第159話 夏休みの前に
ビートルズが残した曲は、213曲と言われている。
プリンスなどは1000曲を超えていて、それでいながらまだ未発表曲があるのだとか。
それに比べれば俊の作曲数などは、まだ50曲未満でしかない。
もちろん曲の断片は、あちこちに存在するのであるが。
インスピレーションというのは、どこから出てくるものであるのか。
少なくとも時間をかければ、いい曲が出来上がるというわけではない。
夢の中で曲を聴いたというようなことは、昔のミュージシャンには多くいたりする。
だいたいドラッグによるものなのだろうが、俊は酒までなら試したことがある。
酔っ払って作った曲は、作っている間だけは、名曲に思えたりするものだ。
前橋を訪れた次の週末は、宇都宮でのライブである。
こちらもハコの規模は200人と、それほど大きなものではない。
もちろんそんなものであっても、客がいるなら全力でプレイするのみ。
予定調和的な盛り上がりではいけないのだ。
まだまだこれから、ノイズは大きくなっていく必要がある。
千歳はステージに、スクワイアのテレキャスと、オーダーメイドしたテレキャスタイプの、二つを持ってきている。
楽曲によって使い分けるのが、今の千歳のやり方である。
暁も予備としてオーダーメイドのレフティを持ってきてはいるのだが、以前からのレスポールを使っている。
これはもう微妙な楽器のバランスに、体が慣れてしまっているというのもある。
あとは自分の出せる音が、このレスポールに密着してしまっているとも言える。
実際はエフェクターで、微妙に変えてはいるのだが。
以前にも言われたことだが、暁は高校を卒業したら、ギターを作る店か、カスタムの店などで働こうと考えている。
結局ギター弾きというのは究極のところまでいってしまうと、自分でギターを作ろうとしてしまうのだ。
その点では暁は、ギルモアやリッチー、ジミヘンよりもブライアン・メイを意識しているかもしれない。
ブライアン・メイのレッドスペシャルは完全自作で、そのギターによって奏でられる音は、シンセサイザーで作った音ではないのか、とまで言われたものだ。
よってQUEENの初期のアルバムには、これはシンセサイザーを使ってません、などという注意書きがあったらしい。
ちなみにブライアン・メイはイギリスにおけるギタリストランキングでは、一位に選ばれたりもしている。
ライブは大成功に終わり、打ち上げも明るいものとなった。
宇都宮まで来たことは、充分な成果となっている。
物販がそれなりに売れたが、まだミニアルバムがそれなりに売れる。
通販もしているのに、ライブを聴いた人間が、改めて買ってくれていたりするのだ。
他には定番のTシャツやステッカーに、ストラップなども作ってあったりする。
もっとも暁の代名詞であるTVイエローのレスポールなどは、さすがに使うわけにはいかないが。
このあたり意匠権というものがある。
そこに気をつけた上で、楽器を見せなければいけないのだ。
ぶっちゃけ黒塗り状態にしておけば、おおよそ問題はない。
暁の黄色いレスポールは、ライブハウスの中でも目立つものだ。
友達の少ない暁であるが、ギターの話なら相当に出来る。
だが昨今のEDMにおいては、ギターの重要度が低くなっている。
そもそもソロにおいても、ギターソロはなかったりする。
シンセサイザーによる打ち込み演奏というのは、俊が一番分かっていることだ。
ただライブの熱量の中では、打ち込みではフィーリングが合わないことがあるのだ。
ストリングスや管を使うには、どうしてもシンセサイザーが必要になる。
もっとも俊の場合、ヴァイオリンならそれなりに弾けるのだ。
そういう素養があるからこそ、楽曲の中にその楽器を取り入れることが出来る。
シタールの音なども使って、真の意味での多様性を意識する。
そんな俊が最近考えているのは、和楽器の音をもっと使っていけないか、というものだ。
霹靂の刻に続いて、荒天もかなり評価が高いものになっている。
やはり尖った特徴がある曲というのは、それだけ人の心に残りやすいのだ。
電子音を使ったEDMは現在の主流の一つである。
だがR&Bやヒップホップの流れもあり、それはより源流に近いのでは、と俊は思っている。
民族には音楽がある。
