16.風雲

第240話 新たな戦いの前夜 ー始まりー

 スーゴ高原に新王国が構築した巨大な防塁に朝日が差し込む。


 「どうだ敵陣に動きはあるか?」

 早朝から将軍ジャクが櫓に姿を見せるのはいつもの事だ。


 「いいえ、着陣した部隊から陣城を築き始めています。今回は長期戦覚悟で攻めるつもりのようです。おそらく一か月後か二か月後か、陣城が完成するまで攻めよせては来ないつもりでしょう」

 見張りの任務についていたフェメロンが答えた。


 「あの旗印な。誰が来ているか分かるか?」

 ジャクは地平視線に見える敵の動きを眺める。

 

 「ええ今到着しているのは工兵隊ですが、魔王一天衆の獣天のズモー、鳥天のダンダ、鬼天のダニキアの旗を掲げた部隊が守りを固めているようです。各部隊とも本隊が来るのはまだまだ先でしょう」


 獣天は獣人部隊を使役する獅子の顔をした獣人で、その情け容赦ない強攻撃から獣天軍が通った後には地獄しか残らないとされる。間者によれば今回は新たに編成された獣化部隊という軍団を率いているらしい。


 鳥天は鳥人部隊を使役する鳥の顔をした魔人である。その部隊の人数は少ないが、空からの攻撃は防御が難しい。地上部隊しかいない新王国軍にとっては脅威である。


 鬼天は暗殺部隊を使役する異形の仮面をつけた大男で、闇夜に紛れて侵入してくるその暗殺者集団の恐ろしさは筆舌につくしがたい。いつどこで襲われるかわからない不安で精神的にも追い詰められる。鬼の仮面をつけた暗殺者は癖の強い者が多く、実力主義で仲間同士の結束力は弱いが、鬼天という絶対の存在が彼らを支配している。都市への侵入を許せばその排除は困難を極めるだろう。


 「帝国軍の規模はどうみる?」


 「見える範囲では、……という所ですか? あの規模の陣城群ならざっと10万人は余裕で入城できるでしょう。ただ今回は、あの中央軍の攻勢に合わせて、別働隊が東西いずれか、或いは両方から侵攻してくる可能性があります」


 「その通りだ。よくわかっているじゃないか」

 ジャクはフェメロンの肩を叩いた。


 「東の湖沼原の手前ならば既に後期兵中心の部隊が陣を構築している。問題はむしろ西の森林地帯だ。あの森林の中を分散進軍されると対応が難しい。部隊を配置するにも防御ラインが広大になりすぎて効果が見込めない」


 「それで森林から少しこちら側の枯れ川の畔に急遽きゅうきょ砦を築いているわけですね。森林を突破してきた敵軍を足止めするために」


 「いいや、あの規模の砦の一つや二つでは時間稼ぎにもならんだろう。敵軍の侵攻を押さえることは困難だよ。あれは狼煙台が主な任務なんだ。森林地帯に入る前、或いは森林地帯の中で各個撃破できれば一番良いのだが」


 「では…」

 「ジャク様! 会議の準備が整いました。部屋へお戻りくださいとのことです!」

 フェメロンが何か言いかけた時、伝令兵が顔を出した。


 「わかったすぐ行こう」

 ジャクは地平線上の敵陣に目を細め答えた。




 ーーーーーーーーーーー


 部屋には新王国軍の主だった顔ぶれが集まっていた。


 既に御前会議での決定事項は報告を受けている。

 聖クリスティリーナ誕生祭を心置きなく盛大に執り行うため、帝国の襲来は徹底して防ぐ! というのが今回の方針だ。


 「さて、承知のとおり今回敵軍は正面に向かい城を造っている。さらに帝国は東と西の側面からの攻撃を画策している。まずは各方面の状況を報告してもらおう。まずは東から」

 ジャクは席につくなり一堂を見回して言った。


 「はい、ジャク将軍。我々後期兵は2週間前に湿地の畔に着陣、湖沼地帯の湿地と台地との縁を調査し、湖からの上陸地点と見込まれる場所に土塁と柵、水濠の工事を同時に進めています。

 湖沼地帯の対岸には森の妖精族の住む森がありますが、早々に中立を宣言し帝国に敵意はないことを表明しております。これにより敵軍は背後に余計な戦力を回すことなく、ほぼ全軍でこちら側への上陸を目指すと思われます」

 クリウスが地図を広げて説明した。


 大墓地や重犯罪人地区の開放戦で名を上げたクリウスの軍略は新王国軍でも随一と言っていい。その彼が練った布陣はさすがに守りが堅い。狭い入り江に船が集まるように湖底の地形にも手を加えているようだ。敵の動きを知るため湖を渡って来る船に対する早期警戒網もほぼ整いつつある。


 さらに湖沼地帯最前線にあり、最大の激戦地になると目される砦にはあのモンオンが配置され、帝国軍の動きに目を光らせている。重犯罪人地区解放作戦で人間くずれと呼ばれる凶悪魔獣を次々と屠ったクリウスの右腕、猛将モンオンのことを知らない者は新王国にはいない。


