第75話  <<第三遊撃隊初陣 ー東の大陸 サティナ姫ー>>

 ◇◆◇


 ここは東の大陸大ハラッパ砂漠。砂漠南部に位置するドメナス領北端の大都市イクスルベを離れ、馬で4日の地点である。


 吹きすさぶ風にドメナス軍の旗がバタバタとなびいている。

 砂漠の北方で大発生した魔獣の群れは南下を続けているが、その正確な数や位置は未だに不明であった。

 そのため、魔獣の群れの数とその動向を把握することが各部隊にとって目下の最優先事項になっている。

 

 そんな中、サティナ姫が率いる第3軍遊撃隊は、本隊に先行して索敵任務にあたっていた。


 既に各地で魔獣の小集団との小競り合いが始まっていたが、ここに来てオアシスの村に大きな被害が出ているとの情報が第3群遊撃隊にもたらされた。命からがら逃げて来た隊商の生き残りを保護し、イスクルベの街に向かわせた後、サティナ姫たちはさらに前進してここまで進んできたのである。

 


 ーーーー強い西風に砂が舞う中、馬影が近づいてきた。熱せられた砂粒が容赦なく顔面を襲う。片腕で覆って目を細めていても砂が入って来る。


 真っすぐこちらに向かっているところから見ると斥候に出ていた騎士ルルカと騎士ジャラバであろう。二人が手を上げて合図をした。


 マルガはその姿を確認すると、テントの奥に入った。


 大地の亀裂が長い岩陰を作っている。

 容赦なく照り付ける陽光を避け、その岩影にはいくつものテントが設営されていた。時折、魔馬がいななくのが聞こえ、多くの騎士が武器の手入れを終え、出撃の準備を整えている。

 

 ここはサティナ姫を隊長に戴く魔獣討伐隊第三軍の遊撃隊野営地である。テントの奥では、地図を広げた作戦テーブルを囲んだ数人の姿があった。


 「姫、ルルカとジャラバが偵察から戻ったようです」

 砂を払い落としながら一人の騎士が入ってきた。彼はマルガ、姫が幼少の頃より側に仕えてきた側近の騎士である。

 騎士としても指揮官としても非常に優秀で、副官として部隊をまとめる要になっている。


 「そうですか、すぐにここへ呼んでください」

 少し難しい顔をして地図をにらんでいたサティナが微笑んだ。


 「サティナ姫、マルガ副官ただいま戻りました」

 女騎士ルルカと騎士ジャラバが入ってくるなり片膝をついて姫に頭を下げた。ルルカは庶民出身で剣の実力で騎士にまで昇りつめた女性だが、ジャラバは貴族の嫡男、いわゆるボンボンである。


 遊撃隊員のほとんどはジャラバのような格式高い貴族出身の若い男である。騎士の男女比がほぼ同数のドメナス軍にあってこの遊撃隊の構成は特殊である。あわよくばサティナ姫の夫にさせようと、貴族たちがこぞって自分の息子を入隊させ、コネを使ってサティナの部隊に配属させたというのがその理由であった。


 そのせいで遊撃隊には騎士とは名ばかりで、顔やスタイルは良いが、剣もろくに振れないような気位ばかり高いおぼっちゃま連中が集まったのである。


 「敵は見つかったのか?」

 「「はっ!」」

 マルガの言葉に二人は同時に返事をして顔を上げた。


 サティナ姫はドメナス軍標準の軽装鎧を身にまとっているが、初めて間近で見る姫の美しさにジャラバは心を奪われると同時に息を飲んだ。

 一般兵と同じ質素な鎧を着ているとは思えないほどの優美さである。兵士と同じ生活をしているため化粧どころか碌に顔も洗えず、土埃で汚れているがその美貌は少しも損なわれていない。それどころか地上に舞い降りた天使のように光り輝いて美しい。


 「魔獣ヤンナルネの集団が北東の地、遊牧民の村に向かっていることを確認しました。侵攻速度から考えると、村が敵に襲われるまで半日も無いかと思われます」

 ルルカが報告した。


 「村人の避難は?」

 「村長に連絡済みでありますが、家畜を引きつれての移動ですので、敵に追いつかれる可能性が高いかと思われます」


 「そうか。では二人とももっと近くに参れ。ジャラバよ、具体的に地図で敵の位置を姫様に説明するのだ」

 「はっ」


 ルルカとジャラバはテーブルを覗き込んだ。大きな地図は精密に描かれており、小規模な隊商が使うような微細なオアシスの位置まで記されているが、何より地図への書き込みが多いことは、姫たちがどれほど情報収集を重要視しているかを伺わせた。


