦闘を行った時点で既に邪神竜が復活するために必要な魂は集まっていた。封印の珠を解放するには既に十分だったのだ。


 魔王オズルは邪悪な笑みを浮かべ、その邪神竜の巨大な背鰭を見下ろした。


 出現した直後の竜の一撃はあの黒鉄関門を半壊させた。

 予想通りの破壊力だが、こいつの恐ろしさはまだまだこんなものではない。


 じっと動きを止めているのは体内に活動するための魔力を溜めているのか、それともこの世界の大気に身体を順応させているのか、いずれにしても邪神竜が再び動き出せばもはやこの世は終わりだ。


 世界を創造した神から与えられた聖なる盾ですら、こいつの攻撃を防ぎきることはできなかった。あの時、あの時空で、暴走する神竜を食い止めるため立ち上がった勇者たちは、今、この世界にいるどんな者よりも強者だった。


 大魔女ミズハ千人分よりも強い勇者たちが束になって敵わなかった相手だ。そんな存在を誰が止めることができようか。


 竜の行動を止められるのはかつてのシュトルテネーゼのような純真で崇高な神竜の使い手だけだ。彼女は幾柱もの神竜と契約を結んだが、この世界にそのような者はいない。

 時折、その残滓のような者が暗黒術師の血筋から生れ落ちるというが、暗黒術師ではせいぜい一人一竜が限界である。


 たまたま神竜の使い手の才に恵まれた姫が三姉妹を生んだため、4人もの神竜の使い手が現れたが、五柱最後の邪神竜を鎮めれる暗黒術師はもはや残っていない。一人足りない、つまり世界の終わりである。


 「ふふふ……早く動け、そして黒鉄関門ごと奴らを消しさってしまうのだ!」


 それは命令ではない。

 既にこいつには誰も指示することなど不可能だ。


 だが、高揚した魔王オズルには叫びたい気持ちを抑えることができなかった。時空裂の青竜! かつて自分とシュトルテネーゼを殺した相手だ。その姿をこうやって再び見ることになるとは!


 邪神竜は世界を破壊し尽くし、満足して再び眠りにつくまでもはや誰にも止められない。


 そして今、竜はその本能で目の前に強敵がいることを把握している。そう、お前の強大な魔力が邪神竜をひきつけるのだ大魔女ミズハよ。魔王オズルは目を吊り上げる。


 ミズハたちがいなくなれば邪神竜を妨げる力のある者はもはやいないだろう。ミズハとゲ・ロンパの死を確認したら、地下研究所にシュトルテネーゼを迎えに行く。


 そしてこの世界が滅んだ後の新たな世界に旅立つのだ。

 直接的に二人の呪いを解くことはできなくても、新しく再生された世界に向かって二人で時間を越えれば世界と時間が断絶する。

 それでこの呪いが途切れるかどうかは賭けだが、万が一呪いが続いていたとしても今度こそ最初から二人は一緒だ。しかも記憶もある、今までとは違う。


 邪神竜はまだ動かないが、その凶暴な眼は確実に黒鉄関門を見ている。


 「そうだ。あそこに倒すべき敵がいるのだ。認識しろ、そして殺せ!」

 激しい感情を高ぶらせて睨んでいた魔王オズルの口元が不意に緩む。その眼下で巨大な竜が体を震わせ活動を始めたのだ。


 しかし魔王オズルの愉悦は中断した。その視界に幾つもの羽虫のような影が飛び込んできた。

 「チッ! 最後の抵抗か? 虫けらが俺を見つけて集まってきたようだ。時空裂の青竜よ、お前が黒鉄関門を完全に射程距離に収めるまでの間、俺はこいつらと少し遊んでおこう!」

 そう言うと、魔王オズルは不敵な笑みを浮かべながら振り返った。



 ーーーーーーーーーーー


 魔王オズルの周囲を銀髪の美少女たちがぐるりと取り囲んだ。


 「見つけましたわ! こんな所で高みの見物ですか! 魔王め! 覚悟してください!」

 よく似た顔立ちにお揃いの魔女帽と衣装。これは間違いなくミズハの同類、湿地の魔女たちだろう。飛翔魔法だけでこの高度まで上がって来るとは恐れ知らずの乙女たちだ。


 「よくもまあ高空にいたこの俺に気づいたものだな。その点だけは評価してやろう」


 「覚悟なさいこの悪魔!」


 「ふん」とオズルは鼻で笑った。

 沼地にずっと隠れていたくせに今さら出て来て正義の味方気取りか?


