第363話 魔王再戦1

 「うわああああ……っつ!」

 「魔王だ!」

 「魔王が攻めてきたぞ!」

 人々はパニック状態に陥った。


 「はははははは……! これは愉快じゃ!」

 四方の出口に殺到する群衆を見下ろして魔王オズルの姿をした男が笑う。もちろんその中身はゾルラヅンダである。


 「やはり新王国に来たのは正解じゃったな。見たところ魔法耐性の弱い者ばかり、皆を洗脳するのも容易そうじゃ。この地を我が新たな拠点にし、あの忌々しい真魔王国に復讐してやろうではないか!」

 両手を広げて叫んだ魔王の体の周囲を丸く暗い影が包み込む。


 次の瞬間、その体から発せられた闇の光球が爆発するかのように広がって会場を覆う。

 フィールドにいたマ・オサーシたちも、「うっ!」と喉を押さえてうめいたきり次々と地面に倒れ伏す。


 これは強大な支配と拘束の闇魔法! いつだったかイリスが闇の力について話してくれた中に出てきた外法な禁忌の術だ。


 バルコニーから闇の光に触れた人々が次々と意識を失って倒れていくのが見える。

 その闇は倒れた人々の精神を夢の中で蝕んでいく。このまま放置すれば、自我を奪われ次に目を覚ました時には魔王オズルの言い成りの、人間くずれのような人形と化す。


 「止めなさい! これ以上は好き勝手はさせないわ!」

 競技場のバルコニーに輝く矢を手にしたセシリーナが立っていた。

 対闇魔法用の防殻術を使える者がいたのか、それとも何らかの魔道具の効果か、闇色の光はバルコニーを避けるようにその周囲を包んでいる。


 バルコニーの上ではドンメダが指揮する護衛兵が王女を守って、魔王オズルの支配術に耐えている。


 「やりおるな」

 リサ女王を守って支配術に抵抗する魔法を展開していたのは、どことなく伝説の美女クリスティリーナを思わせる顔立ちの女性である。彼女は、魔王を狙って弓を構えるセシリーナの側で杖を手に反魔の防殻を展開している。


 「クリスティリーナか? いや、姉のカミーユじゃな?」

 つぶやいた魔王をセシリーナが放った光の矢が強襲した。魔王が発動している自動防御の魔法の盾を一瞬で無効化し、危うく避けたその脇の下を矢がかすめる。


 「ちっ! これはミズハが作らせた魔道具じゃな? こんなものでわしの闇術に対抗したつもりか?」


 矢は魔王オズルを驚かせる効果はあったが、かわされてしまった。魔王に命中しなかったのが悔やまれる。

 できればこの武器の存在を知られないうちに、ダメージを与えておきたかった。

 セシリーナは次の矢を手に取る。


 高出力魔法を含んだ矢は奴が展開していた支配の闇魔法を一部消失させた。この武器には闇魔法そのものを無効化する力が秘められている。


 やれる! 

