第95話 遺跡への侵入

 岩陰に沿って進むと洞窟の入口が見えた。そこには火を焚いて警備している屈強な男たちがいる。


 「あそこはまずいな。まともに正面から行ったらハチの巣をつつくようなもんだ」

 「そうね」

 

 「おい、こっちだ」

 少し前方でサンドラットが手で上を見ろと合図した。


 月明かりに照らされた崖には、長い間雨風にさらされて風化して出来たいくつもの窪みや穴が開いている。それらの穴から煙が出ている。つまり入り口は一つではないということだ。


 「上から行くってことね。サンドラットらしいわ」

 セシリーナがうなずいた。

 

 サンドラットが岩から岩へ飛び移って、崖を登る。

 俺たちは入口から死角になっている岩影まで近づく。

 崖の上からサンドラットが縄梯子を下ろした。相変わらず準備がいい。


 感心している俺より先にセシリーナが登る。

 暗いから良く見えないが、日中だったら目のやり場に困る光景だろう。その魅力的なお尻の後に続いて俺も登った。


 「何とかカインも登れたな。ほら、あそこを見ろ。内部から灯りが漏れている」

 「入れそう?」

 「大丈夫だろ。あの穴に詰まるような体型じゃないだろ?」


 いや、セシリーナは意外とお尻が大きいからと言いかけて、セシリーナが俺をにらんでいるので止めた。なぜ俺の考えがわかったのだろう。


 サンドラットがするすると中に入っていく。

 続いて俺の番だ。穴に入りそのまま壁際にすとんと落ちた。見上げた瞬間、セシリーナのお尻が落ちてきた。


 「何してる、奥に進むぞ」

 返事ができない。

 倒れた俺は愛しいセシリーナの下で窒息中だ。

 ぱっぱっと埃を払って、少し顔を赤らめ何事もなかったかのようにセシリーナが立つ。


 俺も小石が突き立った背中をさすりながら起き上る。

 一番弱い俺が一番ダメージを受けたようだ。


 「武器は準備しておけ」

 サンドラットは短剣を抜く。

 「こいつの力を見せる時がきたようだな」

 俺は骨棍棒を手に取った。その時、カポっと珍しく長靴が音を立てた。


 「しっ、静かに」

 様子を伺うサンドラットの向こうに人影が揺らいでいた。魔力を使った簡易照明が洞窟の床をぼんやりと照らしている。どうやらこっちには気づかず向こうに行ったようだった。

 

 「結界の魔道具の位置はわかるのか?」

 「強い魔力なら感じるわ。このまま、この方向よ」

 セシリーナは頭に手をかざして言った。

 角は魔力を感知する器官でもあるらしい。


 「セシリーナ嬢に先を行ってもらおうか」

 サンドラットが位置を交換する。


 「行くわよ」

 セシリーナが進む。

 暗い洞窟の空気は湿っている。誰も出てこないのは人が少ないからか、寝ているのか。

 潜入している者としてはありがたいが。


 通路に黒い長い影が移動する。

 通路は枝別れして岩をくり抜いた道が続いている。自然の洞窟を人の手で広げたらしく、天井や壁には削器の刃の跡が模様のように残っている。照明が行きとどかないため、暗がりと明るいところが交互になっている。


 通路の奥から、重低音で唸るような音が響いてきた。まだ遠いようだが嫌な感じだ。

 大きな魔獣だろうか?

 突然、闇の中から噛みつかれたらどうする。

 俺は身震いした。武者震いではない、本当にびびっているのだ。


 挙動不審な俺の背をサンドラットが小突く。

 「しっかりしろ。見ろよ、セシリーナ嬢を。流石の身のこなしだぜ」

 セシリーナは機敏に警戒しながら歩を進めている。

 へっぴり腰の俺とは違う。


 「し、心配するな。ちょっとビビっているだけだ」

 サンドラットはヤレヤレという感じだ。


 魔犬のような小型の魔獣でも俺にとっては強敵なのだ。人の背丈を超えるような魔獣に出くわしたらどうする? 俺など一撃であの世行きだ。


 自慢じゃないが俺はこの中で一番弱いだろう。同じ人族でも攻撃力はサンドラットの半分も無い。魔族のセシリーナと比べたら、攻撃力はおろか生命力や防御力も彼女の1割も無い。

