第132話 魔獣との激闘2
「弩の爆裂弾の残数はあと7つね、忘れないでよ!」
ゴルパーネが船首からの水飛沫を浴びながら確認する。
「わかった!」
ネルドルが舵を操る。
湿原を波打たせて巨大な口が目の前に迫る。
「よしッ、攻撃!」
その声に俺は持っていた綱を引き、一気に旗を切り替えた。一瞬で白い旗が赤い旗に変わる。一斉攻撃の合図だ。
「容赦はしないわよ!」
「これでもくらいなさいっ!」
弩が重低音で空気を切り裂く。同時に俺に抱きかかえられたオリナが爆裂矢を連射した。
次々と響き渡る轟音と共に、黒い煙に混じって肉片が飛び散った。迫っていた魔獣の胴体の横を掠めるように舟が交差し、少し遅れて魔獣の尾が舟が通過したばかりの湿地を打ち叩いた。
「しぶとい! あの攻撃でもまだ生きている! バカみたいに丈夫な奴だ」
その瞬間、ぎりぎりの所で俺たちの頭上をかすめた尾が、再度後方の湿地に落ち、舟が衝撃で揺れる。
「あっぶねえーー!」俺はひっこめた頭を舟べりから出した。水飛沫が大量に降り注ぐ。
俺が咄嗟に
「みんな、前を見て! もう一匹がいないわ!」
前方でゴルパーネが急に叫んだ。
後方に遠ざかる魔獣を振り返り、与えたダメージを見定めていた俺たちはその声で顔を戻した。
「ネルドル! 前方にいたはずの魔獣がいないの! どこにも確認できない!」
「何だって!」
「そんな馬鹿な」
俺たちの舟は水気の多い湿地の表面に白波を立てて直進している。少し離れて丘舟の後続部隊が追随してきていた。
前方には間違いなくもう一匹いたはずだ。それが煙のように消えた? 肌の色を変化させて周りの景色に擬態するような生物だったのだろうか?
「カイン、正面!」
「カイン様、目の前です! このまま行くとぶつかります」
クリスとアリスの声が響いた。
その時、地面が大きく揺れた。舟が渦巻きに飲み込まれる木の葉のようにその中心に向かって吸い寄せられた。
「うわっ!」
「何だと!」
奴だ! 渦の中央の窪みから巨大な影が浮かぶ。奴はあの巨体で湿地に潜っていたのだ。
次の瞬間、俺たちの舟が奴の巨体の上に乗り上げた。
凄まじい衝撃が走り、舟の上で俺たちは前後に揺さぶられる。
さらに背後で大きな音が響いた。並走していた丘舟の何艙かが突然現れた魔獣を避けきれず、衝突したらしい。
「くそっ、沈んだ!」
ぎりぎりで衝突を回避した舟が湿地に弧を描いて左右に分かれて行く。目視できるのは4艙。最悪2艙は沈んだかもしれない。
「そっちはダメだ!」
思わず言葉が出たが聞こえるわけもない。
回避した丘舟の先には、後方から追跡してきたさっきの魔獣が巨大な身体を伸ばして待ち構えている。罠だ!
「カイン!」
オリナが叫んだ。
「ちっ!」
彼らの心配をしている場合ではなかったのだ。
「何かに掴まれ! 弾き飛ばされるぞ!」
ネルドルの声が轟音にかき消される。
直後、魔獣の背の襞に舟底が接触した。激しい衝撃が俺たちを下から突き上げる。
その巨大な身体の上で丘舟が枯れ葉のように吹き飛ばされ、宙高く舞い上がった。
この速度でこの高さ! 地面に叩きつけられれば、即死は免れない! 舟の緩衝装置とネルドルの操船技術で助かるかどうか!