今のポピュラーミュージックは、黒人のブルースなどがその源流にあるとも言われている。
プレスリーなどのロックンロールから、ビートルズなどのブリティッシュ・インヴェイジョンが発生した。
そして今の日本の音楽は、一番の主流はJ-POPと呼ばれるものだろう。
昭和歌謡などと呼ばれるものに、洋楽が混じって変化して適応していった。
ここからさらに新しいものを生み出すには、温故知新の考えで、日本の民謡を意識するべきではなかろうか。
和楽器により現代のポピュラーミュージックを演奏するバンドもある。
たださすがにノイズであっても、これ以上の人数を増やすつもりはない。
月子の三味線に加えるのは、シンセサイザーによる和楽器音。
尺八や三味線をアクセントに加えた曲は、既にそこそこあるのだ。
楽器を使うのではなく、節回しなどを使うとしたらどうだろう。
だが月子に曲を弾いてもらっても、そもそも使う音階が違ったりする。
俊は父親からはポピュラーミュージック、母親からはクラシックの影響を受けている。
そこに日本の民族性はほとんど入っていない。
インプットしようにも、その受け皿が出来ていないとでも言おうか。
ただ日本に生きていれば、自然とどこかで聞いているはずなのだ。
日本の古来からの音楽というものを。
ちなみに演歌というのは案外歴史が浅いため、実は伝統音楽ではなかったりする。
あれはあれで、日本なりのブルースではあるのだろうが。
八月半ばのフェスへの出場は決まった。
ただ時間帯については、まだ決定していない。
さすがに最後を飾るヘッドライナーには、まだ選ばれることなどない。
しかしわざわざ聴きに来てくれるファンのためには、定番曲の他に新曲が必要になるだろう。
割り当てられている時間は、40分間。
基本的にカバー曲などは使わないが、普通に手続きをすれば使えないわけではない。
夏なので、夏祭りや打上花火など、そのあたりをカバーしてもいいのだが。
季節に合わせた曲を作らないといけない。
一応霹靂の刻は春の歌ではあるが、あまり春というイメージではない。
むしろ俊が影響を受けて作った荒天と同じく、その激しさは夏に向いたものであろう。
(季節をテーマには、あまり作ってないよな)
俊がテーマとするのは主に、人間や人間社会である。
苦悩や絶望や、それにすら至らない空虚が、俊の作曲と作詞の元となっている。
夏をイメージして、和楽器を使った場合、どういう楽曲になるだろうか。
そう考えた瞬間、映像のイメージが湧いた。
おそらくこれまで、数百人ではきかないぐらい、想像したであろうテーマ。
花火だ。
夏祭りも打上花火も、花火が大きなテーマになっている。
日本人の心の中には、夏の花火というものがある。
今でも何かのイベントでは、頻繁に使われているものである。
テーマははっきりしているだけに、逆に難しいものだ。
あとは海といったところだろうか。
他にも川や山などというものがあるが、最初に浮かんだイメージが、一番近いものであるはずなのだ。
ただ、近くてもそこにたどり着けるかは、また別の問題だ。
これまでに作られてきた多くの名曲が、壁のように立ちふさがっているイメージすらする。
フェスまでに新曲を作り、また告知もしていかないといけない。
タイムテーブルがまだ正式に決まらないというのは、こういったフェスではよくあることで、直前で変わったりもする。
いまだにそこそこ、ファーストアルバムは売れているという。
この長く増えているファンを、どれだけ会場に引っ張ってこれるのか。
また新曲を作ったとして、俊だけでは絶対に出来ないことがある。
栄二のドラムが必要になるのだ。
そうやって色々と、夏のことを考えていた俊に、練習に来た暁が頭を下げる。
「ごめんなさい。テストで赤点とって、夏休み最初の一週間、補習を受けることになっちゃった」
「そう来たか~」
「あたしもぎりぎりだった」
高校生には、そういうものがあるのだ。
俊にも大学の課題というものがあるが、レポートなどは学習しながら適当に書けるものである。
あとは作品提出などであるが、これは普通に作っているものを提出するだけだ。
まさに音楽をするために、俊は大学に行っているのだ。
そう考えると興味のないものまで学ぶ、高校の学習は大変なのだろうか。
(いや、そうでもなかったよな?)
