第161話 二度目の夏
一度目の夏、七月に月子と暁を連れて、俊はノイズとしてライブハウスデビューした。
あの時は二人に振り回されて、随分と疲れたものである。
そこから六人がそろって、結成から二ヶ月もしないうちに、それなりの新人登竜門とも言えるフェスに参加することが出来た。
まだたったの一年と少しである。
二万から三万ほどの観客が見られるステージで、演奏することになる。
単独ではまだ、1000人のハコを埋めたのが最高であるのに。
もっともあのライブのチケットの売れ行きを考えれば、倍ぐらいは簡単に集められただろうとも思う。
しかしこれは、スタンディングであると言っても、20倍である。
ネットではその白熱したライブの中継がされている。
このチャンネルの収益なども、今は重要なビジネスになるのだ。
かつてはテレビが、情報発信の最先端であった。
しかし今はネットが、恣意的なテレビを超えたコンテンツを提供している。
確かにモニター越しに見ても、パフォーマンスの凄さは伝わってくる。
だがライブはやはり、五感で体感しないといけない。
まさに聞くのではなく、体験するのがライブであるのだ。
「というわけで、準備は出来たか?」
「はい、バナナはおやつに入るんですか?」
「よし、じゃあ出発しようか」
珍しくボケた月子をスルーして、俊は最終確認をしていく。
タイムテーブルを考えれば前日に入って、朝から準備をしても間に合う。
だが東京からならば別に、前日入りの必要もないのだ。
俊の家に前日に集まり、女子は女子で集めて宿泊。
俊は栄二にベッドを提供し、自分は地下スタジオの布団で眠る。
遠足に出かける前日のような、奇妙な興奮状態にある。
3rdステージとは言え、日本で最大規模のフェス。
ここまでやってきたのだ。
去年の春には、とても考えられなかったことだ。
自分の才能の限界を感じ、絶望に落ちかけていた。
もちろん才能などというものは、人によってそれぞれ発現の形も違う。
大器晩成などとも言われるように、覚醒するのにも人によって時期が違うのだろう。
ただ音楽の才能などは、早くに発揮できなければ、いつまでも続けていくわけにもいかない。
現代社会というのは、モラトリアムの期間が限られている。
それでも自分の夢を追って、どうにかその場所に到達する者もいるが、そういう奇跡が存在することによって、逆に諦めるタイミングを逸している人間もいるはずだ。
この世の中には可能と不可能の間に、可能性というものが存在してしまっている。
教育や努力によって、ある程度のレベルに達することは出来るし、それが上手く時流に乗ることもある。
しかし最終的には、運と運命が選ぶのではとも思う。
月子がいなければ、月子に出会わなければ、今の自分はどうなっていたか。
彼女と、彼女に引き続いて集まってきた仲間からのインプットで、俊は大きく成長した。
これまでに学んできたことや、インプットしてきた理論などが、上手く形になってきたのだ。
何かのきっかけによって、人はそれまでの蓄積してきたものから、爆発的成長を遂げることがある。
ただそういったものが許されるのは、若いうちだけであろう。
珍しく俊は寝起きが悪かった。
市販されている睡眠薬を、久しぶりに飲んでみたのだが、あまり効果はなかった。
むしろ朝日が昇るころに眠くなって、しょぼしょぼとした目でどうにか起きてきたという感じだ。
「私も今日はコミケだよ!」
同居人の一人である佳代も、そちらのイベントに向かう。
早朝に起きてきて、ギラついた目を向けてくる。
「本当なら見に行きたかったんだけどね」
イラストとデザインでどうにか食っている彼女だが、同人誌も出しているのだ。
この収入が意外と馬鹿にならないので、どうにか食えていると言っていいのかもしれない。
ちょっと収入を確定申告しているのか、怪しいところがないではないが。
見れば他のメンバーも、同じくあまり眠れなかったらしい。
おそらく眠気がひどいので、少しずつ交代して運転していくのが無難であろう。
