第6話 モラトリアムの彼女たち
アイドルをプロデュースする。
全くやりたいと思っていなかったことの依頼に、俊はしばし無言になる。
口を開いたのは向井であった。
「いや、学生の彼にそんなことを頼むのは無理だろう」
「でも今のままじゃ上に行けません!」
上昇志向の強いルリに、アンナも加え他の三人も頷いている。
確かに今は、マネージャーがいるとは言ってもイベントへの参加を手配したりする程度。
本格的に売り込む人間がいれば、アプローチの仕方は増えてくる。
俊はわずかな時間だが、ちゃんと検討はした。
結論ははっきりしている。
「それは無理だ」
やりたいとか、やりたくないとかの問題ではない。
「俺はまだ学生で、勉強の時間が足りていない。それに自分の曲も作っているから、本当に単純に時間がないんだ」
「けれど、ミキには歌わせたいんすよね」
「それは、俺が彼女と組めば、得られるものがあるかもしれないと感じたからだ。別に成功を保証するわけじゃないし、彼女にはアルバイト代を払うが、それがずっと続くわけでもない」
駄目だと思ったら、ユニットは解散だ。
ただこれで駄目であったら、自分の先もまた見えなくなる。
俊の言葉に、向井もかぶせてくる。
「彼に楽曲を依頼するにしても、それはもう仕事であって、報酬を払う必要が出てくる。お前たちには無理だろう?」
五人がかりで必死でアルバイトをすれば、それなりの金は作れるかもしれない。
だが音楽プロデュースなど、相当の専門職であろうというぐらいの想像はつく。
そして何より、時間が問題となるのだろう。
とりあえず、今はこれで抑える。
しかし本当に、どうにかしたいとは思っているのだろう。
「それじゃあミキ、お前は渡辺君との話もあるから、こっちに」
「渡辺?」
「ああ、僕の本名です。一応サリエリというのは表に出していないので、以降は渡辺でお願いします」
サリエリという名前など、深く調べられたら何が由来か、また自家中毒が明らかになって恥ずかしい。
そして月子を含めた三人は、また先ほどのバーへと向う。
他の四人のメンバーの視線を、その背中に受けながら。
ここからは仕事の話になる。
「じゃあミキさん、最初は10日分と言っていたけど、これが増えるのは問題ないかな?」
「それはもう! 時給2000円おいしいです!」
歌っている時は神秘的な雰囲気さえするのだが、喋っているとそうは思わない。
頭が悪いわけではないともう分かっているのだが、ちょっと距離感のつかみ方が下手だなとは感じる。
俊は向井と話し合っていて、契約の問題などは聞いている。
ただ向井が気にしたのは、月子の将来とまでは言わないが、ある程度は食っていける状況は作るように、ということであった。
「最初はいきなりユニットと考えてたけど、準備期間を作ることにしたんだ」
俊は朝倉のバンドに、自分自身のボカロP活動と、微妙な失敗を繰り返している。
それである程度は、下準備の大切さを分かってきている。
「まずミキさんには、歌い手としてネットデビューしてもらおうと思う」
そう言われても、月子にはピンと来ない。
「歌うんですよね?」
「うん、でもいきなり俺の曲を歌うんじゃなくて、他の曲をカバーして歌って、ある程度有名になってもらいます」
「そんな簡単に有名になれますか?」
「……確実なことなんて世の中にはないけど、ある程度の勝算はあります」
少なくとも今のアイドル路線よりは、と俊は心中で呟いた。
二人の様子を見ていた向井が、少し戸惑いながらも口を出す。
「まずはお互い、本名を名乗るべきじゃないか?」
そこで二人とも「あ」という顔をするあたり、どこから欠落している。
あるいは重要なこと以外は、どうでもいいと考えているのかもしれないが。
月子を任せるには、少し危ういところがある。
「渡辺俊です。現在大学三年生です」
「久遠寺月子です。高校卒業したところです」
「じゃあ、月子さんか久遠寺さんと呼んだ方が?」
「あ、それなんだけどな」
向井が口を挟む。
「渡辺君には言ったが、ミキの名前はメイプルカラー以外では使えないから、本名か他の名前で頼むな」
「え、なんで?」
「いや、最初に契約したとき、他に移籍した場合はミキの芸名は使わないって契約書に書いただろ」
「……そうでしたっけ?」