猛烈な回転力に耐えきれずメキメキとメインの帆が支柱から折れ、凶器のように襲いかかる。船体が折れなかったのは奇跡だが……。
「カイン!」
「頭を伏せろッ!」
俺はオリナを守り、覆いかぶさって抱きしめる。
オリナが俺の腕をぎゅっと強く握りしめた。クリスたちは……もはや確認できない。何がなんだか分からない。
意識が飛ぶ。息ができない。
このまま死ぬのか?
全身に物凄い遠心力がかかって、丘舟は空中を回転しながら弾かれていく。
ーーーーーーーーーー
「隊長の舟がやられたっ!」
隊長の舟が木の葉のように回転しながら空中高く吹き飛ぶのが見えた。あれでは助からない!
船首から身を乗り出して振り返り、絶句するマルトーネ。ぎりぎりのところで激突を回避した彼らの舟は大きく旋回しながら、帆に強い風を受けて加速した。
前方の左舷側に、生き残った仲間の丘舟が数隻見えた。湿原を疾駆している。
「あれに合流して、隊長たちを救出にいく!」
操作するドルランは必死に舵を切った。
「歯をくいしばれ! 舌を噛むぞ!」
丘舟は急旋回し、大きく傾いた船体が軋んだ。
刹那、巨大な影が突如側面に落ち、直後、猛烈な水飛沫が上がって、その風圧でドルランたちの舟を押し流した。
「うわあっ!」
二人は振り落とされないよう舟にしがみつくのに必死だ。
ようやく舟が水平に戻ったとき、ドルランは後方を見てぞっとした。舟が偶然大きく舵を切った瞬間に魔獣が滑りこんできたのだ。いつの間に向きを変えていたのか、あのまま直進していたら押しつぶされていただろう。
気配をまったく感じさせずにあの手負いの巨体で忍び寄ってきていたのだ。背筋が寒くなるような恐怖を抑え込み、ドルランは後方から迫る敵に意識を集中した。
「ドルラン、追ってくるぞ!」
「逃げるだけじゃだめだ! 何とか攻撃に転じなければ……」
だが、たった一隻で何ができるのか。
舟は水飛沫を上げ弾むように突き進む。ドルランは帆を広げて速力を維持しながら反撃に転じるチャンスをうかがう。
背後から追ってくる魔獣は手負いだが、とどめを刺すにはあと2~3発急所に爆裂弾を叩きこむ必要があるだろう。
その時、後方で爆音がした。
振り返ると、追跡してきた魔獣に仲間が側面から斬りこんで攻撃を加えたらしい。
だが、魔獣が体を捻ったのが見えただけで、その巨大な尾の影に入って誰の舟だったのかすらわからない。
「どうする! ドルラン!」
マルトーネが叫んだ。
「矢を準備しとけ! 漁師の意地をみせてやる! 2、3発、いや全弾撃ちこんでやるぞ。この1匹だけでも倒す!」
そう言うと、わずかに魔獣との距離が開いたのを機に、再び急旋回し敵を正面に見据えた。
奴が大きく体を持ちあげ、地表に体を叩きつける。衝撃に湿地が波打って津波のようにこちらに向かってくる。
「何かに掴まれ!」
「
正面から湿地表面を覆っていた苔類の波を受け、大きく弾かれた丘舟が跳ね上って、落下する。
直後、後方から奴に接近していたのだろう、反対側の奴の横腹に仲間の丘舟が攻撃を加え、矢のような速度ですれ違った。
その攻撃で奴が体をそっちに向けたおかげで、目の前に大きく肉がめくれ上がって千切れかけの横腹が見えた。
「今だ! チャンスだ!」
仲間が必死の思いで負傷させた場所だ。ここなら分厚い皮膚が吹き飛んで、内部の肉が見えている!