信吾や栄二も昔の所属バンドでも、この規模のフェスには出たことがない。
ノイズが出演できるにしても、あと一年は必要だろうと思っていたのだ。
このあたり阿倍の人脈が生きたわけで、やはり事務所に入った甲斐があったというものだろう。
早朝の、まだ紫色の東京の中を、バンは走っていく。
かなり時間に余裕を見たつもりだが、これならどうにかホテルを予約すればよかっただろうか。
ただ手ごろなところは全て抑えられてしまっているので、やはりそれも難しい。
三日間全てを見るために、現地に泊り込む人間がそれなりにいるのだ。
眠気覚ましにカーステレオで演奏させるのは、メタル系の音楽である。
もっともメタル系も、バラードなどをやっていたりするので、とにかく覚醒のための音楽を流し続ける。
サービスエリアで交代し、爆音の中でも運転する者以外は、ぐっすりと眠ってしまったりする。
「もっと爆音で聞こうよ~」
「そんな状態で運転するのは逆に危険だ」
暁が文句を言うが、ボリュームは常識的な範囲に抑えられている。
午前中の早い時間から、タイムテーブル通りにセッティングとリハが行われる。
ただ野天型のフェスであるだけに、天候によって左右される部分が大きいだろう。
普段は広いスポーツ公園エリアであるのだが、巨大なステージが四つも作られている。
また既に飲食の設備もあるし、近隣のトイレなども開放されている。
サッカースタジアムなどもすぐ近くにあるのだが、ここはトイレなどが開放されているのみで、施設は他に使われていない。
「広い……」
千歳がそう呟いたが、去年参加した夏のフェスとは、まるで規模が違う。
単純に使われる面積だけを言うならば、さらに広いフェスはあるのだが、スポーツ公園のエリアがそのまま音楽公演のエリアになったと考えると、確かに広い。
ここではノイズのグッズなども、販売エリアで売られたりする。
そのあたりの手配は、さすがに事務所に任せてあるのだ。
関係者以外は駅からの徒歩かシャトルバスを利用していて、もちろんノイズのメンバーは関係者。
ドラムセットなども含めて、ローディーが運搬し、順番にセッティングと短いリハを行わなければいけない。
「忙しないな」
そう呟く信吾であるが、ステージに立ってみれば、集まる人数を想像できて、少し震えてくる。
武者震いだとは思いたい。
果たしてどれぐらいの人数が、ノイズのステージに来てくれるだろうか。
ノイズばかりを目当て、というのはさすがに考えにくい。
チケット代が高いため、他のミュージシャンのステージも見に行くだろうし、あるいはそれが被ってしまうこともあるだろう。
さすがにまだ早かったか、と弱気になるのは仕方がない俊である。
別に弱気というものでもなく、単純に周知がまだ足りていない。
去年はフェスに二つ出たが、一つは若手のみを集めたもので、もう一つは街フェスであった。
ワンマンで最高に集めたのは、1000人のステージ。
チケットはすぐに売り切れたというが、このフェスのチケットとは金額が比べ物にならない。
交通費もあるし、わずか40分のステージ。
新曲もやるとは言っているが、それだけでは引きが弱いのではないか。
夏場のフェスとしては、大きなものはもう二つある。
一つは時期的に、もうノイズが選ばれるということは難しかった。
しかしもう一つの方のフェスであれば、動員人数が少なめのステージもあるため、もうちょっとは安心できたのではないか。
(いや、弱気すぎるか)
事務所が推してくれたのはあるだろうが、それでも出場を最終的に決めたのは、運営側であるのだ。
ノイズのパフォーマンスを見て、大丈夫だろうと考えた。
ガラガラのステージなどを作ってしまえば、むしろ運営側の失態となる。
これまでやれることはやってきたのだ。
それにノイズのファンでなくても、時間の空いているという時に、来てくれる人間もいるかもしれない。
どれだけ集められるかではない。集めた人間を逃がさないのが問題なのだ。
ノイズはまだ発展途上。
およそ一年でこの舞台に立ったのだから、充分なスピードだ。
