第133話 <<ラメラ嬢の行方 ー東の大陸 サティナ姫ー>>

 フードを深く被った二人が足早に灰色の街を歩いている。


 東マンド国の王都ノスブラッドは、ほぼすべての建物が近郊で採掘されるやや暗い灰色の硬質な石を建築材料として使っているため街全体が灰色に見えるのだ。


 森林資源に乏しい土地柄であるため、この街で木造の建造物を見ることは稀である。

 王都の外縁を流れる大河、リーナル河の険しい峡谷を見下ろすアーベロイス大神殿の一角に建つ先王朝時代の尖塔が唯一戦火を逃れた大きな木造建築物だ。


 王都ノスブラッドは幾たびもの戦争を経験している古い都市だったためか、堅牢で強固な印象が強く、街の中には緑も少ない。陽気なオアシスの街から発展した開放的なラマンド国の王都ラマンデアとはまるで違う。


 真正面に大神殿が威容を誇る東西通りは多くの馬車が行き交い、歩道には露店が店を並べ、多くの人々でにぎわっているが、人々の表情はどこか暗く、不安気だ。


 路上を我が物顔で占有する旅商人の店のせいで狭くなった歩道を、人混みを縫うように進む二人を見つけ、小柄な男が駆け寄ってきた。


 「こちらにおられましたか、探しました」


 「それで? 宮中の様子はどうでした?」

 「ええ、やはり、宮中では後継者争いの駆け引きが激化しているようです。王弟側に付いた大貴族派と元から王子を支援している神殿勢力が衝突を繰り返しています。このままでは大きな内乱がおきるのではないかという不安が市中に広がっており、市民たちもびくびくしているようです」

 ささやく程度の小声である。


 「王弟の方ですか? 問題の人物というのは?」

 三人は歩みを緩めない。


 「はい、そのようです……」

 広い大通りでは旅装の三人を気を止める者もいない。肩がぶつかっても、「チッ!」と睨む程度で、旅人だからと言って特にからんでくる者もいない。


 「それで?」

 「王弟派が今回の陰謀を主導していると見て間違いありませんが、妙な噂を耳にしました。単純に今の王位後継者争いというだけでもないようです」


 「と言うと?」

 「王弟こそが英雄であり、南マンド大王国を復活させる者だという噂がささやかれています」


 「南マンド大王国?」

 「ラマンド国と東マンド国に分裂する前の国名ですね」


 「はい、元々王弟は、ラマンド国を武力で併合してかつての南マンド大王国並みの版図を手に入れるというのが口癖の危険人物ですが、何でも南マンド大王国自体を復活する象徴となる者が見つかったとか……。もしかすると今回の誘拐はその人物をターゲットにした可能性がありますが、現段階で分かっているのはここまでです。さらわれたラメラ嬢の行方はまだつかめておりません」


 「その話、気になるわね。引き続き王弟の動きに関して情報収集を頼むわ。これが追加の資金よ」

 サティナ姫は硬貨の入った袋を渡した。


 「はっ」

 小柄な男は受け取った袋を懐に入れると、特段の挨拶もなしに立ち去っていく。

 だが、この場合はそれでよいのだ。今必要なのは騎士ではない、彼も密偵としての腕を上げたようだ。


 「姫、やはり不審な動きをしている王弟派を見張る必要がありますね。ラメラ嬢が捕まっている場所もおそらくは王弟派の貴族屋敷のどこかじゃありませんかね」

 マルガが言った。


 「ええ、結局ラメラ嬢に関する情報は得られなかったわ。一旦宿へ戻るわよ、そろそろ他の者も宿に戻ってくる時間よ。なんとしても彼女を救い出さないとね」

 サティナの強い瞳の色にマルガはただうなずいた。


 サティナ姫たちが東マンド国の王都に潜入している理由はただ一つ、さらわれたラメラ嬢の救出である。


 もしも微妙な情勢にある隣国への潜入調査をラマンド国の者が行えば、何かあった場合に紛争になる危険がある。それを回避するためラマンド国王直々の依頼を受け、ラメラ嬢救出には引き続きサティナたちがあたることになったのである。

 

