第38話 王族のゲス男と未来に咲く花

 「うおっと! 危なかった!」

 俺はすぐに首をひっこめた。目の前を誰かの足がよぎった。もう少しで見つかるところだった。


 隠れ家の入口の蓋の隙間から、今度はそっと覗くと、広場の手前で二人のモドキが肩をぶつけて争いを始めている。


 自我がほとんど無いはずのモドキ同士が争うのは珍しい。昨晩の影響が残っているのだろうか。


 争うモドキの周囲に次々と人が集まり、すぐに兵士たちが騒ぎに気づいて駆け寄っていく。


 「今だ!」

 騒動に周りの目が集まっている隙に、俺は大通りに出た。


 地下にいたので時間の感覚が分からなかったが、日は高い。もう昼を過ぎているらしい。


 帝国軍は昨晩の人間くずれの襲撃をほぼ抑え込んだようだが、思ったとおり街を見回る兵士の数がかなり多い。もしかするとリサを探しているのかもしれない。


 広場中央をザッザッザッと槍を手にした帝国兵の集団が移動して行く。おそらくあれは人間くずれの掃討に向かう部隊だろう。


 広場の露店の数もやけに少なく、どこを見回しても何かぴりぴりとした雰囲気を感じる。行きかう囚人も互いに警戒しているような鋭い目をしている。


 ーーーーーーーーーー



 おや? いつもの定位置にサンドラットの露店が無い。


 軍からの貸与物である屋台は「毎日ねぐらの前まで引っ張って帰るんだ」と言っていたのを思い出した。


 今日は来ていないだけなのか? それとも?


 すぐ隣の露店もいつもの店と違う。しかし一見したところ店主はまともそうだ。


 「よう。兄弟。今日は何かあるかい?」

 ぶらりと立ち寄ったふりをして声をかけると店の裏手で壺を片づけていた体格の良い男が顔を上げる。


 「何が欲しい? 食料か?」

 「よくわかったな? それで? 今日は何かあるのか?」


 「帝国兵から流れてきた物があるぞ。まだ腐ってない袋飯だ。そっちは何をもってきた?」

 「こんなものでどうだ?」

 と、俺にはどうもゴミとしか思えない金属片を見せた。やはり男の顔も渋い。


 「これは中々拾えない逸品だぜ。疑っているな? 見ろよ、この断面、ナイフのように鋭いから肉を切るときに使えるぞ」

 どうだ? 交渉に応じるか?


 「よし、まぁいいだろう。裏に回れ」

 男は店の裏に回って、壺から出した袋を手渡した。


 「それにしても今日は兵士が慌ただしいな」

 「ああ、昨日の今日だからな、魔物の残党狩りだろ? それに加えて急に演習命令が出たらしい。終戦直後は多かったらしいが、最近はなかったからな。大規模な訓練は久しぶりらしいぜ。昨日はだいぶ犠牲者が出たようだから、気持ちの引き締めの意味もあるんだろうな」


 「演習ねえ」

 ピンときた。

 きっと演習という名目で非常警戒態勢に入っているのだ。


 「ところで、いつもあそこの角に出ている店が今日は無いようだが?」

 俺はサンドラットが店を出す場所を指差したが、男は俺に背を向けたままだ。その顔がどんな表情をしているかはわからない。


 「今日は見てないな。あの店主なら、ここから東へ行った元貴族街にある大きな枯れ木のある廃屋に住んでいるはずだぜ」


 「そうか、わかった」

 俺は受け取った袋をズボンに入れて歩き出した。急いで広場を抜けて街区に向かう。


 「なんとなく怪しい」

 さっきの店主、サンドラットの店のことを聞いたら様子が変わったような気がした。もしや帝国の手先では……。露店から男が出ていく気配はないが。


 「俺の思いすごしか?」

 だが、俺の危険察知能力が何かを告げている。俺はこういう時の勘は鋭いのだ。何かがおきる予感がする。


 何かが、一体何が……


 どっぷん!!