もっとも高校時代から音楽活動をしていた俊としては、やっとここまで来たのかという思いもある。
高校生でもうメジャーデビューしていたり、自分より年下のミュージシャンがデビューして人気が出ていたり。
なんなら今でも、年下の人間に嫉妬はしていたりする。
ただし昔と違うのは、こういった負の感情までも、ちゃんと音楽の中で昇華していくことが出来るようになったことだろう。
猛スピードでセッティングがされて、短いリハも行われる。
普段のライブハウスのセッティングなどとは、手際が全く違う。
これが日本最大規模のフェスを仕切るエンジニアたちなのか、と驚きの目で見るノイズのメンバーたち。
そして楽屋代わりのテントに連れて行かれて、やっと一息つく。
パイプ椅子に座り込んで、しばらく沈黙。
そこから立ち上がったのは、信吾と栄二である。
「知り合いのバンドに挨拶とかしてくるけど、一緒に来るか?」
その声は俊に向けられたものであるが、女性陣も反応する。
「どこのバンド?」
「ピットサイクルとかブラックマンタとか」
「超有名どころじゃん」
「顔見知り程度だけど、今後につながるかもしれないしな」
たとえば全国ツアーの前座など、といったものだ。
対バンを組むのとは違い、あくまで前座。
だが一万規模のホールやアリーナでライブをするバンドの前座ともなれば、しっかりと顔は売れるだろう。
もっともノイズの場合は、高校生組の二人の時間が、自由に使えなかったりするのだが。
上手く前座で名前を売れば、ファン層は一気に広がるかもしれない。
自前のツアーよりも、よほど効果は大きなものだ。
ステージを前にして、集中したいというのはある。
ただこのまま時間が経過するのを待っていても、緊張するばかりであるかもしれない。
このフェスは大きな節目になるかもしれないが、ノイズの活動は今後も続いていく。
それを考えると、人脈はつないでいった方がいい。
阿部は元のメジャーレーベルとのつながりがあるので、そのラインは太い。
だがあくまでインディーズにこだわっているノイズとは、決裂する可能性はあると思うのだ。
これだけ色々と面倒を見てもらってはいるが、音楽は売れなければビジネスにならない。
ノイズはなんだかんだ、利益になっているからこそ、こういう体制が許されている。
その阿部はこういう場所であると、あちこちに挨拶回りに向かっている。
マネージャーとして付けられたスタッフはいるが、彼は普段のスケジュール管理もしていない。
基本的にスケジュールは、ノイズのメンバーの方で考えているからだ。
「じゃあ、スマホ持っていくんで、阿部さんが戻ってきたらそう伝えてください」
俊と千歳は立ち上がったが、月子は座ったまま。
「ツキちゃん行かないの?」
「うん、どうせサングラスだし」
初対面の相手と、このフェスの直前での対面。
月子はまだ、対人恐怖症が完全には治ってはいないのだ。
いつまでも仮面をつけたまま、歌っていくわけにもいかないだろう。
だが少なくともまだ、自分を解放するタイミングではない。
やがて自分の、あるがままに生きられるようになるのだろうか。
「あたしも残ってるから、いってら」
暁が残るなら、特に問題はないだろう。
ただ本日のアーティストのバックミュージシャンの中には、彼女の知り合いも多いはずなのだが。
月子とはまた違うが、暁もまた人間関係に不器用である。
ギターを通してならば、いくらでも会話を広げていけるのだが。
芸能界は人間関係で全てが決まる、などとも言われている。
もっともそれを破壊したのが、ネットによる視聴者とのダイレクトなつながりであるのだが。
それでも巨大なイベントを行うとなると、多くの人々の力が必要になってくる。
(月子のトラウマになってる要素は、どこかで取り除けないものかな)
そう考える俊であるが、月子ももうすぐ二十歳になる。
いつまでも保護者のような立場でいるのは、むしろ彼女の自立を妨げることになるのかもしれない。
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