第155話 貴族紳士カインと奪われた魂

 「まったくカインは遅いわね。どこかで寄り道でもしてるのかしら?」


 ゲーム盤でリサを遊ばせていたセシリーナが少し心配になったのか、歪んだガラスの嵌められた窓から外を見た。


 外界ではだいぶ日が陰ってきたと見え、洞窟内も薄暗くなってきている。


 「あの男の事ですから、またどこかで眷属作りをしているのかもしれませんよ。一人で行かせたのは失敗だったのでは?」

 リィルの言葉にセシリーナの手が止まる。


 まさか、ここは穴熊族の村なのだ。ーーーーでもカインならばあり得ない話ではない。脳裏で穴熊族の女性がウインクする。


 「セシリーナの番だよ。どうしたの?」

 一緒にゲームをしていたリサが顔を上げ、青くなっているセシリーナを見て首を傾げた。


 ミズハは無言で本を読みながら、ベッドの脇でロッキングチェアを揺らしている。


 その時、扉が軽くノックされた。


 「今、帰ったよ」

 扉が開いてカインが一人顔を出した。

 「お帰りーー! カイン!」

 リサが飛びついた。


 それを見てセシリーナがほっとした表情になる。


 「それにしても何だか遅かったわね。それで解呪はうまくいったの?」

 「解呪? あ、ああ解呪ね、うまくいきましたよ。問題なしです」

 カインは上着を脱ぐと丁寧にコート掛けに下げ、長靴を脱いで室内用のサンダルに履き変えた。


 「ん?」

 みんなの顔がカインに集まる。


 「ど、どうかしましたか? 私……いや、俺の顔になにか?」

 どこからどう見てもいつもの平凡な顔だ。

 だが、そこはかとなく感じる気品というか、上品さというか、この違和感は何だろうか。


 カインは確認するかのように一人ひとりの顔を見まわした。

 リィルは見られ、ぷんとそっぽを向く。


 カインがリサの肩に手を置く。

 それを見たリィルがリサの手を握った。


 「ほらほら、何を突っ立っているんです? そろそろ夕食ですよ。リサも手を洗いましょうね。それより覚えていますか? 今日はカインが夕食をみんなにごちそうする日ですよ。お金の方は大丈夫ですか?」

 リィルが上目づかいににらむ。いつものリィルの態度だ。


 「え、ああ、そうだったっけ? 食事は下の食堂で良いのですか? さあ、リサ王女、俺と一緒に参りましょうか」

 ミズハがセシリーナに目配せした。


 リィルがカインの手を払うとリサを抱き寄せる。

 セシリーナが入り口にカギをかけた。


 「あれ? 何? 何か変ですよ。みなさん」

 「変なのは貴様だ。カイン」

 ミズハが指差した。


 「えっ? 何を言うのです?」

 カインが驚いている。


 「そうよ、カインがそんなに上品で凛々しい顔をしながら丁寧な貴族みたいな話し方をするわけがないじゃない! 第一、カインが夕食をおごる話なんてしていないわ」

 セシリーナが入り口を塞いで言う。


 「そうですよ! カインがそんな風に上着を掛けたりするわけがないじゃないですか。いつもなら、だらしなくベッドにポイですよ。しかも、その臭い長靴をみんながいる前で脱いだ事などありませんよ」

