第96話 大教祖

 「まもなく地下4層です、目的の装置は最下層、つまり地下6層にあるとのことです」


 目の前を歩く男は「奴はどうなりましたか?」とも聞かずに平然と階段を降りている。俺を始末したのは当たり前だという雰囲気だ。


 「うむ、このまま進め」

 俺は低い声で言った。あまり話すとバレるので受け答えは短くである。


 前を行く鬼面の男が担いでいる箱は丈夫な金属製で表面には特殊な魔法がかけられているらしい。ここから分かるのはシールド発生装置というのは、あの箱に入るくらいの大きさだということ、そして魔法で保護しなければならない繊細な魔導具らしいということだろうか。


 前を行く男がちらりと横目で俺の方を見た。

 どうもおかしい。既に何か不審がられている気がする。見た目は完璧のはずなのだが……


 「ここが地下4階です」

 階段の先にはまたも石回廊が続いていた。魔鉱石が光っているが人影はない。


 「さて……」と、ゆっくりと男が箱を床に置いた。


 「どうした?」

 「それはこっちのセリフだ、お前は何者だ?」

 鬼面の男はいつの間にか両手に鎌を持っている。

 くそっ、バレるのが早すぎる、と思ったがどうしようもない。


 「どうしたというんだ?」

 「くさい芝居は止めろ、お前はさっきから俺の真後ろを歩いていたな? 愚か者め、我ら鬼天衆が真後ろを取るということは攻撃を意味する。そんな事も忘れたわけではあるまい?」


 「ちっ、そんなことでバレるのか」

 「我が命に従い、お前を殺して粛々しゅくしゅくと任務を遂行するのみ!」


 男の巨体が揺らいだかと思うと、次の瞬間には鋭利な刃が俺の喉元に迫っていた。


 「でかいくせに速いッ!」

 鎌が喉を掻き切る! と男が確信した時、俺の腹の紋がまたも強く光っていた。瞬間的に俺の意識が加護に上書きされる。


 「無駄よ!」

 うわっ、女言葉が出た。

 鎌の一撃。

 その風圧が過ぎ去って、スッパリと断ち切られていた俺の鬼面が何事もなかったかのように再び元の形状に戻る。仮面も幻影なのだから当たり前だ。

 まてよ、幻影を俺の前方に出現させておけば敵は俺本体への攻撃の間合いが掴めないんじゃないか? もしかするとあおりんの幻影術は戦闘時にかなり有効な防御法になるかもしれない。ふいにそんなことを思いつく。実戦は訓練に勝ると騎士養成所時代に言われたことをこんな時に思い出した。


 「なんと不気味な技を! それにその言葉と身のこなし、急にまるで女のようになりおって、気持ちの悪い奴め!」

 いやいや、あれは俺自身が発した言葉じゃないぞ。

 確かに今の俺の動きはサティナ姫そのものだろうけど……。


 「これは避けられまいッ!」

 左右から猛烈な勢いで鎌が同時に迫った。


 「どうかしら?」

 俺は両方の人差し指だけで迫りくる鎌の腹を左右に押し分け、男に急迫する。通常の者ならば本来視認することもできないスピードである。その刃の動きを見切っただけでなく、その巨体が生み出す強大なパワーで繰り出された刃を押し返すなど不可能のはずだ。

 

 それをたった指一本で! あり得ぬ!


 「何ッ!」と驚愕に目を剥いた男の顔面に、そのまま強烈な頭突きを食らわした。瞬間的に額に展開した魔法陣の効果で俺は全く痛くないが、奴にはかなりの激痛だったようだ。


 グワッ! と吹っ飛ぶ巨体の足をさらに払って、もんどりうって倒れ込んだ男の首に骨棍棒を食い込ませ、俺は奴を地面にねじ伏せた。


 見事に一瞬で男を組み伏せたが、もちろんこれは俺の技量ではない。全て婚約紋の加護だが、それも俺の力の一つだと言えないこともない。それに男を気絶させなかったのは俺の意志だ。

