第203話 <<敵陣を駆け抜けろ ー東の大陸 サティナ姫ー>>

 夜がしらじらと開け始めた深い霧の中を石畳の道が続いていた。


 ガゼブ国の国境守備部隊の後方に配置されている兵站基地が見えている。周囲に三重もの木柵で囲んであり、備えは十分で油断している様子も一切ない。


 「さすがね、規律がとれてる」

 先頭を行くルミカーナは、頭に被ったフードの顎紐を締め直した。


 「准将、大丈夫ですかね? いよいよ敵軍の後方部隊が見えてきましたよ」

 副官の男、ドーパスがくつわを並べてぼそりと言った。


 ドーパスは一歩兵から叩き上げで副官にまでなった歴戦の兵である。いくつもの死線を潜り抜けてきた者だけのことはあって度胸が据わっている。上級貴族だというだけで指揮官クラスに任命されて後方で震えている貴族連中とは違う。


 だが、この撤退作戦を任されたルミカーナにとっては、威張り散らすしか能のない貴族であっても無事に国に帰すことが求められている。


 「国に無事に帰ることができたらなら、褒美は思いのままだ」とか「俺を生かして帰してくれれば出世は望み通りにしてやろう」とか言い出す貴族連中もいたが、そんな戯言ざれごとに付き合うほど暇ではない。

 ルミカーナの左右に侍っているのは無骨者たちだが、こいつらの胆力だけが今は頼りだ。

 

 ガゼブ国の同盟軍旗をなびかせた一軍は深い霧にも救われ、見とがめられることなくガゼブ国南方要塞群の背後に至った。


 要塞は街道の左右に4か所、計8つもの要塞がそびえている。峡谷を挟んで対峙する我が軍の第3軍はその一つすら落とせていない状況だ。

 ガゼブ国の後方兵站へいたん基地軍は整然と管理されており、乱れは一切ない。たとえ第3軍が我が国屈指の精強だとしても、これを正攻法で抜くことはやはり不可能だっただろう。

 

 「斥候によれば、峡谷にかかる橋は、主街道以外は全てガゼブ国によって破壊されて落とされていたそうだ。つまり我らが故国に帰るには一番守りの固い激戦地、この先の大鉄橋を越えねばならない」


 「まあ予想通り、作戦に変更無しということですな?」

 ドーパスがむしろ面白いという表情でルミカーナを見た。


 フードから覗くルミカーナの素顔は、これが狂戦士と敵味方に恐れられる戦士とは思えない美貌である。多くの大貴族の求愛を断ってきたと噂されているだけのことはある。


 好色な現王の手がつかなかったのが不思議とすら思えるが、直接謁見する機会がなかったのが幸いしたのだろう。


 ここに至るまでの数日、ルミカーナは策を弄して巧みにガゼブ国の目を欺いてきた。

 彼女がいなければ、各地の残存兵力を救出しつつ、この大軍勢が疑われることなくここまでたどり着くなどできなかったと言って良い。


 「予定通り、奪ったガゼブ軍の角笛を準備させておけ! 確認を怠るなよ!」

 ドーパスが背後の部下を振り返った。

 その声に付き従っていた騎士がすぐに後方に走った。今回の作戦はいかに一丸となって行動できるかにかかっている。迷ったり臆したりすればその段階で失敗だろう。


 「第3軍の連中、いつもどおり仕掛けますかね?」

 「第3軍の先鋒は焦っている。朝飯を食い終われば間違いなく攻めかかるはずだ。とは言っても、カキル将軍が負傷されたらしい、指揮を執るのは副官のジョブダス。あいつは自尊心ばかり強い大貴族出身だから、小心者のくせに他の有能な副官を差し置いて自ら将軍代行を言い出したに違いない」


 「ということは、読みどおり臆病者の攻撃になると?」

 「ああ、間違いない。あれは自ら騎士を率いて一気に橋を奪取しようなどとは考えないだろうな。第3軍は少しづつ敵軍の兵力を削ぐ作戦を続ける。橋の左右の砦に対して矢による攻撃をしかけながら、橋の上まで進出した攻城櫓を徐々に前進させてくるはずだ」

 「なるほど……」


 「第3軍が攻城櫓を前進させようとする行動は要塞から見えているはずだ。だからこそ、そのタイミングで我らが援軍の旗を掲げ、突撃の角笛と共に橋に向かってなだれ込めば、ガゼブ国側の陣からは友軍が反抗作戦に出たように見えるだろう? それが狙い目だ」


