第271話 サティナ上陸、南へ南へ

 「ここが暗黒大陸なのですね」


 ついに来た。


 カインがいる大地が広がっている。その光景が少しだけにじんでいるのはなぜだろう。


 「早くカインに会えますように」とサティナは想いを込めて祈った。


 「ちょっと見には何の変哲もない港街ですわね。これが魔族の大陸とは思えませんわ」

 祈るサティナの隣でミラティリアは屈託ない笑顔で手を額に当てて眺めている。


 「そうでもないぞ、上を見ろ」

 ルミカーナが遠くの空を見上げた。

 そこには翼を持つ魔人のような者が飛び交っている。あれを見ると中央大陸が暗黒大陸と呼ばれる訳が分かる気がした。あんなのは東の大陸にいない。


 三人の乙女を乗せた船は白波を立てて港へ入って行く。


 水夫たちは記憶が無いと言いながらも、入港した場合のルール等はしっかりと覚えているようだ。入港に必要な旗を船尾に掲げただけで、警戒中の帝国軍の艦船が近づいてこない。


 「上陸する準備を急ぎましょう、ミラティリア」

 「そうですね、先に戻ってますわ、サティナさま」

 二人はそう言って客室に戻っていった。


 「ついに来たわ。カイン!」


 サティナ姫は近づく埠頭を眺めて微笑んだ。

 たくさんの人々が働いているが、つい一人一人の顔を見てしまうのは、カインがいるかもしれないと思ってしまうからだ。


 思えばこの航海は、荒れ狂う海を3日間もかけて越えなければならない時が最大の試練だった。あの海を抜けたあとの数日はあっという間だった気がする。


 少々の波では船酔いすることはもはや無い。


 「よし! 私も上陸準備ね、上陸したら南へ向かうわ! 新王国ってところに向かえばカインに会えるはずよ!」

 クーガの話を分析して出した結論がそれだ。彼と別れたあと西に向かったカインたちはおそらく今頃は目的を遂げてリサという王女を新王国に届けようと動いている頃だ。


 「待っててね、カイン! サティナが参りますわ!」 

 サティナは意気揚々と客室に戻った。



 ーーーーー


 貿易が行われなくなって久しい港町はどこか寂れていた。


 軍の造船所があるため、最近は一時期賑やかさがあったが、戦争が始まって急に造船が休止になったことで、港町は再び活気を失い、路上を行き交う者も少なくお店も大半が閉まっていた。


