第172話 物理的限界

 世の中には物理的な限界というものが存在する。

 それは人や金や物によって、拡大したり縮小したりするものである。

 俊が依頼されたのは、150秒前後の曲を一つ。

 バトルシーンにおおよそ毎回使うため、激しいタイプの曲を、という注文であった。

 そして序盤の始まりから、相手の攻撃にこちらが多少苦戦して……。

「だ~! 俺はアニメーターじゃねえええ!」

「うわ、俊さんが叫んだ」

「初めて見たかも」

 メロディーラインの主なところを作ってくれる、月子と暁も一緒にスタジオに籠もっている。

 だがリズムをどうするか、そこが問題だ。

「いや、リズムは俺が決めていいんだ。あとは叩いてもらうだけで」

「独り言多くなってるよね」

「ちょっと休んだ方がいいんじゃないかなあ」

 休んでどうにかなるものなら、俊も休むのであるが。


 俊は完璧主義者ではないものの、職人気質ではある。

 なのでこの依頼がどれだけ無茶なものか、また他の人間の方が向いているのか、はっきりと分かっている。

 アメリカ人のふわっとした和風テイストに、どれだけ合わせていくか、という問題ではあるのだろう。

「アメリカで和風だとNARUTOになるのか?」

 そもそも作品がどういうものになるのか、まだ分かっていないのだ。

 今から考えてもおおよそは使えない案ばかりになるだろうというか、そもそも発表の媒体もネット配信という以外には分かっていない。


 テーマに合わせた音楽、というのは確かにあるものだ。

「あたしはロッキー3のEye Of The Tigerとか好き」

「あ~、確かに好きそうだよな」

 暁の言葉に、うんうんと頷く俊である。

 別に珍しいことではなく、映画の主題歌に使われた音楽が、大ヒットするということはあるのだ。

 それこそ日本でも、全く珍しいことではない。

「打上花火とか」

 月子のチョイスに、ちょっと難しい顔をする俊であった。


 映画ボディガードのI Will Always Love Youなどは、元は古い曲であるが、ホイットニー・ヒューストンが歌って大ヒットした。

 日本での興行成績と絡めて言うなら、映画タイタニックのセリーヌ・ディオンのMy Heart Will Go Onも有名だ。

 あとはアナと雪の女王なども、日本語版までよく聴かれたものである。

「NARUTOの主題歌って言っても、別に和風じゃないしなあ」

「名前は知ってるけど読んだことないや」

「わたしも」

「実は俺もない」

 長すぎる、というのが俊の読んでいない理由である。

 そもそも時代的に、少し前の作品であるということもあるが。

 おそらくそのあたり、千歳かその亡くなった父ならしっかりと履修していただろう。


 和風テイストというのならば、すぐに思いつく曲は普通にある。

 ボカロP出身の俊としては、まず千本桜であろう。

 他に音楽自体はメタルであるが、甲賀忍法帖は和風テイストと言ってもいいだろうか。

「三味線なら鳥の歌でも使ってたけどな」

 今の俊に分かっているのは、内容はさっぱり分からないが、とにかくアクションシーンに使う和風の音楽を、期限は未定だが短い期間で作らなければいけないというだけ。

 こんな仕事を請け負っていて、事務所に所属している意味があるのか。

 ちょっとこれは、阿部にもどうしようもないのかもしれないが、あまりにも価値を低く見られすぎていると思う。




 現時点では無茶なことを言われている、という認識である。

 だが詳細が明らかになれば、意外と出来るかもしれない。

 それすらも分かっていないのが、今の問題点であるのだ。

 そのため俊としては、今のうちに出来ることはやっておきたい。


 なんだかんだこれまで、ここまで無茶な制限のついた楽曲作成依頼は、受けたことがない。

 そもそも俊は依頼があっても、それほど受けたことはないのだ。

 依頼自体が少ないからこそ、ボカロを使っていたというのもある。

 そして月子という声を見つけたからこそ、ボカロPとしての活動を必要としなくなった。

 実際にはそこからの方が、ものすごい勢いで大変だったわけであるが。


 俊の様子がおかしいと言われて。

「いや、俊さんはいつもおかしいじゃん」

 方向性が違うだけで、と言ってしまうのが千歳である。本当に遠慮がなくなってきた。

 このあたりはやはり、音楽知識が根本的に、一番少ないのが影響しているのであろう。

 ただそんな千歳は、しっかりと情報と言うか、参考になるかもしれない曲を持ってきてくれたりする。

「これも名曲だと思うんだけど、あんまりPV回ってないんだよね」

 普通にMVで見られる曲である。


 舞台は幕末であり、オカルト要素はあるものの、かなり史実の流れを重視している。

 OP曲は確かに和風要素の楽器を使っている。

「梶原さんの曲なのに、なんで俺は知らないんだ?」

 俊はそう言っているが、それこそ知らんがな、というものだ。


 あとはちょっと参考にはならないかもしれないが、他にも和風テイストのものはあったりする。

