第160話 邪神竜との戦いとカインの帰還

 右の邪神竜の動きがわずかに一瞬コマ送りになった。

 「!」

 アリスを吹き飛ばすかに見えた尾がタイミングを外して崖を叩き割る。激しい衝撃波が吹き荒れた。


 「何か起きた。もしかすると御魂箱との連携が切れた? 今だわ、チャンスよ」

 クリスは術を込め、ポンポンと手の平で竜の頭を軽く叩く。


 「黒ちゃん。起きて。寝ている場合ではありませんよ」

 その刺激に黒飛竜が目を覚ました。地面に激突する直前に体勢を立て直し上昇に転じる。


 羽ばたきによる風圧が大気を揺るがし、大地から生えた巨岩すら軽石のように吹き飛ばされていく。


 アリスが空中で鎖を鞭のように振るった。

 鎖が弧を描いて、生きた蛇のようにうねくりながら長く伸び、邪神竜の首に向かって走る。


 黒飛竜が黒い影のように地面スレスレを飛んで再接近する。邪神竜がアリスを踏みつぶそうと前足を上げたのをクリスは見た。


 アリスがその腹部の前を落下していく。


 クリスは微笑んだ。

 次の瞬間、アリスは消えている。


 邪神竜が前足を地面に叩きつけた。地響きとともに裂けた大地が跳ねあがって真下から鋭利な岩片が飛び、黒飛竜は旋回してそれをかわした。


 上昇から下降に転じて、真空渦の側面を猛烈な速度で邪神竜に近づく。


 邪神竜の首の後ろから前方にかけて黒い鎖が垂れ下がっているのが見える。


 「眷属化の術を使いますよ。できますね?」

 クリスは風切り音に負けない声で叫んだ。


 「はい、お姉様!」

 右角の前にアリスの姿があった。転移術で移動してきたのだ。


 「やり方は分かりますね! 眷属化を三段重ねで行きます。同調しなさい。奴を貴方の愛玩獣ペットにしてやりましょう!」

 クリスが拳を突き出す。


 「はい!」

 アリスがそれに答えて同じように拳を軽く突き出した。

 姉妹は互いに見つめあって微笑む。


 「「暗黒術! 竜縛鎖招来!」」

 二人は息ぴったりだ。

 両手をパンと叩いて、術を解放する。


 邪神竜の首から垂れていた竜縛鎖が光った。それ自体が生物のように蠢き、長く伸びると首の前で鎖の先端同士が絡み合っていく。その様子はまるで蛇である。


 同時に邪神竜の足元に暗黒空間が現れ、その巨体を包み込んでいった。その暗黒空間には大きさという概念は無い、いくら巨体でも関係が無いのだ。


 「私に従うのです! 私が共にいる限りその闇を払いましょう! 神竜としての英知と理性を取り戻しなさい!」

 アリスが胸に白い光を宿して叫んだ。

 同時に右の邪神竜が最後の雄叫おたけびを上げた。竜縛鎖が発光し、その眼の狂気に染まった赤い光が青く変わっていく。


 直径数キロの法螺貝が鳴り響いたような雄叫び。そこに含まれた超低音が同心円状に広がり、突発地震のように一瞬で周囲の山々を打ち砕いた。


 その巨大な声は大気を振るわせ、遠く魔王国帝都ダ・アウロゼの上空にまで伝わった。音が消滅した直後、今度は急激な大気の変動によって各地に突然の落雷が発生し、同時に巻き上がった赤い砂混じりの深紅の雨と激しい降雹をもたらしていった。


 穴熊族が住む峡谷に大きな地震をもたらすほど響き渡った声とその後の天変地異は、多くの穴熊族の村を大パニックに陥れたのである。



 ーーーーーーーーーー


 カインの眠るベッドの前にテーブルが置かれていた。


 テーブルの上には神聖さを感じる魔法陣が描かれ、中央に御魂箱がある。発光する魔法陣はミズハでなければ発動できない高次の術式だという事は誰の目にも明らかだった。


 「これから魂を元の肉体に戻す術をかける。肉体がある者は自分の肉体に、既に肉体が失われている者は天に、魂は自らあるべき所に戻るのだ」


 セシリーナたちは壁際でミズハのマントを被ってその様子を見ている。危険は無いはずだが万が一に備えてである。

 稀に肉体を失った魂が邪霊になってそこにいる者に取りつこうとする場合があるらしい。魔法防御のマントはその侵入を防ぐ効果がある。


 既にミズハの長い詠唱が始まっていた。

 蝋燭の火が揺らめき、白い箱の表面にその影が揺らめく。


 ミズハは踊るような身ぶりを加え、さらに詠唱を続ける。


 美しい銀色の髪がなびき、非常に神秘的に見える。白いしなやかな手足を伸ばし、幻想的に軽やかに舞う。澄んだ瞳が輝いている。知らない者が見れば女神が舞っていると思うくらいの美しさだ。