 リィルが鼻をつまんだ。


 「えっ? でも俺は貴族だし」

 驚くカインに向けてミズハが指を動かした。

 「!」

 カインの周囲に縄が現れたかと思うと一瞬でぐるぐる巻きにする。


 「カインは自分で貴族だなんて言わないし、貴品さや上品さなど欠けらもない男だ! 一体お前は何者なのだ?」

 ミズハがくいっと指をひくと、カインは縛られたまま床に倒れた。


 「ぐうええええ!」

 カインが急に暴れ出し、その口から黒い霧が立ち上る。


 「こういうのは余り得意ではないが、お前程度の低級ならば捕縛できるぞ」

 ミズハが呪文を唱えると黒い霧の動きが止まった。


 「お前は何者だ? 本物のカインはどうした? 言わないと無限牢に落すぞ!」


 「ぎゅるるう……」

 「その姿でも言葉くらい話せるはずだ」

 ミズハが締め上げる。


 「カインをどうしたのか言いなさい!」

 セシリーナがさらに詰め寄る。


 「カイン……この身体の主の事か……くそっ、ごく普通に貴族の所作を真似ただけなのにバレるとは……この男は本当に貴族なのか?」


 「ふふふ、カインに化けるとは間抜けな奴です! カインがどれほど上品さとは正反対で、下衆な男か知っていればそんなヘマはしなかったでしょう」

 リィルは自慢気に言うが、カインを褒めている訳ではない。


 「お前ら、本当にこの男の仲間なのか?」

 なんだか、カインという男が気の毒になってくる。


 「そんな事はどうでも良い。カインはどうなったのだ?」

 ミズハが語気を強めた。

 「そうだった」

 リィルが黒い霧を見る。


 「奴は生贄になったのだ。もはや手遅れ、奴は邪神竜の依り代、魂の入れ物の蓋になったのだ。はははは……!」

 邪神竜? セシリーナは首をかしげ、ミズハを見た。


 ミズハの顔色が変わったのがわかる。


 「新たな封印場所を発見したのか? 依り代ということは竜を復活させるつもりか?」


 「ぐわははは……つもりではない、もはや復活なされたのだ!」


 「復活に必要な量の魂が集まったのだな」


 「ここでは、野族と穴熊族が互いに争っている。魂を集めるには最適の場所だからな。最後に生きた人間の魂を蓋として封じることで必要な条件は満たした」

 ミズハの術で拘束されているが、余裕すら感じさせる物言いだ。


 「それにカインの魂を使ったと?」

 「そのとおり。既に封印の岩屋は砕けた。後は神官どもが捕らえた竜を操るための生贄を捧げるのだ。そこのハーフの娘のような生贄をな!」

 そう言って突然、黒い煙は骸骨騎士の姿に変化してミズハの術を打ち払った。


 「うわっ!」

 ミズハが壁際に吹き飛ばされる。


 カインから分離した骸骨騎士の手がリサに伸びる。


 ガッ! と音がしてその骨の手の甲から銀色の刃が突き出た。


 「リサを守って、リィル!」

 短剣を手にしたセシリーナが骸骨騎士の前に立ちはだかった。


 「まかされました!」

 リィルはリサを魔法のマントで包むとミズハの元に跳んだ。


 「お前は許さない!」

 セシリーナがもう一方の手に持った短剣を翻した。

 その刃が数度、骸骨騎士の手で遮られる。


 「ふははは……無駄だ。そんな武器では俺は倒せん。そこのハーフの娘は竜を支配するための生贄に貰っていく!」

 骸骨騎士はセシリーナを見て笑った。


 「いい気になるなよ」

 その声に骸骨騎士が振り返る。壁際にミズハが立ち上がっていた。かなりの衝撃で壁にぶつかったはずだ。気を失っていると思っていたのだが。


 「邪神竜が復活したと言ったな」

 ミズハが骸骨騎士をにらむ。

 骸骨騎士の黒い洞のような眼孔。

 ミズハの目はその奥からこちらを見ている男の顔を見据えていた。年老いた神官のような男はミズハが見ていると分かって微笑んだようだ。


 「愚か者め。あれはあれの血を引く特殊な一族のみが触れることができる禁忌の存在、神竜の末裔でない者が生贄を差し出した程度で支配できる存在ではないぞ」


 太古の昔に世界を支配したという邪神竜を復活させ、その力を利用する技術を魔王国は研究していた。トップシークレットの計画であるが、ミズハは立場上その計画の一翼を担っていたこともある。

 だが、神竜の末裔の者にとっても邪神竜は危険すぎる存在で、一歩誤れば世界を破滅しかねないものだったため、大戦中に魔王が計画の中断を指示したはずだ。


 「やめさせる!」

 ミズハの両手から緑色の光が放射された。四方に伸びた光が遺骨騎士を包むように急激に収束する。


 光が骸骨騎士を包むかと思われた瞬間、奴は天井に跳んだ。

 蜘蛛のように天井の梁を掴んで見下ろす。


 「ぐへへへ……もはやお前たちには破滅しか残っていないのだ! 諦めてそいつを渡せ。その娘を渡せば、お情けで今しばらくはお前たちを生かしておいても良いぞ」

 骸骨騎士が笑う。


 「渡すわけないでしょう!」

 セシリーナが矢を放った。奴が天井に逃げた時点で、短剣を弓矢に持ち替えていた。

 直接攻撃武器の短剣と弓矢の即時交換は魔王国弓兵ならば初級技術である。


 特殊な聖魔法を符呪した矢が骸骨騎士の大腿骨を打ち砕いた。

 砕けた骨が散らばる。

 やや遅れてその身体が床に落下した。


 骸骨騎士が、ガッ! と喚いた。


 「おのれえええ……!」

 骸骨騎士は背と腹を入れ替え、四足でカサカサと音を立て、リィルに迫る。


 迫る骸骨の目にリィルの驚愕の表情が映る。

 恐怖に怯えた者を前に、骸骨騎士が歪んだ笑いを上げながらその手を伸ばす。


 「馬鹿ですか?」

 ガボン! とリィルの足が骸骨騎士の顔面にめり込んだ。


 リィルはただ片足を上げただけである。だが、ミズハのマントがその足に掛っている。大魔法使いが魔力防御を施したマントなのである。


 伸ばした骸骨の手だけがひくひく動いている。

 自爆した骸骨騎士が捻じれた頭部を片手で元の位置に戻そうとする。


 「この愚か者め!」

 その真上で声がした。

 見上げた骸骨騎士の目に怒ったミズハが片足を上げている。


 「ふん!」

 ぐしゃ!