 やっと鬼面をつけた男の一人を捕らえたのだ。奴には聞きたいことがある。


 「おい、獣化の病は知っているか?」

 「ぐっ、何だ、何の話だ?」

 男は戸惑っている。まあ当然だろう、こいつにしてみれば何の脈絡もない話だ。唐突すぎるがこっちも余裕など無い。どんなわずかなチャンスでも生かさねばならない。


 「知っているか、知らないか、どっちだ? 人を人間くずれ、獣化させる病だ」

 「も、もちろん知っている」

 男は苦しそうに息を吐いた。


 「獣化の病を治す薬はあるのか? 教えろ! おい!」

 俺はぐいっと骨棍棒に力を込める。


 「あ、あるという話は聞いたことがある」

 奴は言葉を選んでいる。ここまでなら話しても大丈夫という線を探っているようだ。


 「薬はどこにある?」

 「それは、知らない」

 「死にたいか?」

 俺は骨棍棒に力を込めた。


 「本当だ、本当に知らぬのだ。もしもあるとすれば帝都の研究施設だろう」

 「帝都? 魔王国の都か?」

 脱獄した身にとっては魔王国の都に行くと言うのはかなりの危険が伴う。話に聞く黒鉄関門はバルサ関門など比較にならない厳しさだろう。だがそこにしか薬がないとすれば……。


 「そうだ、帝都ダ・アウロゼだ!」

 「帝都ダ・アウロゼ」

 ほんのわずかに俺の意識が反れた。その隙を見逃すような甘い男ではなかった。突然、男が跳ね起き、俺は吹っ飛ばされ背後の壁に背中を打ちつけた。


 「殺すッ!」

 男が地面に落ちていた鎌を素早く拾い上げ、鬼天衆の暗殺術を駆使した動きで反撃に転じた。


 「させるわけないでしょ!」

 俺は人差し指を奴に向けた。その瞬間指先から凄まじい稲光が放出され、奴の額を撃ち抜いていた。


 奴は一撃で白目を剥いて崩れ落ちる。


 「おいおい、これはサティナ姫の光術なのか? 俺が光術を使えるなんて知らないぞ」

 俺は思わずてのひらを見てしまう。

 いくら紋の加護の力とは言え、自分が最高位の魔法である光術の攻撃魔法を撃つとは思わなかった。なんという強力な加護なのか。

 だが、危険が去ったためか、俺のへその下で光っていた婚約紋が静かに光を失っていった。


 奴が置いた箱を調べたが、その内側のポケットに何らかの文書が収納してあった。広げてみたがどうも命令書か何かのようだ。魔族語で書かれているので俺には読めない。俺はその文書を懐に入れた。

 倒れている男の持ち物も調べたが、回復薬や火炎玉等を持っていたようだ。使えるものは拝借し、使えないものは遠くに投げ捨てた。


 「さて……」と改めて周囲を見回すとこいつらが通るだけあって、ここは裏通路なのだろう。特に整備されている様子もない狭い通路が奥に続いている。管理用の通路なのだろうか。


 奴は装置が最下層にあると言っていた。

 俺は一人、意を決して薄暗い通路に進んだ。


 ーーーーーーーーーー 

 

 「サンドラット、今の音を聞いた? 魔法攻撃の音よ、誰かが戦っているんだわ!」

 「先を急ごう!」

 セシリーナとサンドラットは通路を駆けた。


 「見ろ、あそこに誰か倒れている!」

 「カインなの?」

 駆け寄って見ると見たこともない大男が失神しており、割れた鬼面の仮面がへその辺りに置かれている。


 「違った、こいつは鬼天の部下だ」

 そう言ってサンドラットは周囲を見回した。どうやら争った形跡がある。


 「でもこんな大男を誰が倒したのかしら?」

 「見ろよ、この長靴の足跡。ーーーーカインだな。足跡はこの先に続いている。あいつ、こいつを倒して先に進んだらしいぞ」

 「この穴みたいな通路に入ったの?」

 「どうする?」

 「追いかけるにきまってるでしょ!」

 足跡を見ていたセシリーナが立ち上がった。




 ーーーーーーーーーー

 

