第255話 真夜中の侵入者たち

 深夜である。

 ミシミシと階段を軋ませて男が上ってくる。


 「ふふふふ……今日こそはいただくわ……」

 ケバイ化粧の赤い唇が歪み、その手がカインの部屋の取っ手にかかった。

 「お部屋がここだという事は既に分かっているのよ。そろそろお薬も効いてくる頃合いだしね」

 カチっと音がして取っ手が止まった。


 「あれ? おかしいわね。鍵は合っているはずなのに、開かない」

 少しいらだった野太い声が響く。


 「無駄ですよ」


 「え?」

 振り返ると、闇の中にぞっとするほど美麗な少女が立っていた。暗闇が結晶化したかのような黒いメイド服に身を包んだその美麗な顔立ちに、女には興味がないはずの男の心すらかき乱される。


 「あ、あなたは誰なの?」


 「名乗る必要はありません」

 アリスは男の目の前で指を水平に動かした。


 「ほへ?」

 男は妙な声を上げると、虚ろな目をして大人しく下へ降りて行く。


 「まったくカイン様ったら、だからもっと安全な宿にお泊りになればよろしいのに……」

 その後ろ姿を見送ったアリスは溜息をついてガチャリと鍵を開けるとカインの部屋に入った。


 部屋の広さに比べて大きめのベッドが一つ置かれており、そこに盛り上がった布団が見える。


 アリスはベッドの脇に置かれたイスに腰掛けると、酒臭い息をして全裸で爆睡しているカインの横顔を愛おしそうに優しく撫でた。布団をかけていてもありありと分かるほど股間はテント状態だ。


 アリスは慣れた仕草で服を脱いで全裸になるとそっとカインの布団に潜り込んだ。


 「さすがカイン様、いつもなから雄々しくて素敵です。せっかくなので今夜もこっそり処女同衾させてもらいます。親密度が上がれば紋の絆が深まって……、ふふふ」

 アリスは微笑し、艶っぽく唇を舐める。


 「!」

 と、その腰を突然カインがぐっとつかんだ。布団がはらりと板の間に落ち、パッと部屋の灯りがつく。


 「え? カインさま!」

 あっ、と声を上げる間もなくアリスは力強く抱きしめられ、ベッドの上に押し倒されていた。


 「俺だって今夜はさすがに気づいたよアリス、毎晩裸で抱きつかれていた夢、あれは夢じゃなかったんだ」

 カインが耳元でささやく。


 「い、いつのまに目覚めて……!」と顔が赤くなる。そう言えば、あの男、薬がなんとかって言ってましたね……アリスは「ははん」と察する。カインは強い媚薬を盛られた。だから次第に興奮状態になって眠りが浅くなり目覚めたのか。


 「カインさま……」

 「アリス、綺麗だ」

 アリスの一糸まとわぬ美しい裸体を見て、カインの鼻息は荒くなっている。


 これはまさに千載一遇のチャンス到来!

 ついにその時が来た! 


 (約束どおり一番槍はもらいます)


 「素敵です……」

 アリスにもためらいはない。カインを誘ってその厚い胸板に手を添え、恥ずかし気に、うれしそうに優しく微笑む。


 「うおおおっ! アリス!」

 ついに夜の魔王が覚醒した。もうこうなれば誰にも止められない!

 「ああん、カインさまっ!」

 やがて、激しくきしむベッドの音と共に甘く切ない声が響き渡り始める。


 ……それから、どのくらい時間が経っただろうか。


 「……カイン様、また邪魔者が来ちゃいました」

 美しい双丘をたわわに波打たせ天国を漂っていたアリスが軽い失神から目覚めた。


 「まったく、不粋な奴らだな。こんな時に」

 カインはアリスの細い腰を両手で掴んだまま動きをとめ、愛らしく汗ばんだアリスの白い首すじにキス痕をつける。


 「行ってくるのか?」

 「はい、すみません。ちょっと出てきます。終わったら、まだまだ続きを……。よろしいですか……?」

 「もちろんだ。君との大切な夜だ」

 いつになくカインがキザっぽいのは媚薬のせいだろうか。

 「カイン様、とてもうれしいです」

 アリスは微笑む。

 