 ミズハが足で骸骨の頭部を押しつぶした。

 声にならない声を上げて骸骨騎士が床に頬を付く。


 「我々の軍門に下らぬ者は、いずれ邪神竜様に殺されるのだ……今ならば……」

 「馬鹿者め。誰がお前たちと交渉などするものか」

 ミズハは足先に込めた術を次第に強め、踏み抜く。


 「ぐえええ」

 骸骨騎士の頭部が爆散した。

 同時にその身体が黒い霧になって次第に透け、やがて消滅した。


 セシリーナはほっと胸をなで下ろした。

 リィルがリサを抱き起こし、ミズハの元に集まる。


 「大変なことになったようだな。カインはとんでもない事に巻き込まれたようだ」

 「え、でも、カインはここに倒れているじゃない。さっきの奴も倒したし」

 セシリーナは白目を剥いているカインを抱き起こした。


 「起きてカイン! 起きなさい!」

 ぺしぺしと頬を叩くがカインは無反応である。


 「セシリーナ、残念ながら、それはただの抜け殻だ。カインは魂を奪われた。その魂はここには無い」

 「そんな……」


 「さあ、その身体をベッドに乗せなさい」

 ミズハに言われるまま、セシリーナはカインをベッドに横たわらせる。


 「邪神竜復活には大量の人の魂が必要となる。先の大戦で復活に必要な御魂箱2つがフルチャージされて使用されたのだ。

 残る3つめの御魂箱は使用可能寸前だったが、3柱目の邪神竜の封印場所が発見されず、様々な理由で計画は中断されていたのだ。誰かがその計画を密かに進めていたという事だろう。カインは、どうもやっかい事に巻き込まれる性質のようだ」


 ミズハはそう言いつつベッドの周囲に魔法陣を描き始めた


 セシリーナは青ざめた。

 「ど、どうすれば。カインはどうなるの?」


 「まずは、これ以上カインの身体が衰弱しないようにしなければならない。魂の無い肉体は衰弱が早いのだ。

 これから遮蔽術を施す。カインの体力を温存し、空っぽの身体にさっきのような邪霊が入り込まないようにな。

 身体が衰弱死する前に誰かがカインの魂を閉じ込めた御魂箱を回収し、その魂を取り戻さないとならない。私はカインの近くで魔法を使っているので、取り戻しには行けないぞ」


 「私が行くわ」

 セシリーナが立ち上がった。


 「待ってください。このままカインが死んだら私の眷属紋はどうなるのです?」

 リィルが言った。


 「カインは普通の死に方ではなく魂が永遠に邪神竜に囚われることになる。当然、魂に刻まれた紋は消える事がなく、お前は永遠にカインの眷属だな。今世で死んで次に生まれ変わっても最初から主もいない眷属として生まれることになる」


 ぶるぶるとリィルが震えた。それは未来永劫自由になれないという事だ。


 「セシリーナ、私が行きますよ。御魂箱の回収には、盗賊の私の方が適任です」

 リィルが言った。


 「じゃあ、二人で行きましょう」


 「誰かがリサを守る必要があるぞ。さっきの邪霊が言っていたが、カインの記憶からこの宿の場所やリサの事を知った者がいるのだろう。

 私はこれ以上邪神竜に力を与えないようにするためにもカインの肉体を保護するのに手いっぱいになる。どちらかは残ってくれ。カインの足取りを追って、奴らの本拠地を見つけ、そして御魂箱を回収する、これを素早くできるのはどっちだ?」

 ミズハは二人を見る。


 「わかったわ。私がここに残る。リィル、カインのことを頼むわ」

 セシリーナが言った。


 「リィル、カインを助けてね!」

 リサがうるうるの瞳でリィルの手を掴んだ。


 「ええ、わかりました。私も永遠に自由がないのは耐えられません。大丈夫、カインは、ほら、変態的に目立つからすぐに足取りは掴めますよ」

 リィルの笑顔にリサは少しほっとしたようだ。


 「それでは頼んだぞ。私はクリスたちに使い魔を飛ばそう。邪神竜が復活した事を教えなくてはな」


 「クリスたちに?」


 「うむ。復活した邪神竜の支配にはその血を引く一族たる蛇人族の姫巫女、つまり3姉妹の力が必要なのだ。

 誰が考えたか知らないがこの企みは最悪だ。導き手を欠いて暴走する邪神竜を解き放つ所だった。今、彼女らがこの近くにいることは、この世界にとって幸いだったと言うべきだな」


 そう言いながらミズハは窓を開け、手の平から小鳥を放った。

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