 俺の唯一のとりえは持続力か、いや間違った。持久力だろうか。


 「見て! カイン」

 セシリーナが壁の丸い穴を覗いてつぶやく。

 交代して覗いてみる。


 「人が集まっているな。かなりいるぞ、百人はいるかも?」

 穴の先に大きなホール状の空間が見えた。穴はホールの天井付近に位置しているらしく、見下ろしたホールの中では魔法照明の灯りの中、大勢の人間が怪しげな儀式を行っている。


 「人数はざっと30人程度。武器は持っていない。奥の壇上にいるのが教祖と取り巻きなのかもな」

 サンドラットが言った。


 「神殿全体でもおそらく百人もいないわね。ここの洞窟の構造はそんなに大勢の人が暮らせるものじゃない。おそらく古代の遺跡を一時的に拠点にしているだけじゃないかしら」


 「そうなのか? もっとたくさん人がいたように見えたけど?」どうやら臆病者ほど敵を過大評価しがちなようだ。


 「あの中にリサの姿はないわ。集まっているのは信者だけのようね。誘拐された子どもたちはきっと別の所に捕まっているのよ」


 「まずは、結界を発生させている魔導具を止めるぞ。行こう」

 と、俺が一歩先に進んだ時だった。

 周囲の石壁に貼りついていた植物の根のようなものが動いた。


 「しまった! これは魔物か?」

 「気をつけて! これは食肉植物の触手よ!」

 「食肉植物の触手? 信者以外の者にだけ反応するのか? これは侵入者防止の罠だぞ!」

 サンドラットが短剣で迫った触手を切り裂いた。


 「!」

 ふいに天上から何かがドサリと落ちてきたかと思うと、腹を締め付けられた。同時に身体が宙に浮いた。一瞬で俺は天井に開いていた穴に吸い込まれる。


 「カインが!」

 「まずい! 横からも来たぞ!」

 そんな二人の声が次第に遠ざかった。


 細い穴をずるずると引きずられ、あちこち岩壁にぶつかってかなり痛い。これは食肉植物の蔦だ。地中に潜んでいて地上を通りかかった獲物をからめとって食う奴だが、ここでは地下に触手を伸ばしていたらしい。おそらく信者は食肉植物が嫌う匂い袋を持つなどして襲われないようにしていたのだ。

 

 「簡単に食われてたまるか!」

 俺は両足を岩壁のでっぱりに引っ掛け、ベルトに差していた短剣を抜いた。幸い絡みついている触手は細い。


 ぶちぶちっと触手を切断すると緑の体液を撒き散らして触手が離れた。

 

 「あ!」

 触手が離れたのは良いが、こんどは俺が落下する番だった。

 足元に床が無い。

 ちょうど二階から一階に落ちるくらいの落差で俺は洞窟の隅に落下した。


 もはやここがどこかすら分からない。セシリーナとサンドラットとはぐれてしまったが、こうなれば単独でも奥へと進むしかない。それに誰かが結界を解けば、どこにいても三姉妹の誰かが見つけてくれるだろう。


 魔鉱石の光が照らす暗い洞窟の道の向こうには、大きな石壁が巡っているのが見える。

 大昔の遺跡の壁は崩れかけているが、その奥には石壁に沿って最近付けられた魔鉱石の照明が続いている。


 道は緩やかに下っている。内部への入り口を探しながら壁沿いに進むしかないが、この辺りはさっきまでと空気感が違う。蒸し暑いのにどこか陰気くさい。


 死に支配された神聖空間か。

 大きな壁と区画性、遺跡の中心部に近いので元は墓所か地下神殿だったところなのだろう。昔は地下に墓地を作るのが普通だっららしく、このあたりでは街や村ごとにこうした古代の地下神殿が見つかっていると村長が言っていたのを思い出した。


 用心しながら壁沿いに進むと、突然視界が開けた。


 広場? いや、ここがまさに地下墓地か。

 道沿いの壁が崩れており、そこから見えるのは荒々しい岩がむき出しになった大きな円錐状の天井を持つ広い空間だ。周囲の壁は崩落して、落ちてきた巨岩が牙のように立ち並んでいる。

 その壁沿いには無数の石棺が壁石と一緒に散らばっており、干からびた死骸が棺から飛び出している。


 「!」

 だが、俺の目を釘付けにしたのは、そんな死体ではない。

 そこには、忘れることのできない装束の奴らがいたのだ。


 闇の中、魔鉱石の明かりに浮かんだのは、忌まわしき鬼面を付けた二人の男だ。


 あいつらだ、鬼面の男だ!