 やがて、その杖が輝きを増し、天を差し、地を差し示した。

 ボボボッと火が揺らめいて、何の前触れもなくミズハの詠唱は静かに終わった。


 「全て終わったぞ。出てきて良い。御魂箱は解放された。既にこの箱は空っぽだ」

 少し安堵したのか、ふぅと息を吐いてミズハは額の汗をぬぐった。


 「カインは? カインは無事なの?」

 セシリーナがベッドに駆け寄る。

 「カイン!」

 リサも続く。

 二人とも祈るようにカインの手を握りしめた。セシリーナはともかくリサも恋人を案じる乙女そのものだ。どこか大人びた気配すら感じる。


 「どうですか? 成功しましたか?」

 リィルがミズハの顔を覗き込む。

 いつもカインに悪態をついているが、彼女なりに心配しているのだ。ミズハはその肩をポンと叩いた。


 「私が失敗するわけないだろう。大魔女ミズハだぞ」


 見つめる4人の前でむくっとカインの布団が動いた。動きに敏感になっていた4人の目が同時にそれに気づいた。


 「こ、この男は……!」

 リィルがぷるぷると震えた。


 「?」

 リサが首をかしげた。


 「リサ、カインは大丈夫だったみたいだから、ちょっとあっちに行ってましょうか?」

 セシリーナが顔をひくつかせて言った。


 「えー、どうしてーー? どうしてーー?」


 「まったく……」

 ミズハは額を押さえた。


 カインは寝ている。それは間違いない。魂が戻って今は安眠状態なのだ。そして異様にあそこだけが元気になった。


 アレが、どうだ戻ったぞ! とばかりに自己主張している。


 「こっちはこんなに心配して、大変な目にあったというのに、この男は!」

 リィルが不意にカインの股間に肘鉄を喰らわそうとしたのを、セシリーナが危機一髪で止めた。

 その危険な気配を感じ取ったのか、パチと突然カインの目が開いた。


 「カイン!」

 セシリーナがその手を握る。


 「お、おう。みんな。俺はどうしていたんだろう? 何か妙な夢を見ていたような気がする……」

 カインが身を起した。


 「貴方は、邪悪な考えの者に拉致されていたのよ」

 「そう言えば、神殿から連れていかれたんだ。少女が骸骨の化け物に変わって、それで変な機械のある部屋で手足を拘束されて……、もしかして改造手術でも?」

 俺は慌てて体を調べるが、異常はないようだ。


 「何だ? その改造手術って?」

 「いや、キメラとかあるだろ? あの部屋にはそういう魔物の標本もあったんだよ」


 「大丈夫よ、キメラにされたりはしていないわ。でも貴方はこの箱に魂を封じられて、よりによって邪神竜復活の依り代にされるところだったのよ」


 「ああ、そうだったのか、何となく妙な儀式の真ん中に座っていたような気がする。助けてくれたんだな……少しずつ記憶が戻ってきたよ」

 次第に記憶がはっきりしてくる。俺はこの箱の蓋と一体化していた。蓋が顔になったみたいなもので、箱の周りで起きた事は全て目撃していたのだ。


 「リィルがこの箱を奪還して、ミズハが貴方を呼び戻す術をかけてくれたのよ。本当に良かったわ」

 セシリーナが涙を浮かべて俺の胸に顔を埋めた。

 俺はセシリーナを抱き締めた。


 その向こうに鼻高々で得意げな表情のリィルがいる。


 「そうだったのか。リィルも、あ、ありがとう」

 俺は顔を染めてうつむき加減に礼を言う。


 「何だか、妙ですね。その反応。どうして私の顔を真っすぐ見ないのです?」

 こんな時のリィルは聡い、俺の微妙な態度を見透かした。


 ミズハが、ポンと手を叩いた。


 「御魂箱の中ではみんな裸だと聞いたことがあるぞ。それでか? リィルに助けられ、抱えられている時にカインは真っ裸で抱えられていたような感覚だったに違いない。男としてそれはかなり恥ずかしいだろうな」