 それに、実のところあの襲撃者たちの使う闇術への対処法を知る者がラマンド国にいないということがサティナ姫に救援を依頼した最大の理由である。

 サティナたちも、東の大陸の盟主を自負するドメナス王国の騎士団として危険な闇術師がこの大陸で暗躍していることを見逃すことはできないという事情があった。



 ーーーーーーーーーー


 ラマンド国の諜報活動拠点は街はずれにある宿屋である。主人は元々ラマンド国の貴族出身で、サティナたちが身分を隠して潜伏するのには何かと都合が良かった。


 「さてと、やるわよ」

 部屋に入ったサティナ姫は上着を脱いで壁に掛けた。


 「本当にここでやるのですか?」

 マルガが壁を叩いて言った。旅商人が格安で何泊もする安宿である。室内の音は隣の部屋に筒抜けだろう。


 「ここ以外で、どこでやると言うの?」

 サティナはそう言ってベッドに腰かけた。組んだ足から覗く太股が妙に色っぽい。


 思わずマルガの目が泳ぐ。

 粗末なベッドである。とても姫が寝るような代物ではないが。


 姫は髪を掻きあげ、後ろで止めた。

 その仕草と白いうなじに思わず息を飲む。姫もいつの間にか大人の女になられたものだ、と思ってしまう。


 「ここでいいのですか?」

 「いいのよ」

 そう言ってサティナは背負い袋から巻物を取りだした。


 マルガがテーブルを引き寄せる。


 二階の一室でサティナたちは情報収集のために派遣した者たちの帰りを待つことになっているのだが、ただ待っているのも芸がないと、部屋に戻るなりサティナ姫はテーブルの上に都の地図を広げ始めた。


 「もう一度確認しますが、本当にここで行うのですか? 本来は神殿とか、結界を張れる場所で行うのではありませんか?」

 マルガが不安そうに言った。


 「現状を見なさい。ここ以外でどこですると言うのです?」

 サティナはそう言って丁寧に梱包した皮布を取り出した。


 紐をほどいてくるくると回すと、布に包まれた小さな投擲剣が現れた。刃には黒い染みがついている。


 「今すぐ始めます。いいこと、絶対に声を出してはダメよ。部屋の鍵を確認して。術の途中で誰かに入ってこられると集中が解けて、かなり不味い事態になるわよ」

 姫の真面目な顔にマルガが慌てて鍵をかけに行く。


 「姫、鍵は大丈夫です」

 「ではイスに座って黙って見ていなさい」

 そう言うと、ベッドに腰かけたままサティナ姫はその剣を手に取った。


 姫が剣先を地図に向け目を閉じる。

 すると、マルガには全く理解できない異国の言葉がその愛らしい唇から流れ始めた。


 ポウっと剣先が淡く光る。だが、なぜか明るいはずなのに光自体が影を帯びているかのようだ。闇色の光と呼べばよいのか。


 やがて剣に付着した染みが膨れ上がり、滑らかになって一筋の血がぽたりと地図に落ちた。


 サティナ姫が呪文を唱えながら片手をその血の上にかざす。


 地図の上で丸い滴となった血が生き物のように地図上を移動し始めた。


 マルガは驚いて声を出しそうになるが、口を手で抑え、目を見開いてその動きをながめた。


 カインならばこんな時、緊張感に耐えきれず屁を漏らしたりして台無しにするところだが、マルガは一流の側近である。そんなヘマはしない。

 サティナはつい王宮での出来事を思い出して笑いそうになる。覚えたての術を自慢気に披露した時のことだ。あの時はカインのせいで失笑してしまって術が暴走して大変な事になったっけ。


 「いいわよ。話をしても大丈夫よ」

 サティナが静かに剣をテーブルに置いた。


 「これは例の女、ニロネリアとか言う奴の血ですか?」


 「そうよ。ここを見なさい。血はこの屋敷の上で染みに戻ったわ。つまりここに本体、ニロネリアがいるということよ」

 サティナは微笑んだ。


 「こっちがこの術を使ったことは、多分、あのニロネリアも気づいたはずです。猶予はないわ。情報が集まりしだい今夜にもこの屋敷に踏み込むわよ」


 「はっ。準備を急がせます」

 マルガは敬礼した。

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