第73話 襲撃のクリス亭1


 白波を立てて優雅に湖を横切っていく観光舟。


 「ふん、お貴族さまは呑気なもんだよ。おや?」

 観光船のデッキで手を振っている二人。

 あれは……良く見たらオリナとリサ?


 もはや完全に観光を楽しんでいるような雰囲気……なのか? あれ?


 「…………」

 何を言っているかわからないが、とりあえず返事を返さねば。よくわからない義務感で対岸へ向かう観光船に精一杯の笑顔で両手を振ると。


 ぶぶぶぶぶぶ……

 不意に背後から羽音がして、船を追うように監視用の使い魔が飛んで行った。


 「ゲっ!」ととっさにフードを深く被ったが、リサたちは大丈夫か? と不安がよぎる。しかし、ここからではどうしようもないのが現状だ。


 「!」

 振り返ってみると坂の上の道から帝国兵が二人、黒い制服の男と一緒に俺の方を指差して何か話している。


 おっとこれはヤバい!

 もしかするとセシリーナたちはカインの後ろに帝国兵がいる! と教えていたのかもしれない。


 いや、この状況、間違いなく、そうだろ!

 帝国兵と一緒にいる黒づくめの男が俺を指指す。


 さっきのクサナベーラという貴族のお嬢様のボディガードだ。奴が変質者がいると通報したのか?

 

 だとすれば、大間抜けなのは、俺だ!

 

 やばっ!!

 俺はテンポよく石段を駆け上がって人ごみにまぎれ、素早く路地裏に入った。


 帝国兵はやはり俺を追ってきたのか、それともたまたま巡回路が同じだったのか。俺より遅れて雑踏に姿を見せたが、路地に入らず、そのまま通過したようだ。


 さて、どうするか?

 うかつに歩き回って帝国兵にバッタリというのも嫌だ。

 雑踏の中を進んでいると大通りに面した大きな食堂から良い匂いが流れてくる。


 入り口の看板には何か紋章のようなものが彫られているだけで店の名前もメニューもないが、席がかなり埋まっているところを見ると料理が美味しいのだろう。しかもそのほとんどが一般庶民のようだ。


 帝国兵がまだ近くにいるかもしれないし、ここならいい時間つぶしになるだろう。俺は自然な足取りで店の扉をくぐった。


 いくつもある丸テーブルはほぼ満席で、笑い声が満ちている。

 天井からは気品のある高級シャンデリアが下がっていた。有力貴族の屋敷で使われるようなやつでちょっと場違い感がある。


 「いらっしゃいませ~~。お一人様ですか?」

 若い女性給仕は人間だが少し魔族の血が入っているのかもしれない。髪が少し青い。


 「一人だ、席はあるかな?」

 「ええ、ちょうどカウンターに近い席が空きましたのでどうぞ」

 俺は二人用のテーブルに案内された。さっそく渡されたメニューを見るがびっしりと魔族語で書かれている。


 「共通語のメニューはないのかい?」

 「し、失礼しました。人間の方ですか? 装備や風貌がアレなので、てっきり辺境魔族の一種かと。微かに魔族の香りがしますし、何か変な臭いもするんですよねぇ」

 そう言いながらスンスンと鼻を鳴らし、俺の小汚いボロ長靴をじろじろと見た。やはり臭うか? うん足臭い!


 でもこっちは客だぞ?

 足の臭いはともかく、魔族の匂いってもしかしてアレか? それには心当たりがありすぎるが、匂いでわかるものなのか?

