第181話 第一次スーゴ高原の戦い1

 大草原の大気が行進する兵の姿と共に揺らぎ始めた。


 「ついに来たぞ!」

 その声には緊張感がみなぎっている。ジャクは失った片目を押さえた。


 「ひょーう! これは壮観だな。帝国の進軍をこのような形でまた見ることになるとは!」

 ビヅドが声を上げた。


 地平線に現れた黒い影は徐々に左右に広がって行く。

 遠目にも規則正しい行軍であることが分かる。


 逃げ出した野獣があちこちで草原を揺らしている。


 急ごしらえであったが、スーゴ高原唯一の崖を利用した新王国の防塁線はほぼ完成していた。

 スーゴ断層は東で旧公国の西に広がる湖沼地帯まで続いており、西は大森林地帯まで伸びている。


 この崖を避けるために帝国新道もここだけは旧ロッデバル街道に合流する。南北を結ぶ道は全てがこの地点を通る。つまり新王国へ攻め込むにはこの街道筋しかないのは分かりきっているのである。


 元々街道が作られている地点の崖はだいぶ削られているが、東西に延びる崖の高さは人の背丈の3倍以上もある。


 その一番の弱点である街道部に石を積んで堅牢な砦を築き、その両翼の崖の上にはさらに土塁を盛り上げ、木柵を打ちこんである。

 砦の前面には空壕を掘り、空壕の前にも補助的な狭い横壕を不規則に掘った。壕の内部には横移動を阻害する障壁を幾つも残してある。かつて大戦時にここにあったという要塞に比べれば程遠い規模だがそれでも堅固な造りといって良い。


 ただし、砦の正面は元々が埋没谷なのでくぼんでおり、砦前面の橋を渡した空壕までは長い下り坂になっている。攻め込む側からすれば上り坂と違って攻め易そうに見えるが、指揮官である片目のジャクは、特に手を加えなかった。

 時間が無かったからなのだろうが、それとも別に何か意図があるのか、ジャクの真意は読めない。


 「ビヅドの旦那、外でまだ工事に従事している連中を砦内に避難させてください。外の仮設小屋にある物品は諦めて、速やかに戻るように」

 ジャクがビヅドを見た。


 「もったいないですな。ついこの間、薪や油樽を補充したばかりなのに」

 ビヅドはつぶやいたがジャクは無言だ。


 まあ、確かに仮設小屋の周囲にも木柵が作られているが、あの数ではこの間の小競り合いのように、仮設小屋周囲に巡らせた防備程度で撃退することなど不可能だろう。


 ビヅドはため息を漏らして伝声管のレバーを引いた。


 「責任者のビヅドである。外に居る者に告げる。敵が来た! 至急砦内に戻れ! 撤収にあたっては小屋にある物品の回収は諦め、速やかに砦に戻れ! ああ、ただし、クリスティリーナ嬢のポスターだけは回収しても良いぞ」

 伝声管に話したビヅドの声は拡声されて防塁の外に響き渡った。


 街道を中心とした広場の左右に建てられている仮設小屋群は、まるで一つの大きな村のように見える。そこから多くの人々がほとんど手ぶらで逃げてくる。砦の前面は壁なので西側に設けられた門から次々と中に入ってきた。


 防塁線の内側にも仮設小屋が建てられているが、屋根や壁には鉄板がはられており、外の仮設小屋とは物々しさが違う。


 八百屋の親父ホダ・ホダは緊張を覚え、隣で呑気そうにしている小太りの男を見た。


 スゴイ・サーカの街の雑貨屋の親父ビヅド・バイダ。彼はクリス亭の親父にして実質的な新王国の指導者であるベント・サンバスと武器屋の親父ブルガッタ・バドスとともに新王国のリーダーとして、3Bの一人と呼ばれ、この砦を任された重要人物だ。

