第172話 野族駐屯地からの生還

 どどどど…………蜥蜴とかげ馬が走る。


 魔馬と違って足運びが独特なので、うまく掴まっていないと身体が投げだされそうだ。

 しかも尻が異常に痛い。鞍をしていないせいだ。尖った背びれがグサグサと容赦なくケツに刺さるのだ!


 どどどど……

 グサッ! グサッ!

 「くうっ!」 俺は痛みに耐えかねて尻を上げ、後ろを振り返った。


 既に林は抜けている。

 野族の駐屯地の方角からは撤退するのか、騒がしい気配だけが伝わってくるが、もう追ってくる者はいないようだ。


 俺は手綱を握りしめた。

 どこを走っているのか見当もつかないが、適当に山の方に走っている。


 「あそこだろうか? おい、向こうだぞ! 真っすぐ走れ!」

 俺は蜥蜴馬の頭を叩いてカッコ良く叫んだが、蜥蜴馬は急に右に方向を変えて突き進む。

 

 「ぐあああ、危ねえ! こいつさっぱり言う事を聞かない!」

 思わず振り落とされそうになって、その横っ腹に掴まった。


 だが、幸いこいつらには帰巣本能があるらしい。俺が指示しなくても穴熊族のクマルン村に向かっている感じがする。

 

 「ぐおおおお落ちる! ケツが痛いぞ!」

 俺は必死に背中に戻ってしがみつき、その苦痛に唇を噛んだ。



 ーーーーーーーーーー

 

 「カーイーン! 」

 セシリーナが叫んだ。

 「どこですー? 死んでますかーー?」

 リィルが叫ぶ。

 「カインどこなのーー? 返事してーーーー!」

 リサも叫んだ。


 ミズハは浮遊術を使って戦場を漂いながら、未だに回収の手が及ばない土塁やテラスの上の死体を一つ一つ調べている。


 カインが駆り出されていた修復工事が夜襲を受けたという報告があり、洞窟のゲートが開かれてすぐに4人はカインを探しに出ていた。


 「やっぱりカインは死んだんじゃないでしょうか? 死体も残らないほどバラバラにされたとしか思えませんよ」

 リィルが肩をすくめた。

 

 「そんな……。いや、それだったら婚姻紋に異常が出ているはず。私の婚姻紋に変化はないわ。リィルはどうなの?」

 セシリーナは硬い表情のままである。


 リィルは首を振った。

 「とても残念ですが、私の眷属紋も生きてます」


 「やっぱりカインは生きているのよ。土に埋もれているとか、怪我をしてどこかで助けを待っているとか、もしかすると生きてはいるけれど自分では動けないような危険な状態なのかもしれないわ」

 セシリーナは不安気に戦場を見渡した。


 多くの穴熊族の兵が出てきて次々と死体を片づけている。最下段の防衛線の範囲は広いのでこの中からカインを見つけるのは中々厄介だ。


 「セシリーナ! これを見て!」

 リサが下の方で叫んだ。

 なにか見つけたのだろうか。2人は急いでリサの元に駆け寄る。


 「これを見て。ここに短剣が落ちていた。これ、カインのものじゃないかな?」

 そう言って銀色の短剣をセシリーナに渡した。


 セシリーナはその剣の表裏を確認する。

 上等な短剣だが銘が削られている。これは確かにカインがデッケ・サーカの街で買ったものだ。自分がその鞘の綻びを縫ったからわかる。


 「これは確かにカインのものよ。ここに落ちていたとすれば、ここにカインがいたんだわ」

 あたりを見渡すが、既にこの一帯は死体が片づけられた後らしい。


 「短剣を抜くような事態があったってことだわ」

 短剣の鞘にはセシリーナが止め具を付けた。そう簡単にポロッと落ちるはずはない。不安な気持ちが大きくなってくる。


 「カイン! 返事してーー!」

 リサが叫ぶ。


 「おかしいな、どうもこの近くにはいないぞ。生体感知の魔法にも反応が無い」

 ミズハが戻って来て、すうっと着地した。


 「一体どこへ行ったのかしら」


 「もしかすると、野族の雌でも眷属化して、巣に連れて行かれたのかもしれませんよ」

 リィルが鋭い所を突く。

 ぶるっとセシリーナが震えた。


 あの鼠のような顔をした獣の雌を眷属化とか、想像しただけでぞっとする。俺の新しい妻だとか言いながら鼠を紹介されたら卒倒しそうだ。


 「そんな恐ろしい事を言うでない」

 ミズハも同じ思いだったらしい。嫌そうな顔をしてリィルをにらんだ。リサは小石の下を見たりして健気に探している。


 「ーーなんだあれは! 気を付けろ! 何ががこっちに登って来るぞ!」

 その時、セシリーナたちの上にいた穴熊族の兵士が叫び、坂の下を指差した。


 見ると砂煙を上げて何かが物凄い勢いで駆け上がり、こっちに迫ってくる。一瞬、野族の襲来かとざわめきが広がったが、それは単騎のようだ。


 穴熊族の兵士が手をかざして睨んだ。

 「あれは、我々蜥蜴騎士のようだが、乗っている者は左右に振られてかなり危なっかしいぞ」


 「ん、んんん、あれは…………?」

 セシリーナたちも土塁の陰からその影を睨む。


 「へたくそめ。誰かは知らんが蜥蜴騎士の恥だな」

 穴熊族が嫌そうな顔をする。

 「あ!」

 そう思っていると案の定、落馬した。


 「わあああああ……!」

 次第にそいつの悲鳴が聞こえてくる。

 手綱が足に絡まったらしい、引きづられながらこっちに来る。


 ドドドド……!