 そっとベッドから降りるその裸はあまりにも美しい。まさに美しい蝶に羽化したばかり。清楚さを残しながらも男を知ったばかりの背中が色っぽく艶めかしい。


 「今度はどちらのお客様でしょうか。せっかくカイン様とベッドを共にしてその愛おしい余韻に浸っていたというのに。カイン様の媚薬の効果が切れる前にベッドに戻らないと」

 そう言って、アリスは下着を拾う。




 ーーーーーーーーーー


 その侵入者たちは足音もなく廊下の窓から二階に侵入した。

 手には鋭利な柳刃の刀を持っている。


 「余計な出場者は前もって蹴落とすとは雇い主様も必死だな」

 「それだけ金が動くのさ。さっさと片付けちまおう」

 そう言って侵入者たちはリサとオリナが寝ている部屋のドアに前に立ち、部屋番号を確認した。


 「やれやれ、これで何人目でしょうか? 愛の時間を踏みにじる下衆野郎は……」


 ふいに澄んだ声がして、ギクリと2人はとっさに身構えた。


 「何故だ? 隠密効果を発動していたのだぞ」

 「おかしいぞ兄貴、こいつの気配を感じなかった」


 廊下に立つのは美しくかわいい少女である。だが、ただの美少女でないことは明らかだ。


 「雇われ用心棒か? だが、しくじったな。俺たちが相手とは運がなかったな」

 そう言うと男はニヤリと笑みを浮かべ、相手に気づかれぬように術を展開した。


 ぐにゃりと壁が歪み、床が波打った。狭いはずの廊下が広がり、高さや広さの間隔が無くなっていく。


 「ふふふ……我らの闇術の恐ろしさを知るがいい」

 もう一人の男が闇の中から黒い鳥を呼び出した。


 「行け! 始末しろ!」

 男の声と共に、黒い鳥は一瞬羽ばたいた。

 次の瞬間、その身を鋭い槍と化した黒い鳥が少女目がけて突っ込んだ。


 「はははは……終わった、死ね!」

 「この空間は感覚を奪う。もはやお前はどこにも逃げられない!」

 黒い鳥が少女の胸を貫き、反転してさらに腹を貫いた。

 少女の血飛沫が辺りに飛び散った。

 一撃である。感覚を奪われては避けることもできないのだ。

 絶命した少女はゆっくりと床に崩れ……、ない?


 なんだと?

 男たちは目を剥いた。


 血だらけの少女が笑っている。

 その目が怖い。

 胸と腹に大穴を開け、血まみれで笑う少女、それは余りにも凄惨な光景である。


 「ば、馬鹿な! こいつ死なないだと!」


 少女が血まみれの腕を伸ばして襲いかかってきた。

 とっさに剣を振るうが、斬られても少女は怯まない。


 「兄貴!もしかしてこいつ元から死人なのでは!」

 あり得ない光景に合理的解釈を与えることで理性を保つ。

 「そうか、それがからくりだ。使役されたアンデッド!」

 「ならば、死人を黄泉の世界に送り返すのみ!」

 そう言うと男は詠唱を始めた。


 「早く頼むぞ!」

 血まみれの少女が幽鬼のように襲ってくるのを剣で防いでいた男が叫んだ。

 「このっ! このっ! 離れろ!」

 男の剣に体中を斬られ、さらに凄惨な姿になっていくが、元が美しいだけにより恐ろしい。


 「いくぞ、闇術、死人返し! 死人め黄泉の世界に帰るのだ」

 深い闇が少女を取りかこみ、しだいに包んでいく。

 これで消滅するはずだ。

 そう思っていた二人の前で少女が一歩前に進んだ。


 「…………」

 少女はニヤリと笑う。


 「うわっ! なんだこいつは!」

 「死んでいるはずなんだ! なぜ送り返せない!」

 絶対の自信を持つ闇術が効かない。こんな相手は始めてだ。


 「ふふふふふふふ…………」

 怪しい笑い声が廊下に響き渡った。


 「なんだ! これは!」

 「兄貴!」

 動揺する二人の前で、突如少女が2人、3人と分裂していく。

 闇術師でも見た事も聞いた事も無い状況だ。

 その少女が二人に抱きついて来た。


 「こ、これは術なのか?」

 「な、なんなんだ! どうして! さ、触るな!」


 「兄貴! た、助けてくれ!」

 二人の少女に捕まった弟の身体が目の前で腐っていく。


 「て、手を離せ!」

 腐った手が足首を掴む。助けにも行けない。


 「あー、にー、きーーーー……・」


 「うわああああ!」

 男が絶叫した。

 目の前で弟が人の形をした腐った肉に変貌した。

 ふと見ると自分も同じだ、少女たちに触られている所から肉が腐り、同時に手足がミイラ化していく。


 「ぎゃああああ…………!」

 悲鳴を上げて男が頭を抱え、白目を剥いて両ひざを落とした。



 パチン!

 アリスが手を叩いた。


 「もういいでしょう。遊びは終わりです。さあ宿を出て行きなさい。宿を出たら、この街に来てからの記憶は無くなっています。良いですね」


 リサたちの部屋の扉の前で白目を剥いていた二人は機械仕掛けのようにうなずくと、ぎこちない足取りで階段をゆっくり下りていく。




 「行ったか? やはり私の出番はなかったな」

 奥の廊下で壁に背もたれていたミズハが声をかけた。


 「まあ、ミズハ様。やはりお気づきになっていたのですね?」


 「ああ、毎晩騒がしいことだ」

 「まったくです」


 「アリス、明日の模擬戦は、リサの警護をたのむぞ。グループ登録していないから試合に手出しはできないだろうが裏からリサが怪我をしないように見守ってくれ」


 「わかっております。それが元々の私たちの役目ですから。でも、おそらくその心配は無用です」


 「何か知っているのか?」

 「ええ、これでもリサ王女の守り役でしたから。王女はそう簡単には負けませんよ」

 アリスはにっこりと微笑んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る