第170話 足踏み

 広告や宣伝が、個人で出来るようになった時代である。

 だがそれは同時に、無責任なインフルエンサーを増やしたとも言える。

 もっともそれは過渡期の話であり、今では下手なことをすれば、炎上して社会的な制裁を食らうこともある。

 それこそが目的と、悪名は無名に優る、とばかりの行動をしてきた馬鹿もいたものだ。


 時流を見逃してはいけない。

 だがイメージ戦略も考えなくてはいけない。

 MADムービーに使われているノイジーガールは、確かに出来がいいものだ。

 事務所としてはとりあえず静観するというか、知らないフリをし続ける。

 問題は迷惑な正義マンが、これを事務所などに知らせてきた時である。

 知ってしまったならば、しっかりと対応しなければいけなくなる。


 ボカロで曲を作っていた時は、問題にしていなかった俊だ。

 スキスキダイスキなどは散々に遊ばれて、むしろそれで承認欲求をある程度満たしたこともある。

 あの自分史上最強に頭の悪い曲と歌詞を、上回ることは出来ないであろう。

(けれど、アニメタイアップか)

 少し試しに調べてみたら、案外よく分からない歌が使われていることもある。

 それと原作付きの場合は、その出版社が勝負をかけるような作品の場合、主題歌も売れているミュージシャンを持ってくる。

 TOKIWAなどもそのうちの一人だ。


 俊の父の時代などは、ドラマとのタイアップが多かったものだ。

 まだテレビがネット配信よりも主流の時代である。

 今でもドラマタイアップが、売れないわけではない。

 ただ父が本格的に活躍したのは、俊が生まれる前の話である。

 トレンディドラマというのは今見ると、なんとも恋愛観に共感出来ないが、果たしてそれはどうなのであろうか。

 恋愛して結婚しないとダメ、という風潮があった当時の方が、まだしも少子化はマシだったのではなかろうか。

 そんなことを考えながらも、俊はちょっと動いてみる。




『難しいね』

「難しいですか」

『サリさん、そんなにタイアップとか好きでしたっけ?』

『なんかもっと硬派なイメージがあったんやけど』

「いや、俺はただの拝金主義者ですよ」

『『『いや、それは嘘だ』』』

 画面の向こうで三人のボカロPの声が揃った。


 TOKIWAをはじめとする、三人のボカロP出身のミュージシャン。

 楽曲提供が主なもので、実は三人とも本格的に楽器を弾ける、俊に関しては一目置いている。

 もっとも俊としても、自分よりも面白い曲を作ってくる三人には一目置いていて、お互いにリスペクトする関係と言えようか。

 強敵と書いて「とも」と呼ぶようなライバル関係でもある。

 ちなみにTOKIWAを含む二人は、既にアニソンタイアップを経験している。

 もう一人はアニソンではないが、Vへの提供を主な仕事にしているのだ。


 俊が拝金主義者というのは、一部だけだが本当の話ではある。

 ただそれは金がなければ、やれることが少ないからだ。

 稼いで終わり、などという短絡的なことは考えていない。

 承認欲求よりも上の、自己実現欲求というものがあるからだ。


 音楽で世界は変わらない。

 それはもう証明されてしまったことだ。

 しかし誰かの人生を変えることはある。

 その誰かが間接的に、社会を少しずつ変えていけばいいだろう。

『タイアップかあ……。それは俺たちの決めることじゃないからなあ』

 アニメタイアップで地位を不動のものとしたTOKIWAでも、何かの動きが向こうからなければ、決められるものではない。


 アニメにとって音楽というのは、あくまでも引き立てるためのものなのだ。

 作品世界に寄り添った内容になって、見事にそれを表現していても、あくまでも本体ではない。

 ……アニメ自体はクソであったが、タイアップ曲は素晴らしかった、という例はそれなりにあるが。

 もっともアニメのOPとエンディングは、作品世界を補完するのに使いやすいものだ。

(客観的に見れば、ノイズの活動内容からはアニソンタイアップは作りやすいだろうな)