 「それで、こちらの布陣は予定通りに?」


 「先鋒はお前だ、ドーパス。錐陣をもって街道に布陣する敵守備部隊の背後から切り崩せ、そして援軍旗を掲げたまま大鉄橋に突入、橋の半ばで旗を切り替え自軍に逃げ込め、多少間違って第3軍の兵を巻き込んでも仕方がないが、こちらの第1軍の公旗を見れば第3軍も門を開くだろう。

 お前たちに続いてコモドス様がいる本隊を一気に逃がす。コドメラッザ様から授かった騎士団には殿しんがりを務めてもらう。彼らは将軍から皆を無事に国へ届けよとの厳命を受けているからな。異変に気付いたガゼブ国軍が左右から押し寄せるのを硬陣を持って防戦に徹し、徐々に撤退させる」


 第3軍と連携が取れれば要塞の一つや二つを陥落させることも可能なのだが、ここを陥落させたところで、もはや何の意味もないのは明白だ。

 むしろ、逃げきった後で、この戦場から第3軍をうまく撤収させなければならない。おそらく今はこの戦場よりも我が国の南の国境が危機的状況に陥っている可能性の方が高い。


 「ルミカーナ様はどこにおられるので? 予定では本隊の貴族連中を守って一緒に撤退するということでしたが?」


 ルミカーナが自分の事を言わなかったことに違和感を覚えたドーパスが尋ねた。このあたりの勘が鋭いのは良い事なのだが……とルミカーナは苦笑した。

 

 「我らの徹底作戦に気づいたものが尻尾に噛みつく頃だ。私は皆の撤退を見届けつつ、そいつらの追撃を攪乱する」


 「無茶です! せめて騎士団と共に撤退せねば」


 「ドーパス、私はコドメラッザ将軍から皆を頼むと直接言われたのだぞ、将軍があそこに留まったその思いがここにあるのだ」

 ルミカーナは拳を握って胸を叩いた。


 ドーパスは言葉が詰まった。

 将軍自ら足止めとなって我らを逃がしたのだ。

 その最後の思いを託されたのはルミカーナなのである。


 ここ数日のルミカーナの決意と行動には今回初めて彼女の指揮下に入った者も含め、全員が彼女のためになら死ねると誓うのに十分だった。

 その彼女を危険にさらすことなどできない。

 だが、将軍が皆を故国に帰すよう託されたルミカーナが一度決めたことを変えることはないだろう。


 「わかりました。ご武運をお祈りいたします。ですが、撤退が完了するとみれば合図を上げます。それをお聞きしたならば敵に後ろを見せたとしても、必ず逃げ、その命を無駄にしないとお誓い下さい。そうでなければ、私も一緒に残りますぞ」


 「ふふっ、お前ならそういうだろうと思ったよ。大丈夫、将軍が言われた皆の命には私自身も入っている。つまらぬ意地で敵の中に踏みとどまって犬死などしないよ」


 「約束ですぞ、ルミカーナ様に精霊のご加護あらんことを!」

 ドーパスは剣の柄に額を当てて祈った。



 ーーーーーーーーーー


 峡谷を吹き上げる風が、早朝から辺り一面に立ち込めていた濃い霧をなだらに散らしていく。


 「敵の矢は収まりました。警戒継続します!」

 「よし、警戒を怠るなよ。こっちは誰も怪我人はいないな。本部に連絡しろ。……敵も毎日よくやる。どうせ効かないのにな」

 街道につくられた防塁の中で紅一点の女隊長が外を覗いた。


 兵士達ももう慣れたものである。

 いくら矢を撃って来ても防衛策は講じてある。それに敵も矢が無尽蔵にある訳ではない。毎朝の挨拶のような一斉射が過ぎれば、お昼頃まで静かになるだろう。


 敵の矢が途絶えて、ほっと息を抜いた瞬間である。

 背後から大勢の靴音が響いてきた。

 そのことに気づくのに遅れたのは、敵が一斉に放ってきた矢が周囲に降り注いだ直後だったからである。


 「隊長! 後方から援軍が到着のようですよ」

 物音に気づいて確認のためドアを開けた兵が振り返った。


 「援軍? 聞いていないな。本営から何か連絡があったか?」

 「いえ、自分は確認しておりません」


 「おかしいな」

 防塁から出て見ると周囲の防塁の連中も「何だ何だ」と外に出て来ている。やはり誰もその到着を聞いていないようだ。


 その時だった。

 ガゼブ国の突撃を意味する角笛が高らかに鳴り響き、その音が要塞の石壁に反響し峡谷に反響した。


 深い霧は未だに要塞の視界を奪っており、街道と峡谷にかかる橋の付近のみ霧が晴れている。


 ドドドドド! と物凄い地響きが迫った。


 「あ、危ない! みんな逃げろ!」

 隊長の声に、防塁にいた兵士たちが血相を変えて逃げ出したのと同時に、街道を溢れるほど広がった軍勢が姿を見せた。

 勢い余って幾つも味方の柵を破壊しながら、歩兵と騎士団の混成部隊が猛然と大鉄橋めがけて駆け下りていく。


 「な、何だ? 反抗作戦があるなんて聞いてねえぞ!」

 「危ねえじゃねえか!」

 街道の脇に逃れた兵たちが一斉に怒号を上げるが、目の前を突っ切っていく軍はどれほどの規模なのか、途絶える気配がない。

 