 ギィーギィー……

 くたびれた宿屋の階段を軋ませながら、誰かが上がってきた。

 ガチャリと合鍵を回して白髪の男がドアを開けた。


 「お客さん方、もうじき夕食になるが、どうなさるかね? 食べるかね?」

 だが、返事は無い。


 「まだダメじゃな」

 高齢の宿屋の主人が肩をすくめて戻ろうとした。


 その時、軋み音を立てながらトイレの扉がわずかに開いた。


 「て、亭主……済まない。今日は水だけで……ううっ!」

 ルミカーナはバケツを片手にまたも口を塞いだ。


 「困ったお客さんたちじゃ。せいぜいベッドを汚さないでくれよ」

 そう言って老人は階段を下りていった。


 「す、すみませんね、ルミカーナ……」

 ベッドの上で青い顔をしたサティナが身を起こした。

 反対側のベッドではミラティリアがほとんど死んでいる。目は開いているが身じろぎもしない。


 「じ、従者の務め……、当たり前のこと……おえええ……」

 ルミカーナがバケツを抱いてへたり込む。


 「こ、これが陸酔おかよいというものなのですね」

 サティナは天井を見つめて力なくつぶやいた。

 地面が動いていないのに、まだ揺れている気がするのだ。全身が強張って肩が痛い。

 カインは海なんてへっちゃらだと言っていたのに、と昔の事を思い出した。


 「カイン……早く会いたいのに……」

 サティナは額を押さえた。

 せっかく上陸したのに足止めとは情けない。明日は動けるだろうか……




 ーーーーーーーーーー


 「まったく硬い肉なんだぜ」

 ジャシアは揺れる装甲馬車の上で干し肉をかじった。

 馬車の周囲には同じような装甲馬車が泥をはね上げながら並走していた。


 勇ましい先手の角笛が次々と吹き鳴らされるのが前方から聞こえている。


 「ぺっ、ズモーの奴、大袈裟なんだぜ」

 ジャシアは肉に残っていた骨をぺっと吐き出した。


 獣天の軍はオミュズイの街を出て各地の帝国軍と合流しながら帝国新道を一斉に南下している。


 獣人で構成された屈強な軍隊が姿を見せると、他の帝国軍の注目が集まった。ただでさえ最強と謳われるのに、今回はその獣人部隊ですら一目置く存在が混じっている。


 獣天ズモーの秘密兵器と言われる獣化部隊である。

 恐ろしい魔獣から構成される部隊を率いて先頭を行くのは装甲馬車の一団だ。


 大きな銀狼を御者席に座らせ、その頭を撫でている赤い髪の妖艶な女はどうにも目立つ。

 ジャシアたちに追いつかれた先鋒部隊の輜重隊の兵たちが「あれは傭兵部隊だぞ」と荷車を押しながら噂しているのが聞こえてくる。


 「なあ、エチア。獣天ズモーは獣化部隊を新王国に見せびらかす気らしい。恐れさせて、夜の暗闇に紛れて奇襲戦をするつもりらしいんだぜ。新王国の連中、中でも囚人都市出身の連中は ”人間くずれ” の恐怖を身に染みて知っているから、効果は抜群だろうぜ」


 グルルル……と隣で銀狼が唸った。


 「そうだな、あんまり無茶はしなくて良いんだぜ。怪我でもしたらカインが悲しむからな。それに帝国としては獣化兵に活躍させたいとは本当は思っていないんだぜ。今回は帝国威信をかけて貴天まで出て来ているんだからな。あくまでも攻撃の主体は帝国兵、獣化部隊は心理戦として利用するって感じだろうぜ。なにしろアレを使う気らしいからな」

 そう言ってジャシアは後方を振り返った。


 遥か後ろの平原に砂煙が高々と上がっている。進軍は呆れるほど遅いが、その地響きの音はここまで聞こえてくる。

 銀狼も気になるのか頭を上げて時折耳を動かしている。


 「エチアは初めて見るか? アレは世界最強の攻城兵器だぜ。今回の討伐軍はアレを使うほど本気なんだぜ。新王国軍などアレが前に出ただけで壊滅だろうな」


 ジャシアは後方を威風堂々と進む貴天の本隊を眺めた。


 高楼を備えた陸上戦艦とでも言うべき帝国軍の誇る楼閣式大型戦闘指揮車が見える。


 その高楼のベランダに貴天の姿があった。


 「まるで魔王様気取りなんだぜ」

 つぶやいたジャシアは目を細める。

 貴天の傍らに誰かが出て来る。

 へえーー、あの美少女が最近貴天がお気に入りだという噂の女官なんだろうな。


 無口で表情のないまるで人形のような美少女。噂では貴天の愛人だという話だが、あんな人形のどこが良いのか。


 「貴天も顔に似合わず変態なんだぜ」

 ケッと口を歪め、ジャシアは改めて銀狼の毛並みを整えた。



 ーーーーーーーーーーーー


 路地裏を歩いていると背後からつけてくる者がいる。


 まったく……ラサリアはため息をついた。


 まだ治安が良くないのだろうか?

 私が幼い子どもだからって誘拐でもするつもり?

 いくら聖都と名前を変えたとは言え、数か月前までは囚人都市だったのだ。あの頃とこの辺りは変わっていないのか。


 「誰なの?」

 ラサリアは剣に小さな手をかけた。


 最前線のスーゴ高原から聖都に戻ったばかりで不審者に付きまとわれるなんて……


 その時、後を付けてきた者が塀の影からひょこっと顔を出した。

 

 あ!

