第182話 第一次スーゴ高原の戦い2

 草原の果てに塔が見えてきた。

 一つだった塔は次第に数を増やし、それが戦闘用の櫓だということが次第にわかってくると、それを初めて目にした兵たちの顔に緊張感が満ちてきた。


 やがて戦場になるであろう草原に一番乗りしたのは、昼夜を問わない強行軍で街道を進んで来た帝国軍の先陣、王族ゲバルッタ率いる第一軍である。


 ゲルバッタの乗る指揮車の壁面には斥候に放った無数の魔鳥が見た情景が魔導鏡に映し出されている。敵の砦の概要は把握していたが、敵も対魔鳥用の魔道具を使用しており、そのため一定距離以上砦に近づくことはできなかった。防塁の内側の状況を事前に把握できないのは戦略を考えるうえで重大な影響を与えるものだ。


 先陣がここに到着する前から魔法による情報戦は既に開戦していたが、帝国軍が放った魔鳥は砦に接近するたびにことごとく撃墜されるのだった。


 あの砦の背後に位置するデッケ・サーカの街には帝国軍の大規模な軍事物資保管用の倉庫群があった。それが丸々敵の手に渡ってしまったことは痛恨の極みである。


 本来なら囚人都市の総督の指示で破壊や撤収がなされるはずが、囚人都市総督府の機能自体が喪失し、命令が遂行されなかった。そのために対魔法装備、対偵察魔鳥装備、対遠距離攻撃装備などの帝国軍の装備があの砦群に配備されているようだった。もちろん重火器等の攻撃兵器も手に入れたはずである。


 もはや、この戦いは貴族の反乱程度のレベルではない。ゲルバッタは指揮車の豪奢なカーテンを開いて外を眺めた。


 「あれか?」

 見えてきた新王国の防塁は予想以上の規模である。やはり魔導鏡で見るのとは迫力が違う。この地には大戦時にもあれ以上の城塞が築かれ南部戦線最大の激戦地の一つになった所だ。

 その時は魔王一天衆が猛攻を加え、最終的には赤い魔女の死者の軍が先陣を切って、力押しで落城させたと聞く。


 「ほう、大戦時ほどの規模ではないが、敵も必死だったと見えるな」

 かつて話に聞いた城塞に比べれば貧相な砦だが、短期間でここまでの防衛線を構築したことは称賛に値する。

 これも徹底した帝国の軍事教育のおかげなのだろうが、それが反乱に利用されるとは本末転倒だ。


 だが、そこまではまだ良い。


 「ところで、何だあれは?」

 窓を開け、指揮車のバルコニーに出たゲバルッタは目を疑った。


 「絵、のようでございますな」

 隣で爺やが言った。


 「むむむむ……」

 ゲバルッタは唸った。

 それは生理的に受け付けないせいだ。


 「断じて帝国はあのようなふざけた絵を壁に描くような教育はしていないぞ、そうだな?」

 「はい」

 爺やはうなずく。


 正面の砦の壁には、でかでかと水着姿の美少女が描かれていた。それどころか切り立った崖の壁面にも一定間隔で同じ美少女のちょっとエロいポーズの絵が描かれている。


 クリスティリーナ命のへんた……いや特殊技能を発達させた男共が砦の建築そっちのけで総力を尽くして描いたものだ。


 「あれが、奴らが信奉するクリスティリーナ嬢なのでしょうな」

 「ふざけているのか! 戦場にあんなリアルな女の絵を描くなど、正気とは思えん!」


 だが、それを遠巻きに見ている帝国軍兵士の中にも動揺が広がっていた。


 相手が頭のおかしい連中だと気付いた者たちと、愛すべきクリスティリーナ嬢の絵に武器を向けることに躊躇とまどいを感じる若い兵士たちである。


 「いかがなされますか? 先陣の命を賜ったからには御命令どおり、このまま攻め入って帝国軍の威容を見せつけますか? それとも様子が異常なので、ここは慎重に後続のゲボロバタ様、ゲロロンダ様、ゲテモッド様の軍の到着を待ちますか?」


 「うむむむむ……、なんという変態どもだ……」


 先陣に与えられた命令は二つだ。

 本隊が到着する前に砦と防塁の情報を収集すること。そして可能ならば謀反人共に帝国軍の威容を見せつけ、敵の戦意を削ぐことだ。

 そのために予定地点に着陣後、ただちに攻撃することを許可されていた。もちろん本気ではない。圧倒的兵力差を見せつけ、これは敵わないと思わせることが肝要なのだ。


 「いかがします? 命じられているのは所詮は示威行動なのですから、無理をなさらずともよろしいのでは?」


 「馬鹿な事をいうな爺。あんなもの気にして帝国軍の威容を示さなかったならば他の者に会わせる顔がない。ここは一気に攻めかかるぞ。よくよく見れば大した砦でもないではないか。後続が到着する前にあの程度の防塁など突破してみせようぞ! 攻撃あるのみだ! 先鋒前へ!」


 ゲバルッタは指揮車の指揮台に姿を見せ、その剣を振るって前方を指し示す。

 その様子を確認した先鋒部隊の長が動く。軍は生き物のように見事に移動体勢から攻城体勢へ陣形を変えていった。さすがは精兵である。強行軍の疲れがあるはずだが、それを感じさせない動きだった。