 「何だ、この規模? 本気で? 極秘の大反抗作戦か? こんな軍がまだ予備兵力としてあったのか?」


 「おい! どうした! これは何だ! 何が起きている?」

 要塞の方から誰かが走ってきた。


 この霧のせいで、下で何が起きているのか要塞の上からではわからなかったのだろう。だが妙だ、本部の者も知らないような大規模反抗作戦が実施されているというのか?


 「あれは、エイ国の旗でしょうか?」

 経験豊富な兵が旗を指さした。

 「同盟軍だというのか? いや、おかしいだろ? 他国の軍が先頭を切って突撃するわけない!」


 駆け抜けた軍団が大鉄橋の半ばに差し掛かった頃に、ようやく敵の反撃が始まった。先頭は重装騎兵なので、通常の矢は弾いているようだ。


 「おい! あれを見ろ!」

 誰かが叫んだ。


 大鉄橋を渡る軍団の同盟軍旗が次々と投げ捨てられ、替わって見知った軍旗が高々と掲げられた。


 「あれは、東マンドの軍旗!」

 「まさか、こいつら、東マンド軍!」

 驚愕が現場の混乱に拍車をかけた。

 信じられない光景に、誰もが武器を手に取ることすら忘れ、目の前をかけていく軍勢を呆然と眺めている。


 ブオオオオオーーーーーー! と新たな角笛の音が鳴り響き、ようやくガゼブ国の兵達は我に返った。


 異変に気付いた要塞の一つが大鉄橋を渡る敵軍を確認したのだ。要塞の守備兵が慌てて出撃した。

 敵軍は、峡谷の向こうの敵陣に入っていくが、まだまだ渡り切ってはいない。


 「気づかれたぞ! 急げ!」

 東マンド国の誰かが叫ぶのが聞こえた。


 自軍の兵を守るためだろう、大鉄橋のガゼブ国側の左右に東マンド国の騎士達が大盾を構えた陣を形成した。その間を多くの歩兵が逃げていく。


 要塞から出撃した軍は急ごしらえのためか装備も数も足りていないようだ。

 

 「さらに北方から迫る一団見ゆ!」

 大混乱に陥っているものの、要塞の警戒網はしっかり機能している。見張り台に立っていた兵の一人が叫んだ。


 「この混乱にさらに新手か! 確認しろ! 敵の数は? 第3要塞にも通報、連携を急げ!」

 要塞を預かる指揮官が血相を変えて叫んだ。


 「敵軍は騎馬隊です! その数、約2千騎、あっ、あれは!」

 「どうした! 報告は正確に伝えろ!」


 「あれは、友軍です! ガゼッタ様!」

 「なんだと?」

 「あれは、王都守備に就いていた騎士団の旗です! あれは味方です!」



 ーーーーーーーーー


 「ようやく追いつきましたね!」

 「ただじゃ帰さない、お尻に食らいつくわよ! アクセラ! 全員抜刀ッ!」

 先頭を走る騎士シャルロッテは逃げる東マンド軍を睨んで剣を抜いた。


 「急ぎすぎです! 敵もバカじゃありません、防御陣を組みながら退却していますよ!」

 騎士アクセラも剣を抜く。


 「突撃!」

 シャルロッテの声で騎馬隊は殿しんがり軍の盾列に突っ込んだ。こうなると誰も彼女を止められない。アクセラも意を決して突撃した。

 

 敵の歩兵の最後尾は騎士に守られながら既に大鉄橋の半ばを過ぎている。橋のたもとで最後まで守っているのはせいぜい50人程度だ。


 だが、その大盾の守りが硬い。対騎馬の突撃防御魔法陣が突然突撃した騎馬隊の足元に展開した。


 真っ先に盾兵の中に突っ込んでいたシャルロッテの馬の脚が砕けた。シャルロッテが倒れる馬の背から飛び、敵騎士の背後に降り立ったのが見えた。彼女はそのまま大鉄橋を走り、逃亡する歩兵に斬りこむ様子だ。


 「まったく! 無茶ばかりして!」

 騎士アクセラも馬を捨て、敵兵の頭を踏み台にして飛んだ。

 

 「我が故郷を踏みにじった奴らめ、許さない!」

 シャルロッテが逃げ遅れた歩兵に迫る。つまづいて転んだのはまだ若い兵だ。だが敵は敵、容赦などしない!


