第74話 襲撃のクリス亭2
カキィイイイイン……!
ドスゥウン!
鋭く金属を叩き合わせた打撃音と何かが派手に倒れる音が広がった。その大きな音でようやく周囲は異変に気付いた。
暗殺用の必殺の武器が水の中の魚のように光った。
取り出した瞬間に三倍の長さに伸びた刺突武器が大きく弾かれ、「ぐおっ」と痺れる手を押さえながら男は数歩下がる。
「うおおお…………い、痛てえっ!」
俺は無様に椅子ごとひっくり返って後頭部を木の床にしたたか打った。目から火花が散るのはいつ以来か。
「キャーー!」と周囲で悲鳴が上がった。
仰向けになった蛙のような格好で手足をバタつかせている俺に冷たい視線が集まったが、それも一瞬。
凶器を手にした男に気付いたご婦人の鶏を絞め殺すような悲鳴を合図に、周りの客たちがパニックになって我先にと出口に殺到する。
「うわっ! お客さん、落ち着いて!」
「あわわわ……」
「お、お、お客さんが!」
突然のことに、店主と給仕の娘たちがホールの真ん中でうろたえている。
「バカな、我が暗殺剣を弾いただと?」
男は目を疑った。
この剣を見て生きていた者などいない。それが暗殺を生業とする男の自負だった。
必殺の暗殺剣は確実に対象の心臓を貫く。
そのための間合い、そのための呼吸、そのためのタイミング。全ては完璧のはずだった。
しかし、殺したはずの男はまだ生きている。床に転がって轢かれた蛙のような恰好で手足をばたつかせているから間違いなく死んでない。何が起きた? と訝しむ必要はない。
なぜなら、目の前にさっきまで居なかったはずの美しい少女が武器を構えているからだ。
「私のマスターに、手を出す、いい度胸」
その少女は闇に憑りつかれた男ですら息を飲むほどの美しさ、豊満な胸! そしてその瞳には恐ろしいほど深い暗黒の気配が浮かんでいる。
この小娘、いつの間に割って入った? しかもメイド服だと? 何者だ? と感情の無いはずの暗殺者の目が細くなる。
暗殺者の前に十字槍を手にした美しいメイドが立ちふさがっている。その構えからはただ者とは思えない強者の雰囲気が漂う。
「大丈夫? 私の、大事な、カイン様」
「その声はクリスか?」
俺は頭を振って目を開ける。
するとそこには。
これは素晴らしい景色! なんという美しい足だろうか! 俺としたことがクリスに思わず見蕩れる。
三姉妹自慢のすらりとした美脚が大胆に俺の頭をまたいでいる。当然、スカートの中は下から丸見え! 三姉妹の中では一番背が低くて、モデル系の姉と妹に比べると少しぽっちゃり系に見えてきたが、そんなことなかった。黒のメイド服の下にボンキュッボンの我儘ボディを秘めた乙女が彼女だ。とくに胸か無敵を誇っている。
俺も男である。
丸見えになった乙女の聖域、その魅力にはとうてい抗えない。当然、視線は釘づけになる。
いいのかこんなに大胆で?
いや、こいつのことだ。全て計算どおりか?
そう言えば、剣を弾いた後にわざわざ少し後退して、跳ねて跨いだ?
ちらりちらりと俺の表情を盗み見る余裕の態度。そして、そこで腰を振るか?
やはり、どう考えてもこいつは俺が劣情をもよおすようにわざとやってる!
しかし、わかっていても目が逸らせない。
何という魅惑の生足!