 迫る蜥蜴馬。

 悲鳴を上げる男が近づく。

 その聞き覚えのある声に4人は目を細めた。


 その瞬間、4人の頭の上を蜥蜴馬が飛び越えた。


 男の足に絡まっていた手綱が解ける。

 「捕縛!」

 吹き飛ばされた男が岩壁に激突する寸前に、ミズハが呪文を唱えた。蜘蛛の巣のような光が広がってそいつは空中で大の字に網にかかった。


 何があったのか、ズボンが破れてケツ丸出しだが、見覚えのある尻である。


 「カイン!」

 リサが目を輝かせた。


 ミズハの蜘蛛の巣に掛ったのは気絶したカインだった。


 「カイン!」

 セシリーナが駆け寄る。


 「生きていたようだな」

 ミズハはため息をついて指をくるりと回転させ、術を解いた。

 やっぱりねという感じで肩をすくめるリィル。


 どさっと落ちてきたカインをセシリーナがしっかりと受け止めた。




 ーーーーーーーーーー


 俺が目をさますと、目の前に心配そうに覗きこむセシリーナとリサの顔があった。


 「良かった! 気がついたわ」

 「カインが目を覚ました!」

 二人が思い切り俺に抱きついてきた。


 「ここは?」

 見慣れない部屋である。

 壁際のイスにはミズハとリィルが座っている。


 「ここはクマルン村の療養所よ。大丈夫? どこも痛くない?」

 セシリーナが俺を抱き起こした。


 「大丈夫、尻が少々痛いくらいだ」


 「ーーーーどうやらやっと目覚めたようだな?」

 扉の前に立っていた穴熊族の兵士がそう言って呼び鈴を鳴らし、すぐに偉そうな穴熊族が数人どやどやと入ってきた。


 「お主に聞きたい事がある」

 中央に座った穴熊族の将校が話を切りだした。


 「お主が逃げてきた方角には野族の軍が陣を張っていたはずだ。そこから逃げてきたのか? それにお主が現れた同じ時刻に、野族の軍が撤収し始めたという偵察兵からの連絡が入った。それと何か関係があるのか?」


 「そうか、野族は撤退したのか」

 ルップルップの指示で軍は平原の村へ戻っていくのだろう。

 俺は事の顛末をみんなに説明した。


 「そのような話、信じられんな」

 「うむ、あの野族がもう戦をしないことに同意したなど、我々を油断させるはかりごとかもしれん」

 まるで熊が顔を寄せ合って相談しているようだ。


 「信じられないかもしれないが全部本当だ」

 俺がそう言うと、この場を仕切っている穴熊族が俺をじろりと見た。


 「それが本当なら、玉神を呼び出せるのだな、呼んでみよ」


 「まったく疑い深い連中だな。おーい、たまりん!」

 俺が叫ぶと俺の股間から金玉がぽわーと浮かび上がった。


 「おお!」とさすがに穴熊族たちにも動揺が広がった。


 「こいつら、俺の話を信じないんだ。たまりん、お前からも一部始終を説明してくれ」


 「おおー。私の偉大さを広めるチャンスですねー。わかりましたよーー。私がーー一部始終を話しましょうーー。カインが鼻の下を伸ばして美女のーー、ルップルップのーー足ばかり見ていたとかーー、ルップルップに抱きつかれて暴発寸前だったとか、そう言う事も含めてーー詳細かつ念入りにーー」


 「よけいな事は、い、ふ、な」

 むっとしたセシリーナが俺の頬を摘まんでいる。



 ーーーーたまりんの熱弁のおかげで、ようやく穴熊族の将校たちも納得したようだ。


 これで長年続いた戦争が無くなるとわかったのだ。その表情は憑き物が落ちたかのようにどこか晴れ晴れとしている。


 「やはり恐ろしい男だ。特に何をしたというわけでもないのに大事をやらかしてしまうのだな」

 ミズハがぼそりと言った。


 「長年にわたる穴熊族と野族の戦争に決着をつけるなんて、凄いわよ、カイン」

 セシリーナの評価はグンと上がったようだ。


 「でも、セシリーナ、油断できませんよ。さっきの話を聞いていると、そのルップルップとか言う美女も既にカインの魔の手にかかっている気がします」


 「まさか。ねえ? カイン」

 「そのうちひょっこりカインの妻よ、とか言って、そのへんから顔を出す気がします」

 リィルは俺を睨んだ。


 「まさか、あはははは……?」


 その時だ。ぎいっと扉が音を立てた。


 「?」

 全員の視線が、わずかに開いた入口を見て固まる。


 「カインの妻ルップルップです」

 そこに恥ずかしそうにルップルップが顔を半分のぞかせていた。

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