第173話 <<魔獣追跡 ー東の大陸 サティナ姫ー>>

 魔獣を追って二日が経っている。


 ミラティリアとサクは馬から下りて、砂丘の陰から砂漠の中に切り立つ建造物の様子を探っていた。その巨大な建物は半ばで折れているが、元々はかなり大きな塔の根元らしい。


 ここは近郊のオアシス村の者が死の道と恐れる干上がった河床を越えた先に広がる乾いた荒々しい大地の入口である。


 通常の通商路からはだいぶ北へ離れており、付近にはオアシスもない。無謀を勇敢と履き違えている冒険者ですらもめったに近づかない岩砂漠の端にこのような場所があることをミラティリアは知らなかった。


 オアシスの民にとって近づくことすら禁忌とされる死の道を越えてきたのもサクが一緒だったからだ。


 ミラティリアとしてはサクの前で「怖いから行けない」などという気弱な姿は見せられない。オアシス商人の娘としては、盗賊サンドラットの手の者に舐められるわけにはいかないのだ


 「ここは大昔に街があった場所のようです。遺跡の感じからすると、つい最近まで砂に埋もれていたのかもしれませんね」

 そう言ってサクがミラティリアに遠眼鏡を渡した。


 遠眼鏡は使い古されているが銀細工の見事な品でこの辺りのデザインではない。おそらくどこか遠くの国の王族の持ち物だったに違いない。

 やはりサンドラットは珍しい物を持っているものね、と感心しながらミラティリアはサクがやっていたように筒に目を当てて覗いた。

 遠眼鏡を使うのは初めてなのだが、恥ずかしいのでそんな事は言えない。


 「まあ、こんなに大きく見えますわ。石塔はかなり古い様式に見えますわね。今では見かけないものです。あの装飾は本で見た事があります。古代史に出てくる先王朝の都の跡かも知れませんわ」


 ミラティリアは歴史があまり得意ではなかったが、吟遊詩人が唄う、西ナルベ川河畔に幻のように栄え、やがて砂に消えた王国に生きた英雄たちの話には目を輝かせて聞き入ったものだ。

 もしかすると、切ない悲恋と共に最後の王子が竜に殺されて滅んだという、その伝説の都なのかもしれない。


 重厚で豪壮な石塔の造りは今ではどこに行っても見ることが出来ないほど精緻なものだ。おそらく長い間、砂に埋もれていた都の一部が地表に出てきたのだろう。


 「もしあれが伝説の国の一部だとすれば、都のはずれ、西ナルベ河の港を見下ろす丘にそびえていたという “魂の寝所” という塔の一つかもしれませんわ。都で一番高い建物があったそうです。建国の英雄たちの遺体を祀った場所ですわ」


 「なるほど、だとしたら、このあたりの大きな岩崖は河で削られて出来た地形なのかもしれないわね」

 サクは砂で覆われた荒々しい岩場を見回した。


 「やっぱり、魔獣はあの遺跡に逃げ込んだのは間違いないのでしょうか? あそこに逃げたと思わせて、砂に潜って別の方角に逃げたということはないのでしょうか?」

 ミラティリアは遠眼鏡をサクに返した。


 「この砂丘の手前で奴の血の跡を確認しているし、砂に潜って逃げるなら、わざわざこんな岩だらけの所でやらないでしょう。たぶん、奴は砂に潜って移動する能力がない。そして手負いの状態で、今は帰巣本能しか奴の頭にはないのでしょうね」


 「へぇ、なるほどね」

 そう言う事か、ミラティリアはちらりと仮面のサクの横顔を見て、サクのその深謀に舌を巻いた。


 途中、何度か奴に追いつく機会があったのにあえて攻撃しなかったのは、奴の巣を突き止めるためだったのだ。単に奴にトドメを刺したいと思っていた自分とは違う。


 「奴が隠れそうな場所はあそこ以外は無いわ。ほら、塔の外壁の一部が壊れている、あそこが巣への出入り口じゃないかしら?」

 サクは再び遠眼鏡を覗きながら言った。


 「行ってみますわよね?」

 「もちろんです。苦労してここまで追って来たのですからね。でも、魔獣が一匹とは限りませんよ。十分に気を付けてください。もしも貴女が怪我を負えば、貴女の父上と交わした契約に反してしまいますからね」