 脳裏に昨晩のセシリーナの妖艶な姿がぽわぽわと浮かぶ。朝までやってたからシャワーも浴びていなかった。


 「キャシー。こちらの方に共通語メニューをお願いね!」

 「はーい。ただ今お持ちしますーっ」

 キャシーと呼ばれた少女がパタパタとメニューを持って走ってきた。


 すれ違いざまに「あのお客、気をつけて。女の匂いがする。きっと裏街で魔族の女を買いあさっているクズ連中の一人よ」などと会話するのが聞こえてきた。


 ひどい言いがかりだ。


 「ほら見て。あの大事そうに腰に下げている袋の中身はきっとエッチな薬とかヌルヌル液よ」


 う、なんという鋭い洞察力なのだ。ばっちり見抜かれている。だが、魔族の女(セシリーナ)の香りがするのはまずいよな。今後は何か対策をせねばなるまいて。


 「メニュー、お持ちしました」

 キャシーがちょっとびくびくしながら差し出した。そんなに怖いってか?


 「えーと。夕食は……うん、お勧めでいいや」

 もう、なんだか面倒くさくなった。


 「本日のお勧めですね。わかりました。お待ちください」

 キャシーは、少しも目を合わせようとせず、逃げるようにカウンターの向こうに消えた。

 女の臭いがぷんぷんすると言うだけで彼女たちの評価は最悪らしい。


 さて、少し落ち着いて周りをよく見ると、一段高い席に上品な衣服の貴族風の魔族とかの姿がちらほら見える。大衆食堂と言いながら、意外に上層階級にも好まれている店のようだ。


 「おや、お前さん初めて見る顔だな?」

 良い匂いを漂わせてやってきた店主がうまそうな料理をテーブルに並べた。


 「旅商人でね。この店に来たのは初めてだ」


 「おいおい、この街に出入りする商人のくせに俺の店が初めてだと? チッ、まあ客の素性をとやかく言うのは野暮なんだが、知っていた方がいいぞ。いいか、ここはこの街一番の有名食堂、その名もクリス亭だぜ!」

 店主はどうだ驚きやがれ! と言わんばかりに毛深い胸を張った。


 「クリス亭? どこかで聞いたような気がするな」

 クリスティ? クリスの館? どっちにしても耳慣れていそうな言葉だ。


 「む、本当に何にも知らんのだな?」

 店主は少しイラついたようだ。


 「見ろ、この店に使われている壁材や天井のシャンデリアは例のクリス屋敷で使われていたものなんだぜ。どうやって手に入れたかは秘密だ」

 店主はちょっと悪い顔になった。

 なんか胡散臭い、どうやら正規の方法で手に入れたのではなさそうだ。


 「ご免、辺境ばかり旅してきたので色々とうといんだ。クリス屋敷ってなんだ?」

 おお、神よというような仕草で店主は目を見張った。


 「クリス屋敷を知らない? そんな奴が帝国臣民にいたとは信じられんぞ! 本当に貴様、帝国民か? いくら辺境を旅していたって言ってもな!」


 おお、まずいぞ、さらに地雷を踏んだ気がする。


 「もしかしてクリスティリーナの?」

 ビカッ! と店主の目が光った。まるで飢えた狼が目の前にウサギを見つけたかのような反応。


 「知ってるじゃねーか! そうだよな! 彼女を知らない奴は帝国民じゃねえ! ほら、店の看板の紋章、あれもクリスティリーナ嬢の家の紋章をもじったもんなんだぜ!」

 バンバンと俺の背を強烈に叩く。紋章をもじったって、それって盗作じゃないのか? しかも貴族紋だろ? こっちでは許されるもんなのか? 東の大陸だったら、バレたら死罪級の犯罪だぞ、それ。


 「そう言えば、他の店でもクリスティリーナの信者が集まっていたな」


 「なんだ知らないのか? このデッケ・サーカの街は帝国一の美花クリスティリーナ嬢の聖地なんだぜ……。信者は全国から集まってくる。なにせ我らがアイドル、クリスティリーナ嬢が今から数年前、12歳の時に初めて舞台に立ったのが、この街にあった叔母さんの別荘で行われた夜会だったんだからな! 来賓として来ていた魔王様がその場で即座に求婚して振られたという伝説を生んだ夜会さ。そこから我らの女神、帝国一のアイドルが誕生したというわけさ」


