第305話 王の目覚め

 謁見の間の先にあるのが王の部屋だ。

 俺たちは今は何も置かれていない広々とした謁見の間を通り抜けて、その華麗な扉の前に立った。


 「ミズハ様、危険は無いようですが。誰が先に入りますか?」

 イリスがミズハに耳打ちした。


 「いや、これは私自身がしなければならないことだ」

 ミズハはそう言って腰に下げた腕輪の片割れの紐を持ち上げた。くるくる回転していた腕輪がその破断面をこの先の扉に向けて止まった。


 「やはりここだ。開けるのを手伝ってくれるか?」

 ミズハの表情は硬い。珍しくいつになく緊張しているようだ。


 「もちろんです」

 「何でも言ってください」

 「やる」

 イリスたちがうなずいた。


 「俺たちも何か手伝うぞ」

 「ええ」

 「そうだね!」


 「お腹が減って力が出な~ぃ」

 「お宝が待ってます」


 「扉に魔法や封印はかかっていないようだ。だが、それが逆に不自然だ。中に何かあると思っていい。私とイリアたちは魔法攻撃に備えて準備、他のみんなは慎重に扉を開けてくれ」

 「わかった」

 俺は扉の中央に立って扉の取っ手を両手で押さえる。

 右にはセシリーナ、左にはサティナが扉に手をついて準備した。さらにその脇にリィルとリサがいる。

 ルップルップはいざという時のために防御魔法を放つ準備に入った。


 「開けるぞ!」

 俺の声にみんなはうなずく。


 「行くぞ、押せ!」

 俺は取っ手の引き金をガチリと引いた。

 「開くぞ!」

 俺たちは力を合わせて扉を開いていく。わずかに開いた大きな扉の隙間から王の間に満ちる穏やかな光りが外に漏れ出た。


 「むっ! みんなそこを離れろ!」

 ミズハが口元を押さえ、扉の中央にいた俺の背中をつかんで引っ張った。


 「!」

 「危険だ! この中の空気を吸ってはダメだ! アリス、セシリーナ、部屋の中央に灯っているあの蝋燭を斬り落とすのだ!」

 ミズハが杖を振って青白い光の膜で入口を覆った。


 「わかりました」

 「わかったわ」

 アリスは指鉄砲を構える。

 セシリーナは弓を構えた。


 閃光と風を切る音がほぼ同時に起きた。

 次の瞬間、部屋の中央の燭台に灯っていた蝋燭が二本とも切断されて床に転がり、火が消えてわずかな煙をくゆらせた。


 「急いで全部の窓を開けるんだ、やるぞイリス!」

 「はい!」

 イリスとミズハが手を前に突きだして力を込めると、王の間と謁見の間の左右の天窓がバタバタと次々開いて行く。


 「クリス、風を起こせ!」

 「わかった! やる!」

 イリスとミズハにクリスが加わって魔法で風を送り込む。


 すると王の間の中央にさっきまで無かったはずの黒い箱状の物が見えてきた。部屋の中は一見すると向こう側まで見えていると思っていたが、実は鏡のように周囲の景色を映す気体で満ちていたらしい。


 「どういうことだ? ミズハ」

 「人間には感知できない、鏡のもやが部屋に充満し、中央に置かれたあの箱を視認できなくしていたのだ。何もないと思って部屋に入ったが最後、その猛毒に触れて一瞬であの世行きという罠だ」


 「毒は消失しました。空気は澄んだようです。中に入れます」

 アリスが瞳を輝かせている。


 「他に罠がないか、気をつけろ」

 ミズハは慎重に部屋の中を見回し、確かめるように鼻をくんくん鳴らした後、杖を片手で構えたまま部屋に踏み入った。


 「サティナ、ルミカーナ、ミラティリアは部屋の周囲の敵を警戒してくれ。リィルは物理的な罠を探してくれ」


 「わかったわ、気をつけて」

 「わかったのです! まかせるのです!」

 そう言ってリィルはニヤニヤしながら罠探しと称してお宝を探し始めたようだ。


 ミズハと俺たちは警戒しながら、その部屋の中央に置かれた箱に近づいた。


 近づいてみるとそれが何だか分かった。


 「これは棺桶ですか?」

 セシリーナがごくりと喉を鳴らす。


 「豪華だが見るからに棺桶だな。中から死人喰らいでもでてくるんじゃないだろうな?」

 「嫌な事を言わないでくださいよ」

 神官のくせにルップルップが一番怖がっている。


 ミズハがその黒い棺桶の表面を指で撫でると、撫でた瞬間にそこに紫の文字が浮かび、指が過ぎると消えていく。


 「念入りなことだな、迂闊に開けようとすると呪いがかかって絶命する仕掛けだ」

 ミズハはそう言って何か詠唱し始めた。


 いつの間にか3姉妹も両手を胸の前で組んでミズハに支援術をかけていた。湿地の魔女の魔力協調が必要なほどの術が棺にかけられているという事だ。


 おそらく大魔女のミズハはもちろん、この3姉妹のうち一人でもいなければこの棺桶が開くことはなかったかもしれない。素人の俺でもわかるほどの膨大な魔力がその棺に注がれていく。


