第287話 カムカムの妻と魔獣

 「カムカムさまーーーーー!」

 豊かな胸を揺らしてスケルオーナが駆け寄るとカムカムに抱きついた。


 「怖かったのですよ! 助けにきてくれたのですわね!」


 カムカムは青い顔をして周囲に飛び散る肉片と血しぶきを見た。いや、怖かったのはこっちの方だとは言えず、カムカムは言葉を飲み込んだ。


 スケルオーナが乗っていたと思われる船の残骸を見つけて、その奥の部屋に飛び込んでそこで見たものは……


 何かの骨を手にして、襲いかかる魔獣を次々と血祭りに上げるスケルオーナの姿だ。

 全身血塗れの衣装で部屋の中央に立つ彼女の姿を見た時は総毛だった。


 しかも、ニヤリと笑って「あら? あなた!」とこっちを振り返った。誰もがゾゾゾゾゾ……! と青くなった瞬間だった。


 その部屋の片隅には焚き火がくすぶり、焼き過ぎた肉が黒い煙を上げている。


 「ス、スケルオーナー、まずは無事で良かったな」

 カムカムは妻を抱いてその頭を撫でた。


 「ええ、丸4日ですよ、こんな所でたった一人だったのですわ」


 「よく無事でいられたものだな」


 「きっと助けにくると信じておりましたわ。魔獣の肉はあまり美味しくはなかったですが、遭難した時はあまりその場を動かずに救援を待っていた方が良いと聞いておりましたので。ここでこうして、いつ恐ろしいモンスターが姿を見せるかと怯えながら耐え忍んでおりました。……幸い、モンスターは現れず、食用魔獣がこのように時折部屋に入ってくるので食糧には困りませんでしたわ」


 「食糧……凶暴な魔獣ヴオウヤーチも単なる食糧か……」

 こいつも恐ろしいモンスターなんだけどな! と言いたくなるのを我慢する。


 「カムカム様! おおっ、スケルオーナ様、ご無事でしたか!」

 「バルトン、ご苦労です」


 にこやかにそう言って微笑んだスケルオーナの目が急に厳しくなった。


 バルトンと一緒に部屋の入口から姿を見せた美女たちに気づいたのである。


 「あ、な、た、ちょっと……」

 不意にスケルオーナの口調が変わった。

 「あらあら、ボタンが外れておりますよ」

 スケルオーナが笑いながら、苦しいのでわざと外していた一番上のボタンを締めにかかる。


 「ぐっ、そのボタンはわざと外しておるのだ」


 「あ、な、た…………、なんです? あの女性方は? まさかまたまた愛人ですか? 先日、妻を二人娶ったと手紙がきたばかりだというのに……? 性懲りもなく?」

 笑顔が怖い。


 ギュウウウっとカムカムの首が締まっていく!


