第66話 右曲がり亭という宿屋

 奥の個室からホールに戻ると、野郎どもの敵意に満ちた目が俺を待っていた。しかもさっきよりさらに人数が増えていてかなりむさ苦しい。


 「ん?」

 そのうちの一人が俺を見た。


 「てめえ! さっきのアホ面の奴じゃねえか!」

 「お前!」

 目の前に、魔獣で俺を踏み潰しそうになったバゼッタとその仲間がいた。ここにいる所を見るとこいつら兵には捕まらなかったらしい。


 「クリス嬢たちを一人占めにして奥のプライベートルームに入ったとか言う羨ましい奴って、お前かよ!」

 「許せん!」

 「お前のような不抜けが、どうして初対面でプライベートルームに入れる? さては大金でも貢いだのか?」

 「殺す!」

 「お頭、こいつは殺すしかねえ!」


 不穏な空気が俺を包む。

こいつらそろいも揃って3姉妹に骨抜きにされているのだ。恐るべし暗黒術師といったところか。

それにしても、そのド派手に失敗したような化粧で女にモテると思ってるのか? 到底正気とは思えない。なにしろ子どもが母親の化粧品をイタズラして顔に塗りたくった挙句に汗で流れて土砂崩れ。そんな感じで壮絶だ。酒場を占拠しているのはそんな顔の妖怪集団なのだ。


 「俺のクリス嬢と個室とは良い度胸だ! 許せねえーぞ! 俺がどれほど通いつめてるか、毎日通っている俺ですら個室対応なんて一度もねぇのによ」

 バゼッタが今にも剣を抜いて跳びかかってきそうな勢いで立ち上がり、俺の胸倉を掴む。


 「あらあら、みなさん。そう殺気立たないで。カイン様は商人ですから、商売の話しをしただけですわ」

 イリスがにこやかな笑顔で現れた。

 「ああっ、イリスさんーーっ!」

 男たちの目は一気にイリスに移った。


 「なあんだ……そうか、カウンターでは商売の話はできねえもんな!」

 「うむ、それで納得がいった。なぜあんなパッとしない優男やさおとこが個室に入れたのか謎だったんだ」

 「だろうな、あんな女みたいな顔、ああいうのが好みじゃなかったんだ。良かったぜ」


 イリスを前にして、男共は急に物わかりが良くなったようである。俺は事無きを得た。き


 サンドラットの寝ているテーブルに俺が戻るまで、バゼッタだけは俺を目で追っていたが、クリスとアリスがカウンターに姿を見せると一気に興味は無くなったようだ。


 すぐに男共の関心は3姉妹に移り、恥も外聞もない求愛合戦に変わった。


 「カイン、そろそろサンドラットを起こして、宿を探しましょうか、外は日もすっかり暮れちゃったわよ」

 オリナがフードをしたまま言う。

 やはり警戒しているのだろう。リサのフードも被せたままだ。


 「サンドラット。起きろ、行くぞ」

 「ん、ぐおーーーー、まだ飲むぞぉーー、ぐおーーーー」

 だめだ。起きない。


 俺は支払いを行うためイリスを呼んだ。

 それだけで男共のブーイングが起きる。


 「イリス、この辺に良い宿はあるかな? 俺たちみたいなのが怪しまれずに数日泊まれるような」


 「宿ですか? 時間的に今から探すとなると……。そうですね、私たちの宿舎なんかどうです? タダで泊まれますよ。2部屋空いてますから、お部屋はセシリーナ様とリサ様で1部屋、サンドラット様が1部屋で……」

 イリスはいたずらっぽく笑って耳打ちする。


 「おいおい、俺はどうなる?」

 

 「カイン様は、私たちが別に借りている離れの丸太小屋はどうですか? 私たち3人が毎晩入れ替わりで、”誠意”を込めてお相手しますよ。もちろん最初は私で、今夜はカイン様とムニャムニャ……」

 最後の方はひそひそ声でささやく。


 う、うれしすぎて鼻血ものの話だが却下、却下だ! 俺は欲望を断ち切るように頭を振った。


 「それは色々とまずい。セシリーナに殺されそうだよ」

 「そうですか? それはとても残念です」


 「なになに、私がどうしたの?」

 不意にオリナが割り込んできた。危ない。危機一髪だった。


 「そういうのじゃなくて、お金がかかってもいいから、普通の宿屋でいいんだよ。どこか知らないか?」


 「お宿ですか? うーーん、そうですねえ……。あ、そういえば建物が古くても良ければですけど、ここを出てすぐ左に曲がったところに、“右曲がり亭”という宿がありましたね。今日の午後にそこを隊商が引き払って出て行くのを見かけましたから、空き部屋があるんじゃないでしょうか?」