 長剣が閃く。

 キーーン!

 その一撃が金属音と共に弾かれた。

 思いがけない反撃に目を見開くシャルロッテの前に、黒髪を華麗になびかせた美女が立ちふさがった。

 

 「早く、逃げなさい!」

 「ルミカーナ様!」

 倒れていた少年兵が立ち上がって叫ぶと、少年兵は後ろを振り返りながらも逃げ出した。


 「シャルロッテ! そいつは強敵だ! 気を付けろ!」

 追いついたアクセラがシャルロッテの隣に立って剣を構えた。ルミカーナと言ったか? 聞いたことがある。氷の狂戦士と恐れられている女だ。


 「ここから先は通しませんよ!」

 ルミカーナが叫んだ。


 目の前の美しい騎士は兵装から見てもただ者ではない。そこそこの身分の者だろう。氷の狂戦士と言われるだけあって、剣を構える姿からもただならぬ気配を感じる。


 ルミカーナと対峙する二人の背後から東マンド国の大盾の騎士たちが続々と退却してくるが、そちらに構う余裕などない。

 今、ちょっとでも気を散らせば首が飛ぶ。その女騎士と向かい合っていると、強者の気配がひしひしと伝わってくるのだ。


 やがて、二人の背後に要塞から出撃した騎士たちも押し寄せたが、剣を抜いて向き合う三人の無言の攻守の気配に圧倒され、誰もそれ以上進めなくなった。


 じりっとシャルロッテが間合いを詰めた。それと同時にアクセラも動く。


 「はあっ!」

 シャルロッテの剣が鮮やかな円弧を描く。

 甲高い金属音がしてその剣が弾かれ、同時に反対側から迫ったアクセラは腹に蹴りを入れられて数歩後退した。


 太刀筋正しい剣技だけではない、荒っぽい集団戦に慣れた者の動きだ。これは不味いな、とアクセラは唇の端に滲んだ血を拭った。


 シャルロッテも自分も騎士としての正攻法の攻撃ならば負ける気はしないが、この敵は違う。無数の敵刃に身をさらして生き残ってきた者が持つ勘の鋭さ、奇麗ごとで済まない戦い方というものを熟知している動きだ。


 「気を付けろ、この女、氷の狂戦士と呼ばれる奴です」

 「面白いじゃない、二人がかりでも一撃で倒せないなんて、こんな奴初めてよ」

 シャルロッテが唇を舐めた。


 不味い、シャルロッテの本能に火が付いた。シャルロッテが自身で封印していた野獣の血が蠢くのが分かる。


 「弾け飛べッ!」

 シャルロッテが剣を振るった。


 「くっ!」

 さっきまでとは比べものにならない速さと力に、受けたルミカーナが両足に力を入れた姿勢のまま後方に移動していた。

 しかし、覚醒状態のシャルロッテのあの剣を受け止めるのか! それだけでもルミカーナの能力の高さが分かる。アクセラの目ではシャルロッテの剣筋はまったく見えなかったのだ。

 

 シャルロッテの父親は獣人だ。そのことで差別を受けることもあったが、すべての偏見を彼女はその実力で払拭してここまでの地位にのし上がってきた。高機動索敵小隊を率いる騎士シャルロッテ、彼女はガゼブ国で三本指に入る剣の実力者なのだ。

 

 甲高い金属音が途絶えない。

 橋の真ん中で二人の剣が幾たびも交差する。

 二人の繰り出す剣技、その連撃と回避の速さは人間技ではない。


 もはや誰もそこに介入できない。普通の人間にはせめぎ合う二人の攻守を息を飲んで見守るしかできない。常にシャルロッテの傍らにいたアクセラですら一歩も動けないのだ。


 「ちっ、あなたのせいで逃がしちゃったじゃない!」

 「逃がしたんです、私の役目は終わりました」


 既に東マンド国の兵は自軍の陣地に逃げ込んでしまった。これ以上の追撃は無意味だ。どちらも後退すべきなのだが、今は目の前の敵から意識をそらした瞬間に斬られそうで引くに引けないのだ。


 「やるじゃない、貴女のような者がガゼブにいたなんてね、覚えておくわ」

 「それはこっちのセリフです、氷の狂戦士」

 ルミカーナとシャルロッテは剣を正面から合わせながら、嬉しそうに微笑んだ。

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