 彼が守っている以上、敵が湖沼地帯から上陸するのは困難だ。常勝クリウスと猛将モンオンがいればきっと大丈夫。後期軍の兵たちの間ではそんな信頼感すらも生まれている。


 「うむ。東は順調だな。では西はどうだ?」


 「はっ。西の大森林に対する砦はほぼ完成に近い状態です。しかし守備線があまりにも長く、全ての森林の縁を見守ることは困難と思われます。敵軍の早期発見とここスーゴ高原防塁へ大森林側から回り込んで背後から近づこうとする敵軍の進軍を数日遅延させる程度の備えと考えて頂ければと存じます」


 「そうか……わかってはいるが、東の備えに比べればどうしても不安が残るな」


 「うむ。問題だな。わずかな兵でも組織的に側面や背面に回り込まれたら混乱が生じる。後期兵部隊の一部でも西に配置することはできないのか?」

 宿屋の親父ゴッパデルトが机をトントンと指先で弾く。


 「東の湖沼地帯を攻めのぼってくる敵の数は未だ不明だ。船さえ準備できれば湖と川を経由して大軍を移動しやすいのはむしろ湖沼地帯だ。それだけにここを守る後期兵を分割するわけにもいかない」

 ジャクが地図をにらむ。


 「西が不安だと言う意見には同意する。西から回り込む敵兵なんだが、どんなルートを通って来ると推測しているのだ?」

 武器屋の親父ブルガッタがジャクを見た。


 「高原の北には大湿地があるので、ここを通ることは避けるでしょう。また高原から入るとこのあたりの森林地帯には小さな岩山が多く林立する複雑な地形で魔獣の住処も多く、進軍の邪魔になります。そこから考えると高原に登り切る手前から森林に入り、岩山地帯を大きく迂回して森林内を突っ切ってこちら側に出ると予想されます」


 「ふーむ。敵はまともに大森林の奥地を通過しなければならないのだな」


 「確か、その辺りには森の妖精族の村があると言うし、人とも魔獣ともつかぬ鼠顔の者たちが住むエリアもあるのではなかったか?  旅人から聞いた話だが連中はそんな未知の森を強引に突っ切るというわけだな」

 「ふむ、そんな者が……」

 「それにもう1つ。森の岩山地帯には帝国軍から逃亡した者たちが隠れ住んでいるらしい。国にも帰れず、かといって我々へ降伏するタイミングも逃した、行き場を失った連中だな」

 さすがに宿屋の親父、情報通である。


 「なるほど、言ってみれば帝国側にもこちら側にもついていない勢力が大森林の中に複数あるということですね? 彼らを味方に引き入れて抵抗してもらえれば有利に事が運ぶでしょう。しかし、今から準備してそれが可能かどうか」

 ジャクは思案顔で一堂を見回した。


 「はい!」

 その時、後期兵の代表の一人が手を上げた。


 「森林地帯に逃げた兵ですが、元々は我々後期兵の仲間です。使者を遣わし、彼らに居場所を与えることを約束して味方するよう説き伏せてはどうでしょう? 困窮しているのならきっと応じるはずです」


 「なるほど。では、誰か使者に名を上げる者はいるか? または誰か適任者を知っている者はいるか?」


 「デッケ・サーカ出身のリイカという者はどうでしょう? 女ですが弁が立ち、後期兵の者たちがなじむのにも一役買った女性です。なかなか優秀ですし、美女ですので逃亡兵も気が緩むのではないでしょうか?」


 「よし、採択だ。使者団の代表はそのリイカに任せよう。この会終了後さっそく準備に入ってくれ。では、次に森の妖精族や鼠顔の者たちを我々の味方に引き入れる方法についてだが、何か良い考えを持っている者はいるか?」


 だが、さすがに森の奥に住む妖精族や魔獣のような奴らを知っている者はいないようだ。


 「うーむ。やはり森の妖精族は種族自体がレアだからな。知り合いがいないのは当然か」


 「あの、よろしいか……」

 その時、手を上げた者がいる。

 クリウスである。

 会議室の人々の目が後期兵を率いるその青年に集まった。


 「直接知り合いという訳ではないのですが、私の知人が森の妖精族の娘と共にシズル大原を旅していたと記憶しています」


 クリウスはたまたまアッケーユ村から去っていくカインたちを見ていた。その一団の中にクリウスの胸をときめかせるほど愛らしい森の妖精族の少女がいたのである。

 そんな程度の心細い伝手なだけに、堂々と手を上げるのがはばかられるのだが。


 「その者と接触できるのか? 接触してさらに森の妖精族の村全体を我々側に引き入れるか、あるいは帝国に協力させない必要があるんだぞ? 今から可能か?」

 敵の工兵隊や先遣隊は既に姿を見せている。別働隊も既に動き出していると見た方が良い。


 「そのことですが、我ら後期軍のシュウという者が以前から物資調達のためシズル大原に潜伏しています。彼は折衝事が得意ですので、彼に連絡し、早急に動いてもらってはどうですか?」


