第90話 アッケーユ村の村長屋敷
「さすがに待ちくたびれましたよ。アリス様」
門の中から禿げた男が頭を下げた。
「お待たせしました。やっとカイン様一行がご到着されました」
アリスが笑顔で明るく手を振った。
「いやー、貴方が、アリス嬢のご主人様ですかな。朝からずっとお待ち申し上げておりました」
少し小太りの男が出迎えた。
右目の周りの大きな青あざが痛々しいが、一体何があったのだろうか。
「私はこのアッケーユ村の村長のデ・スクロアでございます。このたびは我が家へようこそいらっしゃいました」と握手。
何が何だかわからない。
俺たちはアリスに導かれるままに屋敷に入り、大広間に通された。
「アリス、これはどういう訳なんだ? 俺たちはあまりおおっぴらに名前を明かしたり目立ったりしてはまずいんだが」
「ご心配なく、この村にはご主人様とリサ様がご宿泊されるのに相応しい宿屋がありませんでしたので、一番立派なお屋敷を持つ村長の屋敷をお借りすることにしました」
俺の腕をとって笑顔で答える。
むむむ……オリナが後ろから睨んでいる。
「さあ、皆さま方、2階には客人用の部屋が4つございますので、ご自由にお使いください。2階のテラスもご自由にどうぞ。お昼は庭に準備しますので、それまでおくつろぎください」
村長はそう言うと、片足を少し引きずりながら外に出て言った。
「ちょっとアリス、説明してくれ、なんでこんなことになってるんだ?」
「話せばちょっと長くなりますので、みなさん、まずはお部屋に荷物を置いてください。そうですね、そうしたら2階のテラスに集まりましょう。私はお茶の準備をいたします」
アリスは大広間の奥の廊下へ消えていく。
「どういう事だ?」
サンドラットが周りを見回す。
俺は肩をすくめ階段を見上げた。
村とは言え、さすがに村長屋敷である。ちょっとした貴族の邸宅のようだ。階段の手すりも太い、一階から二階まで一本の木を削り出したものだ。一見質素だが金をかける場所には金をかけている。ミスタルにある俺の屋敷よりもずっと立派だ。
「2階で説明を聞きましょう。リサ行くわよ」
オリナはぐいぐいとリサの手を引いて階段を上がって行く。
「なんか、不機嫌そうだな?」
サンドラットが耳打ちする。
「ああ、なんか怖い」
俺とサンドラットは二人の後ろに続いた。
部屋は廊下を挟んで2部屋づつ。廊下の突きあたりにテラスに出るガラス扉がある。明るい陽光が柔らかに廊下を照らす。
「部屋割りは、どうする?」
「リサは、カインと一緒がいい!」リサが俺に飛びついた。
「それじゃあ、右側の奥がカイン、手前が私、左の奥がサンドラットということで良いわね」
オリナはそう言うと、さっさと自分の部屋に入ってしまった。
俺とリサも部屋に入る。
「わー。ふかふかのベッド!」とリサがさっそくベッドに飛び込んだ。
「うーん、ちょっと小さいな、サンドラットに手伝ってもらって、空いてる部屋のベッドを運ぼうか」
「大丈夫、へーき」
寝ているうちに落ちそうな気がする。
「それじゃあ、こうするか」
俺はベッドを壁際まで押した。これで、壁の方にリサを寝せれば落ちることもないだろう。
「荷物を置いたら、テラスに出よう。アリスが来るはずだ」
俺とリサがテラスに出ると、既にみんな来ている。
木製の丸テーブルにはティーセットが準備されていた。
「さあ、リサ様もお座りください」
アリスが言った。
「それで、こうなっている理由は?」
「そうそう、俺たちの素性が知れたらヤバいんだが、そこの所はどうなっているんだ?」
アリスはにっこり笑った。
「私たちは村長夫婦の命の恩人という事で、ここに泊めていただくことになりました。カイン様たちの素性については、私たちを雇っている大商会の若旦那一行ということになっています。記憶操作でちょっとイリス姉様が記憶をいじったので、素性が疑われる恐れは皆無ですのでご安心くださいな。どうぞ、クリス一押しのこの村名産の焼き菓子です。たくさんありますよ」
唖然である。記憶操作って、そんなに簡単に言う事か。やはり暗黒術の使い手は恐ろしい。
オリナも目を丸くしている。
「姉二人はどうした?」
俺はアリスが淹れた美味しい紅茶を口に含む。これは高級なやつだな。
「おいしい、これ凄くおいしいよ」
リサは目の前に出された焼き菓子に夢中だ。
オリナも焼き菓子に手を伸ばす。
「クリスお姉さまは、村の周囲の広域警戒にあたっております。イリスお姉さまは村長の奥様の手当て中、間もなく終わりますので、じきに顔を見せると思いますよ。お代わりはいかがです? サンドラットさん」
「お、おう、いただこう!」