普通にあることだ。芸能人が事務所移籍などによって、元の名前が使えなくなるというのは。
ただその場合、芸能活動をするならば、という注釈がついていたりする。
俊の考える歌い手の活動は、芸能活動とは見なされない。事務所を移籍するわけではないからだ。
だが今後、月子が期待通りに売れてしまった場合、事務所に所属する場合など、改めて名前を変える必要が出てくる。
そのため最初から、名前は変えておいた方がいい。
どのみちメイプルカラーのミキでは、宣伝効果などはないのだから。
それに向井は、月子の望みを知っている。
「あの名前、使えばいいだろ。最初はそうする予定だったんだし」
「候補があるなら、特におかしくない限り、それでいいと思いますよ」
「えっと、じゃあ『ルナ』を使いたいんですけど」
「ああ、名前が月子さんだからか。でもなんで今まで使ってなかったんです?」
「うちのセンターがルリで、名前がかぶるからな」
なるほど。単純な話であった。
俊はこの賭けには負けたくない。
なので準備には時間も金もかける。
ただ時間は有限であるのも確かなのだ。
「まず10曲、既存の曲をアレンジして、ルナという歌い手でデビューしてもらう。その際の費用とかは全部こちらが負担するから」
「あの、歌い手ってお金入るんですよね?」
「トップレベルなら。そこも戦略が必要だけど、まずこの10曲を決めたい」
まさにプロデュースだな、と俊は少しだけ皮肉に考える。
「20曲以上、好きな曲や歌いたい曲を選んできてほしい。他の人に相談してもいい。洋楽でもいいけど、ただある程度の流行曲であることと、自分がちゃんと歌える曲であることが条件だ。隠れた名曲なんかもいいな」
仕事モードの俊は、少し声が低くなる。
それに対して月子も頷いた。
「俺も20曲ほど選んで、今度会える時に話し合って、10曲を選び出す。出来ればお互いに5曲ずつ選べればいいけど、あまり合っていないやつだと、俺のものだけになってしまうから気をつけてほしい」
シビアな指定に、月子は固い顔で頷く。
二人の予定を確認し、今後の予定も話す。
まず10曲を選び、次に俊がそれをアレンジ。
必要であればボカロでアレンジしたものを歌わせ、それを元に月子とのレッスンを開始する。金銭的対価はここから発生する。
俊が仕上がったと思ったところで、大学の設備を使って本格的にレコーディング。
そして配信を始めて、ある程度のフォロワーを増やしてから、ユニットとして活動を開始する。
「そんな簡単にフォロワーって増えないと思うんですけど」
「確かにやってみないと分からない」
俊も今のフォロワーを得るのに、四年の時間をかけている。実際は受験もあったので、休止期間もあったが。
「だけどフォロワーを増やす、一番効果的な手段を使う」
「え、そんなのあるんですか?」
「インフルエンサーに宣伝してもらう」
「お金とかで?」
「金で買えるものなら買いたいな」
実際はつまらないものを宣伝すれば、インフルエンサーも己の価値を安くしてしまう。そう甘くはない。
だが、俊は過去に経験がある。
「俺もボカロPなんかやり始めた頃、50人ぐらいで停滞していたのが、ちょっと有名な人が普通に宣伝してくれて一気に1万人ぐらいまで増えたんだ。そして今の俺は、3万人のフォロワーがいる」
「ああ、渡辺さんが最初に宣伝すると」
「まあそのうち1%が関心を持ってくれたとして300人。その中にまた一人でもインフルエンサーがいれば、さらに広がっていくかもしれない」
このあたりは運やタイミングがある。本物のインフルエンサーは計算して宣伝もするらしいが、俊にはそういった部分の蓄積はない。
本当にいいものはいずれ認められる、などというのは幻想である。
世に氾濫する音楽の半分が薄味のBGMだと、俊などは考えているからだ。
そしてもう半分近くは、ただの商品だ。
「どのみちそれなりに注目を集めたところで、改めて俺と君とでユニットを組み、今までに発表した中で上手く歌ってもらえそうなのと、新曲を発表する」
ここまでは、別に成功するかどうかは関係がない。ただの作業だ。
「そこで受けたら、まあ次の曲を作るかな」
「けれど、それだったら10日もかからないんじゃないですか?」
