第171話 もう一曲
才能、環境、教育、経験の限界というものはある。
俊の場合は蓄積された知識に、最後のインプットが加わって、今は才能のように作品を作り続けている。
だがいい楽曲は作れたし、初期の人気形成には成功したものの、さらなる飛躍には足りないものが多すぎる。
巨大なプロジェクトのためには、多くの種類の才能が必要とされる。
それをまとめるのがプロデューサーであり、確かに俊にもその種の才能はあるのだが、今はコンポーザーとしての才能の方が前面に出ているのだ、
しかし俊の父もコンポーザーでありながら、プロデューサーをしていた。
大人になって父の悪い面も分かってきた俊であるが、それでも全面的に嫌いになるわけではない。
プロデュースの方向に伸ばすべきなのか、とは考える。
だがそれはまだずっと先の話だ。
今はとにかく現場に出て、支えてくれている存在のやり方を学んでいく。
俊の中から創造性は消えていない。
おそらく月子がいる限りは、大丈夫だとは思う。
あとは暁の存在も大きいかもしれない。
結局核となるのは、あの二人なのである。
リズム隊に加えて千歳は、あくまでもバンドを広げていく存在だ。
もしもノイズから離脱者が出るとしたら、それは千歳が一時的に離脱するかな、とは考えている。
本人のモチベーションが低いというわけではないのだが、大学に進学する意向を示している。
ただ一時的に千歳が抜けるというのは、逆に面白いかもしれない。
普通に考えれば、今の完璧とも思える体制を、崩してしまうものになるのだが。
ノイズはライブバンドである。
だが、ただライブの回数を漠然と繰り返していてはいけない。
もちろんメンバーはどのライブも、全力を出して演奏しているつもりであろう。
しかし暁と、経験豊富な栄二あたりは、気づいているのかもしれない。
ただ何度もライブをするだけでは、マンネリになってしまう。
それに安心するファンもいるのかもしれないが、マンネリは停滞であり、ノイズの若さで成長しないというのはまずい話なのだ。
今年の確実な予定は、年末のフェスとワンマンライブである。
だがそこまでにいくつか、やっておきたいことはある。
一つほぼ確定となっているのが、年末にブラックマンタがやるコンサートに、前座として出演するというものである。
これはどうも会社や事務所の、政治が絡んでいるらしい。
阿部はゴーサインを出したが、向こうからの正式な依頼はまだだ。
もっとも日程は決まっているので、そこは空けておく。
その前の週には、またワンマンライブを行うことになっている。
俊は夏に、一気に新曲を作り上げた。
あの海でつかんだ感覚以外にも、発展させていくものがある。
相変わらずラブソングが書けないが、ただラブレターをテーマにした曲が一つ作られたりしている。
歌詞を読むと、恋心をそのまま歌ったというわけではなく、ラブレターを書く思春期の情動を歌ったものである。
年齢的には千歳向きなのかもしれないが、内容的には月子向けであろうか。
ラブソングと言うよりは青春ソングで、青春ソングというよりは思春期ソングである。
まあ盗んだバイクで走り出したりはしないが。
恋心と言うよりは他者との関係性を歌ったものなので、それに悩んだ月子にはぴったりだろう。
「しかし、ノリノリだね、俊さん」
夏に海に行ってから、作曲のスピードがものすごい。
一ヶ月ちょっとで五曲も新曲を作っている。
ただ内容は、ダウナー系が多い。
ここいらで少し、スカッとした曲がまた歌いたい千歳である。
「じゃあ、また作ってみるか?」
ツインバードのように、暁と二人で作ってもいいし、さらに誰かを巻き込んでもいいだろう。
いっそのこと月子の三味線と合わせてみるとか、色々と考えられる。
ただ二人からするとツインバードも、結局は俊のアドバイスや手直しがなければ、あまりいい曲にもならなかっただろうと思っている。
0から1を作り出したのだから、それで充分だと俊は言う。
だがその1を生み出した原形は、俊の作ってきた音楽だ。
それに触発されたからこそ、作り出せたものであるのだ。
「あ、でもツキちゃんとなら、出来るかな?」
こういう時に、先入観なくやってしまおうとするのは、だいたい千歳であるのだ。
暁はギターに関してはともかく、それ以外では存外保守的である。
いや、そもそもギターの内容も、過去のものが好きだったりするのだが。
父親の影響が大きいが、60年代から80年代までの洋楽が、主にその肉体を作っている。