「これでもくらえ!」
マルトーネが連続して矢を二発撃った。
黒煙が噴き上がり、丘舟は回避行動に移る。大きく旋回しながら遠ざかりつつ後方の魔獣の状況を確認する。
水飛沫を上げて魔獣が頭を持ち上げ、のたうっている。たった一撃だったが、予想以上に大きなダメージを与えたらしい。
「なんだ? 胴体をぶち切ったのか?」
ドルランがつぶやいた。
マルトーネの矢は見事傷口に命中して炸裂したらしい。胴体が半分に千切れ、頭部の方が悶えている。尾の方はもはや脈絡なく上下しているだけだ。
「うまいぞ、マルトーネ、もう一発いけそうか?」
ドルランは舵を切り、急いで帆の角度を調整した。
だが、前方にいるはずのマルトーネの返事が無い。
見ると、船首のイスから滑り落ちたマルトーネが床に倒れている。四散した魔獣の肉片を頭に受けたらしい。額から血が滲んでいるのが見える。
「ちっ、もう攻撃できない。戦域から離脱して逃げるしかないな。おや……?」
反対方向に舵を切るが反応が弱い。いやあまりにも軽すぎる。眉をひそめドルランは船尾を見た。
悪い予感があたっていた。舵が壊れている。
これでは舟はもはや直進しかできない。帆の操作や重心移動で多少進路を変えることができるが、今までのような軽快な動きは無理だ。
しかも舟が直進する先には、ネルドル隊長の舟を沈めた魔獣が待ち構えている。
何とか避けなくては……。
ごくりと喉が鳴る。冷や汗が流れる。
後ろからは頭部だけになった魔獣が恐ろしい勢いで迫っている。スピードを落として操船すれば背後から襲いかかるだろう。
一か八かだ。前方の魔獣の横をすり抜けられるだろうか。
魔獣がこちらの位置を把握するかのように悠然と頭をもたげている。もはや生きて返す気はないらしい。
湿地が大きく波打ち、大顎が迫る。
「くそっ! やられる! やられてたまるかッ!」
ドルランは舟の片側に思いっきり重心をかけ帆を操った。
丘舟がわずかに進行方向を変える。
「!」
その時だ。
魔獣の頭部が横を通過する瞬間、誰もいるはずのないその場所に人影が見えた気がした。
「いまのは?」
幻か錯覚か? ドルランは思わず振り返ったが、すぐに魔獣の胴体に隠れて見えなくなる。
ガリガリガリ……!
衝撃で舟が揺れる。
「うわっ!」
ドルランは歯を食いしばって振動に耐え、さらに速力を上げ、魔獣の側面ぎりぎりを突っ切っていく。ミミズの体表に所々生えた毛が左舷の板をガリガリと削る。
このまま魔獣に押しつぶされて終わりかと思った瞬間、ふいに無音の世界が訪れた。
刹那、風が全身を包み込み、目の前に湿原が広がった。
魔獣の尾の先を抜けた丘舟が猛烈な速度で駆け抜ける。
だいぶ魔獣の姿が小さくなってから、ドルランはようやく肩の力を抜き、振り返った。
「今のは一体?」
魔獣の巨大な口の前に誰かが立っていたような気がするのだ。
「幻だな、幻を見たに違いない。あんな場所にメイド嬢?」
美しい少女?
黒いメイド服を纏った女神?
だが、その一瞬の横顔が瞼に焼き付いて離れない。
彼女は片手を前に突き出して魔獣の鼻先で手のひらを立てていた。それだけであの魔獣がぴくりとも動かなくなった気がした。
ドルランは頭を振った。
今は幻でも何でもいい、魔獣から逃げ切ったことが大事なのだ。ドルランは敵が追ってこないことを確認して湿原の中に舟を止めた。
「マルトーネ、しっかりしろ!」
すぐにマルトーネに駆け寄るが、幸い気を失っているだけのようだ。ドルランは救急箱を取り出しながら地平線を見つめた。
今にも再びあの魔獣が巨体を浮かび上がらせるような気がするが、いくら見つめても大湿地に変化は無い。
今、あの向こうでは一体何が起きているのだろう。気になるがそんな場合ではない。ドルランは気を引き締めるとマルトーネの頭に包帯を巻き、舟の舵の応急修理を始めた。
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