「実際に歌ってもらって、変更していく部分は絶対に出てくるからな。どれぐらい時間がかかるかは、確かにやってみないと分からないけど、10日で終わるとは思えない」
「分かりました。じゃあまずは、いい曲を選んでくるんですね!」
「シャウトするような曲を選んでこられても困るけどね」
「選びませんよ」
なんとも天然そうな彼女は、言わないと選んできそうではあった。
月子が立ち去った後、向井は俊に向き直る。
「実際のところ、勝算は本当にあるのか?」
「少なくとも、彼女には。問題は僕の曲が彼女に負けないかどうか、ですね」
この評価の仕方に、向井は軽く頷いた。
「君の作った曲はいくつか聞いてみたが、今時の若者はあんな複雑な音楽を作ってもまだ、トップに立てないのか」
「今の言葉が、俺の曲に対する評価ですよ」
「うん?」
「複雑、技術的、上手い。その程度なんです」
俊の言いたいことが、向井にはなんとなく分かる。
商売の世界も、確かに計画などは重要だ。
だが実際には現場に立ってみて、実感を得なければ成功の確信は持てない。
俊の作った曲は、不快ではないがどこかで聞いたことがあるものが多い。
「ミキならそれをどうにか出来ると?」
「こう言ったらなんですが、メジャーレーベルの人間が見つけたら、すぐに声をかけるようなレベルですよ。今の女性若手シンガーだと、日本だと彩とkanonがトップ二人でしょうけど、ポテンシャルだけなら同じぐらいかと」
あくまでポテンシャルであって、実力ではない。
「彩は知ってるが、kanonってのは聞いたことがないなあ。紅白出てる?」
「ネットでしか歌ってない、完全に正体不明の歌い手ですからね。俺の人脈を使っても分からなかったぐらいだし……」
「君のお父さんの人脈かい?」
そう言われた俊は、表情を消した。
その反応に、向井は軽い口調で言った。
「思い出したんだよ。昔、チャリティのイベントライブで、お父さんと一緒に演奏をしていただろう? お母さんが歌って」
そうか、向井の年齢ならば、あのライブに参加していてもおかしくないのか。
元々、気鋭の若手実業家などを集めたものであったはずだ。
「そのことは内密に」
「やっぱりそうだったか。それはいいが、芸能界ならそういうしがらみとか、伝手でデビュー出来るものじゃないのかい?」
「出来ますけど、俺はゴミみたいな音楽を量産する気はないんですよ」
そう、今の世間に多く流れているような。
俊には作曲にしろ演奏にしろ、生み出す力は弱い。ないとは言わないが、上には上がいくらでもいる。
そしてそのくせ、本物を聞き分けることは出来る。
評論家に回れないのが、俊の不幸であるのだろう。
「自分の中の何かを、もっとはっきりとしたものにして、受け取ろうとする人に伝えたい」
「商業的ではなく、芸術的にかな? ただ商業的なこだわりも極めれば、芸術的になるとは思うが」
「確かに今は、ゴミが比較的少なくなっている時代ではあります。いや、玉石混淆なのは変わらないけど」
丁寧な言葉遣いだが、使っている言葉は汚くなっているな、と向井は思った。
おそらくこの鬱屈したものが、この青年の抱えているものなのだろう、と。
わずかに本心を見せた俊に、向井はもう一つ訊きたいことがあった。
「メイプルカラーがメジャーシーンに行くのは、やっぱり無理かな」
「一つだけ方法はありますよ」
先ほどメンバーの今後について話していた時は、俊はそんなことは言わなかった。
向井がメンバーもいずれ、いい思い出として、現実的な道を行くだろうと言っていたからだ。
だからこれは、口が滑ったのだ。
「けれどそれをすれば、メイプルカラーはもう、全く違う存在になりますから」
そこまでを聞いて、向井はそれ以上は問わなかった。
戻ってきた月子に、メンバーが声をかける。
「社長は?」
「なんだかまだ話してるみたい」
「それでそれで、これからどうするの?」
「んとね、まずはカバー曲を歌うから、それを決めるんだって」
「え、わたしたちのとか?」
「そうじゃなくて」
月子の説明に、メンバーも納得したようであった。
「まずはメジャーな曲を歌って、人気を取るってことか」
「なんというか、わたしたちと変わらないね」
メイプルカラーも、まずはカバー曲から始まったのだ。
圧倒的に違うのは、俊の月子の歌に対する確信である。