 セシリーナは矢をつがえた。


 「どうやらわしが消えていたこの数年の間にだいぶ対策を練っておったらしいな。だが所詮は悪あがきじゃ。無駄なことだ!」


 「魔王め! リサ女王には指一本触れさせません!」

 セシリーナは再度矢を引き絞った。


 「仮面の女よ、わしの身体能力を甘くみてもらっては困るな」

 魔王は余裕の表情でセシリーナが連射する光の矢を右に左にかわし続ける。

 「ちっ、面倒な奴!」

 これではダメだ。

 複数方向から同時攻撃しない限り、奴には回避されてしまう。セシリーナは唇を噛んだ。


 「焦らないでセシリーナ。奴の闇魔法を封じているだけでも、しめたものよ」

 カミーユは歯を食い縛って防殻を展開し続けている。


 「そうです! 今に真魔王国から援軍もやってくるはずですぞ! 大丈夫、矢は確実に奴の活力を削っています。奴を弱らせながら、時間を稼ぎましょうぞ!」

 リサ王女を守っているドンメダ隊長はいつもながら勇ましい。


 「ここが踏ん張りどころだ! 対魔法用の盾を前に、なんとしても女王様をお守りしろ! 剣士抜刀っつ!」

 「はっ!」

 すぐに大盾持ちの兵がリサ女王の前に壁をつくり、背後に並んだ護衛兵たちが一斉に剣を抜いて身がまえる。


 「わしを弱らせる? 無駄な話だ。わしの魔力量はミズハに匹敵するのだぞ? それに、そんなわしが使うのが闇術だけだと思うか?」

 魔王オズルの姿をしたゾルラヅンダは、闇術師らしい昏い目に邪悪な笑みを浮かべた。


 「少し遊んでやろう! そして絶望を知るが良い!」

 魔王オズルは不意に頭上に巨大な炎の玉を発生させ、バルコニーめがけて投げつける。


 「うわあああっ!」

 「女王様っ!」

 「逃げて下さいっつ!」

 炎の塊が触れた瞬間、カミーユの防殻が蒸発した。炎と防殻が魔法干渉を生み、その衝撃波がバルコニーにいた全員を花吹雪のように吹き飛ばす。


 闇の力で空は暗い夕暮れ時のように変わる。ガラガラと崩れた石壁の下からうめき声がする。


 「セシリーナ、無事ですか?」

 リサ女王は床に倒れたセシリーナの肩を揺らしていた。


 「リサ……みんなは?」

 セシリーナは目を開いた。


 「お二人とも無事ですか? 良かった、怪我はないようですね?」

 額から血を流したカミーユが二人の前に立ち、防殻を再度展開したが、その力は明らかに弱い。


 魔力を使い切ったわけではない。しかし、さっきの炎の塊には幾重にも邪悪な術が込められていたらしい。


 リサのスキルのおかげだろうか、セシリーナには怪我は無いようだが、あの一撃で全身ボロボロの状態だ。


 周囲を見ると、リサを警護していたドンメダと兵たちは魔族ほど魔法耐性が無いためか、悪意のある魔力を含んだ衝撃波をまともに受けてしまったらしい。

 全員気を失っている。対魔法用の大盾も奴の規格外の攻撃には大した効果は無かったようだ。


 「わはははは……、見たか? 魔法耐性の弱い新王国の兵ではこのわしは止められぬ。リサ女王よ、お前にはまだわずかばかり利用価値がある。お前は殺さず洗脳してわしのために働いてもらおうか。おっと抵抗は無駄じゃぞ!」

 オズルは両手に雷の玉を発生させた。


 「リサっ! 逃げて! 貴方のスキルでも奴の魔法同時攻撃は完璧には防げない!」


 セシリーナが矢に力を込め放つ!

 オズルが放った雷の玉と光の矢は空中で衝突し、激しい光を発した。光の矢の威力が勝ったのか、雷の玉が霧散し矢がオズルを襲う。


 「やったか!」

 だが、光の爆散に気をとられ、別方向から迫っていた重い風の塊に誰もが気づくのに遅れた。


 刹那、オズルを睨んでいたセシリーナもろともリサたち3人は物凄い圧力で吹き飛ばされ、とっさにリサを庇ったセシリーナは壁に激突し地面に叩きつけられた。


 唇から血を滲ませたカミーユがその圧倒的な力を振るう魔王オズルを見上げる。


 魔王は汗ひとつかいていない。

 昏い目が赤く光って、その邪悪さを際立たせている。間違いなく奴は堕ちた闇術師、しかも暗黒術師に匹敵する高次なレベルに達した魔人だった。


 「む、無理……。私では」

 先の戦いでは数十人で戦ってやっと退けたと言う相手だ。勝つのは困難。真魔王国からの援軍もまだ来ない。これ以上どうやって時間を稼げばよいのか。


 「心が折れたかカミーユ。では見ておるが良い。お前の目の前でリサ女王の魂を再び封印し、二度と目覚めぬ闇のしもべに変えてやろうではないか!」


 「なんて事を!」

 「くくくくく………」

 昔、幼いリサに呪いをかけた時のことを思い出しながら笑う。そして魔王オズルは懐から黒い腕輪を取りだすと悠然とバルコニーに降り立った。


 バルコニーはオズルの攻撃で既に穴だらけで、所々床が抜け落ち、下の階まで見えている。


 二人を抱いてあの中に飛び込めるだろうか? カミーユは深く息を吸い込んで魔力を溜めた。


 「く、来るんじゃない! やめろ」

 カミーユは短剣を抜いてデタラメに振り回しながら二人の前に立ち塞がった。


 こんな芝居で油断するような相手ではないだろうが、今は少しでも時間を稼がねばならない。


 二人は大きな怪我は無いようだ。しかし、リサもセシリーナも気を失ったまま、まだ立ち上がる気配はない。


 二人を救えるか?