布を節約したのかと思うほど面積が非常に少ない下着! それはメイド服と同じ黒で統一していて煽情的。
つるりと滑らかな足の付け根に筋が張って、そのわずかな布が現在進行形で徐々に食い込んでいく。う〜ん、溜まらなくエロい至福の光景。
――暗殺者の男は憎しみも露わに態勢を立て直し、クリスを牽制しながらじりじりと動く。
――クリスも位置を変えず、身体を動かし、じりじりと動く。
――俺の視線もじりじりと動きを追う。
当然、俺の目はクリスのスカートの最深部に釘付け。美麗な素足、筋肉の微妙な動きとよじれて食い込む薄い布の変化を生温かーーい目で見守る。
見ているうちに、むくっと股間が動いた。
「動かないで、マスター」
「気にするな」
自慢じゃないが俺は身じろぎもしていない。しかし、この状況のせいで妙な所が勝手にもっこりと起き上がったのだ。
「わしの邪魔をするか、小娘?」
「カインは、私とヤル! お前には、ヤラセないっ!」
クリスが突進し、暗殺者の武器を払う。暗殺者は後ろに飛びのいた。
「よしっ! 隙が出来た!」
俺も馬鹿ではない。ただ指を咥えてやられるのを待つつもりもない。
俺は勇気を振り絞り、鼻の下を伸ばしていた顔を引き締めた。すぐに身を起こすと短剣を抜いて身構える。盗賊スキルでもあればカッコ良く見える場面のはずだが、どう見ても素人、その屁っ放り腰には遠巻きに見ている野次馬の方から失笑の声が漏れた。
しかし、食堂では俺の決意とは無関係に二人の手練れによる激しい戦いが始まっていた。
屋内ではクリスの槍は不利なのではと思ったが、上手く左右の空間を利用している。
しかし、相手もなかなかの
男が軌道を逸らした槍先が瞬時にきれいな円を描いた。下から上へ刃先が閃く。
「!」
男は仰け反ったが、クリスの槍先が暗殺者のフードを断ち切っていた。
フードの下から、無精ひげのむさ苦しいおっさん顔の暗殺者が姿を見せる。見覚えのない顔だ。やはりこいつは帝国が放った暗殺者と言ったところか。真っ先に俺を狙ってくるとはデキルな! しかし、こんなに人がいる所で襲ってくるのは一流の暗殺者にしては違和感がある。
ーーと周りを見るとまだ給仕のキャシーが取り残されている。
「君、早くカウンターの中に逃げるんだ」
俺はカッコよく、店主が隠れているカウンターを指差した。
突然の出来事に、呆然と突っ立っていた少女は、はっと我に返ってカウンターに走りこんだ。
うむ、決まった。俺に惚れるなよ。そんな邪心を抱きつつ、見かけだけはカッコ良く見えることを意識して短剣を構えた。
冷静に考えれば密かに俺を刺せなかった時点で、暗殺は失敗だろう。奴もどこかのタイミングで逃亡することを考えているはず。
「クリス、ここは天井が低いし狭い! 無理はするな! 深追いも禁物だ!」
「大丈夫、です! こいつ、ここで仕留める!」
カン! カン! と金属音が2回響き、クリスが瞬く間に男を壁際に追い詰めていく。
流石は有名な3姉妹の一人。暗黒術を一切使わなくても武技も超一流!
スカートをなびかせ華麗に流れるように動く。まさに息を飲むほどの流麗さ、可憐さ! 思わず惚れ惚れするくらいだ。
しかし、相手も暗殺者だ。
狭い所で本領を発揮する武器を手にしている。しかも誰が見てもその技量は一流と言って良い。
対するクリスの武器は狭い所では不利な槍だ。それなのに完全に相手を圧倒している、その技量が凄い。
「お前、何者? なぜ、私のカイン様を、襲う?」
濁った眼をした男はまだクリスの隙を伺って俺との距離を測っている。
暗殺失敗なら、逃亡する方へ意識を変えても良さそうだが執念深い奴だ。
やがて壁にぶつかって逃げ場の無くなった男はクリス越しに俺をにらんだ。
「わしはやっとそ奴を見つけたのだ!」
そいつは俺の顔を指さした。その言葉から推測するに帝国が放った暗殺者だろう。その腕前からも鬼天とか言う奴の配下と思って間違いないだろう。
「帝国の、スパイ? 暗殺者? 言いなさい!」
男を追い詰めたクリスの槍先が男の首元に光る。
「ふん、帝国だと! そんなもの今のわしには関係がないっ! わしは個人的にそ奴に恨みがあるのだ!」
男は口から泡を飛ばす勢いで叫ぶ。
「恨みだって? お前、初めて見る顔だし、お前に恨みを受けるようなこと、身に覚えがないんだけどな?」
俺は身構えながら少しだけ近づいた。もちろん安全なクリスの後ろに、である。姑息な奴め、と思われようが構わない。
カウンターに隠れていた亭主やキャシーを始めとする給仕の娘たち、そして客たちは静かになったと思ったのか、顔をのぞかせている。店の入り口や窓にも一旦逃げた客や多くの野次馬が集まってきて固唾をのんで見守っている。
何しろ、有名なクリス亭の中で色っぽいメイド服を着た凄まじくかわいい美少女が颯爽と戦っているのだ。
その可憐でセクシーな姿が道行く男共の間で噂を呼び、急に人だかりが多くなってきた。
「新たな伝説の幕開けだ!」と叫ぶ声まで外から聞こえてくる。その名前を知ったらさらに驚くだろう。なにしろ店と同じ名だしな。
「お前、何者? このまま死ぬ、か?」
クリスの槍先が少しだけ男の喉を突く。鋭利な刃物にわずかに血がにじむ。
「ぬうっ!」
ーーーー無精ひげの男はぐっと腹に力を入れ、言葉を絞り出そうとする。
「その男はわしの……わしの」
人々の視線が男に集まり、次の言葉を待つ。
「わしの……、わしの……」
わしの何だって? 早く言え!