 TOKIWAはそう思う。


 これまでのノイズの活動では、80年代のアニソンをカバーするという、もの凄く珍しいことをやっている。

 それもそのままやるのではなく、しっかりと現代風に音を厚くしてあるのだ。

 またオリジナルの音楽については、表現する幅がかなり広い。

 作詞は俊の名前が全てクレジットされているが、作曲の方は何人かが行っている。

 ただ最終的なアレンジは、明らかに俊の手が入っているが。




 表現の幅が広いということは、作品の内容に合わせて色々な曲が作れるということだ。

 実際に少しカットすれば、90秒というアニメのOPに出来る時間で、俊は一区切りするように作曲している。

 もっともギターイントロをカットするのは、ちょっともったいないのだ。

 ただこういうものはほとんど、使いたいと思う人間が、一方的に決めるものだ。

 今の邦楽においては、アニメとのタイアップはかなりの宣伝効果がある。


 ボカロP仲間からしてみれば、具体的に何かが動いていたとしても、そんな美味しい話を他に洩らすわけがない。

 そもそも制作の発表前の作品であれば、情報が解禁すらされていないのだ。

 アニメのOPなど、考えてみれば一番最初に作られていなければいけない。

 すると発表のかなり前から、もう動き出しているということだろう。

(多分、トキワさんなんかには案件持ち込まれてるんだろうな)

 俊としてはそう思うが、やはりこちらの伝手からどうにかするのは無理である。


 こういったものはそれこそ、事務所の力に頼るしかないのだ。

 陸音はABENOから独立しているインディーズレーベルで、音楽以外の活動に時間を取られたくないため、この体制でいる。

 本気で売り出すとなれば、雑誌への露出はどんどんと増えていく。

 インタビューにしてもただそれだけならいいが、写真などでイメージを作っていくと、半日仕事になったりもする。


 MVもノイジーガールの時は、ものすごく時間をかけた。

 おかげであまり金はかからなかったが。

 霹靂の刻はアニメーションであったが、こちらのコンテから工程を計算してくれて、比較的安く済んだ。

 実際の活動ではオリジナルもカバーもやって、ライブハウスの中では最大規模でも、だいたいトリを演奏することが多くなっている。

(この時点でも、そこそこ成功とは言えるんだろうな)