ただし当時は不可能であった、機材や技術の進歩についても理解している。
これは俊も同じことで、洋楽のベースにクラシックの理論、そして邦楽の味付けがミックスされている。
邦楽の味付けとはなんだろうか。
戦後のハワイアンから、昭和歌謡になるのだろうか。
だが今の邦楽と言うと、おおよそ洋楽が日本そのものに馴染んできた、
思えばおかしなもので、演歌は実は相当新しい。
しかし日本のソウルミュージックのような扱いを受けてたりする。
実際はそれは、民謡の方にある。
明治に入ってきた西洋音楽は、そもそも軍歌の作曲にさえ、その理論は使われている。
「俊さん、ノイズって演歌はなしかな?」
珍しく突飛なことを、千歳ではなく暁が言ってきた。
「全ての音楽に好き嫌いはあっても、ありかなしの基準はない、のがモットーだ」
その好き嫌いに従って、俊は手を出さないジャンルをはっきりとしている。
「演歌とロックの融合か……」
まあ似たようなのは、今までにもなくはないが。
そもそも演歌の歌唱法というのは、意外と洋楽で使われているものと同じであったりするのだ。
コブシを利かせたりするのも、演歌そのものではないが、洋楽でそうやって歌われている曲はいくらでもある。
「そっちの方の発展か……」
自分の言葉を意外なほどマジメに受け止める俊を見て、むしろ暁は驚いたものである。
だが日本のシティポップが今さら流行したように、なんというか日本っぽい音楽は、ちゃんと受けたりするものなのだ。
全く性質は違うが、演歌に対抗するような洋楽は、ゴスペルとかの方向性ではなかろうか。
民謡というのもあることはあるのだが、シティポップは俊の感性では作れない音楽だ。
演歌や民謡も、そのままでは使うことが出来ない。
だが日本のポップスの中にも、ゴスペル的なコーラスの入った曲はある。
「独自言語を成立させて、それをコーラスとして混ぜるとか」
「いや、ドイツ語でいいじゃん。ドイツ語発音、なぜかかっこいいと思えるし」
千歳はそう言うが、ドイツ語は俊の専門外である。
ノイズの方向性が、広がろうとしている。
実験的な音楽が増えていくというのは、ある意味では危険な兆候だ。
そもそも今までを支持してきたファンに、それが受け入れられるのかどうか。
甚だ疑問と言っても間違いないし、これは本来なら事務所でも反対するだろう。
だがノイズは、インディーズレーベルである。
重要なのは新たな要素を取り込みつつも、今までのノイズの芯となる部分を残すということ。
その芯の部分というのは、まさに雑音であることなのだろうか。
BGMであろうがなんであろうが、歌を届ける。演奏を届ける。
それがノイズの根本にある、音楽性と言うよりは方向性である。
届けば自然と、金にはなるのだ。
そんなこんなで、ノイズの新しい一面を、俊はメンバーと一緒に考えている。
新曲の作成は、一度に行えるものではない。
またメンバーは完璧主義者でこそないが、妥協をなかなか許さない人間が揃っている。
時間厳守の栄二と、もういいじゃんと泣きが入る千歳を除いては、月子さえもしっかりと考えていく。
アレンジはそれに合わせて、最終的に俊が行っていく。
もっとも練習をしていると、即興で暁が極上のアレンジをしたりして、もう一度やり直しになったりするのだが。
珍しくも阿部の方から、俊の家を訪ねてきた。
これまでは基本的に、事務所の方にメンバーが集まるのが、自然なことであったのに。
ただなぜそんな例外事態になったのか、それはすぐに分かった。
「タイアップ、決まったから」
どうやら海外とのタイアップが決まってしまったらしい。
「えええ、こっちにも確認してくださいよ」
確かに大きなライブの直前などではないが、こちらはこちらで毎日やることがあるのだ。
「アメリカはなんでもスピーディーだし」
「そうですか? 映画なんかものすごく時間をかけてるイメージですけど」
「それだけ重要と言うか、勝負をかけてるということね」
さらに結局は、陸音の所属する親レーベルであるABENOの、所属するレコード会社も、スポンサードすることになったらしい。
「え、損失出ても知りませんよ? そもそもうちとの契約はどうなるんです?」
そもそもそこまで金をかけていいのか、と俊は普通に考えている。
このあたり俊も、勘違いしている。
スポンサーにつくということは、当然ながらなんらかのリターンがあると考えるべきなのだ。