 「よし、その案で行こう。この際だ、失敗しても元々だ」


 「ジャク将軍いいかな? 私からも報告と提案なのだが」

 武器屋の親父ブルガッタである。


 「聖都に駐屯していた帝国軍が撤退時に破壊していった雷砲なのだが、半分の5台の修理がまもなく完了する。この5台を西の砦周辺に配置してはどうかな? 兵力不足を補えるのではないか?」


 「ほう、それは吉報だ。完成時期は?」

 「そうだな、雷砲用の陣地ができあがるまでには完成させよう」


 「では決まりだ。西の砦の周囲に雷砲陣地を5つ、至急構築することにしよう。街の復興従事者をその工事にお借りしてもよろしいですか? ベントの旦那」

 ジャクは対面に座っているクリス亭の親父ベントを見た。


 「もちろんだ。詳細はセダと打ち合わせてくれ」


 この会議は軍の方針を決める会議であるため議長はジャクに任せている。国の代表として会議の推移を静観していたらしいベントはようやく出番がきたとばかりにうなずいた。


 「はい! すぐに工事責任者に掛け合います」

 隣に座っていたセダが立ちあがって言った。


 方針が決まり、各自自分の仕事に戻っていく。

 クリウスはすぐには退出せずにその場で仲間と話し込んでいる。その二人の元にさらに数人の男女が駆け寄ってくるのが見える。


 「ラサリア、君はバクロの元に走ってこの封書を渡してくれ」

 「はい、クリウスさま! 確かにお預かりしました!」


 「フェメロンは、バゼッタたちに物資運搬の協力を依頼してきてくれ、数日中に不足物資を届ける必要がある」

 「わかった」


 クリウスの指示は速い。指示を受け、騎士の剣を帯びた幼さの残る少女が部屋を飛び出して行く。その後を追うようにフェメロンも出ていく。


 「うん、後期軍には良い人材が集まってきているようだな。あいつは農民出身だと言っていたが、人をまとめる力もありそうだ。やはり将軍向きかもしれないな」

 ジャクはその様子を見て微笑んだ。





ーーーーーーーーーー


 ここはオミュズイの街にある帝国軍最大の駐屯地。その中央本部は開戦に備えてまさに不夜城と化していた。


 ついに魔王からの勅命が下った。

 貴天オズルがその勅命を全指揮官の前で読み上げると大ホールは異様な熱気と活力で湧きかえった。


 「ズモーの旦那、獣化部隊を大森林には向かわせないのか? ああいう場所こそ本領を発揮しそうだぜ」

 深夜に亘った幹部軍議から戻る獣天を待ち受けていたジャシアが廊下の物陰から姿を見せた。

 

 「お前か……。お前には関係ないことだ。我らの軍略に口をはさむな」

 「私たちの仲なんだぜ」

 ジャシアはちらりと胸元を見せる。


 「お前とは既に終わっておる。出発は明後日、予定通りだ。いよいよ我ら本隊と共にスーゴ高原へ出陣する。獣化の姫にしっかりとその旨を伝えておけ、よいな」

 ズモーはジャシアに一瞥いちべつもくれずズンズンと進んでいく。


 「ちっ相変わらず、自己中な奴なんだぜ」

 そう言いつつ、ジャシアは別に気にする素振りもなく、ズモーの立ち去った方角とは反対方向に歩み出す。


 「ジャシア隊長、どうでした? 我々の配置場所はどうなりましたか?」

 部下のカーラが外で待っていた。

 そこにはいつもの馬車が待機しており、仲間たちの姿がある。


 「ダメだったんだぜ。正規兵と一緒に行軍することになった。配置地点はスーゴ高原の敵要害の真正面だ。俺たちを真っ先に敵にぶつける気なのかもしれないんだぜ」

 ジャシアは唇を噛んだ。


 大森林での戦闘ならば主に遭遇戦になり集団戦にはならないし、視界も悪いだろう、そうなれば戦いに紛れエチアを連れて帝国軍から逃亡することも可能だったかもしれないのだが……。


 「先陣ですかそれは厄介です、深夜ですが兵舎に戻ってからさっそく打合せをしましょう。それと獣化部隊のエチア隊長と配下の部隊長も集まっているようです、月が出ているこの時間なら念話でなくても直接会話も可能ですし」


 「わかったんだぜ」

 

 ジャシアの脳裏に銀狼と彼女の部下である狼や虎といった魔獣の姿が浮かぶ。獣化が進んでエチアも最近ではなかなか人間の姿には戻れなくなってきている。


 カインと約束したんだぜ。エチアを危険な目には遭わせない。そして獣化を解く薬を手に入れるんだぜ。


 そのために嫌々ながらあの獣天ズモーに付き従っているのだ。うまく取り入って獣化部隊の指揮官としての権限を手に入れ、帝国の機密情報にも多少触れることができる立場にもなったが、獣化薬やその治療に関する情報にはまだたどり着けていない。


 「カイン、エチアはここにいる。お前は今どこにいるんだぜ?」

 馬車に乗り込みながらジャシアは夜空を見上げた。

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