 ベントは聖都で王女を守っており、ブルガッタはデッケ・サーカで物資の補給にあたっている。


 ブルガッタが砦の管理全般の総括責任者で、ホダがその補佐、ジャク将軍が司令官として新王国軍を総括しているのだ。


 「伝令だ、各要所の責任者は戦闘の準備に入れ! 魔法防壁発動! 作戦は変更なし、と伝えよ!」

 ジャクが後ろに控えていた若者に告げた。


 彼は大湿地出身で囚人都市に派遣された予備役だったが今はベントの側近の一人となったバクロである


 「はい。かしこまりました」

 バクロは梯子を下りていく。



 「ーーーーみんな、いよいよ戦いが始まるぞ。各班に伝令だ。作戦は変更なし! いいか、これは訓練じゃないぞ、大至急、伝えること! わかったな!」

 バクロは叫んだ。

 「はい!」

 梯子の下で待っていた数名の少年、少女が答えた。


 みんな孤児だが、この戦いに参加した義勇隊員で、新王国にとっては将来の騎士の卵とでもいうべき人材である。彼らは待機させていた連絡用の魔馬に騎乗していく。


 「ラサリア、大丈夫か? 落ちるなよ」

 バクロは馬の背にちょこんと跨った一番幼い少女に声をかけた。


 「バクロ様、私なら大丈夫。ちゃんとやれます」

 「そうか、なら頼んだぞ」

 「はい!」

 笑顔で答えて、少女は馬を走らせた。

 

 「ほう、言うだけあって見事に乗りこなしている」

 小さいのに、あれで騎士訓練所に志願してきた子どもでは一番の成長株だ。逸材と言っても良いだろう。

 

 しかも努力家で人知れず剣の練習をしている姿を見ているし、座学でも物覚えが良く優秀だ。あの子は小さいが何か信念や叶えたい夢があるらしい。あの歳で白髪の騎士ベルモンドという男に弟子入りもしているのだ。


 「万が一の時は、あいつらだけはなんとしても逃がさないとな。それが大人の責任だ」

 バクロは腰の剣の感触を確かめてつぶやいた。



 ーーーーーーーーー


 「さて、いよいよ大勝負ですな」

 ビヅド・バイダは櫓の上から高原の彼方を見た。ジャクは表情を変えない。


 同じような櫓が防塁線上に幾つか建っている。元々は帝国軍の移動式櫓だが、デッケ・サーカの軍事物資集積場、あのクリス屋敷を壊して建設された憎っくき大倉庫に長い間放置されていたものだ。


 「ホダ・ホダ殿、そろそろ悪ガキ連中に出撃準備をさせてください。それと弓矢部隊のゴッパデルト殿にも所定の位置での待機命令を出してください」

 ジャクが告げた。


 「やっぱり、あいつらを使うんですかい?」

 ホダ・ホダは眉をひそめた。

 大事な初戦であの連中を使うというのか。みっともない真似をしでかして帝国軍を勢い付かせるだけではないだろうか。


 「ホダ、司令官の命令だぞ」

 ビヅドがホダの肩に手を置いた。


 「仕方がありませんな」

 ホダは肩をすくめ、梯子を下りた。櫓の裏に二人の男が待っていた。


 一人はデッケ・サーカの鼻摘まみ集団のリーダーであるバゼッタである。バゼッタは昔からの仲間を核として魔獣の扱いに長けた者を配下の魔獣騎乗りに加えていた。

 新王国側で唯一の機動部隊、鎧犀よろいさいと魔馬に乗る総勢200名である。


 もう一人はデッケ・サーカの街の宿屋の親父、ゴッパデルトである。彼は前大戦におけるシズル大原攻略戦線で弓騎士団を率いた経験を持つ男で、当然クリスティリーナ信奉者である。


 「八百屋の旦那、俺たちを呼んだと言う事は出番かい?」


 ホダは腰に下げたひょろ長い茶色の根菜を抜いた。新鮮な野菜は八百屋の命! その使命を忘れぬため毎日新鮮な野菜を腰に下げている。


 「出番だぞ! 悪ガキども!」

 その根菜を鞭のようにしならせて、バゼッタを指し示す。


 バゼッタはにやりと笑った。


 「まかせとけ、おっさん。相手をからかいながら逃げるのは得意なんだぜ」

 そう言って、軽く手を振ると仲間たちの方へ去って行く。


 「右曲がり亭の旦那! 旦那たちも所定の位置について、指示を待ってください」


 「わかったぜ。俺たちのクリスティリーナの聖地を汚そうとする輩には痛い目を見せてやる」

 宿屋の親父ゴッパデルトは陽気な表情で答えた。

 とてもこれから大戦を始めるような雰囲気ではない。ホダが緊張しているのは自分だけではないかと思えるほどだ。


 だが、それも当たり前である。

 ホダの持ち場は街道に設けられた第一砦なのだ。最も敵が押し寄せる場所であり、吊り橋を奪われないよう細心の注意が必要だ。

 ジャクの指示通り動けば良いと言われているが、その責任の重圧に緊張しないほうがおかしいのである。


 ホダは懐から香りの強いニクニク果を取りだすと、鼻に詰めた。

 精神安定、精神安定…………ぶつぶつと呟きながらホダは持ち場の砦に向かうのだった。

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