第353話 サティナの帰国

 魔王オズルとの黒鉄関門での戦いから半年余りが過ぎた。


 帝国では帝都に戻ったゲ・ロンパが本人であると正式に認められ、貴天オズルの謀反と様々な悪行が明るみになっていくとともに、オズルを盲信する貴族やオズルを支持する民衆は次第に減っていった。


 そして、旧公国王都から救出された元魔王ゲ・ロンパが妻のミズハに王位を譲ったという事実は魔族長会議でも追認され、ここにゲ王朝の正統な後継であるアケロイ王朝による新たな国づくりが始まったのである。


 真魔王国は元々帝国の正式な主であるゲ・ロンパがミズハと共に興した国であり、帝国が併合されることに対する人々の抵抗感は少なかった。


 いまや中央大陸を激震させた一連の動乱とその余波は徐々に収束に向かっていたのである。



 ーーーーーーーーーーー


 海鳥が鳴く東の港の埠頭に現れた馬車列。騎馬隊に護られた一台の馬車の窓に美しい女王ミズハの姿があった。


 多くの貴族が見守る中、やがてミズハは黒い馬車から降り立った。その埠頭では一隻の大型船が出港準備を進めている。


 ドアが閉まり、出航作業の邪魔にならぬように埠頭の端に移動した漆黒の馬車はミズハが昔から使っていたものだ。

 家臣たちが女王にふさわしい馬車を新たにつくりましょうと進言しても、無駄なことはせずとも良いと言ってそのまま乗り続けている。


 「ミズハ様! こちらです!」

 ミズハの到着に気づいたサティナが笑顔で手を振る。

 サティナとミラティリアが出迎えた桟橋にお供を連れたミズハが進む。


 「サティナ姫、このたびはたいへん世話になった。改めて礼を言う」

 「ミズハ様、周囲の目があります。頭など下げないでください」

 サティナも王女とは言え、ミズハは既に女王だ。そんなに簡単に女王に頭を下げられては困るのである。


 「この恩はけして忘れない。これからはお互い両国の友好の発展に尽力しよう。カインの捜索も引き続き行う。早く良い知らせができるよう力を尽くすつもりだ、心配するな」

 ミズハ女王はそう言ってサティナを抱き締めた。


 「ミズハ様……。お願いします。カインはどこかできっと生きています」

 サティナは強い意志を秘めた瞳をしている。

 その目に悲しみはない。

 きっと会えると信じているのだ。


 それは特殊な婚約紋を持つゆえの確信めいたものか。

 ミズハはサティナの目をじっと見つめた。


 カインが消失して、カインの妻や婚約者たちの紋は消えかかって薄っすらとその痕跡が残るのみになっているが、サティナの婚約紋だけは既に元の状態に戻っている。つまりカインはどこかで生きているということだ。


 サティナ姫にしてみれば本当ならここにとどまって、自ら捜索隊を率いたいところだろう。しかし、ドメナス王国本国から国王が急な病に倒れたとの連絡が入り、サティナは国政をまとめるため、カインを失ったまま東の大陸へ帰らねばならなくなったのである。

 

 「それでサティナ姫、あれが約束していた品物だ。持って行ってくれ」

 ミズハは船に積み込まれようとしている大きな木箱を指差した。クレーンを使って引き上げているがかなり重そうだ。


 「あれが転移門ですか?」

 「ああ、まだまだ未完成だが、こちらで研究と調整を続ける予定だ。うまく完成すればあの転移門を使ってこっちと自由に行き来できるようになる。王宮内に設置してくれ。技術者として彼女が一緒に行くから調整は心配しなくていい」


 木箱の傍らに立って船員にあれこれ指示をしている若い美女がいる。その溌溂はつらつとした動きは見ていて気持ちがいい。彼女は希望を胸に抱き、進んで見知らぬ大陸に行こうとしているのである。


 あれはたしかカインの婚約者の一人、クラベル嬢だ。工房見習いだったがネルドル工房でその腕が認められ、最近一人立ちを許されたらしい。

 