 左に曲がるのに、右曲がりかよ。思わず色々と突っ込みたくなる名前だが、今はそんな場合ではない。


 「わかった。それじゃあ、そこに行ってみるよ。ありがとう」


 「それでは、また来てくださいねーー!」

 3姉妹はわざわざ店の外まで出て来て、俺たちを見送った。


 男共が「二度と来るな!」「早く消えやがれ!」と窓から顔を出して叫ぶのが聞こえてくる。嫌われたものだ。


 夜だというのに街は明るい。通りの左右にある酒場や食堂に灯りがついて、大通りも人通りが絶えない。


 俺は高イビキのサンドラットを必死に担いで宿に向かった。前を行くオリナとリサは手をつないで、まるで仲良し姉妹だ。


 「大丈夫? カイン、重くない?」とオリナが振り返った。

 「大丈夫だ」

 「サンドラットーー、おきてーー!」

 リサが叫んだが、雑踏のにぎやかさに掻き消される。


 やがて蔦のからまる古臭い木造の建物が見えて来た。道に突き出た看板に、上手とは言えない字で ”長期滞在可、連れ込み宿 右曲がり亭” と彫られている。


 「おいおい、なんという宿を紹介するんだイリス」

 オリナも目を丸くしたが、「しょうがないわね」とつぶやいた。


 ーーーーーーーーーー


 日焼けした宿屋の亭主は、俺とオリナの睦まじい様子を見るなりニヤけながら部屋を手配し、なぜか親指を立てた。


 借りられたのは廊下を隔てて向かい合った2部屋である。

 「あいにくこんな部屋しか空いていなくてな」と亭主は言っていたが、どんな部屋でも寝れれば良い。


 「ここだな」

 俺は鍵を確認した。

 オリナに手伝ってもらい、1部屋めのドアを開ける。

 

 外観は古いが内部は意外に綺麗だ。

 二人部屋だと言っていたが、その倍は泊まれそうだ。窓辺と壁際に木製のベッドが置いてあり、壁には作り付けの本棚があって、インテリアなのか、たくさんの絵本が並べられている。


 それを見てリサの目が輝いた。

 「リサはここがいい!」

 そう言って壁際のベッドに飛び乗り、本棚を眺める。


 「サンドラットと一緒だぞ」

 俺は窓辺のベッドにサンドラットを下ろした。

 「わかったよ」

 「じゃあ、俺たちは通路向かいの部屋だからな。遊ばないで早く寝るんだぞ」

 「はーい」

 リサは既に絵本を取りだしている。


 「しょうがないわね。夜中に一度様子を見に来ましょうか?」

 「寝ないで本を読んでたら明日起きられないだろうしな」

 そういいながら、向かいの部屋を開ける。


 「こ、これは……」

 二人部屋だと聞いていたのに、ピンク色を基調とした部屋の中央に大きい丸いベッドがたった一つ。

 大人の雰囲気の調度品だ。暗すぎず明るすぎずの妙に色っぽい魔導灯の光がベッドを浮かび上がらせている。

 ベッドサイドの棚にはサービスなのか、ヌルヌル液とか色々な物が置いてあり、部屋の隅には簡易シャワーまである。


 これはもう何のための部屋かは見ただけでわかる。さすが、看板に堂々と「連れ込み宿」と書いてあるだけのことはある。


 バタンと俺の背後でドアが閉じた。ガチャリと鍵がかかる音。

 オリナが妖しく微笑んだ。


 「ふたりっきりよ……」

 振りかえった俺の目に残像が映る。

 嬉しそうな顔をしたオリナが、俺に飛びついてきた。

 勢いでそのままベッドに倒れ込む。


 「ち、ちょっと待て。んん……」

 激しいキス。

 「ちょっと、待て、その顔、まだオリナのままなんだが。おわあああ…………!」



 ーーーーーーーーーー


 夜は更ける。

 ギシギシ、ミシミシ……廊下一つ離れていても甘く激しい音が響いてくる。

 似たような音は宿のあちこちから響いてくるが、特にこの部屋のは凄い。


 「お姉さま、この声は?」

 「しっ、ここがイイところなんだから」

 「お姉さま、私にも聞かせて」

 3姉妹は初日の宿の状況を把握して警護を万全にするために忍び込んでいるのだ。けしてカインの夜の無双状態を覗きにきたのではない。


 「凄いです、あのクリスティリーナ様があんなに乱れて……」

 「カイン様が、これほどとは……」

 「素敵、カイン、激しい」

 

 やっぱり凄い、漏れ聞こえる音だけでわかる。三姉妹は次第に足をもぞもぞさせて頬を染め始める。


 カインが夜の魔王、ベッド上の魔王、というのは本当だった。

 ごくり……壁に耳を押し当てる。

 カインさまぁ〜〜。

 両手を太ももに挟み固唾を飲んで聞き入る3姉妹をよそに、その部屋から響くリズムカルで激しく力強い軋み音は明け方まで絶えることはなかった。

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