俊は楽曲を提供する側であるだけに、スポンサーになるからには自社の歌を使わせる、ということのメリットは考えている。
だがアニメのスポンサーになるというのは、他にもメリットがあるのだ。
当然のことであるが、出資したなら利益の還元がある。
利益を出すためには、総合プロデューサーのイメージする楽曲を使うのが、一番作品に合った曲になるだろうということなのだ。
言われてみればそうである。
俊はどうしても、作る側の尺度でものを見てしまう。
せいぜい売るための部分までしか見えないが、利益を出すのは売る以外の方法もある。
売れるものに出資するというわけだ。株式を買って配当を受け取るのに似たようなものであろう。
「というわけで90秒にカット出来る?」
「あ~……いつまでに?」
「出来るだけ早い方が、いいアニメーションに出来るわね。それでも一週間以内に」
無茶を言うな、とは俊は思わない。
元から俊は、他の曲もほとんど、90秒にカット出来るように、作る習慣が出来ているのだ。
もちろん全ての曲が、そういうものに向いているというわけではない。
「それと同じ曲調の新曲を、一曲作ってほしいとも言われてるの」
こちらの方が問題であった。
霹靂の刻は月子の作曲したものを、その明確なイメージを損なわないよう、俊が苦労して編曲したものだ。
90秒の部分は既に、存在している。
だがこれに合わせたような曲を、作中でも使いたいというのである。
「インスト曲で?」
「出来れば英語がいいけど、日本語でもいいそうよ」
「いや、俺は確かに英語はそれなりにいけるけど、どうしても母国語は日本語なわけで」
世界的に見ても日本語というのは、習得の難易度が高い。
だが実は逆に、日本語を母国語とする人間が、英語を習得するのは難しいのだ。
簡単だろう、と思ってしまうのは単純に、英語がそもそも必修で習うからである。
完全に0から始めるならば、実は韓国語が一番、日本人にとっては親和性が高いらしい。
だがまあ、ドイツ語で、などと言われないだけはマシなのか。
「けれどこちらは、いくつかの条件があって」
特定の条件、つまりバトルシーンで使われる曲であるため、どのあたりでサビが必要かなど、そういう指定がある。
数秒程度ならば、ずれても後からアニメーションの方を合わせていくらしいが。
こう言ってはなんだが、アニメーションを作るというのは、曲を作るというよりも難しいのではなかろうか。
いや、難しいというのではなく、工程が多くなるのは間違いないと思う。
純粋に作曲など、完成までを見なくてもいいなら、頭の中に瞬時に生まれてくることすらある。
既に完成していくのを、楽譜に落としてアレンジしていくだけという経験も、俊は何度か体験している。
だが今回は、向こうが指定してきたコンテがあり、それに合わせたイメージやリズムで曲を作らなければいけない。
「……こんなの、可能だと思ってるんですか? スーパーイナズマキックかましますよ?」
無茶振りに、さすがにガチ切れしそうになる俊であるが、これは向こうの方が無茶を言ってきている。
完全に完成したアニメーションにならば、合わせていくことも出来るだろうか。
いや、そちらも難しいのは確かだが。
だがコンテの指定どおりに曲を作るというのは、それは一般的なコンポーザーのやることではなく、専門のコンポーザーがいるのではなかろうか。
千歳に見せられたアニメの中には、明らかに専門のアニメーターか、コンポーザーがいると思う。
それこそMADムービーに近い。
あれは曲に合わせて画面を切り取ってくる。
使える部分は多いが、絵の方が後であるのは間違いない。
俊のあまりに真っ当な意見に、確かにそうだろうな、と作曲の苦しみを知るものは頷く。
千歳だけはどこか能天気に、目を輝かせていたが。
「言いたいことは分かるけど、かけるお金に対して、宣伝効果が強すぎると評価されているのよ」
それはありがたいことだが、曲が失敗したら、散々叩かれるのは明らかだ。
「霹靂の刻はともかく、そちらを断った場合はどうなるんでしょう?」
そう尋ねる俊に対して、阿部はとても辛そうな顔をした。
「俊君、社会においてはね、出来ませんが通用しない場面があるのよ」
いや、それを止めてくれるのが、事務所の仕事なのでは?
俊はそう思ったのだが、どうやら本当に選択肢はないようであった。
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