 柳生十兵衛が眼帯に力を残し、その力を受けついた女の子が変身して戦うというアニメである。

 なぜか初代プリキュアのOP曲の、MADムービーを見せられている俊。

「あとロボットアニメだとこのあたりも、決戦ではOP曲が流れるのが熱いよね」

 そうは言うが、歌付きの楽曲とアクションが最高に融合しているというのは、おそらく20世紀のこの作品だろうと、千歳は以前にも見せてきた作品を流す。

「これは完全に、曲に合わせて絵を作ってるなあ」

 ドラグナーのOPの↑←↑などは完全に、音に映像を合わせている例であろう。


 日本のアニメの話は分かった。

 だが今回の仕事は、アメリカのアニメーションなのである。

 異文化間のコミュニケーションというか、そもそも俊は今まで、自分の楽曲に合わせてコンテを切ったことはあっても、コンテに合わせて曲を作ったことがない。

 このあたりそもそも、技術的に不可能というものなのだ。

 しかしぎゃーぎゃーと吠えている間に、俊はまたも曲を二つほど完成させている。


「なんか俊さんって、状況が悪くなった方がいい曲作ってない?」

「千歳、その考えは危険だ」

 信吾としては俊の生活を見ていると、とにかく創作活動に生活を全て振っているような感じであるのだ。

 かつてはアルバイトをしてはいたが、それも今では完全に辞めてしまって、大学がなければ時折出かける以外は、スタジオに籠もりきりになる。

 おそらく70年代や80年代のミュージシャンはこうしていたのではないか、という無茶な生活を送っている。




 全体の進捗が分かっていない。

 そもそもテーマなりストーリーが分かっていないと、作りようがない。

 ただそこに関しては、ある程度分かってきた。

 もっとも元ネタがあったので、すぐに分かったと言うべきか。

 霹靂の刻のMVである。

 もちろん絵柄などはあるし、ストーリーも考えてある。

 要するに女侍の流浪の旅を、アメリカの風味でやるわけだ。

 西部劇の亜流のようなものである。


 七人の侍を、ガンマンにせずにそのまま侍として、ただし性別は変えたというようなものだ。

 主人公を強い女、それもアジア系にしたというのは、ポリコレに配慮でもしているのだろうか。

 アメリカ人の考える日本、というイメージがある。

 忍者ではなく侍というのは少し不思議だが、刀を持ってやっていることは、完全に無法地帯の解決屋というものだ。

 必殺仕事人のような、懐かしい要素があると言ってもいいだろう。

「時代背景めちゃくちゃだけど……」

 勧善懲悪というあたり、分かりやすいことは分かりやすい。

 またこの時代の日本は、日本人しか存在しない。

 なので変な人種の問題に配慮する必要もないということか。


 ちなみに千歳の感想としては、子連れ狼をもっとシンプルにしたものだ、というものであった。

「名前は知ってるけど、見たことあるのか?」

「ないけどさ」

 まあ、なぜかどういうものか、おおよそ分かっていたりはする。


 大きな町は登場せず、小さな村を回っていく。

 そして山賊や悪い忍者、また日本の妖怪などを倒していくというもんだ。

 冒険活劇に近いのかもしれないが、主人公の目的はなんなのか。

「アニメのどろろみたいな雰囲気じゃないかなあ」

 千歳はそんなことを言うが、俊はそれも見たことがない。名前はもちろん知っているのだが。


 だがイメージは分かってきた。

 要するに日本ではもう失われてしまった、水戸黄門や暴れん坊将軍、特に諸国遍歴をするのだから、水戸黄門をやりたいのだろう。

 もっともご老公一行ではなく一人旅らしいので、やはり西部劇のガンマンのイメージがあるのか。

「なるほど、だいたい分かった」

 そして要望に関しても、ちゃんとまとまってきている。

 納期についてもとんでもなく短いというわけではなく、ちゃんと音楽を先にということが分かっている。

 150秒でバトルシーンを限定するというのは、ウルトラマンのカラータイマーを思わせた。

 最近は限定されていないらしいが。




 ネット配信の1クールアニメーション。

「しかしこれ、本当に採算が取れるのか?」

 アメリカ人がこういうものを見るとしたら、いちいち自分たちで作らずに、日本のアニメを見た方が、絶対に面白いと思うのだ。

 まあアメリカの作るのは、アニメーションであってアニメではないので、そこにあえて作る意味があるのかもしれないが。

 アメリカ人は基本的に、アメリカを全ての基準に考える。

 だからアニメではなく、アニメーションで日本を取り上げたかったのか。

 ただその割には大人気の忍者を、悪役に使っていたりする。

 そのあたりの思考がどうも分からないが、それはそれでいいのだ。


 俊はデモ音源を、すぐに五曲ほど作ってしまった。

 そしてそれを相手に送り、返答を待つのである。

 返事が戻ってくるまで、他の作業の進捗が遅くなる。

 俊は案外マルチタスクで、どんどんと作業を進められるタイプではないのかもしれない。

 もっともこの仕事が、一際厄介であるということも確かだが。


 話のアウトラインや設定を聞く限りでは、本当にそれが受けるのか、微妙なものだと思う。

