第285話 <イケメン ボザルト>
野営地で丸一日、原因不明の下痢で苦しんだボザルトが野営地を出発して二日目の昼過ぎ、二人は多くの人々が行き交う大きな街道の分かれ道に出た。
そこが西シズル北方回廊とセク大道の十字路である。様々な意味で要衝の地点らしく、近くには帝国の砦が築かれており、帝国兵が交差点を常に監視している。
「ドリスはここから北へ行ったわ。間違いない」
ベラナがセク大道を指差した。
「そうか、では向かうぞ」
二人は北の大地へと足を向けた。
セク大道と呼ばれる帝国街道は巨大な峡谷の中を真っすぐ北上している。
徒歩で石畳の道を進む二人の脇を何台もの荷馬車が通り過ぎていく。北から厳つい装甲馬車が列を成して南下してくるのは戦争の影響だろうか。
「ねえ、ボザルト、そろそろ夕方よ。野営の準備をした方が良くはない?」
「そうだな」
うむ、ベラナの言うとおり、そろそろ今日の野営地を決めても良い時刻だ。どこかいい場所はないだろうか? とボザルトは辺りを見渡した。
この付近では峡谷と言ってもかなり広い。
左右を見渡すと遠くにそそりたつ断崖が見えるので、やっとここが峡谷の中だと分かる程度である。
東を見ると所々に村があり、緩やかに起伏する土地に農地が広がっている。大道のすぐ西には若干の林が広がっている。
「ボザルト、あれを見て!」
脇道が丘からなだらかに下ってセク大道に合流してくる。その丘の向こう側で砂煙が上っていた。
「うーむ、何かが起きているのであろうな。遠すぎてわからんが……」
「何かこっちに来ますわ」
遠くの気配を感じるのはベラナの方が得意だ。
ベラナが言った直後、すぐに丘の上に一台の馬車が現れた。
2頭の魔馬が引く白い外観の馬車は一目見ただけで上流貴族のものだと分かるのだが、そんな知識はボザルトたちには無い。
馬車のすぐ背後から黒い狼のような魔獣が4匹姿を見せた。
「おお、あれは魔獣オオカロン、この辺りにも生息しているのであるな!」
「高山にしか棲まないと思っていたわ」
野族にとっては貴重な肉になる魔獣だ。
思わず涎が出そうだ。
しかし、良く見ると、近づいてくる馬車の屋根や側面には何本もの矢が突き刺さっている。あれは魔獣の仕業では無さそうだ。
「こっちに向かって来るわ! ボザルト!」
「あの魔獣に目をつけられると、どこまでも付きまとってしつこいのである。我に任せろ、馬車が来るぞ!」
ボザルトは槍を構えた。
白い馬車が二人の脇を猛スピードで過ぎ去った。
セク大道に出た直後、向きを変えようとして負荷がかかったのか、車軸が折れるような音がして砂煙が上がった。馬車はセク大道の路肩に突っ込み、車体を傾けながら急停車したのが見えた。
「来たな!」
ボザルトは迫りくる4匹の獰猛なオオカロンを睨んだ。
「我が神速の槍を恐れぬ者はかかってくるが良いぞ!」
その声が終わらぬうちに、4匹が同時に跳躍し、ボザルトに牙を剥いた。血に飢えた猛獣の牙と爪が立ちはだかったボザルトに襲い掛かる。
バババ! と風を切る音がして、目にも止まらぬ速さでなぎ払った槍にうたれ、4匹の獣がまとめて吹き飛んだ。
「ボザルト! 強い!」
ベラナが改めてうっとりとその背中を見つめる。流石は元神官護衛、選ばれし者の称号を持つだけの事はある。
オオカロンの先制攻撃は一瞬で終わってしまった。
「うむ、ドリスに改良してもらってから槍の調子が良いのだ」
魔獣の一匹は立ち上がろうとして足から崩れて倒れた。
残りは3匹。
槍先は青い光を放っている。
かつて地下の神殿でドリスが施した雷属性や加護がまだ生きているのだ。
その威力はかつてのノーマルな状態の何十倍である。同じ力で振りまわしても物凄い威力になる。なにしろ地下神殿で竜と対峙したときに竜に対抗するために施された加護なのである。対竜武器と化しているボザルトの槍に普通の魔獣が敵うはずもない。
「はあっ!」
ボザルトの目の覚めるような槍捌きに、次々と魔獣オオカロンが地に伏せた。最後の一匹を倒した時、丘に上でこちらを見ていた馬影が
「あれは何者だったのであろうな?」
倒れたオオカロンにとどめを刺してボザルトはつぶやいた。
「噂に聞いた盗賊とかいう悪者なのではないかしら?」
ベラナが近づいてきてボザルトの頬の傷を舐め始めた。
「これしきの傷、放っておいても治る」
「だめよ、バイ菌が入るわ」
「それよりも向こうの馬車で、誰かが助けを呼んでいるようだぞ」
ボザルトはなおも舐めようとするベラナを押し返して言った。
馬車に駆け寄ってみると、御者らしき男が路上に放り出されて苦しそうに呻いている。
「大丈夫ですか?」
「私は大丈夫です。それよりもお嬢様を……」
どうやら馬車の中に人がいるらしい。
ベラナが振り返ってボザルトを見てうなずいた。
「分かったのだ」
ボザルトはすぐに馬車のステップに足をかけると、その重い扉を開いた。
「!」
馬車の中で美しい令嬢が気を失っている。白い肌に金髪、やや細身だがモデル体形と言って良い高貴な雰囲気の美女である。
「おい、大丈夫か?」
ボザルトは静かにその肩を揺らした。見たところ外傷はないが、呼びかけても反応がなければ頭部に大きなダメージを受けているかもしれない。戦場での経験が豊富なボザルトは慎重にその反応を見守った。
「ん…………私は……」
その美女は目を開き、その目が大きくなった。
この反応なら大丈夫だ、衝撃で軽く気を失っていただけであろう。ボザルトは思わず微笑んだ。
「貴方は誰です?」
そう言った美女の頬が染まった。
「我が名はボザルト、通りすがりの旅人だ。怪我はないか?」
キラキラと眩しい笑顔。何と言うイケメンだろう!
