第134話 激震バルザ関門
街道を進む無数の人影。
その目は怒りと使命感に燃えている。
黒々と街道に人が列を成す。
その後方から、さらにおびただしい群衆が姿を見せ、大草原を埋め尽くすかのごとく地平線に広がっていく。
街道を見下ろす大きな木の高枝に彼女は立っていた。
黒っぽいメイド服のスカートが風に揺れる。
見る者を虜にせずにはおかない美しい面立ちに微かな笑みを浮かべ、そのしなやかな白い指が遥かなる南の空の下を指差した。
ーーーーーーーーーー
大峡谷の向こう側に広がる平原を黒い影が覆い尽している。
強い海風が悲鳴を上げて峡谷を吹き抜けた。
「これは一体、何だと言うのだ!」
バルザ関門の塔の上で、守備隊の指揮官ガイル・ラボンダは青筋を立て、城壁を激しく叩いた。
「ガイル様、群衆はさらに増加中で、その数は既に十万を超えております! 対岸の木道入口を閉鎖していた木柵は全て撤去されてしまいました! もはや、あいつらがバルザ木道に侵入してくるのは時間の問題かと思われます!」
息を切らして駆けあがってきた兵が告げた。
「こっちは六千人、これで全軍なのだぞ……」
独り言のようにつぶやき、ガイル・ラボンダは谷とは反対側の城壁の縁に移動し、目を細めた。
炎天下の元、遥か遠くに囚人都市の城壁が微かに揺らいで見える。バルザ関門の後ろに広がる荒野には、囚人都市に常駐する部隊の半数以上が集結を終え、防御陣地を構築し始めていた。
六千人が立て籠もる陣地は急ごしらえと言ってもそれなりの威容を誇る。大戦で使用された野戦用防御陣地の資材が処分もされずに囚人都市の城壁の中にある倉庫に押し込まれていたのだ。それを無理やり運び出してきた。
あちこち汚損しているが、スーゴ高原で王国が造った要塞の攻略戦に使用されたもので、数倍の敵の攻撃を耐え抜いた実績があるものだ。
通常ならこれを突破できるとは思えないが、目前に迫った危機を思うと心許ない。押し寄せる群衆は既に十万を超えたという。数倍どころではない兵力差だ。あれを引き留めるには明らかに戦力不足は否めない。
「どうして、どうしてこんな事態になったのだ」
再びバルザ峡谷を見下ろす城壁側に移動しその壁に拳を叩きつけ、ギリギリと歯を食いしばった。
こうなってみるとバルザ関門自体の防備を強化してこなかったのが痛い。旧王都を再び帝国が攻める事態になった場合に備え、バルザ関門の防御は最低限に抑えられてきたのだ。
ガイル・ラボンダは峡谷側と囚人都市側の光景を何度も見比べ、うろうろと歩き回る。
「落ち着きください、ガイル様」
「これが落ち着いていられる事態か! ……いや、すまぬ、苛立ってしまったようだ」
思わず怒鳴ってしまい、自己嫌悪に陥る。
だが、迫りくる群衆は帝国の臣民なのだ。
帝国軍が臣民に対して武力行使を行うという最悪の事態が脳裏をよぎる。そんな事をすれば一体どうなるのか。
「向こう側には、帝国が正式に召集をかけた予備兵も多く混じっているようです。呼んでおきながら中に入れないとは何事だという者も多く、既にあの暴徒どもと一緒に行動しており、もはや援軍とは呼べない事態です」
「こんな事になるとは! だから何度も進言したのだ!」
ガイル・ラボンダは、無能な上層部とのやり取りを思い出して歯ぎしりする。結局、囚人都市の総督府でふんぞり返っていた首脳部、あの貴族どもは提督への謁見どころか、報告の機会すら認めなかった。
あの日、突如として囚人都市に大発生した死肉喰らいに対し、応戦した駐留軍は初日に優秀な兵士を多く失ってしまった。
特に槍部隊、弓部隊の指揮官級の人材が相次いで重傷や行方不明となり指揮系統が破綻した。
それは地獄の蓋が開いたかのような凄惨な戦いだった。死肉喰らいの数があまりにも大量すぎたうえに、死んだ巨人族のような怪物までぞろぞろと混じっており、そいつ一匹を倒すのに数十人で攻めねばならなかった。
現場にいたガイル・ラボンダや他の部隊長たちは、ただちに帝都並びに周辺基地への増援要請を進言したが、駐屯軍上層部の貴族共が自らの失態になるのを嫌がってそれを怠った。
その結果、囚人都市の治安機能は著しく停滞し、人間くずれまで発生して、死肉喰らいを鎮圧するどころか帝国軍は囚人たちを王宮エリアに避難させ、元王宮の堀や城壁の内側に撤退して抵抗するのがやっとという事態になったのだ。
窮地を知った周辺都市からの帝国軍の援軍を迎え、ようやく死肉喰らいを討伐したが、治安回復にあまりにも時間を要したため、行方不明者の捜索にまわす人的な余裕など皆無だった。