何を言おうとしているのか? 一体、この男を凶行に駆り立てた動機は何か?
ゴクリ…………
誰もが固唾を飲んで見守る
静まり返った店内で男のうめくような声だけが響く。
「この男は……わしの……」
だから、何なんだ? はっきり言えっ! と誰もが思った。
その時だ。
「この男は、わしの…………。わしの、これじゃあーーっ!!」
男は小指を立て大音声で叫んだ。
しーーーーーん…………
地獄が開いた。
「…………」
どんびきするクリス。
周囲の観衆も一気に青ざめた。まさにどんびきだ。
あれ? ここは大迷宮? 鍾乳洞の中だっけ? と現実逃避したくなる。そんな静けさと、寒すぎーーる冷気が俺の周囲を覆う。
ーーーー絶句して棒立ちの俺に周囲からぐさぐさと突き刺さってくる痛すぎる無数の視線……!
「マ、ス、ターーーー?」
ギシギシと音を立てて振り返る霊人形のようにクリスが振り返った。
その瞳に青い鬼火が揺らめいて見える。
怖い、怖いぞ、何だか怖い!
「ま、待て! 何が何やら…………」
「男までぇ? 相手、選ばず、ですか?」
クリスの目がとても怖い。
「ち、ち、ち、違うぞ!」
ううっ、俺を見る周囲の目が…………。
「お、おい! お前、何を妙な事を言うんだ!」
俺の評価はダダ下がりである。
せっかく助けたキャシーや給仕の少女たちですら、壁際に身を縮めて、変態を見る目つきで震えている。
「変な事、言いやがって!」
俺は相手がまだ武器を持っていることも忘れてクリスの前に出ようとしたのをクリスが制止した。
「危ない、まだだめ」
「……」
男は小指を突き立てたまま静止している。
と、突然その濁った眼がぐるんと動き、白目になった。そして、その体ががくがくと不規則に震え始める。
「うわっ、出る」
クリスが独り言のように言ってささっと下がる。
「おぶっ! げろげろげろげろっ!」
出る? 何が? と俺が聞く前に男が盛大に嘔吐した。
クリスは華麗な足さばきでさらに後退して難を逃れる。そして逃げ遅れた俺たけがモロにその直撃を食らった。どこに? 股間にである! チクショーーーーーっつ!