 物資を積んだ荷車が数台続いた後に、新たに数台の乗用馬車が到着すると、そこから二十名近い若い女性が次々と降り立った。その誰もがハッとするような美女ぞろいである。


 「あの方たちは?」

 「あれが魔王オズルの愛妾たちだよ。彼女たちの行く末、よろしく頼みましたサティナ姫」


 「わかりました。大丈夫です、私にお任せください」

 サティナ姫は微笑んだ。

 彼女たちは東の大陸行きを希望した者たちだ。

 魔王オズルは未婚であったが、王宮や私邸に気に入った女性を貴族の義務として囲っていた。実際にオズルと夜と共にしたことのある女性はほとんどいないと言うが、真魔王国の時代になって彼女たちは肩身が狭く、どこにも居場所がないらしい。


 そこでサティナの提案で、希望する者は東の大陸ドメナス王国に仕えることになった。向こうでは誰の妾だったかなど気にする者はいない。いずれ新たな幸せを見つけることもできるだろう。

 

 船に渡された板の手前にサティナ姫とミズハ女王がいることに気づいた彼女たちは整列して恭しくお辞儀をする。

 一番前に立っている女性の気品のある美しさに周りで働いている水夫たちが見蕩れている。

  

 やはり彼女は別格の存在だ。

 元愛妾たちのリーダーになったのはステイシアという美女である。彼女は貴天の命を狙ったにもかかわらず服属の魔法をかけられ、毎晩のように貴天の寵愛を受けていたらしい。オズルが手を出した数少ない女性の一人だ。


 魔法が解け、自害しようとした彼女を必死に止めたのはゲ・アリナ嬢である。ゲ・アリナもオズルの私邸に幽閉されていた時期があり、その時にステイシアに出会っていたらしい。


 「サティナ姫っ! こちらにおいででしたか!」

 ステイシアたちを港町の宿舎まで馬車で迎えに行っていたルミカーナが息を弾ませて駆け寄ってきた。


 「ルミカーナ、任務は無事完了ですか?」

 「はい! 東の大陸に移住する者はあの馬車で最後です。これえ全員が到着しました」


 「そうですか。ルミカーナ、貴女は今後この国において私の代理を果たすことになります。カインの妻の一人としてこの地に残り、ミズハ陛下に協力してカインの捜査を続けてください。後の事は頼みましたよ」

 そう言ってサティナはルミカーナの手を握った。


 「はい。全身全霊を傾け、必ずカイン様をお救いし、姫の元に帰還させます」

 ルミカーナはサティナの手を握り返しその身を引き締めた。


 「ルミカーナ、身体には十分気をつけてね」

 ミラティリアが隣から二人の手の上に自分の手を重ね、強い絆で結ばれた三人は互いに見つめ合った。

 別れの涙は必要ない。

 遠く離れていても大丈夫。三人の表情に浮かんでいるのは厚い信頼と友情だけだ。


 「ミラティリア、姫の護衛は頼んだぞ」

 「ええ。任せてくださいませ」

 ミラティリアとルミカーナの二人は抱き合う。同じカインを夫にした者同士、その絆はより強固になっている。

 「この次会う時はカイン様も一緒だ」

 「ルミカーナならきっと約束を守るでしょう。わかっていますわ」

 ミラティリアとルミカーナは再度固い握手をして離れる。



ーーーーーーーーーーーー


 やがて盛大な見送りを受けて船はゆっくりと港を離れた。

 鐘が打ち鳴らされ、船が去っていく。

 サティナ姫を載せたドメナス王国の船は次第に水平線の彼方に消えていった。


 「悔しいだろうな。ここまで探しに来て一緒に帰れないとは」

 ゲ・ロンパが桟橋の端に立つミズハの隣に姿を見せた。


 「もちろん悔しいとも。私も悔しい。必ずカインは救い出す。そのために、今、三姉妹たちが手を尽くしてくれているのだ」

 「ああ、そのために俺も協力は惜しまない。時間を跳躍する魔法について帝都の機密情報も全てイリスたちに開示した。彼女たちならいずれ何らかの手がかりをつかむはずだ」


 「そうだな。我々が成すべきは、混乱したこの国を安定させることだ。カインが帰ってきた時に胸を張れるような国づくりをしていくぞ。古き勢力の抵抗もあるだろうが、アックス、その力を私に貸してくれ」

 「一緒に後世の歴史家に自慢できる国を作ろう。二人ならきっとできるさ」

 その肩をゲ・ロンパがやさしく抱き寄せた。

 「ありがとう、アックス」

 振り向いたミズハの美しい銀髪が潮風になびき、腰のベルトに下げられた腕輪がきらりと光った。

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