ずるずると時間だけが経過した結果、あの人気アイドルだったクリスティリーナ嬢まで行方不明者リストに入っていることがリークされ、大々的に知れわたってしまったのだ。
そして今回の余りにもタイミングを失した数万人規模の予備役の招集、そこに帝国の失態に怒った群衆の抗議行動と「行方不明者の捜索」という大義名分を掲げた奉仕活動に賛同した人々の行動、その全てが重なってしまった。
しかも、行方不明者の捜索という奉仕活動は、いつの間にか「行方不明のクリスティリーナ嬢を探せ!」をスローガンにした暴動にまで発展し、熱狂的なクリスティリーナ信徒、数十万と言われる者たちが大挙して囚人都市を目指して南下してきたのである。
もはや暴徒も予備役も入り混じった状態となった群衆はデッケ・サーカの駐留軍を一日で沈黙させ、さらにその群衆の最前線が閉鎖したバルザ関門の前に到達し、今まさに目の前で殺気立っているのである。
「たかが女一人に、狂信者どもめ」
ガイル・ラボンダは歯ぎしりする。
クリスティリーナを捜索する。もし亡くなっていればそこに新たな聖地を築くと奴らは叫んでいる。だが、元から囚人都市は一般人が入って良い場所ではない。
それがたとえ行方不明者捜索のボランティアとして集まった者たちだとしてもだ。「バルザ関門を死守し、鼠一匹通すな!」それが前線に顔も見せない提督の最後の命令だ。
数刻前、即刻解散して戻るよう勧告はしたが、彼らはまったく聞き入れる様子はない。
バルザ関門を固く閉ざし時間稼ぎを行って、関門の背後に囚人都市駐屯部隊の半分である六千人を関門の防備と暴徒鎮圧のために配置せざるを得なかった。既に援軍であるはずの予備役兵だけを中に入れることも叶わない状況なのだ。
「もしも、木道を下りはじめるようであれば、仕方がない。警告した上でそれでも止まらない場合は、攻撃を許可する」
苦渋の決断である。魔王に仕える帝国軍が同じ魔王国の臣民に対し攻撃することになってしまうのだ。
今頃、この事態を引き起こした無能な提督と貴族共は囚人都市の旧王宮の総督府で頭を抱えて震えているのだろうか。帝都とは魔鏡で常に連絡が可能のはずだが、彼らはこの危機的状況を報告したのだろうか?
魔王様や帝国首脳部はこの事態をどうお考えなのか。やはり国がまとまって安定するまでは他の大陸への拡大策など軽々しく行うべきではなかったのだ。
ガイル・ラボンダは1年前に開かれた魔族長会議の末席で聞いていた大貴族たちのやり取りを思い出した。やつらは魔王一天衆と呼ばれる側近にばかりへつらって、良識派の貴族や族長の意見を無視していた。
魔王の側近たちは先の大戦で大陸の他の国々を滅ぼした実績に酔っているだけなのだ。その危うさは遠くから見聞きしていれば容易に気づく。
北方貴族連合の反乱や、目の前のこの事態も全ては足元をおろそかにしてきた結果だ。
今の首脳部は、魔王一天衆の言い成りである。かつて魔王の側近として内政を補佐していた有能な魔王二天の二人を左遷同様に扱って遠ざけたとも聞いている。
ガイル・ラボンダは魔王の正妃の座を競いあっていた魔王二天の二人、妖艶な赤い美女ニロネリアと愛らしい少女姿のミズハを思い出した。
魔王二天は元々魔王に親しい存在で、先の大戦で一天衆が力をつける以前は、魔王国を実質的に動かす力があるとさえいわれていた実力者である。
先の大戦では好戦的な一天衆の陰で魔王二天が動いていた。だからこそ今の帝国の安定があるのだ。その彼女らはこの危機に一体どこで何をしているのか。
「これは下手をすれば魔王国の根幹が揺らぐぞ。首脳部は分かっているのか」
ガイル・ラボンダは天を仰いだ。
「ガイル様、ダメです止まりません! 来ました!」
その耳に絶望的な声が飛びこむ。
「今となっては叶わないが、後世の歴史に良き名を残したかったものだ。しかし、臣民虐殺の汚名をこうむっても、帝国軍人として、ここを通す訳にはいかぬ! 弓矢隊! 警告射撃後、止まらぬ場合はもはや容赦するな! 帝国の秩序は我々が守るのだ!」
ガイル・ラボンダが指揮杖を掲げた。
角笛が吹き鳴らされ、放たれた矢が宙に弧を描いた。
群衆が怯んだのはわずかな時間だった。
「攻撃せよ! 容赦は無用ぞ!」
今度は本気の矢が群衆を襲う。
次々と悲鳴を上げて崖から落ちていく者の姿にガイル・ラボンダは自分と帝国の未来を重ねる。群衆は後ろから押されているため引き返すこともできないのだろう。
そのまま死体の山を築くかと思われたが、向こうにも同じ帝国兵が混じっているのだ。やはり対抗手段を講じてきた。
