第160話 灼熱の季節

 七月は暁の赤点の問題もあり、微妙に練習が足りていなかった。

 そして少しでも客の反応が悪いと、それを気にしてしまう俊である。

 ライブは常に、客との勝負だ。

 どれだけ客が盛り上がってくれるかは、こちらの演奏次第である。

 結果だけを見て、盛り上がったからいいや、などと思っていてはいけない。

 アンケートも悪いことなど一つもないが、それでも書かれていることの熱量が、いつもよりは足りない。


「真剣に音楽やろうと思ったなら、日頃から他のこともやっとかないとダメだぁ」

 フィーリングに欠けた演奏をしていた暁が、ウーロン茶で酔っ払って反省している。

 今日はギターを持った状態でも、集中し切れなかったのが、自分で分かっているのだ。

 他人の悪口を言わない月子や、明らかに自分の方が下手な千歳は何も言わないが、他のメンバーは淡々と駄目出しをしていく。

 ただ優しい声をかけるのが、本当の優しさとは限らないのだ。

「夏休みの宿題には手をつけたのか?」

「あ~……フェスが終わるまではちょっと」

「ロックフェスの後も、少し小さい規模のフェスがあるんだか?」

 俊の詰め方は、淡々としているが逃げることを許さない。


 俊の視線は千歳にも向けられる。

「あ、大丈夫大丈夫。全部は終わってないけど、ちゃんとフェスとか参加しても終わるペースでやってるから」

「夏休みの宿題なんて、配られた日にやっちゃうのが一番楽だろうに」

 そんな俊のため息混じりの言葉には、信吾や栄二でさえぎょっとした目を向けたものである。

 基本的に俊は、優等生ではあるのだ。

 優等生の作った音楽は、あまり面白みのなかったものであったが。

 今ではそれも含めて、プロデュースが出来るようになっている。

 欠点は上手く捉えれば、武器にもなるのだ。


 フェスでの反応次第では、より大きな規模でライブコンサートを出来るようになるだろう。

 インディーズではあるが、資金はしっかりとためてある。

 俊自身は地下のスタジオに、レコーディング設備をもう一度付け足すために金を貯めていた。

 だが金の使い方というのは、色々とあるものだ。

 事務所に所属していると、レコーディング費用はかなり出してもらえる。

 作詞作曲にアレンジの最終バージョンまで、俊が作った楽曲たち。

 それをミックスしてマスタリングまで、最近は俊自身が行うこともある。

 もっともそういったことに関しては、本職のエンジニアを雇った方がいいのだろうが。


 自分が思った完成と、他人の感じた完成。

 どちらが優れているのかはともかく、こういった形で作り出すことも出来るのか、とは思う。

 メジャーレーベルから売り出していれば、もっと早くにノイズの音楽は拡散していたのかもしれない。

 だがSNSなどでインフルエンサーの口コミなどから、サリエリの曲は人気が広がったものがあるのだ。

 もっとも何曲も作っても、PVが回るのはほんの数曲だけであったが。




 八月に入ると、他のイベントも色々と行われる。

 この忙しい時期に俊は、ものすごく久しぶりに、こしあんPの名義で新曲を発表した。

 タイトルは「ワンワンにゃんにゃん」というもので、完全にネタに走ったものである。

 だが頭の中で完成してしまったのだから、発表するしかないではないか。

 犬と猫の鳴き声の掛け合いを、ミクさんとGUMIさんにやってもらって、ラップ系の歌詞も乗せる。

 もう引退したのだと思われていたこしあんPの復活に、ボカロ界隈はちょっとした騒ぎにはなった。


「こ、こんなくだらないもので……」

 受けるだろうな、とは思っていたのだ。

 だが実際に受けてしまうと、複雑な気持ちになる。

 俊がサリエリでありサーフェスであると知っている人間は、ほんの少しだけいる。

 しかしこしあんPであることを知っているのは、岡町ぐらいである。

 この秘密はノイズの仲間にも言うことなく、墓の下まで持っていくつもりだ。

 まあモーツァルトも「俺のケツを舐めろ」などというタイトルの曲も作っているようだし、何が残るのかは分からないものだ。


