第158話 一泊遠征

 結局解決していない問題がある。ノイズの改名問題だ。

 ただこれは大きなフェスも控えているし、それが終わったタイミングか、同時に告知するぐらいでいいだろう、と阿部も言った。

 決定的な改名案が出なかったということもある。

 そんな中、高校生の二人は、期末試験に悩んでいた。

「「俊さん、勉強教えて」」

「いや、お前ら普通に、頭のいい友達とかいないのか?」

「いない」

「いるけど最近接点が薄いんだよ」

 暁は元々、まさに千歳ぐらいしか、友人と呼べる関係の人間が学校にはいない。

 あちこちのそれなりのミュージシャン諸々からは、それなりに可愛がられているのだが。


 千歳としては最近、ノイズでのバンド活動に力を入れすぎていた。

 保護者である叔母の文乃も、ちょっと心配になるレベルである。

 自分も小説家などというヤクザな商売をしているので、ある程度は理解のある文乃である。

 しかし小説家以上に、ミュージシャンという人種は寿命が短いのではないか、という気はしている。

 スポーツ選手よりは、ある程度マシであろうか。

 そもそも国内のスポーツで、どれだけプロのリーグなどがあるか、これまで調べたことがなかった文乃である。


 千歳は本当に、音楽で食っていくという気はあるのか。

 1000人規模の会場を昼と夜で埋めるとなると、それなりの人気はあるのだろうな、とは思う。

 しかし自分が十代の頃になど歌っていたミュージシャンなど、ほとんどもう見かけない気がする。

 実際のところは活躍の場が裏方になっていたり、ドサ回りなどをしていて、そこそこ長生きしているのだが。

 音楽業界は本当のトップにいないと、なかなか露出が増えないものであるのだ。


 もうギターで生きるしかない暁はともかくとして、千歳には大学で人脈を作ってほしいな、と思っている俊である。

 当初は大学の施設が目当てであったが、インディーズでもそれなりに稼ぐようになったため、レコーディング自体はスタジオを使えるようになった。

 それでもコネクションの枝は、上や横だけでもなく、下にも伸ばしておくべきなのだ。

 新しいムーブメントというのは、必ず下からやってくる。

 もっとも俊は、自分たちこそがその、下からやってきている人間なのでは、と思わないでもない。




 コンテンツの供給過剰の時代であっても、それが上手く回転するということはある。

 それがライブであるのだ。

 ビートルズなどはハンブルグやリヴァプールで、小さなハコでの演奏を続けてきた。

 CDが売れなくなった時代にも、ライブはしっかりと客を集めることが出来る。

 コツコツコツコツと、少しずつファンを増やしていく。

 もっとも何か巨大なイベントがないと、いずれは飽きられるのかもしれない。


 変わることと変わらないこと、どちらも大事なのだ。

 定番のものを求めているファンもいれば、新しい表現を期待するファンもいる。

 基本的にファンは新しいものを求め続けるのだろうが、その中心にあるのは変わらないものであろう。

「前橋って200人なんだ」

「少ないとか言うなよ」

「言わないよ」

 朝からまた、いつものバンで運転を交代しながら、前橋のライブハウスに向かう。


 ここもまた対バンのバンドと、一緒にやるライブである。

 だがノイズだけは一時間と、多めの時間をもらっているのだ。

 新しいファンはついでに聞いていくかということになるだろうし、元からのファンはその時間なら、それなりに楽しんでくれるであろう。

 ただしチケットの代金は昔と変わらない。

 ネット販売が可能になったことで、ギャラ代わりのチケットノルマが、そのまま収入になってくるのだ。


 前橋の場合はライブハウスの新装オープンのゲスト扱いで、呼んでもらっている。

 それなりに自分たちにも、ファンがついてきたと言ってもいいのだろうか。

 確かにYourtubeの登録人数なども、10万人を突破してきたりはしている。

 しかしその中にライブまで見に来るようなファンは、それほど多くないと言っていいだろう。

 ライトなファンの中で、1%ほどがライブに来てくれたら成功。

 それが本当であるなら、1000人のハコを埋めたノイズには、確かに10万人以上のファンはいるのだろう。

 もちろんファンクラブの会員は、それほど多いはずもない。


 ノイズはもったいぶったというか、大事な育て方をされている。