 「うげぇえ!」

 考えていた俺は道路の深い水溜りに片足を突っ込んだ。


 しかも、これはただの水ではない。行きかう軍馬の糞尿がどろどろに混じりあった匂いもキツーイ、最悪の汚泥水だ。


 獣糞の匂いがぷーんと立ち昇った。


 「う、臭っさーーーーー! これはひでえ臭いだ」


 やはり何かが起こってしまった。

 身近に迫っていた危険はこれだったらしい。


 「大丈夫だ、俺は長靴だし……」

 穴が開いているけどな。


 「うっ、汚水がしみ込んだ……」

 足を上げると長靴から臭い水がちょろちょろと流れ出た。なんというか、俺はこう言った罠みたいなのに妙に引っかかる。当たって欲しくないクジを引き当てるタイプなのだ。


 靴の中でタプタプと妙な音がする。


 「うわーー。これは臭せえ」

 俺は長靴を前後に振ってみた。ちゃっぷんちゃっぷんと音を立て、汚水が飛沫となって周囲に飛んだ。


 「!」

 その時だった!

 


 「貴様! 何をするか!」

 ふいに日が陰り、大きな銀色の壁が目の前にそびえた立った。


 下から上へ見上げていくと、厳つい豚に似た顔が俺を見下ろしている。太鼓腹の太った魔族の男の顔に青筋が浮かんでいる。て、帝国兵! これは最悪だ。運が悪いどころじゃない。


 「!」

 どうやら本当の危険はこっちだった。男の磨きあげられた銀色の鎧に臭い汚水が見事な水玉模様を描いていた。


 「げ、げげっ!」

 俺は思わず後ずさった。

 精強な帝国兵が5人である。今日行われるという演習の準備なのか、大きな荷物を持った者もいる。


 目の前にいる憤怒の形相の太った豚がこの群れのリーダーだろう。他の4人とは装着している兜や鎧がまるで違う。明らかに実用性よりいかに高級で豪華に見えるかという作りをしている。さらにその手にはピカピカの宝石で彩られた赤槍まで持っている。


 「貴様、ゲだと!」

 「こいつ! ゲ・ボンダ様を呼び捨てにしやがった! 不敬極まりなし! 人間、即殺すべし!」

 「この人間、クズ! この場で処分する!」

 殺気立った二人の蜥蜴人リザードマンの取り巻き兵が鋭い槍先を俺に向けた。


 「同意! 偉大な戦士に泥をかけた、その所業許し難し!」

 「いずれ群れの長になる御方に不遜なり!」

 さらに二人の魔族の男が逃げられないように背後から俺に槍を向けて取り囲んだ。


 「まあ、待て……」

 ゲ・ボンダと呼ばれた魔族の背の高いデブはニタリと意地の悪そうな笑みを浮かべた。


 「そう簡単に殺しては面白くないではないか?」

 やはりか、そういう奴だ。


 その脂ぎった表情を見ただけでこいつの性根が知れた。大貴族特有の気配、こいつはろくな奴じゃない。間違いなくゲス野郎だ。しかもゲというのは今の魔王国の王朝名と同じ。もしかするとこいつ、これでも王族なのだろうか。


 だが、今の俺にはどうせ恥も外聞もない。ここで問題を起こしてもしょうがないのだ。


 「これは、偉大なる戦士様にたいへんな失礼を……」

 へへーっ、と地面に這いつくばって、かしこまってみせる。


 「ふん! クソが!」

 ガスッと俺の肩に重い物が乗った。

 ゲ・ボンダとか言う奴が片足を乗せたのだ。

 ニヤニヤしながら物凄い力でグリグリと踏みつけてきた……今にもぼきっと骨が折れそうなほどだ。

 