 「真面目なんですね」

 「サンドラットはね、約束は守るんです」


 「じゃあ、お願いしますね、サク」

 「もちろんです。お嬢さま」

 二人はうなずき合うと、砂を踏みしめ岩影に隠れながら近づいた。


 遺跡の塔の上部は崩れ、壁の残骸が周囲の砂に埋もれている。

 人が隠れるのに十分すぎる大きさの石材である。これほど大きな石を高く積み上げた古代の技術には驚かされる。


 サクが石の陰から塔の入口を覗いた。


 「何かおりますかしら?」

 ミラティリアが後ろからひょこっと顔を出した。


 どうも身を潜めているという感覚が薄い。

 案の定、塔の最上部、崩れた壁の端に止まっていた黒い鳥が不気味な鳴き声を上げ始めた。


 「あら、あら、何でしょうあの鳥は? 急にやかましいですわ」


 「気付かれたようです。敵が来ますよ。武器を準備してください」

 サクがミラティリアを庇うようにして剣を抜いた。


 ざざざと砂が波打ちながら何かが二人に近づいてきた。しかし、あと少しという所でそれは突然静かになる。


 「!」

 不意に何も変化のなかった足元の砂から毛の生えた蛇のようなものがサクに跳びかかった。


 しかも四方から同時にである。

 瞬きする間もなく、サクが舞う。

 両手にした曲剣が閃き、胴を絶たれた蛇がボトボトと地面に落ちる。


 「キシャア!」

 直後、岩の上から二人の背後に人間よりも大きい猿に似た生物が猛然と襲いかかった。


 ガッ! とミラティリアが身を反らして、刺突剣でその長い爪先を弾いた。刹那、ミラティリアの体で死角になっていたところからサクが無言で曲剣を振るう。


 ギン! と硬い音が響く。

 そのサクの刃を猿は尻から生えた蠍の尾で受け止めていた。


 「キキキキ……!」

 嘲りを含んで邪悪に笑う猿だが、次の瞬間、「ブフォエッ!」とその口から血が噴き出した。

 一瞬速く背に回り込んでいたミラティリアの剣が背中から心臓を一撃で貫いている。


 ごぼごぼと口から血を吐きながら猿の巨体が崩れていった。


 流石にミラティリアの動きは速く、二人の連携も見事だ。


 二人は周囲を伺うが、他に敵の影はないようだ。


 「敵は、いなくなったようですわね」

 「そうね、こいつ以外はね!」

 そう言って、サクは懐の投擲針を投げた。


 「えっ?」とミラティリアが剣を構えた。

 その目の前にバサバサ……と何かが落ちてくる。上空から迫っていた黒い鳥がその毒爪を使う間もなくサクに撃ち落とされたのだ。


 「さすがね、サク」

 ミラティリアは拳を突き出した。サクは軽く砂埃を払って二人は互いの拳を合わせた。やったね、という砂漠の民のジェスチャーである。


 「外にいる獣はこれくらいでお終いでしょうか?」

 「そうね。見張りの鳥もいなくなったし、中に入りましょう」

 サクは投擲針を回収しながら言った。


 「さすがにサクはお強いですわ。サクと一緒にいると大勢の精兵に守られているような安心感がありますわ」

 ミラティリアはにっこりと笑った。

 仮面とフードでその表情はよく見えないがサクも微笑んだのが雰囲気でわかる。


 ミラティリアは前を歩くサクの背を見る。


 時々、サクの立ち振る舞いから盗賊とは思えない気品を感じることがある。

 「一体何者なのでしょう?」女が仮面で顔を隠すのは顔に怪我をしているからだと言われるが、サクほどの者が怪我を負うような事態があったとは信じられない。

 それに、声や手足の細さや華奢と言って良い体格から、おそらく年齢も自分より若いはずだ。


 「何か、考え事ですか?」

 サクがふと立ち止まった。


 「いいえ、何でもありませんわ」

 ミラティリアは、サクと一緒に冒険していることが嬉しい。

 このまま二人でパーティーを組んで色々な国を巡れたらどんなに素敵だろうと思ってしまう。お嬢様として屋敷をほとんど出られない不自由な暮らしからすれば、こんな危険な場所でも、楽しく感じてしまう自分がいる。


 「中に入りますよ。ここからが本番ですが大丈夫ですか?」

 サクが入口の壁に身をひそめて、中の様子を伺う。


 「もちろんですわ」

 ミラティリアは気合を入れてにっこりと笑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る