第13話 陰謀、それぞれの牢獄

 ◇◆◇


 ーーーー重厚な扉が左右に開かれ、衛兵が佇まいを直した。


 「入ります」

 清楚な声とともにクリスティリーナの姿が見えた、その一瞬で空気が変わった。

 

 「おおっ」と声が漏れる。

 居並ぶ将校たちの目が、一斉に扉の奥から姿を見せた輝くような美女に注がれた。

 もはや言葉も無い、何と言う美しさか。

 これほどの美女がこの地上にいたのかと絶句する。

 見慣れたその鎧さえ王族仕様かと勘違いするほど高貴な気配を放っている。


 ぎろり、と正面の壇上から舐めるような視線が向けられた。


 「そなたがクリスティリーナか、噂は聞いておる」

 魔王国の国旗を背に座るのは総督ニーゲルンである。


 軽く頭を下げていたクリスティリーナは目を開いた。

 

 ーーーーーーーーーー


 この男を間近で見るのは初めてだ。


 前総督は理知的で温厚な方で、魔族の官僚にしては珍しい差別意識の少ない人だったが、わずか半年で帝都に戻ってしまった。


 彼が着手した囚人都市の復興事業や囚人に対する待遇改善も中断している。この方はどうなのか。いや、前総督が奇特な方だったのだ。期待はしない方が良い。

 クリスティリーナは気を引き締める。

 

 自分をこのような場に名指して呼び出したことも妙だ。単なる一弓兵隊の隊長への命令を総督自らが行う訳もない。


 「よく来たな、こちらへ参れ」

 ニーゲルンは手招きした。その細い指には煌びやかな宝石のついた指輪がいくつも光っている。やはりどちらかというと質素だった前総督とは違うタイプの男らしい。


 「はっ、失礼いたします」

 クリスティリーナは絨毯に足を踏み出した。


 男たちの視線が彼女の動きとともに移動する。

 儀式用にあつらえられた支給品の分厚い銀色の鎧を纏っており、身体のラインは分からないだろう。

 しかし、総督の前で顔を見せないのは流石に失礼にあたるため、いつもの兜や仮面はつけていない。


 鎧と同じ素材の髪留めがその美髪で宝冠のように輝いていた。



 ーーーーーーーーーー


 赤絨毯の上を颯爽と歩く彼女の美貌に、その場に集まった貴族の高官や将校たちも驚きと称賛を隠し得ない。


 普段は顔を隠しているためクリスティリーナの素顔を今回初めて見る者も多かった。有名人である彼女を知る者もいたが、本物はまるで違う。その圧倒的な美しさと人を惹きつけるカリスマ性に絶句する。


 「あれが例の……」

 「ほう……」

 やがて、ひそひそと声がさざ波のように広がった。

 彼ら自身も多くの美姫を囲っているような上級貴族出身の取り巻き連中である。


 妻や妾の美しさを競い合い、張り合うのが当たり前の世界で生きている。舞踏会で他の男が連れている女を見て、俺の方が上だと自尊心を満足させるために多くの美女を従えている。


 だが、クリスティリーナを目の当たりにすると、そんなちっぽけな見栄などあっと言う間に吹き飛んだ。

 探し回って集めた自慢の女ですらも彼女と比べると天と地ほどの差を感じてしまう。まさに彼女の美しさは神がかっているとしか言いようがない。あの無骨な鎧の下にはどれほど流麗な肢体を隠しているのか。部屋中に男たちの欲望の気配が濃密に立ち込めてくる。


 だが、見れば見るほどそのあまりの美しさに、やはり彼女を娶る資格のある者は、彼女に求婚したという魔王様くらいのものだろう、と納得せざるを得なくなるのもまた事実である。


 貴族連中のため息とともに、多くの羨望と欲望の入り混じったまなざしを受けながら、彼女は総督の前で静かに片膝をついた。


 ーーーーーーーーーー


 「クリスティリーナよ、わざわざ呼び出したのは他でもない。そなたに重要な任を与えたいのだ」

 暗く抑揚の無い声で総督が見下ろした。


 しかし、その総督からは何か不自然な気配がする。

 その声に人を率いるカリスマのようなものが感じられない。今までの総督とはまるで違う。


 こんな男が総督なのだろうか? 