 「まったくでございます!」

 「このクソめ!」

 取り囲んだ4人がへつらいながら俺の頭と尻にその槍をさらに近づけ、槍先がちくちく当たり始める。


 「クソ族め、まったく忌々しい。こんな連中など魔王様もさっさと滅ぼしてしまえば良いものを!」

 ゲ・ボンダが、その金属靴のかかとを俺の肩に食い込ませてさらに痛めつける。


 ぐっ、と歯を食いしばって耐えるが、その顔を見られると反逆の意志有りと見られるかもしれない。顔を上げる時はへらへらとした作り笑いを浮かべる。


 「ゲ・ボンダ様、ここで痛めつける、は目立つ。ここは砦から丸見え、ここての処分は、印象悪い」

 一人が耳元で告げた。


 「おう、そうだな、ちょうど弓隊の女共が監視している場所でもある。ゴミ屑を前にこのわしが度量の無い奴と思われるのはいかんな」

 うむうむとあごに指をあてて大仰にうなずく。


 「それにしても弓隊、演習前の急な配置換え、何かがあった?」

 一人がかがんで汚れた鎧を丁寧に磨きながら見上げた。


 「ふむ、気になるが互いの部隊には不干渉だからな、しかし、俺の女たちから連絡があるだろう」


 「あの弓隊には、魔王様が求婚した帝国一の美女がいる」


 「くくく……ライバルが魔王様と言えども妻にするのは早いもの勝ちである。3日後が新月、ついにあの究極の美女がわしの手に入る。今から待ちきれんな。儀式で一緒に籠る女どもはみな俺の言い成りだ、後は彼女が罠にかかるのを待つのみだ」

 ゲ・ボンダはいやらしい表情で、にやついた。


 「ゲ・ボンダ様のため、例の精力薬も、たっぷりご準備しております」

 「ふむ、あの貝の奴じゃな。あれは良い。女どもにも好評だぞ。お前には褒美を与える」

 妄想が脳内を支配して俺を踏みつけていることすらを忘れているのか。この男、全体重をかけているような重さだ。


 「ありがたき、幸せ」

 蜥蜴人の男が頭を下げて笑みを浮かべた。

 どいつもこいつも腹黒い連中らしい。


 「さあ、こいつを連行しろ、不敬罪だ。基地で思う存分、痛めつけてやれ!」

 砦の方向を見たゲ・ボンダが舌なめづりをして、俺の背中から足をどけた。


 「「「「はっ!」」」」

 4人は見事な敬礼をした。それはもうお手本のような姿勢だ。


 「ほら、立ちやがれ!」

 「ふん!」

 グサ! 一人が俺の尻を槍の石突でこづいた。


 「ぐわうっ!」

 刺さった、尻の穴だ。

 悶えていると、カン! と何かが金属に当たる音がした。


 「誰だッ!」

 「イテっ、あそこだ! あのガキだ!」

 「何事であるか?」


 見ると、路地裏から二人の男の子が帝国兵に小石を投げている。


 「あいつら!」

 「ゲ・ボンダ様に、不敬!」

 「逃がすな!」

 「捕らえろ!」 

 一斉に兵たちが駆け出した。



 「今です、こっちです!」

 その時、誰かが俺に肩を貸し立ち上がらせる。


 俺は助け起こされ、兵が向かったのと反対側の路地へと逃げ込んだ。俺の手を引くのは少女だ。迷路のような道を縦横に走らされたが、どうやら追っ手はまいたらしい。


 「くっそーー、ぶっすり刺しやがった……切痔になるじゃないか」

 俺はケツを押さえながらよろよろと壁に手をついた。さっきの一撃で、俺のHP残り1という気分だ。


 「大丈夫ですか? どこをやられたの? 傷を見てみましょうか?」


 そう言って心配してくれたのは、かわいい少女だ。いや、往来でこんな子に尻の穴を見せていたら、間違いなく変態だ。


 「いや大丈夫だ。ありがとう、さっきは助かったよ。ところで君は?」


 「私はキララと言います」

 歳はオリナのちょっと下で、今のリサよりはずっと上という感じだ。上下は汚れた子ども用の囚人服だが、そろそろ成長期なのに新しい服が支給されないのだろう。胸もお尻も窮屈そうになっている。


 「どうして、見知らぬ俺を助けてくれたんだい? 危ないのに」


 「以前、おじさんがラサリアを助けてくれたからよ」

 おじさん……?