 やがてギシッと音がしたかと思うと、パン! パン! パン! と棺桶の蓋を止めていた鉄釘が次々と跳ねあがった。


 「もうそろそろ大丈夫だ。よいか、開けるぞ、カイン、セシリーナ手を貸してくれ。蓋は重そうだ。イリスたちは念のため少し離れて見守ってくれ」

 俺とミズハが棺桶の蓋に手をかけると、リサとセシリーナも手伝い始めた。


 3姉妹とルップルップは万一のため対罠術や防殻術を展開する構えを見せている。サティナたちは武器を手に周囲の警戒に余念がない。


 ぎいいいっ……と重々しく蓋が動いた。


 「押せ! 持ち上げるのは無理だ。横に押すんだ!」

 俺たちは歯を食いしばって蓋を押した。


 ぎぎぎぎぎぎっ…………

 分厚い一枚板で作られた黒塗りの蓋がついに大きく動いた。横にずらした棺桶の中には腐敗した不気味な死体が……、と思ったが違った。


 中から妙な音がする。


 「一気に開けろっ!」

 みんなが力を合わせた瞬間、ドゴンッツ! と蓋が床に落ちた。


 「ぐわーー、ぐわーー……。むにゃむにゃ……」

 だらしなく足をガニ股にして腹をぽりぽり掻きながら下半身パンツ一枚で爆睡しているイケメン男が棺桶の中にいた。


 「!」

 みんなの目が点になる。

 なんだこいつ! という感じである。


 何の不安も感じさせない穏やかな寝顔。下手をするとカインよりも人畜無害そうな雰囲気の男。まさかこいつが魔王国の魔王なのか?


 ミズハはその寝顔に、今まで誰も見たことがないような微笑みを見せた。


 おおお!

 これが恋人の再会と言う場面だろうか。


 俺もつい目が潤む。

 感動のシーンか? これからどんな名場面が始まるのか。

 少しわくわくしながら見ていると、ミズハの手が急に高々と振り上がった。


 パシン!! と歯切れの良い音が響き渡る。


 「はぁ?」

 感動の名場面を期待していた俺たちの目が点になった。


 「おい! 起きるのだ! おい! 起きろ!」

 ミズハがさらにバシッ! バシッ! と魔王の頬を往復ビンタする。

 

 「うーーん、むにゃ……むにゃ……」


 「おい! 起きろ! おい! いい加減にしろ!」

 バシッ! バシッ!

 ミズハの往復ビンタが痛々しい。


 「ミズハ、そろそろ止めた方が良いと思うぞ。そいつの頬が赤くなってきたんじゃないか?」

 流石に俺もその男が可哀そうになってきた。


 「うーん……」

 両頬を赤く腫らして、どことなく抜けた感じになったイケメン男がついに目を微かに開いた。


 「おい! アックス! ゲ・ロンパ! しっかりしろ! いい加減に目を覚ませ!」

 バチン! ミズハがさらに激しい一撃を叩き込む。


 ぶっ! と顔が歪んだが、目を開けた途端にパッとイケメンに戻った。おお、あんなに腫れた頬が一瞬で治るとは、流石は魔王!