 「ええと、この地図では…………」

 ジャラバの目が左右に泳いでいる。


 まったくもう、マルガは額を押さえた。

 おそらく地図の見方すらも良く習ってこなかったのだろう。貴族ならば騎士訓練所に通ったはずだが、一体こいつらは何を勉強してきたのか。


 マルガは出発して以来、ここ数週間のドタバタを思い出してため息をついた。


 自意識過剰で、家柄や身分を笠に着て身勝手な行動をとる者ばかり集まっている、とんでもない部隊なのだ。ルルカのようにまともな叩き上げの騎士は一割程度である。


 まだまだ先が思いやられるな…………。

 副官としてマルガの気苦労は絶えない。


 「失礼ながら、ジャラバ殿は少し疲れているご様子。私が代わって説明いたします。よろしいですか?」

 「た、頼む」

 ジャラバに許可を取ったのは彼が貴族として身分が上だからだろう。へたに口を出せば恨みを買うかもしれないので助け船を出した形にしたのだ。ジャラバもこれを機にもっと向上心を持ってくれればよい。彼の表情からは自分に対する不甲斐なさを悔やんでいる様子がうかがえるので、これは良い傾向だろう。


 姫に高慢さが少しも見られないのが彼らの性根を変えて来ている。王家の姫ですら威張らないのだ。まして王家に仕える貴族がと自身の振る舞いを見直す契機になっている。


 「現在地がここだとすると、村はこの辺りであります。敵の集団を確認したのはこの付近です」

 ルルカが的確に地図を指さした。


 「そうですか」

 「ふむ」

 マルガはうなずいて姫の横顔を見た。第三軍の本体が到着するまで待っている余裕はない。だが、村は小さいし、避難指示も出している。犠牲が出たとしても少ないかもしれない。

 姫はどう判断するのか。


 「きっと北西のオアシス村を壊滅させた奴らですね。砂嵐のせいで群れを見失っていたけれど、これでようやく位置を確認できたわ。二人ともよくやったわね」

 サティナ姫に褒められ、ジャラバは少し紅潮した。


 「それで、その群れの頭数はどのくらいであった? 成獣は確認できたか?」

 「はっ、若い個体が10匹程度に加え、大型の成獣が2匹確認できました」

 「そうか、意外と少ないな」

 つぶやいたマルガを見て、サティナ姫が「そうね」と同意を示した。


 姫のその表情、これはやる気だな、と覚悟を決めなければならない。もっとも姫の性格からすれば例えどんなに小さな村でも見殺しにする選択など最初からなかっただろう。


 「やりますか? 姫」

 「もちろんです。ただちに全軍でその遊牧民の村を救援に行きます。リア! テントを撤収させて! 各員に命令、出撃準備!」

 サティアの声に、入口近くに控えていた女騎士リアが敬礼し、さっとマントを翻した。


 「マルガ、こんどの戦いで部隊の錬成を進めるからそのつもりでいてね」

 「錬成ですか?」

 「ええ、騎士としての自覚を持たせたいと思うの。訓練の成果も見せてもらうわ。それにここは戦場であって、お見合いの場じゃないってことを分からせる必要もあるしね」

 「はっ、訓練は姫に言われたとおり、騎士として優れた者を班長にして5人一組でチームを作らせ、攻守をチームが一体となって行うよう訓練させております」


 「さーて、彼らの初陣よ。準備が出来次第、北東に向けて出発よ!」

 

 カイン、待ってて、必ず見つけ出す。あれだけ探していないのだから、あまり情報の入ってこない場所、それもかなり遠くに行ったはずだ。

 砂漠の北の国々はそう言った点では、一番怪しい。この遠征で少しでも手がかりが見つかればいいのだけど。



 ーーーーーーーーーー


 さっきまでまとまって蠢いていた魔獣ヤンナルネの一匹が群れから離れた。その巨体が砂に潜って、少し時間をおいて離れた場所に再び現れ、それと同時に一斉に群れが移動を開始した。