 だが俊の欲望は止まらない。

 欲望と言うよりは、彼は根本的にアーティストだ。

 何かを創造し続けないと、生きている意味がなくなってしまう。


 手塚治虫は死の直前にも、俺に仕事をさせろと叫んでいたとか。

 ただミュージシャンの場合60年代から70年代にかけては、やたらと早死にする者が多かった。

 昔の話で、今はもう30歳になんかなりたくない、と歌うモラトリアムの人間は存在しない。

 カート・コバーンが自殺をした後も、まだ早死には多かったとは思うが、それでも彼ほど絶頂期に死んだのは、もういないのではないか。

 日本に限って言うなら、マジックアワーのリーダーが死んでいるし、殺されたという点ではあの天才もいるが。


 俊はロックスターではない。

 だが死ぬまでミュージシャンではいたい。

 もっともおおよその人間は、年齢を重ねれば創造性を失っていく。

 そうなればプロデューサーやマネージャーとして、後ろに連なる者を売り出していくべきか。

 ただ暁などはおそらく、死ぬまでギターを弾いているだろう。

 他のメンバーはそれなりに、一般に溶け込む姿も想像できるのだが。




 夏休みが終わって、それでも生活に音楽のある時間が流れていく。

 ライブハウスを満員にしていって、バンドとしての活動は順調。

 阿部は何か予定が入ると、すぐにそれを共有してくれる。

 また12月にはしっかり、大きなハコでのワンマンライブを予定できるようになった。

 週末二日で、四回の公演。

 ちょっと体力的には厳しいが、まだ先のことであるので、しっかりと鍛えていかないといけない。

 ライブをやればやるほど、ライブのスタミナは増えていくものなのである。


 九月も中旬に入ると、また高校生組は学園祭の話をしてくる。

 どうやらまたも二人でステージをするらしいが、去年に比べれば千歳のギターは、格段に上手くなっている。

 だがそれによって暁は、より手加減をしなくて済むようにもなってきたのだ。

 月子が三味線を取り出して霹靂の刻を作ってからは、いっそうギターに触れている時間が長い。

 テクニックのさらなる向上というのは、ここまでのレベルになってくると、そういうものではなくなるのだ。

 ここからはテクニックではなく、フィーリングの世界になってくる。


 俊はこの時期、主に作曲を行っている。

 月に一度はワンマンライブをやり、他は対バンのいるライブをやっているのだが、そろそろ困ったことが起こり始めている。

 ノイズにとってはそれほど困ったことでもない。

 だが結果を見れば、確かにこれは困ったな、ということになってしまう。


 ブッキングして複数のバンドがやるライブというのは、それぞれのバンドがチケットを捌くため、ノルマが少なくて済むようになる。

 だがその中で一つのバンドが突出すると、どういうことになるのか。

 他のバンドに注目が集まらない、ということは普通にあることだ。

 それよりもさらに、タイムテーブルの早い時間帯には、そもそも客が来なくなったりする。

 ライブハウスは実質的に、ドリンク代などで儲けている部分もある。

 ノイズだけを目当てに来てしまうと、他のミュージシャンのステージが白けてしまう、ということも起こるのだ。

 もっともそれは、演奏する側にパワーがないことこそが問題なのだが。


 理想はともかくとしては、そういう現実は確かにある。

 これを解決する手段も、頭で考えるならば普通にある。

「だったら毎週ワンマンライブを行うとか?」

 アイドル時代の過酷なスケジュールから、そんな解決法を引き出す月子であった。

「お前は俺を殺す気か」

 それに対して俊は戦慄する。




 ワンマンライブを毎週、というのは問題がある。

 まず第一には、演奏する側の問題。

 特に俊への負担が大きすぎる。

 二時間の枠を潰そうとするなら、カバー曲もやらなければちょっと難しい。

 毎週二時間を潰すのに、毎週同じ内容でいいはずがあるだろうか。

 カバー曲のアレンジは、0から1を生み出すよりは簡単であるが、それでも時間は必要となる。

 ただ以前に比べれば、手続きなどは事務所に頼めるため、確かに少しは楽になったのだが。


 しかし毎週のライブを、週ごとにどんどんと変えていくのか。

 対バンを組んでいるならばともかく、二時間のステージの演出を考えるのは、それだけでも面倒だ。

 ただノイズはこれまで、俊が総合的にプロデュースし、演出までもずっとしてきた。

 ここから新しい人間を入れるのは、確かに難しいことだ。

 そもそも毎週二時間のワンマンをやるのに、体力が追いついていくのか。


 あとは客側の問題もある。

 基本的にワンマンライブというのは、そのバンドやミュージシャンのファンのためのものだ。

 よって来る客はファンであり、新規獲得が難しい。

 対バンを組んでいるなら、他のバンドのファンなども、こちらに引き込むことが出来る。

 あとはノイズのファンであっても、毎週チケットを買って来てくれるのか、という問題もある。

 ワンマンのチケットとなると、基本的には対バンを組むよりも高い料金となる。

 今はまだファンを増やすのと、ファンからサポートを受けるのを、バランスよく行っていかなければいけない。

 予定調和的に盛り上がるアイドルとは違うのである。


 地下アイドルなどは、いかに推しの沼に引き込むのかが重要であった。

 だがノイズはコアなファン、マニアックなファン、ライトなファンをそれぞれ増やしている。

 音楽性はともかく、売り出す方向性はいまだに微妙なところがある。

 ただ俊が参考とするのは、ビートルズとQUEENである。

 ビートルズはその音楽性をどんどんと実験的にしていったし、QUEENは音楽の専門家の評価よりも、大衆人気が高いことで知られている。

 ビートルズは意外なほど活躍期間が短く、QUEENは活動期間は長いが音楽性は大衆性が強い。

 そのくせボヘミアンラプソディやWe Will Rock Youなどの音楽性の幅がある。

 あとはシーンを変えてしまったニルヴァーナなども意識しているが、さすがに目標が高すぎる。


 重要なのは売れることであるが、売れるためには多くへ、遠くへ届けなければいけない。

 そしてもう一つ重要なことは、残っていくことだ。

 消費されるだけの音楽は、虚しいものである。

 そもそも長期間使われてこそ、不労所得は入ってくるのだ。

 もっとも洋楽の名曲だけではなく、邦楽も今は昔のシティポップが、アメリカで聞かれていたりする。

 ほどよい薄さが魅力的、などと分析されてもいる。


 ノイズの音楽については、このまま順調に広げていくか、またはそろそろライブの規模を大きくしてもいいのかもしれいない。

 ただそれこそビートルズは、ライブハウスで腕を磨いていた時期が長かった。

 伝説のバンドと比較することは、あまり意味はないのだろう。

 しかしここから、どういう選択をしていけば、もっと確実に広がっていくのか。

 俊は微妙に閉塞感を感じていた。

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