 「ち、違う……彼女らは単なる同行者だ……。まだ、私の愛人とかでは無い……」


 「まだ? へぇ、そうなんですねぇ」

 ギラン、とスケルオーナの目が光った。


 これは怖い、周囲で見ていた騎士たちがそそくさと部屋を出て行く。


 「そうなの? まだ愛人じゃないの? バルトン」

 「はっ、はい、カムカム様のおっしゃる通りです。あの方たちはたまたま同行しているだけの者たちです」


 「そうですか。でもきちんと説明してもらいますわよ?」

 スケルオーナはカムカムの背中に回していた腕に力を入れる。背骨がゴギッと音を立てた気がした。



ー---------


 バルドンとカムカムはスケルオーナの顔色を伺いながら、事情を説明した。


 「なるほど、わかりましたわ。それでは一刻も早くここを出ましょうか」

 スケルオーナはうなずいた。


 「そうだな、他の魔獣が血の臭いで集まってこないうちに脱出するか、バルドン」

 ほっとした表情でカムカムが言った。


 「出発するぞ! 遺跡内の偵察に行った騎士たちを戻せ!」

 バルドンがカムカムの指示を受けて叫んだ。


 「大変です! バルドン様!」

 部屋の外に出ると、数名の騎士が走り寄ってきた。


 「どうした? 何かあったのか?」」


 「はっ! 我々が入ってきた入口が魔物に塞がれました!」

 「ウンバスケの大群です。ウンバスケがヴオウヤーチの死骸目当てに集まっており非常に危険な状態です。別な出口を探す必要がございます」


 「なるほど、どうする? バルドン」

 「この人数でウンバスケの群れと戦うのは無謀でしょうな」

 「そうか……、では仕方がない一旦奥へ進むぞ、他の出口を探そうぞ」

 「はっ!」


 「行こうか、さあ手を」

 「はい、カムカム様!」

 カムカムはスケルオーナの手を取り、二人は連れ立って通路に出た。


 カムカム夫妻を先頭集団として騎士団とサティナたちは暗く濡れた通路を奥へと進んでいく。


 やがて、幾多の壊れた部屋の壁を乗り越え、天井の抜け落ちた広い回廊を進むと、旧王都の城壁の内側に出たらしい。


 そこはかつては庭園だったのか、今や広い森になっている。

 城壁の亀裂から流れ込んでくる水が小川になって森の奥へと流れている。


 「ここはお気をつけください。これだけ広い森と水場がありますと大型魔獣が生息している可能性があります」

 そう言ってバルドンと騎士がすぐに前に出た。そしてバルドンの意を受けた斥候役の騎士が数名、すぐに偵察に出る。


 「斥候が戻るまでここで待つ。少し休憩だ! サティナさんたちも休んでくれ。偵察に行かせたが、やはり奥に何かいるようだ」

 カムカムは耳を澄ませている。


 「あなた、足手まといにはなりたくありません。私にも剣をくださいませんか?」

 スケルオーナが手を差し出した。


 スケルオーナ―様は相変わらずですな、とバルドンはその様子を横目で見た。


 スケルオーナはカムカムと出会う前は帝都一と謳われる女騎士だった。スタイル抜群で巨乳の美女として有名だったが、狂犬乙女とか死神処女とか呼ばれていた。誰も怖がって近づかないような美女に手を出すところがいかにもカムカムらしい。


 「私の予備の剣をやろう。手入れはしてある。私が使いやすい長さに仕立ててある、感覚が違うかも知れぬが、これで良ければ使うといい」

 「ありがとうございます、あなた」

 スケルオーナ―はうれしそうに、さっそく受け取った長剣を腰に佩びる。 

 その様子を懐かしそうに見守っていたカムカムの表情が不意に一変し、一陣の風が吹き抜ける。

 何か不吉な予兆か。

 ざわざわと木々が揺れ、森に隠れていた魔鳥が一斉に飛び立った。


 「出ましたァーーっ!」

 「退避をーーっ!」

 斥候に出ていた騎士たちが叫びながらこっちにバラバラと逃げてくる。


 「警戒! カムカム様を守れ!」

 叫ぶ騎士たちの前の森が揺れ、大きな亀のような魔獣が姿を見せた。


 木々の間から顔をのぞかせたのは、頭部に毒々しい色の鶏冠のようなものを生やした大型魔獣である。


 「こいつは変異体かもしれません! これまで知られていない新種の魔獣です!」

 騎士が叫ぶ。


 そいつはこっちを獲物の群れと認識したのだろう。巨体からは想像できない速さで、水しぶきを上げながらこちらに向かってくる。


 その鋭利な剃刀のような口からして間違いない、こいつは肉食獣だ。


 「魔弾で迎え撃て! 突進を止めろ!」

 バルドンが指示すると騎士たちが両手を前方に向け、一斉に魔法の矢を放つ。


 矢が次々と流れるように着弾し、魔獣の頭部や前足で燃え上がるが、魔獣はまったく怯む気配を見せず、まっすぐこっちに向かってくる。


 「左右に展開しろ! 側面から攻めるのだ! カムカム様を守れ!」

 うおおおおお!と勇敢な騎士たちが走った。その動きに魔獣の左右の目玉が別々に追従する。


 騎士たちの動きを冷静に見ている。

 奴の気を逸らさないと近づいた騎士たちの方が危ない。


 「お前はこっちを見ろ!」

 カムカムが特大の火球を正面に生成し、撃ち込んだ。真正面から火球を顔面に受けて魔獣が吠えた。


 魔獣は炎に包まれた頭を振っている。


 その隙を突いて、左右から騎士が剣を叩き込む。しかし固い甲羅に阻まれて有効打になっていない。


 「足を狙え!」

 バルトンも突っ込んだ。


 「あなた! 見て! 左右からも別の魔獣がこっちにきますわ!」

 スケルオーナが剣を構える。

 森の奥から飛び出てきたのは二本足の魔獣だ。その数は10匹以上。

 目が無いように見えるが、顔全体が大きな口である。開いた口にはナイフのような牙が並んでいる。


 「ちっ! 大型獣に付いてまわるおこぼれ狙いの屍肉漁り! 面倒なことだ!」


 「カムカム殿、あれは私たちが対処します! カムカム殿は大型魔獣を仕留めて下さい! さあルミカーナ、ミラティリア、行きますよ!」

 状況を見ていたサティナが後方から前に出る。


 「二人は左翼の敵をお願いね!」


 「任せてくださいませ!」

 「ええ!」

 二人が左の敵に向い、サティナは右に走った。

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