 その懐かしい顔にラサリアの緊張は一気にとけた。


 「やっぱりラサリアじゃない!」


 「キララお姉ちゃん!?」

 そこにいたのは姉のキララだ。


 キララはちょっと見ないうちに急に大人っぽくなった気がする。そう言えば3歳年上のキララは15歳だ、ちょっと早いが種族によってはもう成人と言って良い年齢だ。


 「ラサリア! お帰りっつ!」

 キララは嬉しそうに駆け寄ってきた。


 「ただいま、お姉ちゃん!」

 「見違えたわ、すっかり騎士じゃない! ちょっと見ただけじゃラサリアかどうかわからなくて様子を見ていたの」


 そう言ってキララはラサリアの姿に目をパチパチさせた。


 長剣を腰に下げ、まるで新進気鋭の冒険者のようだ。たった数か月で少し膨らんだ胸と伸びた手足が成長の証か。


 今までの栄養不足を取り戻して一気に成長したって感じね。

 もしかすると自分よりスタイルがいいかも……キララは自分の胸を撫でた。


 「後をつけていたのに気づいてた?」

 「もちろん気づいていたよ。みんなは元気? ラッザはどうしてる?」

 

 キララはラサリアが微笑むのを見て涙が出そう。昔だったら考えられないほどこの子はカインに会ってから人が変わった。


 そう、ラサリアはあの日からずっとカインに恋している。恋がこの子を変えたんだ。


 「みんな元気よ、元気いっぱい! 今はみんなでお店をやってるの。ラッザも毎日パンを焼いているわ」

 「わあ、それって素敵!」


 みんなというのは囚人都市で一緒に暮らしていた孤児たちだろう。未来に絶望していた仲間たちが新たな生活を始めている。それは以前なら考えられない変化だ。やはりこの聖都の復興の中心になっているのがデッケ・サーガの商人組合だというのが影響しているのかもしれない。


 「でもラサリアはどうして聖都へ? 見習い騎士でも今は大変な時期なんじゃない?」


 「ええ、私たち見習いは王女様の身の回りのお世話と近辺警護が任務なんだって」

 「まあ、凄いじゃない! 王女の警護だなんて!」

 キララは目を丸くした。

 かつての囚人の娘が王女の警護だなんてとんでもない出世としか思えない。


 「別に凄くないよ。年齢的に王女様に近いからだよ。強い兵は前線に集められているから、私たちのような見習いは足手まといになるだけ。だから後方に送られたんだと思う」

 「ふーーん、そうなんだ」

 「でもせっかく戻ってきたから、これからお師匠様に挨拶して来ようと思っているの。まだ修行中なのにこの戦争でしょ? 本当はもっともっとお師匠様の所で修行したいんだけど」

 「そうか」

 二人は復興した街を眺めながら歩いている。


 かつての帝国軍の砦は解体され、広くなった王宮広場には多くの露店が出て、活気に満ちている。もちろん品揃えも以前とは雲泥の差だ。


 「帰ってくるたびに街が新しくなってるね」

 「私たちだって頑張っているのよ。落ち着いたらお店に案内するわ」

 「うん、ラッザにも会いたいし」



 「おおい! キララーーーー!」

 その時、通りの向こうから袋一杯の野菜を抱えた青年が手を振って走ってきた。


 「だれです?」

 「えへっ、彼よ、彼! ベゼロって言うの。最近お付き合いを始めたのよ」


 「へえーーーー!」

 びっくりだ。

 大人っぽくなったと思ったら、そう言う事!

