第359話 エチアたち
「姫様、野菜がとれましたので持ってきました! 食べてください!」
「ジャシア様! 鳥を撃ってきましたのでエチア様と一緒に食べてください! いっぱい乳がでるようにいつものチーズも持ってきました!」
畑で汗を流していたエチアとジャシアの二人に石塀の向こうから次々と陽気な声がかかった。
「いつも助かるんだぜ! 門の方に回ってキララに渡しといてくれ!」
「マダザ、いつもありがとう!」
元カッツエ国騎士の息子だと言う青年、マダザたちは笑顔で二人に手を振って門の方に向かった。
すぐに屋敷からメイド見習いの少女が出てくるのが見えた。彼女はあのマダザに気があるらしい。それは見ていればすぐに分かる。
ジャシアとエチアはカミナーガの街の郊外にある古い屋敷を借りて暮らしていた。ジャシアは傭兵としてかなりの蓄えがあるので街の中に家を借りることもできたのだが、エチアの体質を考え、人気の少ない郊外の一軒家を探したのである。
元々は小さな湖の湖畔に建てられていた貴族の別荘である。湖は大戦で干上がって野原になり、二人が初めて来た時は草原の中のお化け屋敷のような状態だったが文句は言えなかった。ここならばエチアの体に眠る獣の血が騒いだとしても、誰に気がねする必要もなく自由に野原を走り回ることができる。
今ではジャシアはここを拠点として、生き残っていた昔の部下と連絡を取りながら依頼があれば冒険者として稼いでおり、何もない日はこうしてエチアと二人で畑仕事をしているのである。
「今日も良い天気なんだぜ」
「昨日雨が降ったから、野菜も元気だわ」
エチアは花が咲いた畑の雑草を抜いている。
周りを見渡すと畑の向こうに何軒もの新しい家が建っている。既に草原の中の一軒家ではない。
二人でここに来て新たに生活を始め、半年もしないうちにエチアの生存を知ったカッツエ国の元家臣たちが集まってきた。
エチアの父は元カッツエ国の王族であり、言ってみればエチアはカッツエ王家唯一の生き残りだ。
たまたま選んだこの場所が旧カッツエ国の故地に近かったこともあり、カッツエ国に忠義を誓う者やエチアの父を慕う者たちが、エチアを姫様と呼んで一人、また一人と集まり、今ではここにちょっとした村が出来ている。
どうしてこんな事になったのか?
その原因は、真魔王国の王室専用馬車が大シズル中央回廊を外れ、何もないはずの荒野に向かう姿が度々目撃されたからだった。
一体荒野に何があるのか? と怪しんだ物好きな連中が馬車の後をつけた。
こうして、ミズハ女王に仕える巨乳の眼鏡美女が頻繁に出入りするという謎の屋敷の噂はすぐに人々に知られることになり、そこに住んでいる二人の美女のうちの一人が旧カッツエ国のエチア姫らしい、という噂が故国に伝わるのも早かったのである。
「エチア様、旧王都は無人の野になってしまいましたが、その近くに我らの仲間が町を建設しております。いずれみんなでそこに移住して、故国の土地を再びよみがえらせましょうぞ」
かつて父に文官として仕えていたという初老のアンダルが畑を耕す手を休め、エチアとジャシアの方を振り返った。
帝国の支配下にあった時は反乱がおこるのを警戒され、旧国の者たちが表立って集まることすらできなかった。こんな風に村をつくるなど不可能だった。
しかし、ミズハ女王は旧国の者たちがまとまることに目くじらを立てたりはしない。むしろ広大な領土をまとめるために大都市を中心に一定の自治権を認めるという話すら出ているそうだ。
エチアを心の支えにして自分たちの土地を生き返らせるという夢を見ても良い時代が来たのだ。
「ああ、旧王都付近に街をつくる許可は、ミズハ女王から既に得てるんだぜ。借り物と違う、本当の自分たちの土地なんだぜ」
「素敵ですね。お父様と見た懐かしいあの丘に戻って、そしてきっとカイン様と結ばれますわ」
それが今の二人の目標になった。エチアを慕う者たちと共に旧カッツエ国の地に新しい街を築こう!