 いや、無理だ。

 今はリサ女王だけを逃がすことに専念すべきだ。地下に非常時のシェルターがあることをセシリーナから教えられている。あそこならば……。


 すまない、セシリーナ。

 ここはリサ女王を守って、少しでも時間を稼がねば。


 カミーユは倒れているリサ女王と床の穴の距離を横目で測った。チャンスは一度。奴に気取られてはいけない。


 「ほう、まだ目が死んでおらぬな。気が強い奴だとは聞いていたが。姉のカミーユだったか? お前は生かして置いても価値は無い。なぶり殺しにして、あの忌々しいカムカムの元にその無残な死体を送りつけてやろうか」

 魔王オズルは不敵な笑みを浮かべながらゆっくりと手を伸ばした。その手の爪が鋭利に尖っている。


 「ムッ?」

 その足を掴んだ者がいる。


 「させんぞ、化け物……」

 ドンメダ隊長だ。彼が意識を取り戻し、両手で魔王オズルの右足を掴んでいた。


 「バカめ、お前ごとき蟻に等しいわい!」

 「ぐあああっ!」

 魔王オズルは表情も変えずにあの巨漢のドンメダを蹴り飛ばした。


 「今だ!」

 咄嗟にカミーユの体は動いていた。

 ドンメダ隊長が作ってくれたこのチャンスに賭ける!


 とっさに魔王オズルに向かって短剣を投げつけ気を反らすと、カミーユは全身をバネにして跳躍しリサの元へ駆け寄る。


 今しかない!

 今しかないんだ! 