 それはメンバーの二人がまだ、高校生だからということもあるだろう。

 メジャーレーベルのタイミングであれば、今が売り時という判断がされるだろう。

 高校生であっても芸能科のある学校は、ちゃんと存在するのだ。

 ただそれを、暁はともかく千歳は許されるのか、という問題が出てくる。


 同じヤクザな稼業と言っても、小説家とミュージシャンでは、かなり存在が違う。

 もっとも最近のミュージシャンは、高卒や高校中退で一発当てようという人間より、大学まで保険をかけている人間が少なくはない。

 実際に高校よりも、大学の方が、時間は使えるのだ。

 千歳はその歌い方に、人を惹きつけるものがある。

 ギターの演奏に関しては、努力の成果だと言えるであろうが。

 しかし無数の音楽で体を満たしてきた暁と違い、千歳には作曲をするならば、体系的に学んだ方がいい。




 自分だけの何か、になることは出来た。

 それは千歳だけではなく、月子や信吾も感じていることだろう。

 栄二などはその自分だけの何かを、音楽だけで満たしているわけではない。

 家庭を持った彼は、誰かにとっての特別、ということが分かっているのだ。

 満たされた栄二の音は、激しさの中に必ず柔らかさがある。

 家庭を持ったロックスターであっても、その魂がロックであり続けることはおかしくないのだ。


 そもそも自分だけの何か、になっているのは暁である。

 ギターだけで生きていく、シンプルな価値観。

 もちろん実際には、もっと求めるものがある。

 ただ今は、それが音楽として満たされている。

 そして俊は、まだまだ満たされていない。

 特別な何かになったといっても、他の誰かでは代えられない、絶対的な何かにはまだ遠いのだ。


 ノイズが今、世界から消えたらどうなるか。

 悲しくて寂しいと思う人間はいるかもしれないが、巨大な喪失感を与えるというほどのものではないだろう。

 極端な話、俊はジョン・レノンやカート・コバーンのような存在になりたいのだ。

 存在の巨大さゆえに、憎しみに変わった愛情を向けられる存在。

 あるいは世界の潮流を変えてしまって、そんな自分自身に耐えられなくなる存在。

 俊の父は確かに比較的若くして死んだし、残した曲で少しは借金も返せたらしい。

 だが今も必ずカラオケで歌われたり、ラジオで流されたりというような、そういう曲はほとんどない。


 新しい音楽はどんどんと生まれていく。

 その中に埋まっていく音楽では、俊は満足できない。

 Yourtubeで10億回でも再生されれば、消えない曲として周知されるだろうか。

 そういった曲を何曲か作ってこそ、俊の名前も現代音楽史に残るだろう。

 あるいはフォロワーを何人も作っていくか。


 ノイジーガールを学校の課題に使うというのは、一つのフォロワーとしてのあり方であったろう。

 また15秒間の短いダンスなどに、かなり使われていたりする。

 霹靂の刻もそういったものが、少しあったりする。

 ただこの使われ方は、バズる導線になったとしても、ずっと残る曲にはならないように思える。

 曲だけではなく、人としての興味まで抱かれて、ようやく俊は満たされるのだろうか。

 その名声欲のような貪欲な精神のあり方は、あまり健全ではないと思う。




 前橋でのライブは、待遇も良くなってきている。

 ビジネスホテルではあるが、一人一室がちゃんと用意してあるのだ。

 今までは関東圏でも特に近いから、ライブが終了後はそのまま東京に戻ってくる、というパターンであった。

 だが週末の土曜日に昼からちゃんとセッティングを行ってライブをし、打ち上げをしてからホテルに宿泊、そして翌日帰京というもの。

 明らかに待遇はよくなっているのだ。

「この間のワンマンがよかったのかな?」

 月子としては女子だけで、エキストラベッドを入れて三人で泊まったことも、いい思い出になっている。

 中学時代などは、普通の同級生たちと一緒にいるのは苦痛であった。

 高校時代でも、特別学級であったために、修学旅行は行っていない。


 仲間を手に入れたのは、東京に来てからだ。

 まともなバイトよりも収入の少ない地下アイドルであったが、あそこには一体感があった。

 しかしノイズはもっと、より芸能界の高いステージに来ているはずなのに、生活感をはっきりと感じる。