 遠眼鏡を覗き込んでいたマルガがさっと片手を上げた。

 それを合図に、表情のこわばった騎士たちが一斉に魔馬の腹を蹴る。


 「全員! 抜刀せよ!」

 先陣を切って女騎士リアが剣を抜いて叫んだ。普通の魔獣なら矢を射掛けるのだが、こいつらの外皮は硬い、必死で付いてくるのがやっとという騎士のレベルでは直接腹の方から叩き切るのが最も有効だ。


 ドドドドド………と砂煙を上げて騎士団が動く。


 「各チーム、リーダーを先頭にして錐陣をもってヤンナルネ集団の横腹を貫く! いいか、隊列を乱すな!」


 女騎士リアの馬を追って、軟弱な貴族の子弟たちが死にそうな表情で付き従う。この集団の陣形を崩せば一貫の終わり、個人で勝てる相手でないことを徹底的に教え込まれている。頭ではそう理解しているが体が硬直している者が多い。


 騎馬の集団に気づいた魔獣の集団に乱れが生じた。


 若い魔獣の集団は統制がとれているわけではない。本能に従って先頭を行くものの後に追従しているだけなのだ。だから一旦崩れ始めると途端にまとまりがなくなる。


 「今よ! こちらも突撃! 遅れるな!」

 サティナは隠れていた岩陰で、被っていた茶色の布をかなぐり捨てた。背後の者も同様に姫に続く。


 「抜刀! 突撃よ!」

 サティナが黒い禍々しい大剣を片手で軽々と振り上げ、馬を走らせた。あっと言う間に先頭の遥か先を行く。


 大剣は魔力を込めると紙のように軽くなるのよ、と姫は言うが、いつ見ても信じがたい光景だ。大剣の邪悪すぎる気配と姫の清純さのギャップが余計にそう思わせる。


 姫の後を追う騎士は後れを取るまいと必死で手綱を握る。

 突如、背後から現れたサティナ姫率いる一団に、魔獣たちはさらに混乱に陥った。


 サティナの部隊よりも一足早く側面から切り込んだリアの隊が魔獣を切り裂きながら振り返ることなく突き抜けていく。


 その最後尾の馬が過ぎ去った直後に、サティナの陣が背後から真っすぐ、竹を一刀で割るように魔獣の群れを引き裂いていった。


 わずかにサティナたちの刃から逃れた魔獣が移動を止めて右と左に集まり始めた。固まって防御するつもりなのだろう。


 「我が部隊は回り込んで左翼の魔獣を撃滅する! 続け!」

 リアの声に魔獣の血にまみれた騎士たちが奮い立って従う。


 彼らの目が死にもの狂いになっている。ここでは軟弱なおぼっちゃまではいられないのだ。自分が生き延びるためには仲間と共に敵を倒さねばならない。我儘を言う相手はいない。生か死か、それを決めるのは自分だ。

 

 「リアの部隊が向こう側に回った! 私たちは回頭して右翼の魔獣集団を殲滅する!」

 サティナが大剣を馬上で振るって、襲い来るヤンナルネを叩き斬った。


 ここまで部隊員で落伍者はいない。負傷者は若干名。このまま行く! サティナはすばやく状況を把握すると馬を疾駆させた。


 後続の部隊はみるみる引き離され、とてもついていくことができない。わざと後続を引き離したサティナがちらりと後方を見ると自分たちだけで再度錐陣にまとまって後を付いてくる。その様子にサティナの口元に笑みが浮かんだ。

 