 ラサリアはキララの嬉しそうな横顔を見上げた。


 「おや、こちらの可愛い騎士さまは誰だい?」

 べセロは人が良さそうな好青年だった。

 歳はキララより何歳か上だろう。


 「ほら、前に話した私の自慢の妹のラサリアよ」

 「うわあ、君がキララの妹か! どうりで可愛いわけだ!」


 「こちらはべセロ、魔王国の帝都ダ・アウロゼ出身なの。私たちのお店でパンやお菓子づくりの先生をしてもらっているのよ」

 帝都出身ということはクリスティリーナを信奉して囚人都市を開放した前期兵の一人だろう。


 「先生だなんて。たまたま実家がお菓子屋だからね。その知識で手伝っているだけさ。よろしくね、ラサリア」

 べセロは明るく笑って握手を求める。


 「いい人じゃない。良かったねお姉ちゃん」

 ラサリアは握手を交わすと、ニヤニヤしながら姉をひじでこづいた。


 「あなただってカインにゾッコンじゃないの」

 「私なんか、まだ全然釣り合わないよ」

 顔を赤くしたラサリアを見てキララは微笑む。



 「――ねえ、君たち。ちょっと道を尋ねたいんだけど、右曲がり亭分店ってどこか知ってますか?」

 不意に三人の背後で声がした。

 振り返ると、職人だろうか。質素な仕事着を着た少女が一人立っている。


 「右曲がり亭分店ですか? とても有名な宿屋ですよ」

 べセロが答えた。


 「ほら、クリスティリーナ像がある広場があったでしょ? あの近くの大通りの角ですよ」


 「まあ、そうですか! いつの間にか通り過ぎてしまったというわけですね? まぁ、時間に遅れてしまいます」

 その少女は困ったような顔をした。


 「方向が同じですから、一緒に行きましょうか?」

 「えっ、良いんですか! 助かります!」


 「それにしてもその服、あなたは職人さんですか?」

 キララが珍しそうに彼女の作業着を見た。

 聖都では本格的な作業着を着た職人は見たことがないので、ずっと北から来たのだろうとすぐにわかる。


 「私ですか? 私は大湿地ヨーナ村のクラベル・カノ・フィリアスといいます。職人としてネルドル様に呼ばれてここに来たんです。宿で落ち合う予定なのです」

 にっこりと笑う美少女だ。


 「ネルドル様?」

 三人は顔を見合わせた。

 誰も聞いたことのない人物である。


 「ああ、知らないのも無理はありませんよ。ネルドル工房は最近設立された工房でネルドル様はそこの親方なんですよ」

 「へえ、そうなんですね」


 「ところで、さっきカッインがどうしたとか言っていませんでした? そのお方って、もしかしてボロ長靴とへんてこな骨棍棒が目印の方ではないですか?」


 「え? そうだけど……どうしてカイン様の事を知っているの?」

 ラサリアが目を丸くした。まさかここでその名が出てくるとは……。


 「やっぱり! カッイン商会のボロ長靴のカイン様ですよね? 実は、私はカイン様専属職人にしてもらったんです。カッイン商会の扱う商品を専用に作るようにと言われてまして」

 そう言って少し頬を染めた。

 これはどう見てもただの専属という意味ではないような雰囲気だ。


 「カッイン商会?」

 キララが聞き返した。

 「カイン様が立ち上げた個人商会ですわ。ネルドル様との共同事業が大成功して今や飛ぶ鳥も落とす勢いの商会に急成長してますの」


 「へぇーーーー! 凄い!」

 キララもびっくり。あの時のカインがまさか、という感じだ。

 

 「ええ、本当にカイン様は凄いんです。魔獣を退治して村を救ってくれた英雄です」

 うっとりとクラベルが頬を染めた。


 「まあそんな事が?」

 「ええ」

 「まさか、あなたもカイン様をお好きなんですか?」

 ラサリアがドストレートに核心をついてきた。


 「まあ、お気づきになりましたか? 私が誕生石を渡した、ただ一人のお方です」

 ぽっと顔が赤くなった。


 「なるほど、それは大切な人ですね」とべセロがうなずいた。

 「べセロ、どういう意味なの?」

 キララが首を傾げた。


 「ああ、キララは知らないか? シズル大原から北の地方では誕生石を異性に渡すというのは、結婚の約束を交わすという意味なんだよ」

 べセロが説明してくれた。


 「ええっ、クラベルさんはカイン様の婚約者ですか!」

 ラサリアは開いた口がふさがらない。

 「どうかしたの?」

 その表情を不思議に思ったクラベルが聞いた。


 「ええ、実はこの子、ずっとカインに恋をしているんです」

 キララが教えた。


 「まあ、分かりますわ! カイン様はカッコイイんです!」

 「クラベルさんもわかるんですね!」


 「もちろんです!」

 二人は急に意気投合し始めた。

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