 だが、ここはそんな事を言う場ではない。


 「はっ。どのような任務でしょうか?」


 「まもなく新月である。この度の新月は国家祈願の日であることは知っておるだろうな?」


 「はい。帝都において年に一度の重要な儀式が行われる日であります」


 「うむ、クリスティリーナよ。今回は各地で同様の儀式を執り行うよう帝都から通達があってな。……そこでだが、次の新月の儀式の主役となる月の寝女の役をお前に任じたいのだ。引き受けてくれるな?」

 その言葉に周囲の貴族の間にどよめきが起こった。

 中にはニヤニヤと急に卑猥な笑みを浮かべた不届き者もいる。


 「はっ? 今、何とおっしゃいましたか?」

 耳を疑う言葉だった。


 広いホールの壇上に座る支配者、囚人都市を統治する総督の目は虚ろである。明らかに尋常ではない。素人目にも薬を盛られていると分かるが、周りに侍る側近たちは見て見ぬふりである。

 

 「次回の新月の儀式、その月の寝女をお前に任じる。引き受けてくれるな?」

 総督は人形のように、さっきと全く同じ抑揚、同じテンポで繰り返した。この総督は間違いなく精神操作を受けている。しかしその場に集まった貴族たちは誰も総督の様子をおかしいと思っていないらしい。いや、もしかすると分かっていても誰も何も言えない?


 クリスティリーナは少しだけ唇を噛んだ。


 「……お言葉ですが、総督! 新月の儀式の主役は夫婦神でございます。その妻たる月の寝女は未婚の乙女が務めるようなものではないと聞き及んでおります。失礼ながら、私は未婚でございます。何かの間違いではありませんか?」

 

 「それはだな……」

 それ以上のセリフは準備されていない。そんな風に総督の口は言葉を発しないまま、パクパクと開閉した。


 「これ、ひかえぬか! これは神聖なる宣託の結果である。それとも、恐れ多くも魔王様が力を分け給うた御神体のお告げが誤ったと申すのか?」

 総督の隣に立っていた側近の男が語気を強めた。耳障りな甲高い声だ。


 総督はそのとおり、とうなずいている。


 新月の儀式は、新たな生命を生み出す秘儀である。

 元々少産傾向にある魔族が子孫繁栄の意味を込めて密室で行われる重要な儀式で、かなり性的な儀式であるため神々の役を演じるのは通常は下級貴族家の夫婦である。


 その儀式の内容まではよくは知らないが、噂ではとても乙女の口にできないような性愛行為を伴うものだという。


 彼らは、それを全て承知で言っている。断ることはできる? いや、それは困難だろう。


 舐めまわすような視線の先に例の男がいる。王位継承権を持ち、王族の中でも5本の指に入る有力な家柄の男。


 おそらくこの話は奴の企みだ。


 以前、権力を笠に言い寄ってきたが、ズバッと断った。自尊心を傷つけられた奴は事あるごとに罠や卑劣な術を仕掛けてきていた。


 今回も帝都からの命令を利用し、新月の儀式にかこつけて、罠にかける魂胆なのだろう。そんなことは今までの奴の行動を見ていれば容易に想像がつく。この囚人都市では階級的には奴より上位の者はいない。総督ですら奴には頭が上がらないのだ。

 

 ここで断っても魔王様を誹謗したと言いがかりをつけて拘束されるのは目に見えている。

 引き立てられた先の拘束部屋で待っているのは、やはり奴だろう。どちらに転んでも奴が罠を張っているのは間違いない。


 この場は儀式を容認して時間を稼ぎ、奴の策略から逃れるように画策するしかない。今までもこんな危機は何回もあったではないか。


 「わかりました。非才の身ではありますが、月の寝女の宣誓を行うことを拝命いたします」

 「うむ、そうかそうか、それでは頼んだぞ」


 クリスティリーナが膝をついて礼をすると、そいつだけはチッ、と残念そうな顔をした。やはり奴は私がここで断って留置されるのを期待していたようだ。


 しかし奴はすぐに新月の儀式に頭を切り替えたのだろう。クリスティリーナの白い首筋を見ながら、赤黒い舌が唇をべろりと舐めた。その仕草にぞっとする。奴は性欲が服を着て歩いているような男なのだ。


 ゲ王家の面汚しめ、とクリスティリーナは密かに唇を噛んだ。


 やがてクリスティリーナを残し、総督と取り巻き連中は部屋を出て行った。

 

 「隊長! よろしいのですか? あんなことを引き受けて」

 一番後ろで成り行きを見守っていた隊員のナルコッタが駆け寄ってきた。

 

 「ナルコッタ、困ったことになったわ。儀式まではあと数週間しかない。何か対策を考えないといけないわ」

 「ええ、もちろんです」

 ナルコッタは快活に答えた。


 だが、周囲の者は既にみんな奴の息がかかっている可能性もある。そう思うと急にナルコッタですら疑わしく思えてくる。

 陰謀渦巻くこの場所は、クリスティリーナにとって、もはや牢獄と同じだ。

 誰を信じれば良いのか?