 「なんだ、知っていたのか」

 俺はほっとした。


 「みんながみんな裸だったのでな。目のやり場がな、それに気まずくてな。はははは……」


 「ちょっと待て、みんなとは誰の事だ? 中の人間同士だけではないのか?」

 急にミズハの顔が怖くなった。


 アレ変だ。言い方を間違えたのだろうか。


 「“みんな”と言いましたよ。こいつ。まさか、御魂箱の中から見た外の世界の人間もみな裸に見えているのでは?」


 「はははは……そうだけど、魂の話だよ。魂は服を着てないだろ。だから……」


 ミズハが赤くなった。カインの目の前で真っ裸で踊っていたようなものなのだ。


 だが、それ以上にリィルが真っ赤に急騰した。


 「は、は、裸って、私は箱にまたがったんですよ」

 「大丈夫何も見ていない」

 俺は壁の木目の数を数えた。まさか、お前が全裸で俺の顔にまたがってきたんだろ? などとは口が裂けても言えない。


 ぷるぷる震えていたリィルが崩れ落ちた。


 「うぎゃーー! お嫁に行けない!」

 木目が一つ、木目が二つ……。

 セシリーナの顔も怖い。

 俺はそれ以上誰とも視線を合わせないようにするのが精一杯だった。



 ーーーーーーーーーー


 「そうですか、そんな事があったのですね」

 アリスが俺の右手を握って優しく言う。


 「カイン、無残」

 クリスが青あざを作った俺の顔を冷たいタオルで拭く。


 ぷんすか怒ったリィルはどこかに出て行ってしまった。


 「それで、その邪神竜は確保したのだね?」

 ミズハがアリスに言った。


 「ええ、生と死を司る黒森竜です。眷属の地位を与えましたので、今は慣らすために私の中の異空間で眠らせています。居心地が良いのでしょう、暴れることもなく。本来は大人しくて良い竜なのですよ」

 アリスが微笑んだ。


 「これで3姉妹全員が邪神竜持ちか。ますますお前たちを敵にはまわしたくないな。カイン、お前は特に気をつけることだな。失恋させたりして彼女らの誰か一人がヤケを起こしたらそれだけで世界が滅ぶ危機だ」

 ミズハがつぶやく。


 「まぁ、ミズハ様が敵になることはありませんよ」

 「今はね、そうだな」


 俺は傷ついた心を癒すべく、優しいクリスに甘えてその膝枕に横たわっている。クリスは優しく俺の髪を撫でる。

 俺の事を大好きだと言う美少女の膝枕は最高である。見上げると美乳越しに嬉しそうに優しく微笑むクリスがいる。か、かわいい。本当に惚れる。これで周りに誰もいなかったら押し倒していたところだ。


 どたどたと廊下に足音が響く。


 「カイン! ご飯の準備ができたよー!」

 元気一杯のリサが扉を開けた。


 「セシリーナさんは?」

 「今、リィルを見つけて帰って来たよ。下の食堂で待っている」


 「そうか。じゃあ、みんなで行くか。このメンバーで食事というのもなかなか出来ないからな。ありがとうよ。クリス」

 俺が礼を言って身を起こすとクリスは少し顔を染めた。


 「私は、いつでも、かまわない」

 いつもの強引なクリスよりも、今日のように控え目な方がグッと来る。そのかわいい笑顔には心が揺さぶられる。


 「さあ、イク」

 クリスが俺の右腕を取った。

 「久しぶりだから私も。いいですよね?」

 アリスが俺の左腕を取る。


 二人がその魅力的な胸をぐいぐい押し付けてくるので思わずにやけてしまう。

 そんなまんざらでもない様子を見てチャンスと思ったのか、二人が不意に両側から俺の頬にキスをした。


 俺はデレデレと鼻の下を伸ばしたまま、廊下に出ると両手に花で階段を下りた。

 だが、その背後で両拳を腰に当てたセシリーナが仁王立ちしているのを俺はまだ知らなかった。

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