第340話 ジャシアとエチア

 一夜明けた荒野の惨状は凄まじかった。炎は消えているがまだ煙がくすぶり、肉の焼ける匂いが漂っている。まさに死屍累々ししるいるいである。


 荒野を見下ろす高台の岩の上に、クリスとアリスが立っていた。

 

 「お姉さま、そろそろやりますわよ」

 「準備よし、いつでも、やれる」

 二人に課せられた任務はまだ終わっていない。

 

 「暗黒領域展開! 収納を始めます!」

 アリスが両手を差し出した。

 「任せて!」

 クリスも同じように両手を突き出して目を閉じた。


 真の闇が荒野を包み込むように広がっていく。やがてドーム状に戦場の跡を包み込んだ闇は、二人の指先の動き一つであっという間に消滅した。

 まさに消滅である。

 闇が消えた後には戦争の痕跡は何一つない。死体も全部消えている。


 「終わった。早く、カインの元に帰ろ。私も妻にしてもらう、約束だから」

 「お姉さま、ウキウキしてはだめです。まずはミズハ様に終了の報告をしなければなりません」


 「面倒、疲れた」

 「ミズハ様が死体なんかいらないと言えば、死人兵にできます。もっともそうはおっしゃらないでしょうけど」


 「そう、本当に全部、復活させるの? 面倒」

 「それがミズハ様のやり方です。これ以上の人の死は後々国力を低下させるというお考えでしょうか。それに復活してもらえるか放置されて死の世界に旅立つか、という選択に迫られた者であれば、もはやミズハ様を裏切ったりはしないでしょう」

 

 「アリス、賢い」

 「さあ、参りましょう、お姉さま」

 二人は見つめあってうなづくと、その姿は風のように消えた。




 ーーーーーーーーーー


 黒鉄関門の方角から次々と負傷した帝国兵が撤退してくる。


 もはやあの関門を抜かれた以上、帝都まで防衛拠点はない。帝都そのものが最終決戦の地になるのか、それとも帝都郊外に布陣して真魔王国軍を迎え撃つのか。


 帝都はその話題で不安に包まれている。いつもなら活気のある市場を昨日の黒鉄関門陥落の報を聞いた人々が暗い顔で行き交っている。


 「大丈夫だ。街道はまだ閉鎖されていないんだぜ」

 市場の食堂の隅っこに座るフードを被った少女に獣人の美女が近づくのを、店の亭主はちらりと眺めた。

 この帝都の混乱で朝から客などほとんどいない。そこにあの美女の獣人だ。獣人族は珍しくはないがあれほどの美女だ。とにかく目立つ。

 

 「ジャシアさん。そのカインとか言う人にどうしても会わなければならないの? 危険な紛争地帯よ。危ないわ」

 エチアは赤い実を頬張りながらささやいた。

 さっきからどうも視線を感じる。こんな場所に女二人は危険なのではないかしら? と周囲を見渡すと二階に上る階段の下にいる黒づくめの男たちがこっちをみている。


 「大丈夫だ。私に任せておくんだぜ。きっと潜りこめる」

 「ジャシアさん、どうも私たちを見ている男がいます」

 エチアは男たちに見られないようにそっと指さした。


 「ああ、あいつらかい? うん、大丈夫、とっくに気づいているんだぜ」

 そう言うとジャシアはおもむろに立ち上がった。


 「おい、てめえら。さっきからじろじろと人の尻を見ているだろう? 私に何か用なんだぜ?」

 ジャシアが不敵な笑みを浮かべて男たちの前に仁王立ちになった。


 「ちっ、気づかれていたか」

 「どうします兄貴」


 男は全部で4人、どいつも体中に傷がある荒くれたちだ。おそらくまともな仕事の連中ではないだろう。

 傭兵か、帝国軍の兵士くずれか、いや違うな。

 こいつらは非正規兵だ。

 ジャシアはその体臭の変化からそいつらの心の動きが分かる。人を騙すことを何とも思わないような奴ら。元々は田舎の農民だがギャンブルで身を持ち崩したか。この手の兵の横暴さは誰もが知っている。強盗から殺人まで平気でやる様な連中だ。


 「俺たちを帝国兵と知っての言葉なんだろうな、おい!」

 手前に座っていた男が突然立ち上がって、腰の剣に手を添えた。

 