 まあ実際にどういう作品が完成するのかは、見てみないと分からない。

 見なくてもなんとなく、陳腐な作品になるような気はする。

 だがアメリカのアニメーションであると、内容はチープであってもアニメーションは優れていて、それでヒットするというものはある。

 ライオン・キングが某作品の……だとかは言ってはいけない。


 向こうが選んできたデモ音源に、しっかりと肉付けをしていく。

 その際には向こうからも、なんらかの要望があったりするのだ。

 基本的に重要なのは、スピード感であるらしい。

 そしてどうやら、ストリングス系の音を増やしてほしいなどと言われている。

「めんどくせー!」

 普段は追い詰められていても、奇声を発したりはしない俊であるのだが、これが面倒な仕事というわけか。

 やはりインディーズでやっていて成功であった。

 これがメジャーレーベルであれば、プロデューサーが作曲や歌詞に注文を入れてきたり、駄目出しをするのだろう。

 俊にとってそれは、無駄な制約にしか思えない。


 売るために必要な曲のイメージ、というものがあるらしい。

 俊は売れる曲のイメージというのは確かに考えるが、それを売れ筋にするのではなく、もう少しだけ先を見ている。

 今売れているものではなく、これから売れ始めているもの。

 それが俊の作曲や作詞の根源にある。

 あとはそれに加えて、残る音であろう。

 消費されるだけの音楽は作りたくない。

 そう考えた場合、何かに自分が合わせて作ることは出来ても、何かに合わせてくれと言われて作るのが難しい。

 芸術家肌と言うべきか、それとも得意不得意と言うべきか、人には向いたものがあるのだ。


 ともあれどうにか納期以内に、曲は完成しそうである。

「ネットでいつ配信されるの?」

「見てなかったかな」

 千歳は自分たちの曲がアニメに使われるということで、かなり期待しているらしい。

 だがまだ暑気も残っているというのに、来年の同じ頃、というスケジュールになっている。

 どちらにしろネット配信であるならば、かなりの融通は利くとは思うのだが。




 暁と千歳は、10月の学園祭で、またステージに立つことを期待されている。

 出来なくはないのだが、二人でギターだけとなると、またアレンジをしていかなければいけない。

 ただ今回は俊に頼らず、自分たちだけでそれをしようとしている。

 成長したと言うべきか、まあ悪い傾向ではないだろう。


 それと俊は、暁の方からは少し相談も受けていた。

 高校は卒業しろと言われている暁であるが、今のところはそれが厄介な制約になっている。

 千歳はともかく暁は、ちょこちょこ他のバンドからも、ヘルプを頼まれていることが多い。

 これはもちろん技量差もあるが、暁の人間関係が、学校よりも音楽に重点を置かれていることにある。

「退学するつもりなのか?」

「ううん。でも、通信制に編入しようかなって」

「あ~、なるほど。それなら時間の自由が利くようになるのか」

 大学に行くという選択肢を、暁は残しておくつもりらしい。

 これは俊が大学で、専門の知識を吸収していることから、興味を抱いたそうな。


 そういえば芸能人などは、芸能科でなければ通信制の高校を卒業する場合が多いのかな、などと俊は思考する。

 まあ暁の考えていることが、学校という時間の制約からの解放、というのならばそれもありだろう。

 学校に友達のいなかったぼっちである暁は、今でも千歳を通じたぐらいしか、人間関係を築けていない。

 ならば別に学校でなくても、音楽でつながれる人間関係を重視してもいいだろう。

 そもそも今、既に友人がいないのであるから。


 高校中退で邦楽の覇権を取っているミュージシャンもいることだし、別に悪いことではないと思う。

 父親との約束であるだけに、さすがに高校卒業はするつもりの暁である。

 それに音楽の世界が広がると逆に、大学にも興味が湧いてきた。

 高校生に比べると、ジャンルの広い人間が集まるのだと、俊の大学で設備を使う時などは、思うようになったのだ。

「それで、お父さんを説得するのに、状況によっては手助けしてほしいと」

「そうそう」

「まあ、そういうことならいいと思うけどな」

 最近は千歳を通じてではあるが、少しは話す人間も出来てきたので、それはもったいないかなと思わないでもない俊だが、考えてみれば自分も高校時代の友人とは、ほぼ音信不通になっている。

「ただ、千歳にも先に言っておけよ」

「うん、学園祭が終わったらね」

 なるほど、学園祭が終われば、そこで一区切りつくわけか。


 メンバーのそれぞれが、自分たちの人生を生きていく。

 当たり前のことだが、俊が干渉しない部分もあるのだ。

「あとさ、ここってまだ部屋が余ってるし、そうなったら引っ越してきたらダメかな?」

「それは……かなり難しいんじゃないかな」

 それこそ通信制への編入よりも、説得は難しいと思う俊であった。

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