美女はボザルトを見て息を飲んだ。
今まで多くの貴族の若者が求婚してきたが、このようにイケメンで格好良く、逞しい美青年は見たことがない。その鍛え上げた肉体は彼の日々の鍛錬の結果だろう。まさに高貴な出自の騎士と言った雰囲気に思わず見蕩れてしまう。
「あ、あの盗賊と魔獣はどうしましたか? まさか、貴方が追い払ってくださったのでしょうか?」
「ああ、あの程度の魔獣、なんてことはない」
彼は爽やかに言った。
「!」
護衛の騎士団でもあの凶暴な魔獣の襲撃を食い止めることができなかったと言うのに、この美男子がたった一人で退治したというのだろうか。
もしもそれが本当だとすれば、帝国騎士団長級の実力者だ。そんなイケメンが騎士団にいるなら、耳に入らないはずはないのだが……
「あ、あの、なんてお礼を言えば良いのでしょうか」
美女はボザルトを見つめたまま頬を染めた。
「ボザルト、御者の怪我は大したことないわ。そっちはどう?」
ふいに外から快活な少女の声がした。
この方の名はボザルトと言うらしい。やはり知らない名だ。
「大丈夫だ、彼女に怪我は無いようだ」
そう言ってボザルトがすうっと立ち上がった。
なんというしなやかで高貴な立ち振る舞い。
もしや、どこかの大貴族の二男か三男? 長男でなかったから知らなかったのでしょうか? それとも、まさかどこか知らない国の王子様なのでしょうか?
「あ、あの……ボザルト様……」
「ん?」
「申し遅れました。私は帝国プラチナ階級貴族セメン家のクサナベーラ・ダ・セメンと申します。このたびは命をお救いいただき誠に感謝申し上げます」
クサナベーラは魅力たっぷりの笑顔で、淑女の礼をした。
どんな男でもいちころという自信があるとっておきの笑顔である。
「そうか、無事で良かった。ではこれで失礼する」
イケメン男はクサナベーラの魅力に少しも動じた気配を見せず、額の上に指をかざすと軽く振った。それが騎士たちの間で「また会おう」という意味の仕草だということくらいはクサナベーラも知っていた。
……やはり騎士なのですね、しかも私の魅力に動じないということは、美女に見慣れている身分の方ですか。やはりどこかの王子様なのでしょうか……。
「さらばだ、クサナベーラ」
そのどことなく芝居がかったわざとらしいキザなポーズ。
「あ……」
クサナベーラの胸がドキン! と高鳴った。
今、私を呼び捨てにしました! どんな男でも私のプラチナ階級という身分を知るととたんに委縮してしまうというのに!
この方は違う。初めて男の人に名前を呼び捨てにされて、クサナベーラは舞い上がってしまった。
なってカッコいい!
思わず見惚れてしまう。
そうして、ぽうっと顔を赤くしているうちに、ボザルトは馬車を飛び降りてしまった。
「ああっ! ボザルト様!」
クサナベーラが慌てて扉に立つと、脇道の向こうの丘の上からお供の騎士たちがこっちに走ってくるのが見えた。やっと追いついて来たらしい。
クサナベーラは、はっとして馬車の周りを見渡したが、既にさっきの美男子の姿はどこにもない。貴族を助けたというのに褒美すら受け取らずに彼は立ち去ったというのか。
「ボザルト様! ボザルト様!」
返事は無かった。
しかし、クサナベーラの胸の高鳴りは止まらない。
「ボザルト様、その御名前は忘れませんわ。なんて素敵な御方だったのでしょう。ええ、きっと、きっとどこかでまたお会いできますわね」
クサナベーラは頬を染めた。
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そのすぐ近くの林の陰でボザルトとベラナが思わぬ収穫に腕組みしてスキップしていた。
「今日はオオカロンの焼き肉だね、ボザルト!」
「そうなのだベラナ! 焼き肉であれば、昨夜のような無残な事にはならぬであろう!」
ベラナが火を起こし、ボザルトが新鮮なオオカロンの肉を手際よく捌いていった。
オオカロンなどめったに食えないごちそうなのだ。それが4頭分である。食いきれない分は燻って燻製肉にするのだ。
「うしししし……うまそうね」
「ベラナ、涎、涎!」
「さあ、食うわよ!」
そう言いながら二人はさっそく食事を始めたのだった。
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