 通路は狭く、かなり暗い。一般通路と違ってここには魔鉱石による照明が配置されていない。たまたま壁の素材になっている魔鉱石が所々でわずかに発光しているだけなのだ。

 それに蒸し暑く、石壁にはコケみたいなものが生えているのが手触りでわかる。

 床は傾斜がついており、湿った土が薄く積もっているので油断すると足を滑らせそうだ。


 慎重に一歩一歩進んでいた、その時だ。


 「おーーい、カイン、いるかーー?」

 遠くから声が響いてきた。小さな声でもはっきりと聞こえてくる。あの声はサンドラットで間違いない。


 「こっちだ」

 俺は会話する程度の声を発して、立ち止まった。

 しばらく待っていると角から二人が姿を見せた。


 「おおっ! セシリーナ! それにサンドラット!」


 「カイン! 無事だったの! 心配したわ!」

 セシリーナが駆け寄って抱きついた。

 「うわっ!」

 足を滑らせ、彼女を抱いたまま尻もちをついてしまった。セシリーナが軽くキスをした。その瞳は本当にうれしそうだ。


 「二人とも無事でよかった」

 俺はセシリーナと一緒に立ち上がって、尻の泥を払った。


 「それはこっちのセリフだ、お前が食肉植物に連れていかれた時はもうダメかと思ったぞ」

 「そういえば、カインがあの鬼天の部下を倒したの?」

 「うん、まあね。この加護の力だけどね」

 「鬼天の配下は帝国兵の中でも精強揃いなのよ、本当に無事でよかった」


 「それで、カイン、結界の魔導具は見つけたか?」

 「鬼面の男がシールド装置と呼んでいたものが最下層の第6層にあるらしい」

 「そうか、おそらくそれが結界の魔導具だな。よく調べた、見直したぜ」

 サンドラットが俺の背をバンバンと叩いた。

 

 「見て、この先で穴が分かれているわ。ここから先は、迷わないように私が先頭に立って、結界装置の魔力を探りながら進みましょう」

 俺たちは、セシリーナ、サンドラット、俺の順で狭い通路を下り始めた。通路は次第に下り坂になってくる、壁を押さえないと滑り落ちてしまいそうだ。

 穴の底の方からは何か不気味な獣の唸り声のような音すら聞こえてくる。


 「道は間違っていないよな」

 足元が次第に急勾配こうばいになってきた。

 「私の感覚ではこっちよ。だんだん魔力が強まっているわ」


 俺たちはさらに進んだが、もはや通路はかなりキツイ坂道と言って良い状態だ。

 俺たちは壁を押さえながら一歩一歩進むので歩みが遅い。

 何となく、これは道ではないのでは? と思い始めるが、セシリーナとサンドラットは気にも留めずに身軽に先へ先へと進んでいる。

 

 「待ってくれ、滑るんだ」

 俺の声に二人が振り返る。

 俺の足が滑りやすいのは、靴底がほとんどツルツルのくたびれた長靴だからだろう。


 おっと、手がヌルッと滑った。危ない! 俺はよろけてとっさにバン! と反対側の壁に思い切り手をついた。


 加護が発動していない状態でその反射神経は個人的には絶賛すべき見事な動きだったが、次の瞬間、俺は青ざめた。


 ぬめぐちゅあ~~! と何かが手の平に広がる、その身の毛もよだつ感触。思わず鳥肌が立った。


 気色悪い大きなナメクジ!

 そいつを思いっきり手で押しつぶしていた!


 「んがああああ!」

 俺は片手を押さえて叫ぶ。


 俺の大声に前を行く二人がぎょっとした。

 「ばか、そんな大声!」

 セシリーナの声。

 だが、壁から手を離した俺の体は既に宙に浮いている。

 どうして天井が見えるのだ?