 「姫! 成獣2体が現れました! 地中に潜っていたようです!」

 副官のマルガたちが右から駆け寄ってきた。


 彼らは別の場所で戦場全体を監視していたのだ。流石に彼らは姫に置いていかれたりしない。


 「私とマルガは成獣を相手にする。バルカット、お前たちは後続の騎士を引きつれ、まずはあの集団を殲滅すること!」


 「はっ! 姫、ご武運を!」

  巨漢の騎士バルカットは敬礼するとサティナが引き連れてきた部隊の指揮を執るため後方に下がった。


 「姫、成獣です。あそこですよ!」

 マルガが指さした。

 サティナとマルガは若い個体を囮にして隠れ、攻撃の機会を伺っている老獪な成獣の2匹が巻き上げた砂煙を確認した。


 「あれは、新米騎士たちの手には余るわ、マルガは後方から支援を! 私が斬りこむわ」

 サティナが剣を手に疾駆する騎馬の上に立った。上下する馬の背で不安定さを全く感じさせないのは、何か魔法を使っているのだろう。いかにも姫らしい。


 「姫、お気を付けて!」

 新米騎士と言ったが、姫だってこの魔獣討伐戦が初陣のはずだ。だが、姫は誰にもそんなことは感じさせない。手に大剣を持ち、早くも魔獣の攻撃範囲に入っている。


 「くそっ!」

 マルガは背負っていた弓に持ち替えると、魔獣の頭部、関節の隙間を目がけ矢を連射した。


 魔獣の大きく開いた大顎が馬上のサティナを襲う。

 寸前、その醜悪な複眼にマルガの放った矢が次々と突き立った。痛みを感じたのか魔獣の狙いが外れて、馬の脇で砂柱が上がった。


 馬はそのまま魔獣の間をすり抜けて行く。

 だが、いつの間にかその背にサティナの姿は無い。


 二匹目の魔獣が攻撃態勢をとった。


 マルガが矢をつがえ、狙いを定める。

 その目に黒い砂煙が巻き上がったのが映る。


 一匹目のヤンナルネが肉片となって、巻き上がった砂煙の中から周囲に吹き飛んでいく。その真っ赤な血の色に染まった大剣を手に旋風の中心から飛び出たのはサティナ姫だ。美しい黒髪が踊るようになびく。


 姫が現れたのは、ちょうど二匹目の魔獣ヤンナルネの目の前である。


 「姫っ!」

 マルガはその無機質な眼に向かって矢を放つ。


 矢が突き立ったのが早いか、サティナが大剣を振ったのが早かったのか。二匹目の成獣は一瞬で回転する刃によって一刀両断され、巨大な体がめくれるように開いて左右に崩れ落ちた。


 「姫っ! ご無事ですか! やりましたね!」

 まだピクピクしている死骸の前に立つサティナ姫の元にマルガが駆け付けた。


 「ええ、部隊の方もなんとか敵を殲滅したらしいわね」

 そう言って振り返るサティナの元に、リアの部隊と共にバルカットが引き継いだ部隊がゆっくりと歩を進めてくるのが見えた。魔獣の血にまみれ疲れた表情の騎士たちだが、姫を見てようやくその顔に笑顔が戻る。


 「怪我人はいるようですが、死者や重傷者はなし。5人一組で攻守を担当させたのが効いたみたいですね」

 

 こうして第三軍遊撃隊はオアシスの村に侵攻してきた魔獣の群れの一つを初めて殲滅する勲功を上げたのだった。


 「この調子で、どんどんあいつらを鍛え上げるわよ。マルガ」

 サティナは微笑んだ。


 「いやいや、怖い怖い」

 マルガは頭を掻いた。


 姫の周囲に集まってきた遊撃隊の騎士たちは互いの肩を叩き合って、初めての勝利と生き延びた喜びに湧いている。


 姫はそんな一人一人に声をかけている。王位継承第一位の姫が自分たちと同じ場所に立っているだけでも感激なのに、言葉までかけられた騎士は感涙に顔を崩している。


 姫は自然に振る舞っているのだが、その人心掌握能力はやはり生まれつきのものなのだろう。

 幼き頃より姫を見て来たマルガは感慨もひとしおである。姫が王族にありがちな高慢さを身につけることなく、自然体で人に接することのできる優しい少女に育ったのは、なんだかんだ言われても、姫を特別扱いしなかったあの下級貴族の婚約者の影響だろう。姫はこの遠征中もずっと彼の行方を探らせている。早く見つかれば安心するのだろうが……。


 「マルガ副官、俺たちやりましたよ! 三匹も倒しました!」

 姫の後ろ姿を見ていると、肩を抱いた若者二人が意気揚々と姿を見せた。


 「おう、よくやったじゃないか! ちょっと前までは剣を握ったことすらなかったお前らがな」

 「いやですねえ! あははは……」

 勝利に湧く騎士たちの喜びの笑顔を見ながら、だが、これからさらにしごかれるんだぞ、とマルガは苦笑した。

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