 思えば俊の家に下宿したり、暁や千歳と一緒に行動したりと、メイプルカラー時代よりもより個々の事情を知ったりしている。

 メイプルカラーは、月子にとっても最後の猶予期間であったのだろう。

 いわゆるモラトリアムというものだ。

 ノイズは明確に、月子に収入を与えてくれる。

 ただし求められるものは、メイプルカラーよりも厳しいものだ。


 上っ面だけをなぞったものではなく、自分の人生の深いところから、表現を生み出していく必要性。

 それは思い出したくない過去からさえ、何かを生み出していくというものであった。

 祖母が自分のために、どうにか生きていくための手段として、教えてくれた三味線。

 そして歌ではなく、唄。

 東京に来てから身につけた、浅い時間で真似をしたようなものではなく、長い年月をかけて蓄積したもの。

 結局はそれが、今の武器になっている。


 ミュージシャンというかアーティストというか、そういう表現者というのは、どれだけ自分の中に発散するべきものがあるか、というのが重要なのかもしれない。 

 あるいは満たされない何かを満たすために、音楽を必要としているのか。

 暁のようなギターの音に育てられた人間もいれば、信吾などはベースの低い音に夢中になって、東京に出てきた者もいる。

 とにかく月子が感じる若者に共通したものは、喪失感か渇望、あるいは怒りといった感情の迸りである。

 この前橋でのライブでも、月子は歌う。

 透き通って脳髄を直撃しながらも、何かを聴く側に与えるもの。

 自分と千歳の違いというものを、はっきりと感じるのだ。


 ボーカルが二人いることによって生み出される、大きなエモーション。

 時々暁や信吾もコーラスをすることはあるが、俊だけは絶対に歌わない。

 凄まじい音痴だと本人は何度も言っているが、絶対にカラオケなどでも歌おうとしないのだ。

 今日も一時間ほどのステージ、10曲ほどを披露したが、MCとして話すのみ。

 そして前座というわけではないが、対バンをしてくれた地元のバンドと、打ち上げをするのである。




 地元の人気バンド、という点からすると、ノイズは成功者に見えるであろう。

 実際にミュージシャン全体の総数から見れば、確かに成功者の部類に入るのだ。

 どうにか音楽だけの仕事で食っていける。

 ただしこのままずっと、人気が続くとは限らない。

 二年ほどで飽きられて消えていくバンドやミュージシャンというのは、それなりに多いものだ。


 俊は対バンしたメンバーから、東京での音楽活動の事情などを、色々と聞かれていたりした。

 そして俊はこういう場合、楽観的な見方はしないものだ。

 実際に信吾などはかなり苦労したし、月子もそれは同じである。

 実家が埼玉の栄二などは、比較的いつでも帰れる、という甘えがあったかもしれないが。

 東京に生まれて、そして親が金持ちで、音楽に理解があったという段階で、俊は恵まれている。

 ここまで恵まれていて、そして必死で本人も努力したが、結局一人では限界があったのだ。

 東京に住むとなると、まず住宅の問題が発生する。

 それに加えて生活費など、地方で暮らすよりも大変になるだろう。


 少し遠征する場合などは、機材を運ぶためのバンも必要になる。

 バンドの練習をするにも、スタジオを借りなければいけない。

 そうやって最低限の生活をするために、どれだけのバイトをしなければいけないのか。

 人間にとって一番大切な、時間というものを切り売りしている。

「今時と思われるかもしれないけど、コンクールとかのレコード会社の企画に応募するか、あとは地元で頑張りつつ動画を配信するなりして、声がかかるのを待つのが現実的だと思う」

 俊は自分が恵まれていることは自認した上で、そういう保険をかけた生き方を勧める。


 他人の人生に、そうそう安請け合いなどは出来ないのだ。

 月子に関してはさすがに、自分がノイズに引き込んだため、もしノイズが解散などに至ったとしても、音楽業界で生き残れるようにする義務はあると思うが。

 別にバンドではなく、ボーカルとしての存在だけで、月子は充分に通用する。

 あとはそれを、どうプロデュースしていくかの問題なのだ。

 高揚したライブ後の打ち上げながら、俊は景気のいいことなど言わない、悲観的な現実主義者であった。

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