「カイン、早く帰ってきて」
恋人の花が咲き誇る丘の風景が目に浮かぶ。あの場所でウエディングドレスを着てカインと永遠を誓い合うのが夢だ。
アナからカインが行方不明になったという知らせを聞いた時はエチアもジャシアも目の前が真っ暗になった。
しかし、あのミズハが精力的にカインを探しているのだ。他の多くの人もカインの行方を追っている。それを見ればカインが戻ってこないなどあり得ない。ジャシアはそう確信してエチアを励ました。
だから、カインが戻ってきたら妻問婚で来訪するカインと一緒に暮らせる素敵な居場所をつくるんだぜ。
そんなジャシアの言葉が二人の大切な目標になったのである。
「ジャシア様! ジャン坊ちゃまが泣き止まないんですよ! すぐに来ていただけますか!」
不意に大きく窓が開け放たれ、キララが大声で叫ぶ。
その後ろから赤ちゃんの泣き声が聞こえてくる。しかも最初は一人だったのが次第に増えて合唱のようになってきた。
「まったくもう、これじゃあ仕事が終わらないんだぜ」
「もうママのお乳が欲しい時間じゃなくって?」
「そう言えばそうか。ちょっと行ってくるんだぜ」
ジャシアはそう言うと鍬をおいて急いで屋敷に向かった。
「カイン様の子ども、元気な四つ子だなんて、うらやましいですわ」
エチアはその後ろ姿を見て微笑んだ。
ーーーーーーーーーー
聖都クリスティの大競技場。
その周りの広場には多くの屋台が出ていた。
顔を隠したリサは、焼き飴を舐めながらご機嫌な様子でセシリーナの隣を歩いている。セシリーナも同じようにフードを深く被っていつもの仮面をつけている。
久しぶりに市中に出られて嬉しいのが足取りからも分かる。そろそろ貴賓室に戻ろうか、とリサに声をかけようとした時、通りの奥で騒ぎが起きた。
国外からも多くの見物客が入っているためか、治安が良い聖都クリスティと言えど揉め事は起きるものらしい。
「その失言を取り消せ!」
店の前で少女が叫んでいる。
「何を言うか! お前たちがあの豚男を推しているのは知っているんだぞ!」
三人の男が少女の前で短剣を抜き、威嚇している。
「メン・チャコーツ様を馬鹿にするな!」
「豚は豚だろう? 所詮、人族などその程度の存在なのだ」
男は短剣をちらつかせた。
「おい、どうかしたのか? 何があった?」
セシリーナが見物人の一人の肩を叩いた。
「えっ、ああ、賭けが原因のいさかいだよ。ほら、あの店で誰がこの国王選出戦で勝ち残るか賭けをしているんだ」
「賭けか」
国家行事を賭けの対象にするなどあってはならないが、この場を取り仕切っているのは商人組合だ。
聖都自体がデッケ・サーカの商人が中心となって復興した街であるだけに簡単に賭けを禁止にすることもできない。
「ああ、それであの少女たちはメン・チャコーツの領地の者らしいんだ」
「メン・チャコーツの?」
「領主のメン・チャコーツは人望があるらしいけど見かけがアレだろ? 賭ける者が少ないので彼女たちがお金を出し合って賭けようとしたらあの男たちが馬鹿にしたらしい。どうもサ・ラミットに肩入れしていた貴族くずれの連中らしいよ」
おそらく負けた腹いせなのだろう。
「この神聖な日に騒動など起こしおって。困ったものだ」
店を出している団子屋の親父が隣で肩をすくめた。
少女の周囲を男たちが取り囲み、じりじりと間を詰めている。
「セシリーナ、3体1ですよ。あれは卑怯よ」
「そうね。でも待って、あの娘、怯えていないわよ」
「泣き叫びな!」
ついに男の一人が短剣を手に襲いかかった。
「!」
その一閃に少女の服が斬られた。
だが、少女は強い目をしている。男が再び襲いかかるのをみて、身をかがめるとその足を蹴り払った。
路上に無様に男が転がって周囲の失笑を買う。少女は格闘技に自信があったらしい。
「この女!」
二人の男が短剣を手に血走った眼で迫る。しかし少女は身軽にそれをかわし、すれ違いざまに片方の男の腹に蹴りを入れて吹っ飛ばした。
「!」
だが、その背後にいつの間にか別の男が忍び寄っているのはいかにも卑怯者たちらしいやり方だ。
「セシリーナ! 止めさせないと!」
リサがセシリーナを見た。少女が危ないと思ったようだ。
その時だ!
バコン! と鈍い音がした。
見ると、忍び寄っていた男の顔面に棒きれが食い込んでいる。
「おお、何か当たったようだ。これは済まん、ブヒ!」
棒を担いでいたその男は背が低く、周囲に埋もれていて見えなかったらしい。
「てめぇ!」
「貴様! バオゼ様に何をするか!」
二人の男が血相を変えた。
そこに泥豚族のチーサとその連れの姿があった。
「おお、これは済まん! ブヒ!」
チーサは丁寧に頭を下げたが、そのせいで担いでいた棒が倒れて……。
チーン……!
チーサに襲い掛かろうとした男が股間を抑えて沈没した。
「わあっ! ガオラン大丈夫か! 貴様! 泥豚のくせによくも!」
地面に倒れた仲間に駆け寄った男は怒りの形相で立ち上がった。
「ガオランのカタキだ!」
男は必殺の構えで剣を握りしめた。泥豚の喉元を掻っ切ってやる! そんな殺気が溢れ出す。
「死ねぇっつ!」
瞬足の技が露店の間を駆け抜けた。
「!」
チーサの首が飛んだ、……と誰もが思った。
しかし、次の瞬間、男の両足は天を向いていた。何故かそこにバヌナの皮が落ちていたのだ……。
男はつるりと滑って一回転!
後頭部から地面に激突し、ぶへええ……と口から泡を吹いて白目を剥いた。
その惨めな姿に周囲からは馬鹿な奴だとか自業自得だなどという声が飛ぶ。
「ありがとうございました。ええと、チーサ様?」
少女たちはチーサに頭を下げて礼を言った。
「俺は別に何もしていないブヒ」
そう言って連れとともに背を向けるチーサが妙に格好いい。
騒動を見て、「万が一の時は」と弓を構えていたセシリーナはその手を降ろした。
「今の凄かったね? 何もしていないみたいだったのに。まるでカインみたいだったね」
「ええ、あれだけやらかすとはね、なかなか無いわね」
二人はその場を立ち去って行く泥豚族の男のやらかし技に何故か懐かしさを覚えた。
あれがカインだったら良かったが、むろんチーサの正体がカインでは無いことはその気配だけで分かる。
どんなに変装していたって、ベッド上の魔王はこの体が覚えている。カインを思い出し、セシリーナは胸を押さえて切ない息を吐いた。
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