 もはや誰も信じることはできないのか。クリスティリーナはそんな自分自身に眉をひそめた。




 

 ◇◆◇


 ーーーーああ体が痛い、頭も痛い、手足が痺れる……


 麗しのナーナリア、君がいたら、優しくその柔らかな手で撫でてくれるだろう……

 風邪で寝込んだ時も付きっきりで看病してくれたっけ……

 

 その優しいナーナリアの顔に、マリアンナやサティナ、そして少し哀し気に笑うエチアの面影が重なった時、黒い闇が溶け、光が溢れた。

 

 俺は固い板の上で目が覚めた。

 三方は板で囲まれており、正面には鉄格子である……

 おおっ! ここはっ! と驚くふりすら必要ないほど監獄らしい監獄!


 「うっ」

 思わず肩を押さえる。


 傷が痛む。だが、どうやら手当をしてもらったようだ。薬を浸み込ませた包帯が巻いてあるのは囚人都市の中とは思えない対応と言っていい。

 

 「やっと目が覚めやがったか、この変態野郎。一体何日寝ていたと思ってやがる」


 鉄格子の向こうにトゲ棍棒を手にした無骨な男が椅子に座っている。年齢は俺よりもずっと上だろう。お世辞にもきれいとは言えない粗末な身なりの男だが筋肉はかなり発達している。俺が飛びかかっても素手で勝てる相手でないことだけは間違いない。


 ここは檻の中だ。どうもこの場所は俺が今まで過ごしてきた囚人都市とはだいぶ様子が違うようだ。何より見張りの男は囚人服を着ていないし、部屋の窓辺には可憐な花まで飾られている。普通に人が生活している空間という感じがする。 


 「ここはどこだ? 俺はどうしてこんな所に入れられているんだ?」

 「何を言うか、てめぇ、女用のトイレに隠れて覗いていたそうだな、この変態め!」

 男がぎょろりとした目をさらに大きくして、バンと机を叩く。

 その大きな音で、塀から落ちてからの出来事が突然、鮮明に思い出された。そういえばトイレに顔を出して倒れたのだった。


 「誤解だ。俺は覗きじゃない! 溝に落ちて散々歩き回った挙句にあんな場所に出たんだ、それだけだ。ーーってあれ? 何も着ていない?」

 いつの間にか全裸になっている。

 

 「当たり前だ、あんな臭い状態で連れてこられるかってんだ! 大変だったんだぞ、気を失っている人間の全身を洗うってのは」

 

 パンツ一枚からついに全裸か。だが、俺は全裸になるとなぜか幸運が舞い込んでくる妙な星の元に生まれている。ナーナリアの時もサティナの時もそうだった。


 「服は後で何か準備してやる。ほれ、今はこれでも食っとけ、どうせ最後の飯になるだろうがな」

 物騒な事をいうと、男は棒切れのようなものを無造作に檻の中に投げ入れた。


 牢屋の床にコロコロ転がったのは、どう見ても歯がかけそうなほど固くなったパンだ。


 嫌がらせなのかもしれないが、俺にとっては一体いつ以来の食い物と呼べる代物なのだろうか。文句も言わずそれに口をつけた俺を、男は意外そうな目をして見た。


 ガリッと俺は歯で削りながらその味を噛みしめる。これが人間の食い物だ。甘味を思い出した舌が震えそうだ。

 そんな俺の様子を見ていた男が立ち上がった。

 ごとりと檻の前に皿が置かれた。見ると赤黒い血のような汁が入っている。


 「大丈夫、毒されていないモルラット鳥の煮汁だ。昨日の残りだがな、俺の分だが良ければ食えばいい」

 見た目はだいぶグロテスクだが、変な匂いはしない。

 俺は汚れた皿の縁に口をつけた。意外にいける。固いパンも浸すと丁度良い。久しぶりの人間らしい食事に俺は知らず知らず涙が浮かぶ。この男、意外に良い奴なのかもしれない。


 「完食か。まあ、これから死刑になるんだ。最後の食事ってやつだな」


 し、死刑だって?