 そんなことをしながらも、フェスの開催される千葉には、もう一度遠征ライブには向かっておいた。

 今までとは全く違う規模の、数万人が見れるステージであるのだ。

 音響などの設備周りは、さすがに俊たちではどうにもならない。

 上には上がいるというのは、分かっているつもりだ。

 それこそメインステージの方には、五万人を集めるようなミュージシャンが何人も出るのだ。


 前のバンドとの間に、セッティングなどをする入れ替えの時間があり、その間に客はどこかに移動するだろう。

 食事の出来る場所もあるし、好きなバンドをちょっと見るだけという人間もいるだろう。

 三万人までは集まるというステージで、1000人とかそういう数であれば、惨めな思いをしてしまうだろう。

 こんなことならもっと小さなステージも存在する、他のフェスに参加した方が良かったのではないか。

 基本的に自信がなく、悲観的な俊は、フェスが迫るごとにどんな気持ちが湧いてくる。

 だがこういう痛みさえも、音楽に変えてしまわなければいけないのだ。


 才能を持って生まれた人間は、その才能に仕える奴隷にならなければいけない。

 誰の言った言葉かは分からないし、ドラマか何かの言葉であったかもしれないが、俊は自分に才能があるとは未だに思わない。

 作ってきた曲は全て、ノイズのメンバーがいたからこそ出来たものだ。

 ノイジーガールと並んでキラーチューンとなりつつある霹靂の刻は、まさかの月子が作曲してきたものである。

 そして俊は基本的に、苦しみや痛みを歌詞にすることは出来ても、ラブソングは上手く書けない。




 フェス用の曲は、一曲作れた。

 40分の間にどれだけ演奏するのか、それも予定は決めている。

 一応セッティングの時間があるので、アンコールがかかれば二曲ぐらいは出来なくもない。

 しかし本当に、アンコールがかかってくれるのだろうか。


 俊は基本的に、求められず、裏切られた人間である。

 父は母と自分を捨てて、その母もほとんど今は息子を省みない。

 初恋の女性による裏切りは、俊の女性観を歪めさせた。

 バンドを組んだ時も、無責任で刹那的なメンバーに、自分の時間を無駄に使わされることになった。

 結局は一人で出来る、ボカロPを選択もした。


 そんな俊が、月子を求めた。

 そして月子も、俊を求めたのだ。

 二人の出会いから、奇妙な運命が動き出して、もう二度とやらないだろうと思っていたバンドを、またやっている自分がいる。

 この仲間たちは、馴れ合いで集まっているわけではない。

 だが俊は自分の、パーソナルスペースにまで入り込むことを許している。


 音楽で世界が変えられると思えた、過去のミュージシャンは幸福であったろう。

 今はそんな甘いことを言っても、誰も信じてはくれない。

 だがその場にいる、ほんの少しの人間に、少しでも刻み込むことが出来たなら。

 俊は自分が、音楽をやっている意味はあると思える。

 それだけで自尊心を満たすには、俊はまだまだ貪欲すぎる。


 新しいムーブメントを作り、その最先端にでもいたいと考えるのか。

 だが日本の音楽の大きな括りのムーブメントは、おおよそ三年ほどで入れ替わっていく。

 三年間頂点に立って、絶対的な固定ファンを作る。

 おおよそ五年間もランキング五位以内の曲を作り続ければ、まず大成功と言えるだろう。

 もっとも今の日本のヒットチャートには、あまり意味がない。

 何をもって一番ヒットしたと言えるかは、総合的に判断される。

 CDが売れただけで判断出来た、昔の方が分かりやすかったと言える。


 ビートルズは1962年から1970年までが活動時期と括られることが多い。

 しかし本当にライブコンサートなどをやっていたのは、アメリカ進出の64年からレコーディングバンドになるまでの66年まで。

 やはり三年間が、その分かりやすい活躍の時期であった。

 もちろんその後も名曲を作り続け、実験的な作品も売れまくった。

 ソロでの活動をしても、ジョンやポールはトップを走り続けたのだ。


 まだ何かが足りない、とは明確に感じている。