やろうと思えばメイプルカラーも、月子の歌を利用できたのだ。それこそが俊の言わなかった、メイプルカラーがメジャーシーンに出る方法だ。
センターだろうがエースだろうが、呼び方はどうでもいいが、月子メインのグループにしてしまう。
他のメンバーはバックダンサーとコーラスにしてしまえば、もっと歌だけで通用する可能性が高かった。
ただ、アイドルソングを歌っていては、それにも限界があるだろう。
俊はあくまでも月子を、ボーカリストとして見ているのだから。
そして月子を主体としたとき、メイプルカラーはもう完全に、今の形とは違ったものになってしまっているだろう。
「よし、そんじゃわたしたちも協力して、オススメ曲探そうよ」
「洋楽でもいいって言ってるけど、ミキ洋楽なんか歌える?」
「う……イエスタデ~イ ふんふんふんふんふんふ~んふふ~ん」
「駄目だこりゃ」
イエスタデイ、タイトルだけ歌える問題である。
なおレット・イット・ビーも同じ問題を抱えていたりはする。ビートルズの名曲に限らず、洋楽はそういう憶え方をしている日本人は多い。
月子が歌えるもので、それなりにキャッチーなもの。
きゃいきゃいと話し合っているのは、それだけで楽しい。
皆が月子のために、月子を中心に話してくれている。
色々と打算はあるのだろうが、心から熱心に話し始める。
その様子を、戻ってきた向井が見つめる。
「あ、社長も協力してくださいよ。ミキに合ってる歌とか、やっぱり社長なら昔の曲も知ってるでしょ」
「うん? まあ構わないけどな。あと、古くても残っているのは名曲だぞ」
向井としては、これが成功しても失敗しても、メイプルカラーが今のままの形で残る時間は少ないと考える。
月子がミキではなくルナという名前を使うことからも、メイプルカラーとは独立した存在になることは確かだ。
メイプルカラーというモラトリアムの空間。
それを失った時、一番人生の目的を失うのは、月子である。
彼女はこの場所がなければ、自分すら上手く保てないだろう。
だが新しい、そしてより高みに昇っていく場所を得たらどうなるか。
若い女の子の関係に、向井は当たり前の心配をしていた。
「そこそこ昔の流行曲でも、やっぱり流行ってた曲とかがいいのかな?」
「90年代のJ-POPは良かったって大人は言うよね」
「社長は若い頃、何を聞いてたんですか?」
「そうだなあ。J-ROCKって言われるのを聞いてたし、あとは洋楽もそこそこ聞いてたぞ」
そういうことを言っている間に、彼女たちの書き出していた曲を見る。
「TTプロデュースか……」
「え?」
「いや、この頃ヒット曲を連発させていたプロデューサー兼作曲家作詞家の楽曲が集中していると思ってな」
「名前は知ってるけど、あんまり最近に聞くことはないですよね」
「このあたりは当時だからこそ流行ったっていうのもあるし、除外しておいた方がいいと思うな」
「アイドル曲はどうですか?」
「男女限らず外しておいた方がいいと思う。それよりもさらに前の方が、むしろいいのかもしれないが」
若い者の好きなものは分からないからな、と昔を思い返す向井であった。
しかし俊は、そのJ-POP黄金時代の呪いを、まだ引きずっているのではないか。
音楽の知識はとても多いように思える俊だったが、どこか危ういところを感じるのは、月子に似ている。
二人がお互いに関わりあうのは、いいか悪いかはともかく、大きな影響をお互いに与え合うのではないか、と人生経験が倍ほどの向井は思った。
「あ、それと社長、わたしたちがミキのコーラスに参加するのと引き換えに、アドバイスとか貰うのって取引できると思います?」
まだ諦めていなかったのか。
ルリとアンナは、確かに上昇志向が強い。
年齢的にもこのあたりで世間に出なければ、アイドルとしてはもう旬を過ぎる。
「まあ、次の話にもここを使って、その時に交渉してみたらいいんじゃないか?」
俊は確かに、これまでに向井が連れてきた人間よりも、音楽の本質を捉えてはいると思う。
売り出し方についても、リスクやコストを考えていた。
そんな俊が、メイプルカラーの未来には可能性を見ていない。
彼女たちのモラトリアム期間は、もうすぐ終わるのかもしれない。
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