 おお、それでこの街のいたるところにセシリーナのポスターが貼ってあったり、雑誌が売られていたりするのか。


 「クリス屋敷が解体された時は、厳重な警備の目をかいくぐって夜な夜な多くの勇士が侵入して少しずつ少しずつ屋敷の保存のために頑張ったんだ」


 「それって、ただ単に少しずつ解体部材を盗んできたってことだよね?」

 俺の言葉に店主はニヤニヤするだけだった。だが、その結果の一つがこの食堂というわけか。


 「クリスティリーナ嬢を愛する者たちが貴族や庶民の垣根を越えて集う場所、それがまさにここさ!」

 店主は両手を広げて誇らしげに言った。


 「それにここだけの話だが、うちの便所の便器はクリス屋敷から持ってきたものなんだ。もしかしたらクリスティリーナ嬢もお使いになったものかもしれんぞ」

 むはむは……と妙な妄想交じりの笑みを浮かべ、店主は自慢した。この変態め……と思わず眉をひそめたが。


 それを言うなら、ここにある俺のパンツ紐は、そのお方の元便所紐だった。「そろそろ、それ返して」と言われたけどまだ返していない。惚れた女の便所紐を肌身離さず身に着けているんだ、人のことはとやかく言えない変態であった。


 そんな会話をしているうしに店内の人がどんどん入れ替わって、奥の方がにぎやかになってきた。

 「おーーい! ベント、酒だ! こいつと俺にな! わははは……」

 既にどこかで出来上がってきたらしい男どもが手を振っている。どうやら馴染みの客らしい。


 「今行くから大人しくそこで待ってろ、ビヅド! ホダ・ホダ、お前もそんなに騒ぐんじゃねえ!」

 店主が面倒臭い連中が来たという雰囲気で答えた。 


 やがて店主が一通り自慢話をして去ったあと、俺は店主ご自慢の便所に行ってみた。便器にはいかにも誇らしげに「クリス屋敷の便器」と金細工のレリーフが彫られている。


 ここまでやるか? 

 しかし、俺は別の意味で驚愕に打ち震えた!


 こ、これは…………。

 俺は思わず絶句する。


 目の前には燦然と輝く男用の小便器が!!


 「バカか!! こんなもん、セシリーナが使うわけないだろ!!」


 あまりのアホさ加減にふらふらとテーブルに戻り、少し冷めた料理をもくもくと口に運んだ。


 料理の方は自慢するだけあって美味い。それは認める。


 「お客さん、そろそろ蜂蜜酒はいかがですか? うちの蜂蜜酒には他では飲めない数年ものもありますよ」

 店主に無理やり注文を取ってこいと尻を叩かれたらしいキャシーが作り笑いを浮かべてお酒を勧めてきたが、もちろん断る。


 しかし、酒を飲まないで長居する客は上客ではないらしい。

 店主が次第に渋い顔になって、いつまでも帰らない俺の方を見ている。流石の俺もそろそろ居心地が悪くなってきた。


 「帰るか」と俺は腰を上げた。


 「勘定を頼むよ」

 そう言って左手を上げた時だ。

 その不吉な影を纏った男はふらりと入ってきた。


 無言だが、もちろんそんな事はごく普通の行動だ。 

 誰も気に止めない。


 男は周囲を見渡していたが、そのいびつな口元をさらに歪めた。笑ったのだった。


 「ついに見つけたぞ」


 「いらっしゃいませ! あっ!」

 接客に出たキャシーをどんと押しのけ、そいつはズカズカと入って来た。


 「ん?」

 顔を上げた俺の前に、懐に片手を入れた見知らぬ魔族の男が立っていた。まったく見覚えのない奴だ。

 「誰だ?」と聞く暇もない、突然、何かが光った。

 いや、それは見えていた! そいつが握りしめていたのは鋭利な剥き出しの刃! その刃先が冷たくギラリと光ったのだ!


 「!」

 息をすることもできない。

 「死ねえーーーーっ!」

 一撃で殺す! そんな殺意と共に俺の心臓に凶刃が恐ろしい勢いで振り下ろされた!

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