俊は要領がよかったので、しっかりと平均点以上は取っていったものだ。
むしろ地頭は相当にいいのだが、本人にはあまりその自覚がない。
ともあれ厄介な事情が出来てしまった。
もっとも補習の前に、追試を一度やってくれるので、それに合格すれば補習を回避出来るらしいが。
「ところで科目は?」
「数学と化学」
なお英語は圧倒的にトップグループの成績であるらしい。
これだから洋楽を聴きまくっている人間は、面白いことになる。
「テスト前に勉強したんじゃなかったのか?」
「したけどダメだった」
それはもうダメであろう。
「いいんだ。あたしは高校卒業したら、ギターショップで働きながらバンドで食っていくんだから」
「ギターを作りたいなら、数学や化学の知識は必要なんじゃないか?」
俊の指摘に、硬直する暁であった。
心配ごとを抱えていても、ギターを持てば忘れられるのが暁の長所であろう。
忘れてはいけないこともあるのだが。
とにかく心配事を抱えていると、集中力がなくなる人間は多い。
暁はそうではないようだが、とにかく追試を合格させなければいけない。
数学と化学を教えるというのに、適した人間は果たして誰か。
信吾や栄二はもう遠い昔の記録となっているし、月子はそれ以前の問題。
すると俊はどうなのか、という話になる。
暁と父が住むマンションを、俊と千歳は訪れた。
そして今回の試験について、返ってきた問題を確認する。
「あ~、やったやった。俺もさすがに忘れかけてるな」
それでも暁以上の点数は取れそうだが、教えるとなると勝手が違うだろう。
一番いいのはやはり、専任で誰かに教えてもらうことであろう。
しかし暁には、教えてくれそうな頭のいい友達がいない。
こういう時にぼっちであると、本当に困る。
「さすがに留年も中退も許さないからな」
暁の父の保もそう言うが、本人も教えられるほど、高校時代の成績はよくなかった。
どこかに家庭教師のような、勉強を教えられる人間はいないのか。
俊の人脈を辿っていけば、レベルの高い大学にいる人間もいるだろう。
だが教える相手が女の子というと、男に任せるのはちょっと気が引ける。
「まさかこんなことで事務所に頼るわけにも……いや、最終手段としてはあるかもしれないけど……」
俊はそう言いながら連絡先を探していて、心当たりらしきものにたどり着く。
ただ、これは向こうが忙しかった。
思えば同年代となると、もう就職活動もひと段落がつき、インターンが始まったりしているのである。
そんなところに、千歳が教師を発見した。
「三橋先輩が受験勉強の傍ら、見てくれるってさ」
なるほど、本来は部活の先輩と後輩であれば、そういうつながりになっているのか。
マルチプレイヤーである三橋京子は、既に三年生で受験勉強に入っている。
だがそれでも人に教える程度には、余裕があるということらしい。
「数学と化学、大丈夫なのか?」
どうしても無理なら、短期で家庭教師を募集するのも仕方がないか。
音楽で稼いだ金は、音楽のために使いたい。
だが学業で足が引っ張られるというのは、本末転倒なのではないか。
メンバーのプレッシャーを受けながらも、暁は必死で勉強をする。
どうにか追試によって、夏休みの補習を逃れることは出来たのであった。
「三年間でちゃんと卒業するんだぞ」
思わずそんなことを注意してしまう俊であるが、これは仕方がないであろう。
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