 今や世界は再創生の時代に入った。魔力が強い連中だから見逃してきたが、既にこいつらに利用価値など無い。


 「ミズハ様のため魔王を倒すのです!」

 ミズハの妹分と自負する美少女スイルンが杖を振る。その声に一斉に魔力協調を行った湿地の魔女が攻撃に移った。


 「デスソード!」

 「ウインドエッジ!」

 「雷魔弾!」

 「アッシドウォーター!」

 「抗魔術展開!」

 少女たちが次々と凶悪な魔法を発動させる。どの攻撃にも一撃必殺の威力を込め、集中砲火を浴びせる。


 「どうですか!」


 魔王オズルの身がズタズタに引き裂かれたかに見えた。

 だが、魔王オズルは無傷である。この高度では回避するだけでかなりの魔力と体力を消耗する。逃げ回ってくれれば一撃で倒せなくてもかなり疲れさせることができるはずなのだ。


 「ばかな!」

 「うそです!」


 オズルは、軽やかに空中で一回転しただけで四方から迫った魔法を霧散させてしまう。


 「ふふふふ……どんな強力な魔法でもね、時を巻き戻して発動そのものを無かったことにしてしまえば、何の問題もないのですよ。わかりますか?」

 魔王オズルは余裕の表情だ。


 「なんてこと! 魔王の正体は時間を操れる魔法使いだとでも言うの!」

 スイルンが魔王を睨んだ。


 その顔は青ざめている。

 時間を操ることは大魔女ミズハですら不可能。太古の英雄だけがその秘術を行使できたという伝説がわずかに残っているだけだ。


 「ほほう、この魔法を知っている者がいるとは流石です。やはりあのミズハを生み出した湿地の魔女だけのことはある」

 魔王オズルは紳士的に驚いて見せた。


 「みんな、攻撃タイミングをずらすのよ! 時間をずらして、四方から攻撃するんです!」

 スルインが杖を振るった。

 直後、緑色の光が網のように広がって、魔王オズルの体に絡みついた。即座に時間魔法に対抗する手段を考えだすところは侮れない。


 「なんです、これは捕縛の魔術ですか? おやおや?」

 魔王オズルが腕に力を入れるが緑色に光る綱は切れない。


 魔王オズルは戦士としても超一流である。少し前までは誰もが貴天は魔法が使えない脳筋だと思っていたほどだ。その筋力で切れない綱とはかなりのものである。


 「今です! 一斉攻撃!」

 湿地の魔女の少女たちが上下左右から急接近し、思い思いに攻撃魔法を放つ。


 逃げ場所などない!

 凶暴な魔法の力が吹き荒れる。

 魔王は捕縛からは逃げられない、今度こそ仕留めた!

 スイルンがそう確信した時、スイルンの左右にいた少女たちがふいに悲鳴を上げて地上に落下していった。


 「何ですって?」

 振り返ってみると捕縛術の網の中にいたはずの魔王の姿が無い。


 「えっ?」

 背後に黒い気配が見えたような気がした瞬間、ズドン! とスイルンの首に魔王の手刀が打ち込まれた。

 「ま、まさか、そんな……」

 気を失ったスイルンが落下していく。


 湿地の魔女が同じように次々と空中から地面に向けて墜ちていく。この高さから落ちれば即死は免れない。これ以上、手を煩わせることもない、楽なものだ。


 「私が操るのは時間だけではない。転移も可能だ。この時間操作と転移を組み合わせれば時空移動も可能となる。世界がいくら滅ぼうとももはや関係がないのだ」

 オズルはにやりと笑うと、誰もいなくなった空に弧を描いて動き出した邪神竜の後を追った。

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