 後押ししてくれる勢いが、まだまだ不充分だ。

 あるいはそれはメジャーレーベルでこそ可能な、圧倒的な資本投下なのかもしれない。

 だが今の時点でそれをしても、食いつぶされるだけだとも思えるのだ。




 過去の売り方というのは、今ではもう全く役に立たない。

 だがそれでも、資本を投下すればある程度の知名度は稼げる、というのは間違いないのだ。

 周知されるやり方は、完全に二つに分かれると考えていい。

 ライブという完全な実体によるものと、ネットを通じたデジタルであるもの。

 俊はボカロPとしての経験を活かし、ネットの方の告知はかなり行っている。

 そしてライブにおいても、決まったタイムテーブルを告知していく。


 3rdステージ、15:30分からの40分。

 去年の数字を参考にすれば、三日間で40万人ほどが動員される。

 ただし売れたチケットの枚数のみのカウントであるので、三日間全部に参加するという猛者もいるわけだ。

 一日あたり10万人以上が動くという、国内最大規模のフェス。

 出場者はその三日間を、自由に他のミュージシャンのステージを見に行くフリーパスをもらっている。

「とは言っても他の日に関しては、ホテルが取れなかったりするんだけどな」

 現実的には体調も考えれば、出演する最後の一日だけが自由になるだろう。


 午前中にセッティングとリハを、手早く行っていく。

 そして昼にスタートするわけで、ノイズの出番は三番目といったところだ。

 タイムテーブルを見れば入れ替えの時間には、他のステージを見に行くことが出来るようになっている。

 またフードエリアなども備わっていて、何ヶ所かで食事をすることが出来る。

 一日あたり13万人前後と考えれば、とんでもない人数になるのだ。

「4thステージはまだ売り出し中のミュージシャンもいるけど、3rdってほとんどもう売れてる連中だな」

 現時点でのタイムテーブルを見て、信吾は引きつった声を出す。

「つまり4thが終わっている間には、こちらに流れてくるオーディエンスが多くなる可能性がある」

「1stや2ndに流れてく危険性もあるけどな」

 俊は前向きに考えようとするが、栄二でもそういう悲観的な見方になってしまうのか。


 インディーズバンドも何組か出ている。

 またロックフェスとは言いながらも、アイドルグループもいたりするのだ。

「他のバンドとかから客を奪え、というのは無理だと思うわ」

 阿部は冷静に、ノイズの現状を見ている。

「だけどお客さんが途中で離れていくような、そんな演奏だけはしないでね」

 移動距離なども考えると、常に二万人近くはステージのほぼ前にいるはずなのだ。

 一日あたりのチケットが、15000円。

 そんな金額を払って来ている客を、満足させなくてはいけない。

 一万人以上をその場に引き止めるパワーというのは、かなり巨大なものであろう。


 八月の末にも、やや小さめながら去年と同じフェスに出る予定になっている。

 今度のステージは一万人規模で、簡潔に言えば前年の四倍は集めないといけない。

 逆に言えばそれだけ、集められると期待もされているのだろう。

「あ、お前らもう練習に、夏休みの課題持ってこい。休憩時間に監視付きでやらせるから」

 俊の指示に、暁の顔が悲しそうに歪む。

 そんな顔をしてもらっても、学業がバンド活動の足かせとなってしまえば、そこから自由に動くことが出来なくなる。

 バンド活動が、高校生活からの逃げになってはいけない。

 最低限のやるべきことはやって、そこから音楽に全てをついやする。

 それぐらいの按配でやっていかないと、メンタルのバランスが悪くなるだろう。


 高校生はまだ、インプットを多くしていく時代だと俊は思っている。

 大学に入ってからは、本当に学ぶべきことを自分で選んでいったが。

 自分のように音楽の世界で食っていく覚悟を、暁はともかく千歳は持つことが出来るのか。

 灼熱の夏の季節の中で、ノイズの話し合いは続いていく。

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