 喉に食事が詰まりそうになったが何とか事なきを得る。


 「さっきの話だが、俺は死刑なのか?」

 冷静さを装って俺は空になった皿を檻の外に出す。覗きで死刑というのはあまり聞いたことのない重罰だろう。


 「ここでは仲間に危機が迫る前に危険な奴は処分することになっている。お前が外から迷い込んだ囚人なら、第一級危険人物だ。ここは特殊な状況だからな。外から面倒事を持ち込まれては困るってわけだ」


 「外から? ここは囚人都市の中だろ?」

 

 男が囚人都市という言葉に反応して眉をひそめた。ここは囚人都市、住んでいるのは全て囚人のはずだが、その反応は妙だ。

 

 「お前らがどう思っているか知らねえ。だがな、ここは元々俺たちの故郷だ。その呼び方は気に入らねえ」


 「故郷? 元からの? ここの住人だったということか? 王都に住んでいたのか?」

 「お前はコロニーの事を何も知らないのか? いや、まさかな。だが知らないふりをしても、何も得になることはないと思うんだが?」


 「俺は、東の大陸の者なんだ。船が航行不能になって国境を越えてしまって帝国軍に捕まった。だから、この国の事は良く知らないんだ、本当だ」 


 「まあいい。ここはコロニーと呼ばれる自治区で、大戦後にこの国の遺民が集められた。外の監獄とは違って俺たちは自給自足の生活を許されているんだ」


 男の説明によると、ここは自治区と言うだけあって、囚人都市の中にある半ば独立した国のようなものらしい。周囲は高い塀で囲われ、入り口は一つ。人口は二千人程度でこの集落の周囲には農地が広がっているそうだ。


 「だがな、自治区と言っても本当に独立しているわけじゃない。帝国の監視兵が定期的にやってくる。そんな時に、お前のような逃亡者がいることがバレたら、コロニー存続に関わる重大事になる。だから、お前のような奴は帝国に気づかれないうちに密かに処分するしかない。すまんな許せ、とは言わねえ。大人しくみんなのために死んでくれ」


 「勝手な事を言うな! こんな所で俺は死ぬわけにはいかないっ!」

 ぐうおおおーーと、鉄格子を握り締めるがびくともしない。威勢よく言ってみたものの、ここを実力で逃げだす方法はありそうもない。


 「無駄だ、その牢はお前ごときの力ではびくともしねえよ。大人しくしやがれ。お前の処遇についてはまもなく結論が出る。長老会議でな。まあ間違いなく処分だろう」

 そいつはご丁寧にもしばり首の仕草をして見せる。


 「何か助かる方法はないのか? 監視兵が来る前に俺がここを出て行けば良いだけじゃないのか?」

 俺はそう言って男の表情をうかがった。


 こいつは冷酷な男ではなさそうだ。無表情を装っているが、おそらく内心ではコロニーの安全を守るために処分するという原則に完全に納得しているわけではないだろう。


 「それでは危険を冒すことになる。結論は会議で決まる。俺にはどうにもできねえな」

 男がそう言ったとき、複数の足音が近づいてきた。


 「ドンメダよ、役目ごくろう。その巨根の男、ようやく目覚めたようじゃな、まったくはた迷惑な奴じゃ」

 男の前にいかにも長老的なふけた爺と、年齢不詳で顔の半分に包帯を巻いた長身でやせた枯れ枝のような男が現れた。


 「これは長老フェバ様。それにジャク、長老会議はどうでした?」

 「まずはイスに座って話をしようか」

 ジャクと呼ばれた痩せた男はそう言って腰かけた。俺を巨根呼ばわりした長老のフェバがその隣に座る。


 「結論は出たぞ」

 ジャクのその忌々しそうな表情からは友好的な印象はまったく受けない。 


 「やはり死刑に決まったか?」

 

 「いや、そいつは今すぐこのコロニーから放逐することに決まった」

 「放逐だと? 危険を冒してまで逃がすのかよ?」

 意外だという表情でドンメダが長老の顔を見た。


 「正門は使わん。裏口からだ。生きるか死ぬかはこいつの運しだいということだ」


 「なるほどあそこからか。だが理由を聞かせろ、そいつはオリナを覗いた変態野郎だし、外の囚人だ。なぜすぐ死刑にしない?」

 

 「最大の問題はそいつの婚約紋にある」

 そう言ってジャクが俺を指差した。

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