 その瞬間、男の体が宙を舞っていた。

 ジャシアがその手をつかんで投げ飛ばしたのだ。

 バリバリっ! と派手な音を立てて、男は背中からテーブルの上に落下してテーブルを真っ二つにへし折った。


 「なにが帝国兵なんだぜ? 受け身一つロクにとれないんだぜ」


 「てめぇ!」

 「この女!」

 「止めろ! こいつは相手が悪い」

 奥に座っていた男が、短剣を抜こうとした男たちを制した。

 

 「ですが、兄貴がやられたんですよ」

 「黙ってろ、お前たちの相手になるような人じゃねえ」


 「ほう? 私を知っているんだぜ?」

 「ええ、もちろん知ってますぜ、赤い傭兵団の団長さんでしたね? 男喰らいのジャシアさんでしたっけ?」

 男は用心深い目つきでジャシアを見上げた。こいつは他の三人とは毛色が違うようだ。それにどこかで見たことがあるか?


 「私は以前、大貴族ベオアメア様に仕えていた者でしてね」

 「ベオアメア?」

 ああ、あの気持ちの悪いデブで高慢な変態大貴族か。大口を叩いて、私の奴隷にならない女はいないとか言ってベッドに入ったくせに、いざとなったらあっという間に果てて死んだ奴だ。本番に入るまでのねちっこさと変態ぶりが気持ち悪かった男のトップ5に入る。


 「その顔、やはり知っていますね? ベオアメア公が誰に殺されたか、ずっと分からなかったのですが、死体の状況から快楽に耐えきれずに心臓が止まったと判断していたのです」


 「それがどうかしたかい? 証拠もないんだぜ? それに今さらだ」

 「そうです、今さらです」


 「今さらどうだっていい奴の話を持ち出して何がしたいんだい? もう時代の流れは変わってきてるんだぜ」

 

 「それですよ。街をご覧ください。今や帝国は破れ、すぐそこに真魔王国が迫っています。大貴族の方々は辺境の地へ逃げるかどうするかで上へ下への大さわぎ、今ならばその屋敷に潜りこむのはいともたやすい。それに私も貴方も貴族の屋敷の構造には詳しい。そこで、です」

 男はじろりとジャシアを見上げた。


 「帝国軍の傭兵として名高い貴女も、帝国に見切りをつけて我らと手を結んで一稼ぎしませんかね? 実は既に目星をつけた大貴族の屋敷があるんですよ。貴女の腕なら屋敷の護衛なんか簡単に片付くでしょう?」

 三人の男たちは野卑な笑みを浮かべた。今は傭兵稼業もできないはずだと分かっている。男を次々と寝殺してきた女だ。汚れた仕事に手を染めるのに抵抗はないはずだと思っている。


 自分たちと同じレベルの人間だと思われたことに、「こいつら八つ裂きにしてやろうか」と一瞬ジャシアの目に殺気が宿ったが、それに気づくような連中ではない。


 「分け前はどれくらいなんだぜ?」

 「やはり物分かりがいいですな。このくらいでどうでしょう?」

 男は指を四本立てた。


 「そうか……」

 ジャシアはニヤッと笑って片手を差し出した。

 「仲良くやりましょう」

 それを握手と思った男が手を差し出すと……。




 「親父! 迷惑をかけちまったんだぜ。これは店の修理代なんだぜ!」

 ジャシアは床と天井にめり込んだ男たちを尻目にカウンターで震えている店主に金の入った袋を投げた。


 「行くぜ、エチア」

 「いいんでしょうか? あの人たち、あのままで」

 エチアが後ろを振り返りながらついて来る。

 

 「いいんだよ、あんな連中。さて、歩きながらもう一度説明しておくんだぜ。お前の過去に何があったか、そしてカインという素晴らしい男についてなんだぜ」

 ジャシアはカインの話をするときはいつもうれしそうだ。


 エチアには、そのカインという人の記憶がない。目が覚めた時は棺桶と呼ばれる機械の中だった。そこから後の記憶しかないのだ。自分が狼に変身できる能力があるとも説明されたが、それも実感はない。

 

 「カインはなあ、とにかく凄い男なんだぜ! エチアも経験すればわかるんだぜ! とにかくデカいが、心もデカいんだぜ!」


 いつものカイン自慢だ。

 あそこがデカいなどという話を自分の体験を交えて赤裸々に話されると何だか恥ずかしい。しかもこんな往来である。その大声に周りの人の目が痛い。


 赤くなっているエチアの反応を気にせず得意げに話し続けるジャシアと共に、エチアは帝都の大門を目指した。

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