 「おや、敵も動きましたぞ、迎撃するつもりのようです」

 爺が目を鋭くした。


 「何っ? 篭城するのではなかったのか?」

 ゲバルッタは目を細めた。確かに砦の方から敵が押し寄せてくる。


 「奴ら、攻城体勢に移る前に我が軍に一撃を加えるつもりだ。愚かな、備えが無いとでも思っているのか? 右翼、左翼の歩兵を前に出せ! 中央軍を守りつつ、敵を押し戻せ! 爺、我らも馬で出るぞ! 将たるもの、兵とともにあってこそだ!」


 「若、無茶はおやめください!」

 爺が叫んだが、ゲバルッタは指揮車につながれている愛馬に跨って飛び出していく。

 爺とお供の兵も慌てて軍馬に跨った。


 ゲバルッタが直接指揮を執る中央軍、その両翼から切り離された歩兵部隊が前方に進み出た。

 このまま行けば両軍が衝突するのは砦前にある村の手前付近だろうと思われた。


 だが、思ったより敵の動きが早い。その結果、村よりもだいぶ自軍側に入りこんだ位置で先頭がぶつかった。


 「敵のあの部隊は何だ?」

 「魔獣騎兵でしょうか? 魔馬だけではない混成部隊のようですな」

 ゲルバッタは目を見張った。あのような素早さと突破力を持っている兵種が敵にいたのか?


 弾け飛ぶ帝国兵の姿が見える。歩兵相手にその突破力は圧倒的だ。初めて見る魔獣が強い。その対応に精兵も慣れていないようだ。魔馬の突進にも耐える陣形を取るが、ことごとく突破されている。


 「何をしている! 魔装盾兵を前に出せ! もたもたするな! やつらの足を止めろ! あのサイみたいな獣だ!」

 ゲルバッタが叫んで歯ぎしりする。


 敵の騎兵がまるでこちらの動きを読んで、馬鹿にするかのように好き勝手に暴れまわっている。

 機動力で劣る歩兵が盾で防御壁を作る前に蹴散らされている。

敵に帝国軍の威容を見せつけるどころか、からかわれているかのような無様さだ。


 「何故だ! 敵の数はわずかなのだぞ! ええい見苦しいぞ! それでも精兵か! ええい、中央軍も前に出せ! さっさと奴らを押し戻すのだ!」

 ゲバルッタは自軍の不甲斐なさに激高した。


 「ゲバルッタ様、中央軍はまだ陣形が整っていません、そう焦っては敵の思うつぼですぞ」

 「構うな爺! 数で押し切ればよかろう! あれしきの敵など!」

 敵軍が味方を翻弄する姿に、ゲバルッタはすっかり頭に血が上っているらしい。ついに全軍突撃の旗が上がった。


 陣形を乱したまま中央軍も乱入し始めた。

 だが、それがかえって左右の軍の動きを乱す。混乱がかえって大きくなった。


 「伝令です! 後続のゲボロバタ様、ゲロロンダ様の軍が予定地点に到着。ゲテモッド様も間もなくお着きになります」

 後方から駆けてきた騎兵が叫んだ。

 「不味い」

 爺は騎兵を止めようとしたが、その声は既にゲバルッタの耳に届いていた。


 その声が一層ゲバルッタの理性を失わせた。後続の軍にみっともない所を見せる訳には行かないのである。


 「全軍! 一斉に攻めよ!」

 ゲバルッタが指揮棒を振り下ろし、それを合図にどっとゲバルッタの軍が押し出した。


 その勢いに徐々に騎兵の動きが緩慢になる。大軍に押されてついに騎兵はバラバラになって逃亡を始めた。


 勢いに乗ったゲバルッタの軍が敗走する騎兵を追撃し始めた。形勢逆転である。やはりあの数では所詮は大したことはできなかったのだ。少々こちらの出鼻をくじいたくらいだ。


 「見よ、見よ! どうだ? やつらは逃げていくぞ! よし全軍攻めよ! 砦などこのまま一気に落としてしまえ!」


 「いけません! 陣形も備えもなく、これ以上攻めかかっては! 命令は示威行動だけでよいのですぞ!」


 爺が突撃しようと身構えたゲバルッタの右腕を掴んで強引に引き留めた。その時だった。防塁の陰から無数の矢が天に向けて放たれた。


 鋭い矢が追撃に転じていた先鋒の兵を次々と貫いていく。矢を防ぐ仕掛けを展開する時間もない。


 「馬鹿な! 敵に備えがあったと言うのか?」

 ゲバルッタの耳に次々と悲鳴が響き渡った。


 味方がバタバタと倒れていく。防塁からの攻撃に逃げようとする兵と前に進もうとする兵がぶつかり合って大混乱に陥った。

 既に自軍同士の衝突で圧死者まで出ていることにゲバルッタはまだ気づかない。


 「何だこれは、こんな事があって良いものか…………!」

 ゲバルッタは呆然とその惨状を眺めた。


 「ゲバルッタ様! ご命令を!」

 爺がその腕を掴んで振るが、反応がない。


 信じがたい光景だった。

 精鋭の我が軍がこれほどの被害を受けるなどあり得ない。これは幻を見ているに違いない。


 「ゲルバッタ様! このままでは全滅ですぞ!」

 「…………」


 「くっ、撤退だ! 皆の者、一時引くぞ! 撤退の銅鑼を鳴らせ! 誰か、ゲバルッタ様の馬を引けっ!」

 呆然としている主人に代わって、爺が大声で叫んだ。

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