 まあ、この子から見たらそうなんだろう。


 少し落ち込む。

 ところでラサリアって誰だっけ? と聞く前にすばしっこく路地に走り込んできた二つの影がある。


 「あいつらを、まいてきたよ!」


 自慢そうに言う快活な男の子。その隣には無言で表情のない子がいる。

 双子なのか、顔つきは似ているが、態度はかなり対照的、両極端だ。二人とも煤けた顔で服もボロボロである。


 うつむいたまま隣の男の子の服の裾をぎゅっと握っているのは、あの時、俺が助けた子だ。帝国兵の食料を抱えて、兵に蹴られていた子ども。


 「ラッザ、ダメでしょ、あんな無茶して!」

 キララが腰に両手を当てて、ぷんと怒る。


 「キララ姉ちゃん、僕じゃないよ。ラサリアが先に勝手に石を投げたんだよ」


 「まあ、ラサリアが? 本当に?」

 驚いているキララに目もくれず、ラサリアと呼ばれた子が無言で俺の前にやってきて見上げた。

 相変わらず無表情で、人との関わり方を知らないような顔だ。


 「君は、ラサリアって言うのかい? あの時、怪我しなかったかい?」


 「…………」

 微笑みかけたが、まったく無言だ。瞳に感情の色が無い。


 「ごめんなさい、ラサリアは両親が死んでから、そんななの。それに警戒して他人とは話をしないのよ。悪気は無いの」


 「そうか、……俺の名前はカインだよ。さっきは助けてくれてありがとうな」

 可哀そうに辛い目にあって心を閉ざしているのだ。俺はラサリアの頭を優しくなでた。


 ラサリアが初めて目をぱちくりとしたので、そっと抱き上げた。思ったとおりラサリアはとても軽い。

 そんな風に大人に抱っこされるのは初めてなのか、ラサリアはふわふわと体を動かし、目を丸くした。


 大丈夫だ、この子は完全に心が死んでいるわけじゃない。辛いことがあった後、大人に安心感をもらえなかったせいで、感情を出すのが臆病になってしまっているだけだな。


 俺は笑顔を見せ、安心するように抱きしめてやりながら、その背中を軽く叩き、赤ちゃんをあやすように静かに揺らした。


 「うわぁ」

 かわいい声を上げてラサリアはもじもじした。その抱擁感、優しく温かくて居心地が良い。


 「ラサリアに助けられたよ、勇気があるんだね」

 ラサリアはきょとんとして俺を見上げた。


 「……助けた? 勇気?」

 初めてラサリアが俺に話しかけた。


 「うん、ラサリアに助けられたよ。ありがとうな」

 ラサリアはためらいがちに俺の目の奥をそっとのぞいた。目と目が合い、幼い身体が微かに震えた。急激に何かが起きたのがわかる。その瞳に光が宿った。


 「私がカインを助けた? ……役に立った……の?」


 「うん、そうだよ、ラサリアの勇気が俺を救ったんだ」

 それを聞いた瞬間、ラサリアの瞳がさらに色づいた。パァッとラサリアが笑顔になった。


 「あっ、ラサリアが笑った!」

 みんなが驚く。

 ラッザは目を丸くして言葉も出ない。あの日以来、ラサリアがこんなふうに笑うのは初めてだった。


 そして次の瞬間、ラサリアは、こんどは俺の首にひしっと抱きついて泣きだした。


 「何がどうしたって言うの? 信じられない。ラサリアに感情が戻ってきた」

 キララがそれを見て泣きそうに笑った。


 「私、強くなる、この前みたいにやられっぱなしはイヤ。……大きくなったら、みんなを守りたい」

 やがて、ラサリアが泣き止んだ。

 ラサリアの鼻水が俺の胸にびろーーんと伸びる。


 「ほら、ほら、男の子がそんなに泣いちゃだめだよ」

 目元の涙を指先でぬぐって、その頬に軽くキスしてやると、ラサリアは頬を染めた。


 「バカ! おじさん、ラサリアは妹だ!」

 それを見て、ラッザが俺の脛を思いっきり蹴り飛ばした。

 

 ーーーーこれが後世の歴史書に「幾多の勇者を鍛え上げた、花のように華麗なる近衛騎士にして王に愛を捧げた若き恋人」と記されることになる、ラサリア・ラングラット・アベルティアとの出会いである。

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