 「おおっ! 愛しの我が妻、ミズハじやないか! いつ見ても美しい!」

 そう言ってゲ・ロンパは突然ミズハの腕を掴むと、いきなり棺桶にミズハを引きずりこんで押し倒した。


 「おおお! 何をするのだ!」

 「何をって毎朝の挨拶だ。決まっている」

 ゲ・ロンパは笑顔できらんと白い歯を光らせ、はぁ? となった顔のミズハの両手を押さえてふいにキスをした。


 うーーむ、これは本格的なディープなキスだ。

 まったく見ているこっちが恥ずかしい。


 「んんんんん……!」


 ぷふぁ! ゲ・ロンパの笑顔が眩しい。


 「いきなり何をする!」

 「何をって、結婚したんだし当たり前じゃないか。ほら、毎朝してるだろ? 目覚めのキスを忘れたのか?」


 「な、なんか違う。いつものゲ・ロンパじゃない」

 ミズハは口を拭って恥ずかしそうに起き上がった。


 「何を言っているんだよ。僕らは新婚ホヤホヤなんだぞ? ほらこの腹に光る婚姻紋が何よりの証……って、あれ? 無い! 無いぞ! ミズハとの婚姻紋が無い!」

 「ほぅ、私たちは結婚したというのか?」

 ミズハがゲ・ロンパを見上げた。


 「そうだよ! 僕の求婚を君が受け入れてくれただろ? ほら、あの海の見える丘の上でさ! 素敵だったろ?」

 「うーむ、海の見える丘か……。そんな所には行った事も無いな」


 「おおおお! 新婚わずか一週間で新妻に愛想を尽かされたのだろうか? この僕としたことが! ああ、僕の一体どこが悪かったのだ、ミズハ!」

 ゲ・ロンパはイケメン台無しでうろたえ始めた。


 「落ちつけゲ・ロンパ、色々と説明しなければならないことがある」

 「そう言えば、この方たちは誰なんだ? 初めて見る顔がほとんどだが、人間との戦時中に人間族との混成パーティか?」

 ゲ・ロンパは俺の顔を見て少し警戒したようだ。


 「安心しろ、これはみんな私の旅の仲間だ。それよりちょっとお前に確かめたいことがある、今は何年の何月だ?」

 ミズハがゲ・ロンパに言った。


 「結婚したのが先月の末、明かりの冥用の歳、宵月の十三夜だったから……」

 ゲ・ロンパが考えながら顎を撫でた。

 「ふーー、今から7年も前か。そこでお前の時は止まっているのだな」

 ミズハが額に手を当ててため息を付く。


 「時が止まっている?」

 ゲ・ロンパが不思議そうな顔でミズハを見つめた。


 「どういう事なんだ?」

 俺はミズハに尋ねた。


 「つまり、ゲ・ロンパは今まで7年もの間、幻覚を見せられ、ここで寝ていたのだ。時期的にはこの旧王都が陥落する前後だろう。つまり大戦の後半の2年間、我々を指揮していたのは偽物だと言う事だ。そしてそいつが大戦後に魔王に即位して帝国の頂点に座していたのだ」

 ミズハが悔しそうに両手を握りしめる。


 「気付けなかった私たちにも落ち度があるが、なるほど納得がいった。血で血を洗う大戦後期のあの苛烈な戦い様はゲ・ロンパの指揮ではなかったのだ」


 「何を言っているのだミズハ? エッツ公国が降伏してくれたのだ。これで南方の他の国々も戦わずして我らの威光に従うようになる。そうすればモナス・ゴイ王国と言えども我らを無視することはできなくなるし、大手を振ってアリアスティ姉上にも会いに行けるじゃないか?」

 微笑むゲロンパの前でミズハの表情は沈んだ。


 「そうはならなかったのだよ……。ゲ・ロンパ」

 「ミズハ、何を言っているのだ?」

 その雰囲気に不安なものを感じ取ったのか、ゲ・ロンパがミズハの両肩をつかんだ。


 「一体どうしたというんだ? そうならなかった? 戦争はどうなったのだ?」


 「戦争はとっくに終わったよ。ゲ・ロンパすまない! 私の力不足で! みんなを、ゲ・アリアスティ様を助けることができなかった!」

 苦しい声を吐き出し、それ以上何も言えなくなったミズハをゲ・ロンパはそっとその胸に包み込んだ。


 「教えてくれるか? 私がここで眠っていたのは理解した。それで、どうなったんだい?」

 ゲ・ロンパは厳しい表情をしてミズハの頭を優しく撫でながら、集まったみんなの顔を見回した。


 「叔父さま、初めてお目にかかります。リサと申します」

 リサがゲロンパの前に立った。


 「だ、誰なんだ?」

 ゲ・ロンパはその美少女に見覚えはないが、どことなく誰かに似ているような顔つきだ。それに叔父様と呼んだか?


 「辛い話を聞かせることになるが、俺から話そう」


 まだミズハが立ち直れないでいるので、俺からゲ・ロンパに全てを話すべきだろう。足りないところはセシリーナやイリスたちが補足してくれるはずだ。


 南部での苛烈な殲滅戦の果てに大戦が終焉したこと、ルミカミア・モナス・ゴイ王国の滅亡にゲ・ロンパの姉であるゲ・アリアスティが殉じたこと。リサがゲ・ロンパの姉の忘れ形見であること。そしてその後の帝国の動静、現在の情勢についてである。


 「そうか、僕がこんな所に封印されて眠らされている間にそんな事が……。ミズハ、君を辛い目に遭わせてしまったようだね」

 ゲ・ロンパは事実として受け入れたようだ。度量の大きい男なのか、根が単純なだけなのか。


 だが俺は見た。

 姉の死と大戦で多くの者が死んだことを知ったときの彼の眼差しの変化を。彼は熱い感情を秘める事ができる男なのだ。


 彼が今嘆き悲しめばミズハの心にさらに深い傷を負わせることになる。それを知っているからこそ感情を押さえたのだろう。男だな、ゲ・ロンパ!


 「それと、久しぶりだねクリスティリーナ。カインとの結婚おめでとう。私としては少々残念なのだが、今の私にはこのミズハが一番大事だ」

 ゲ・ロンパはセシリーナに手をかざした。王家の祝福の仕草なのだろう。セシリーナはうれしそうな表情でその栄誉を受けた。


 「こうなれば何としてもカインのために良い子を産んでくれよ。人族と魔族が共に生きる世界の象徴になる。身体を大切にするんだぞ」

 そう言ってゲ・ロンパは微笑んだ。


 セシリーナは顔が赤くなったが、その後、しっかり握手を交わしてうなずいた。


 どうやら魔王ゲ・ロンパは俺が知っている魔族の王族たちとは違うようだ。人間を差別しないところがイイ。下半身パンツ一枚という姿もなんだか親近感が湧く。


 「ねえ、あの魔王、なんだか雰囲気がカインに似ている気がするんだけど気のせいかしら?」

 俺の背後でサティナ姫がルミカーナにそっとささやくのが聞こえた。

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