「ぐはっ! 生温かくて臭っせえ!」
熱く白っぽい汚汁が股間にべっとりなのである。俺の股間から酸っぱい匂いが立ち上っている。
窓辺に集まっている野次馬たちが俺を変態を見る目で見ている。
角度的に何が起きたか見えなかったらしく、結果、俺が何かを股間から漏らしたようにしか見えないらしい。俺を指差してひそひそ話をする連中が一気に増えた。
周囲の人々が俺から距離を置く。クリスですら鼻をつまんで俺を見る。これは裏切られた気分だ。
呆然である。
剣で刺されるよりダメージが大きい気がする。
やがて、口から嘔吐物を垂れ流して男の背後から黒っぽい影が揺らぎ、その霧状のものが男の頭上で形になっていった。
「お、お前は!」
それはでっぷりと太った体をぶよんと揺らし、小さな人の形になった。脂ぎった髭面の男である。
「わしは闇粒霊様じゃ! あの時はよくも!」と何か怒っている。
「コヒツ、タレ? マズターノ知ヒ合ヒ?」
クリスが片手で鼻をつまんだまま、槍を肩に置いて指さした。
「お、お前は! ガラクタ売り場で箱の中から出てきた奴だな? なんだっていうんだ! 俺がお前の話を最後まで聞かなかったのが、そんなに気に食わなかったのか?」
「ちがーう、貴様あ!」と小指を立てる。
「お前が急に蓋を閉めたから、わしは、わしは…………」
その全身があまりの怒りにぷるぷると震えている。
「なんだ? 早く言え」
「蓋に小指を挟んだのじゃあーーっっ! ほれ、これを良く見るがよい!」
闇粒霊とか言う奴の声が室内に木霊した。
……小指が赤い。
しょぼい……あまりにもしょぼい話である。
「この痛み、貴様に復讐しないわけには、へぶっ!」
クリスが闇粒霊とかいう男の額を指先で弾いた。
「うおのれ、主人が無礼ならその召使いも無礼、ぐえ!」
クリスが闇粒霊の胴を掴んだ。
「人間ごときが、我が高貴な体に触れることなどできぬはず、うおおお、力を入れるな、中身が出てしまう! き、貴様、こいつの手を、ぐおっ、止めさせろ」
俺に向かってわめき散らすが、クリスは怖い笑みを浮かべて、さらに掴んだ手に力を入れた。
「ぐわわ…………出る、出る」
何が出るのか?
「クリスは闇術より上位の暗黒術の使い手だからな、闇粒霊がどんな者か知らんが、闇には強い」
と、俺の言葉に闇粒様の態度が一変した。
「こ、これは貴方様がお使い様とは露知らず、ご無礼を。ぐえ。この男がお使い様がお仕えするほどの方とは知らず、ぐえ。もうしません、ぐえ」
「憑依型の、役立たず、不要」
クリスは自称闇霊様を掴んだまま、指でその額をパチンと叩いた。
「お助けを、うわああ漏れるうう…………」
情けない声を出しながら、そいつはお尻から霧状のものを噴き出した。さらにそれがさらさらと結晶化して床に溜まっていく。
嘔吐したまま気絶している男。そのベルトに挟まっている小箱の中に結晶化しなかったわずかな霧が戻っていった。
「これは塩だな」床に溜まった白いものを指先に付けて舐めてみた俺を店長たちが嫌そうに見る。
そんな空気を一掃する音!
パンパン! と手を叩いてクリスが振り返って微笑んだ。
なんとも頼もしい美少女メイドの立ち姿!
わーーっ! と一気に周囲の人々から喝采の声が上がった。どっと駆け寄る人々にクリスが囲まれる。
「ありがとう、貴女は命の恩人だ!」
「素晴らしい! 専属で雇おう、ぜひ我が侯爵家で働かないか。行く行くは王子の妃に!」
「いや、ぜひ我が主君にお目通しを!」
「俺の嫁に!」
人ごみの輪の中心になったクリスがあたふたしている。
「おや、あれは甘い果実亭のクリス嬢じゃないか?」
「噂通りの、いやそれ以上のべっぴんさんじゃねえか」
「クリス亭で、クリス嬢! あんな見事なメイド服みたことがない。顔もスタイルも抜群じゃないか!」
「クリス亭で新たなアイドルが誕生した!」
「クリスティリーナ嬢の再来だ!」
ガヤガヤとクリスの評判が急上昇だ。
そういえば、この街であの服を着ているのは見たことがなかったな。そう思いながら俺はゲロにまみれて床に転がっている。
押し寄せた群衆に押し倒され、ごみのように踏まれて、いつの間にか壁際まで押しのけられている。
精神的なダメージと、嘔吐物をくらった股間が気持ち悪くてもはや立ち上がる気力も起きない。
そんな俺に追い打ちをかけるように、窓の外から噂に尾ひれがついた話し声が聞こえてくる。
「痴話げんかだってよ! ボロ長靴の男に捨てられた男が復讐で……」
「ボロ長靴の男が、捨てた男に襲われたらしいぞ……」
「変態のボロ長靴の男が嫉妬に狂った男に……」
「公衆の面前で股間を……、しかも男が口でしたらしいぞ!」
どうやら俺も一躍有名になったようだ……。
大絶賛を受けて照れるかわいいクリスを見ながら、こっちはもはや涙目である。
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