 そう思った瞬間、両足が前方に投げ出された。


 「うわあああ……!」

 俺は尻をついたまま、猛烈な速度で急斜面を滑り落ちる。床は泥で滑っているので、滑る滑る!


 「バカっ、く、来るな!」

 逃げるサンドラットの足をすくう。足首を蹴飛ばされたサンドラットの体が俺の上を、宙を舞った。

 「きゃあ、やめてーー!」

 さらに、叫ぶセシリーナの足を掬う。セシリーナの体も宙を舞った。


 「うわああああ……!」

 二人を弾き飛ばし、俺の体はますます勢いを増して斜面を滑り落ちていく。



  ◇◆◇


 床の上で少女が震えていた。

 大教祖を称する魔族の男は鞭を手に取った。


 「あなたの罪を罰する時間です。さあ、そこで詫びるのです」

 男は床に鞭を叩きつけた。

 空気を切り裂く音に少女はビクっとなる。


 「さあ、もう一度聞きますよ、あなたの主人はだれですか? 答えなさい」

 何度も叩いているのか、少女の服は既に一部が裂けて、肌に血がにじんでいる。

 「だ、大教祖様です」

 少女は青ざめている。


 「わかればよろしい。……あなたの姉は残念でした。ちょっと危険ですが、あなたならばその代わりができるでしょう」

 そう言うと男は服を脱ぎ始める。ほとんど全裸になった男は魔導具の金属の箱を開けた。中には七色に光る立方体が入っている。少女は怯えた目でその妖しい物体を見つめた。


 「これが、能力強化スキルを付与するアイテムですよ。残念ですが私はこれに直に触れることはできない。しかし、あなたならばできるでしょう。ただし、本来の使い道と違って肉体に直接行使するのですから、教えた手順通りにやらないと暴発してあなたの姉と同じになりますよ」

 男はにやりと笑ってベッドに寝転んだ。


 少女がよろよろと立ち上がり、清めの水で手を洗う。

 「そこの香草油を水に入れなさい」

 

 部屋の外からは大きな唸り声が聞こえている。

 魔都を追われたのは失敗だった。

 有力貴族にこの商品たちを買ってもらうことが困難になった。

 この田舎で組織の体制を再建して、今度はもっと大きな街で布教を始める。


 「ここを引き払ったら、オミュズイの街に潜伏するのがいいかもしれないですねえ。あそこの提督は以前の顧客ですし」


 少女はおそるおそるオイルを浸した布を輝く立方体に近づける。

 「間違って直接手で触れたら爆発しますよ」

 男はにやっと笑う。


 少女は布でくるめた立方体を恐る恐る箱から取り出した。ここまではうまくいった。前回は箱から出す前に燃え上がったのだ。本来は箱に入れたまま使用し、道具に対して強化を行うアイテムなのだが、魔族の背中に押し当てると魔族の力をパワーアップさせる。

 教祖はこれまでもそうやって定期的に力を増大させてきたのだ。これが成功すれば洗脳が効かなかった魔王一天衆をも洗脳できるかもしれない。もしもそれができれば一発逆転も夢ではない。


 「さあ、それを私の背中に押し当てるのです」

 少女はおそるおそる布でくるんだ立方体を持ったままベッドサイドに移動してくる。


 「大きく揺らすと暴発しますよ」

 そう言われ、少女の手が止まる。


 「ふふふふ……どうしました、さあ、さあ、さあ!」


 ザザッ。

 下卑た笑いを浮かべた大教祖の頭に砂埃がかかる。


 「何ですか? こんな時に不潔な」

 目に砂が入ったらしい、瞬きする目に少女が呆けて天井を見ているのに気づく。


 「何です?」

 教祖は身を起こして天井を見上げた。換気穴だ。そこから埃が落ちてくる。


 また埃ですか、と大教祖が立ち上がった瞬間、爆音とともに換気穴の蓋が吹き飛んだ。


 「ぐえーーーーーーーー!」

 大教祖は眼を剥いた。とんでもない事が起きた!

 大教祖がそう理解した時、その肉体に激しい痛みが走った。

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