木枝を束に重ねたものを前に出してきた。その背後に隠れて木道を下りはじめる。
「弓兵! 火矢を放て!」
ガイル・ラボンダの指示に一斉に火矢が撃ちこまれる。枯木の束など燃やすのは簡単だ。
その目が驚きに見開かれた。
「燃えないだと……」
「ガイル様! やつら始めから木の束を十分濡らしていたようです」
「さすがに我が国の軍事教育の賜物というわけか。皮肉なものだ」
「火砲や雷筒が使えれば木道自体を破壊できるのですが、大至急、囚人都市の中央基地に要請し、運ばせますか?」
「ふふふ……無駄だな。時間がないうえ、あっちには既に工兵隊すら組織されているようだ。すぐに修理されてしまう。こうなったら、関門前の吊橋を破壊するぞ。急いで準備させろ。それと、緊急用の谷底爆雷を爆破しろ」
ガイル・ラボンダは左右の部下に命じた。
「吊り橋を? 許可は下りたのでありますか?」
「この
「谷底爆雷ですが、あれは谷の人間くずれ対策用です。谷底道の側面の防御に穴が開きます」
「承知のうえだ。人間くずれにも、やつらの足止めに一役買ってもらうのだ」
ガイル・ラボンダはそう言うと、塔を下りていく。
敵はあれだけの数だ。長年の懸案だった谷底に巣くう人間くずれですらも短時間で掃討してしまうだろう。
「所詮はすべて時間稼ぎだ。バルザ関門背後のこの平原が決戦場になるぞ。野営地の要塞化を急がせろ! 弓兵と攻撃魔法を使える者はどうした? 塔とその左右の崖の上へ、配置を急げ! 各自、帝国軍人の誇りをもって決死の覚悟で備えろ!」
完全武装した帝国軍六千人に対し、集まった民衆は既に十万人、いやもしかすると数十万人かもしれない。その中には予備役の兵も混じっているのだ。もとより寡兵である。決死の覚悟がなければこの群衆を食い止めることはできないだろう。
「クリスティリーナ!」
「クリスティリーナ!」
「クリスティリーナ!」
男たちの野太いかけ声が谷に響き渡る。
その声は野営地にまで地響きのように伝わってくる。
「ガイル様、まずいです。我々帝国軍にもクリスティリーナを信奉する者が多くおります。もしかすると奴らに同調する者も出てくる可能性があります」
「後ろから刺されるかもしれないということだな。ふん、既に同胞に武器を振るった身だ。構うものか、帝国の秩序に奉じるだけだ」
ガイル・ラボンダは野営地の指揮台に登った。
正面に見えるバルザ関門の円塔すら心細く見える。
その時、大地が震えた。峡谷の方から黒煙が噴きあがる。
谷底爆雷が爆発したのだ。防護柵や塀が吹き飛んだはずだ。すぐに気づいた人間くずれが木道に侵入して群衆と争い始めるだろう。
だが、その程度で止まるような群衆ではない。バルザ関門で迎撃している弓兵の動きを見ていると分かる。敵の動きは予想以上に早い。
今からでは吊り橋を破壊する時間的な猶予すらもはや無いようだ。ガイル・ラボンダは唇を噛んだ。
関門を死守するには、吊り橋破壊の決断が遅れたのは致命的だ。だがそれには理由がある。吊り橋の爆破に囚人都市の首脳部が難色を示したのである。
この吊り橋が半年前に修理を終えたばかりだったため、多額の金をかけて直したばかりで壊すとは何事かと言い出したバカな貴族がいたのだ。
吊り橋は引き上げているが、工兵隊が堀の対岸に取りつけば簡単に吊り橋を降ろしてしまうだろう。あいつらは帝国標準仕様の巻き上げ機の構造など熟知している。剥き出しの鎖など腐食性魔法を撃って遠隔から断ち切ってしまうはずだ。
バルザ関門を要塞化してこなかったため、対魔法攻撃用の遮蔽装置すらここにはないのだ。
ああ、まもなく谷底を突破されるな。
そう思った瞬間、轟音と共に大地が大きく揺れ、谷底に向かって攻撃していたバルザ関門の右塔が音を立てて崩れた。
塔の上にいた弓兵たちが悲鳴を上げてバラバラと谷底に投げ出されていった。
対岸に雷筒による砲撃の煙がたなびいている。
「あんな物まであるのか!」
ガイル・ラボンダは思わず絶句した。
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お読み下さり、ありがとうございます!
『帝都ダ・アウロゼの何でも屋騒動記―― 恋する魔女は魔法嫌い』の第9章 『クリス信者の妄想』の話が、この話の前日談になっています、よろしかったらそちらもお読みください。
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