 囚人都市で獣化の実験を行ってその様子を監視していた男、たびたび俺を襲ったあの男の仲間、魔王一天衆の鬼天ダキニアの部下で暗殺や諜報活動を行う者たちである。


 「連中がどうしてここに?」

 息を潜め、俺は奴らの姿を目で追った。


 その様子を見ている限り、ここの連中の仲間という雰囲気ではなさそうだ。帝国の密偵としてカルト教団に潜入している最中だろうか?


 だが、それにしてもおかしい。

 奴らのうち体格の良い一人が何か大きな箱を運んでいる。

 前にいる一人は護衛だろうか? どうもただの潜入調査ではなさそうだ。


 「ここだ、ここから潜入する」

 男が床に手を触れ、鎖のようなものを引き上げた。

 金属音がわずかに響いて、地面が割れて階段が現れる。


 「良いか、教祖を甘く見るな。あやつに見つからぬうちに、都から持ち出された装置を回収するのだ。シールド発生装置がなければ、儀式に支障をきたすというのだからな。先に行け」

 「はっ」

 箱を肩に担いだ男がうなずいた。


 シールド発生装置? 結界を発生させている装置のことか?

 俺は箱を担いだ男が階段を下り始めるのを見た。

 あれ? あと一人は? と思った瞬間だ。

 俺の足元から黒い影が立ち上がった。


 シュパッ! と空気を裂く音がして、銀の光が喉元に迫る。

 だが、俺はその直前に後ろから引っ張られたような気がして、偶然仰け反った。そのおかげで音もなく近づいた奴の一撃をかわすことができた。


 「何、かわしただと! 貴様、何者だ!」

 鬼面の男はそう言いながら、体をねじった。

 禍々しい短い曲刀が闇に弧を描いて俺の首を掻き切ろうとする。


 「うわっ!」

 俺は骨棍棒で曲刀を受け流した。


 「信者にしては良い動きだが、終わりだ!」

 奴は速く、動きにも無駄がない。刃がひるがえって俺の腹部を裂こうと風を切る。


 「!」

 その時、俺の紋が闇の中で光った。

 やられた! と思った瞬間、俺の前に誰かが立ちふさがって、曲刀を払った。

 いや違う、それは俺自身の影だった。

 俺自身が信じられない反射神経で骨棍棒を振って奴の攻撃を弾き飛ばしたのだ。


 (加護、サティナ姫身写しモードを発動…………)

 四方からの多重音声でしぶいジジイの声がした。そうか加護か……と思ったが俺の意識は刷り込まれたサティナ姫の加護によって埋没していく。


 「何だと! 動きが、気配が変わった!」

 鬼面の男が総毛だって後退した。

 その仮面が真っ二つに割れた。

 驚愕に見開かれた目。


 「おのれっ!」

 男はギリっと奥歯を噛んだ。瞬間的に全身の筋肉が増強された。鬼天衆が用いる薬物の効果である。これにより通常の2倍の速さと力を出せるのだ。男は目にも止まらぬ速さで毒剣を投げつけ、同時に斬りかかってきた。


 しかし、俺の視覚処理スピードは男の動きを凌駕していた。男がまるでスローモーションで動いているように見えている。俺の反応速度はまるで普段の俺とは違う。


 飛んできた2つの毒剣を左右に交わし、奴の間合いに飛び込む。奴の剣が俺の腹に届く前に勝負は決していた。


 「グハアッ! ば、ばかな……」

 俺の骨棍棒の一撃を脳天に受け、目の前で男が沈んで行った。


 ……当面の危機が去ったからなのかサティナ姫身写しモードの効果が弱まって、俺自身の意識が回復する。俺からすれば、たった今起こった出来事は夢を見ていたかのようだ。


 「あおりん、あおりんはそこにいるか?」

 俺は闇の中、小声で言った。

 すぐにピカッと青い光玉が出現した。相変わらずだが、たまりんもあおりんもいつでもスタンバイ状態という感じだ。


 「あおりん、俺をこいつの姿に変えてくれ。顔はこの鬼面を被っている感じで頼む」

 俺は割れた鬼面を見せた。

 あおりんはうなずくように二三度明滅して見せた。

 それだけで俺の見た目は倒した鬼面の男と同じになった。

 さすがは幻影のプロである。


 俺はのびた男の両足を引きずって端によせると、先に階段を降りた男の後を追った。

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