何だろう、サンドラットの鼻の下が長い。そう言えば、サンドラットは彼女らが好みのタイプとか言っていたような気がする、サンドラットに3姉妹が俺の守護者になっていることはまだ詳しく話していなかったっけ? まずい気がするのでそれは内緒にしておこう。
俺は黙って紅茶を啜る。
「カイン様! もうお付きになっていたのですね。ご無事な到着なによりです」
イリスがパタパタと廊下を駆けてきた。いつものメイド服ではない。動きやすいパンツだが、相変わらず服の色は濃紺色で統一しており、まるで秘書のようだ。
快活な雰囲気で、意外性があって可愛いからたまらない。
「お姉さま、お履物が」
アリスの指摘にイリスはテラスの手前で止まって、どこからか取り出した靴に履き替えた。
「失礼しました。手当て中はこの外履きの靴では衛生的に問題があるので履き替えていたのでしたわ」
「村長の奥さん、具合が悪いのか? そう言えば命の恩人って言ってたな?」
「まだ、お話していないようですね。私から話した方が良いですか?」
アリスはうなづいた。
「私とアリスは、カイン様に先回りしてこちらに向かったのですが、途中、脇街道の広場で大怪我をしているお二人を発見したのです。カイン様たちに危険がないか確かめたところ、何でも理不尽な理由で帝国兵に襲われたとか。村長は古井戸に落され、奥様は戯れでひどい拷問を受けたようで、私たちが偶然その場に来た時は血の匂いで集まった魔獣に囲まれ、いつ襲われて殺されるかというような状況だったのです」
「まあ、私たちからすれば魔獣の掃除は一瞬でしたけどね。これも美味しいですよ。セシリーナ様。クリス姉様がいただいてきた物なのですけど」
アリスはオリナに果物の香り豊かな茶を出した。
「そうか、色々あったんだな」
「そうだなー、かわいいなーー」
サンドラットはぽーっとした顔で頬杖をついたまま二人を見ている。
「村長は、私が治療術を心得ていると知って、私たちがこの村に少しの間滞在されることを望んでいるようなのです」
「少しの滞在ならいいけど、帝国兵の動きは大丈夫かな? 追っ手に居場所がばれたらまずいぞ」
「その点はクリスお姉さまが手をまわしていますから、しばらくの間は心配無用です」
アリスが自信満々に胸を張った。
「この村には帝国兵の常駐部隊はいませんわ。1週間に1回程度巡回兵が来るのですけれど、クリスが村に入る前に巡回兵の意識を変えて他の街に向かわせているはずです。巡路の変更があまり頻回になると不審がられますが、まあ2、3回は大丈夫でしょう」
イリスが説明する。
なるほど。恐るべし3姉妹。
彼女たちが帝国兵の間でも一目置かれていた理由がわかる。
しかし、巷の噂と異なり、彼女たちの本質は邪悪なものではないらしいというのが、このところの付き合いでわかってきた。
本当はごく普通の魔族の乙女なのだ。しかも、サンドラットが一目ぼれするほど可愛い。
アリスと他愛のない話をして嬉しそうにしているサンドラット。いいのか、おい、愛しのニーナはどうした?
俺はテラスから村の外に広がる畑と果樹園に目をやった。
果樹園は大部分が葡萄園で屋敷の一角には大きな作業場と小屋がある。二階建ての作業場の前には、大きな樽が並べられている。おそらく葡萄酒を作るための樽なのだろう。木樽のタガを外して痛んだ板を交換している男たちの姿が見える。まだ収穫時期ではないので 今のうちに道具類の手入れをしているのだ。
この村は大戦の影響がなかったのか、見渡した限りでは大きな破壊の跡等は見られない。のどかな風景に今までのことが夢だったかのようだ。
「こんな暮らしも良いわね」
いつの間にかオリナがそこにいた。俺のイスの背もたれの上に腕を組んでいる。
「そうだね。良いよなこの景色。君とこんな感じで平和に暮らせたらどれほど素晴らしいか」
俺の隣で微笑みが浮かんだ。セシリーナも同じ思いで景色を眺めている。そう思えるのはどうしてだろう。
「みなさん、昼食の準備ができましたぞ。中庭においでください!」
テラスの下に村長の姿があった。
「飯か! もりもり食うぜ」
サンドラットが立ちあがった。
「ご飯だー! お腹ぺこぺこだー!」
今しがたまでお菓子をモリモリ食べていたはずのリサが跳ねる。
「皆さま、いくらお腹が空いたからって、お昼からあまり無茶な食べ方は控えてくださいね。特にサンドラットさん。今夜は村長夫妻が村一番の食堂を貸し切って、歓迎の宴を準備しておりますのよ」
「きゃっほー! 大歓迎会だー!」リサが踊り出し、イリスが笑った。
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