 目の前にリサが倒れている。


 「愚かな!」

 魔王オズルは飛んできた短剣を避けると、瞬時にカミーユとの間合いを詰め、その手を振り下ろした。


 魔王が来た! とわかったカミーユの驚愕の表情がオズルの瞳に映る。

 美しい、それだけにそれが嗜虐心しぎゃくしんを煽る。


 「きゃあああっ!」

 カミーユの悲鳴が響く。


 魔王オズルの爪が放ったのは真空の刃だ。

 それが側面からカミーユを襲った。

 衣服がズダズダに引き裂かれ、カミーユはリサ王女の手前でもんどり打って転がった。


 一撃で殺さなかったのは、魔王オズルのねじれた性癖のせいだ。美女が苦しみながら悶える様を楽しむつもりになったのだ。


 「逃げぬのか? カミーユ」


 圧倒的だ。

 全く手も足も出ない。


 「だ、誰か! 助けて……」

 カミーユは弱々しく叫んだが、兵はみんな気を失っている。魔王に蹴られたドンメダ隊長は壁に背中からめり込んでいる。もはや生死不明の状態である。


 床に倒れたリサ女王とセシリーナもピクリとも動かない。


 「わははははっ! ほれ、カミーユ、もっと抵抗せぬか? もうお仕舞か? ならば少しづつ切り刻んでやろう。まずはその右足を切断するか? ふふふ美しい表情じゃ」


 魔王オズルは邪悪な笑みを浮かべ、鋭利な爪を振り上げた。


 「くっ!」

 終わった。何もかもお終いだ。

 リサ王女もセシリーナも守れなかった。


 悔しさに歯を食いしばり、思わず目をつぶったカミーユだが、いつまで経っても痛みはやってこない。


 「!」

 目を開くと、魔王との間に見知らぬ一人の男が立っていた。


 始めて見るイケメンの青年である。

 その男が長剣でオズルの爪を防ぎ、キシキシと曇りガラスを爪で研ぐような嫌な金属音を響かせている。


 「早く! 女王とセシリーナさんを安全な所へ連れて行け!」

 男は勇ましく叫んで魔王の爪を弾き返した。しかし、連れて行けと言われても足がまだ動かない。


 直後、ババババッ! と魔王の周囲に魔弾の光が弾けた。

 「味方の援護?」

 カミーユが魔弾が飛んできた方向に目を向けると泥豚族の姿をした3人の魔導師が駆け付けてくる。


 「ふん、人族のくせに魔法を使いこなすか? だが、その程度の腕でこの私に歯向かうとはな!」

 魔王オズルは左手の爪も伸ばし始めた。


 「大事な家族をやらせません!」

 その男は騎士だろう。構えからしてただ者とは思えない力を感じる。手にした剣もただの剣ではなさそうだ。


 「そのイケメン面、モテそうだなお前? よかろう、その自信もろとも八つ裂きにしてくれようぞ」

 魔王オズルは両手を交錯して構え、一瞬で彼の間合いに飛び込むと爪が唸った。


 「さすがにやるっ!」

 叫びながら彼は巧みな足さばきでその攻撃をかわす。それは多くの騎士に囲まれて育ったカミーユすら見蕩れるほどの動きだ。


 「貴様、一体何者だ? その癖のある剣技、どこかで見覚えがあるぞ」

 と魔王オズルの脳裏にかつて黒鉄関門での戦いでオズルをギリギリのところまで追い詰めた漆黒の髪の美少女の姿が浮かんだ。


 「そうか、あの時の娘か! あれと同類なのじゃな!」

 「そんな娘なんか知りませんよ!」

 彼は剣を閃かせて攻撃を繰り出した。その連撃は思わずオズルが後退するほどの凄さだ。


 「う……、あ、あれは一体誰? あ、貴女たちは?」

 ようやく目を覚ましたセシリーナは周りに防殻を張って三人を守る泥豚族たちに気づいた。

 「私たちより女王殿下を!」

 「急いで下さい!」

 泥豚族の魔女たちはセシリーナが起きたことに気づいたが、術に集中しているため手助けできない。


 「リサ、起きるんです、リサ」

 「ん……」

 セシリーナに肩を揺すられ、リサ女王も目を開けた。


 「王女は大丈夫のようですね。早く退避して下さい!」

 「あなたたちはチーサ・トグソクの従者ですね? じゃあ、一人で魔王と戦っているあの人は、まさかチーサ・トグソク氏なのですか? 援護しないと」


 セシリーナはまだ意識が朦朧としているリサ王女を抱きかかえる。

 あれがチーサの素顔。とても泥豚族に化けていたとは思えないイケメンで身長も高い。候補者は顔だけを変えていると言っていたが実際は身長や体型までも変えられていたようだ。


 「彼なら大丈夫です。女王にこの薬を……」

 泥豚族の魔女はリサを抱き抱えたセシリーナに回復薬を手渡した。


 彼女も気配は人間のようだ。

 しかし、あの魔王オズルとやりあって一歩も引かないチーサ氏は一体何者なのか。セシリーナはリサに回復薬を飲ませながら魔王とチーサの一騎打ちを見つめた。


 チーサは魔王が繰り出す闇魔法への対抗手段も心得ている。目の前で繰り広げられる魔王とチーサの激しい打ち合いが凄い。


 チーサは魔王と一度戦った経験でもあるかのように変則的に繰り出される爪攻撃と闇術をうまくいなしている。


 「面白い! この世界にお前のような奴がまだいたとはな! どうだ? わが部下としてわしと一緒に世界を支配するというのは? お前がわしの懐刀になれば金も女も意のままじゃぞ?」


 魔王オズルは面白そうにニヤリと笑う。あれだけの攻撃を受けながらまだまだ余裕がありそうだ。


 「世界ですか? そんなものに興味ありません! まるで場末の酒場に巣くうチンピラの小悪党、魔王を名乗るくせに安っぽいことを言う、幻滅ですね!」

 彼はただひたすらに剣を振るう。その気迫に押されて魔王オズルが数歩下がったほどだ。その切っ先の鋭さは鍛錬の賜物だ。騎士としての資質も元々高いようだ。


 「惜しいな。わしの所に来れば良い手駒に育てたものを……。ならば、ここで死ぬが良い!」

 急にオズルの攻撃が加速した。

 今までの戦いぶりは奴にとってはお遊びに過ぎなかったのだ。


 魔王オズルの攻撃がチーサを少しずつ切り刻んでいく。彼の血飛沫が飛び散って周囲を赤く染める。


 「うっ!」

 剣で攻撃を何とかかわしているが、次第に彼が劣勢になっていくのがわかる。


 「ホレホレ! 足が止まっておるぞ。さっきの威勢はどうしたのじゃ?」

 魔王オズルは笑っている。

 あれでも魔王はまだ本気を出していない!

 なんという技量と体術!


 「くっ! 不味いな」

 守勢に回ったチーサが唇を噛んで魔王オズルをにらんだ。

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