第173話 連鎖

 ノイズの楽曲が海外のアニメーションで使われる、という話題自体はそれなりに業界に広まっている。

 こういった情報は、流すか止めるか、二つの方法で価値が決められる。

 ずっと前からの日本における、ポップスやロックの成功の基準。

 それは欧米圏で認められるか、というものである。


 もっとも日本の音楽市場を考えれば、別にそんな必要もない、というのが現時点での声でもある。

 日本の音楽市場は世界二位であり、自国内で完結が可能だ。

 ただそれは今の段階では、という話である。

 今後の日本は人口減と、コンテンツの多様化によって、音楽市場も縮小が予見されている。

 そのために欧米にも市場を作りたいというのは、当然のことであるのだ。

 なお、台湾はともかく中国に関しては、あまり期待してはいけない。

 大量の人口を抱えてはいるが、そういう問題ではないのだ。

 市場として期待すれば、痛い目に遭ってしまう。

 それは国家体制の違いによるもので、反日感情が高いと言われる韓国の方が、まだしも安定している。

 ただ韓国の衰退は人口動態から見て、日本以上のものになるだろうが。


 アメリカで成功するということは、アメリカを通じて全世界に広がるということだ。

 ビートルズなどのイギリス勢は、確かにドイツなどでも腕を磨いたが、その人気が爆発したのはアメリカを通してであった。

 もっとも今も、日本のシティポップが今さら人気となっていたりする。

 そして認知されていくのは、アニメの主題歌というのが大きい。

 もちろん前提として、実力がなければ売れ続けることはない。

 俊などはその野望に、果てなどはないのだ。

 世界中を自分の音楽で満たし、未来にまで残る確信を得られたら、ようやく満足するのかもしれないが。


 人間が生きていく限り、食べて眠るという行為は絶対に必要である。

 一部の人間にとっては、他の欲求がそれと同じぐらい強烈であったりする。

 手塚治虫がマンガを死の直前まで描いていたように。

 あるいは死に向かっていく自分の心理を、言葉で残していく哲学者などもいる。

 また極端な例で言うならば、戦場で戦って死ぬために、安全を捨てるような人間もいる。


 極端な例えが多いが、少なくとも俊と暁には、そういう傾向がある。

 ただ二人のアプローチの仕方は、順番やルートが違っていたであろう。

 ひたすら無心に、ギターばかりを鳴らしていた暁は、多くの人間からの賞賛は必要としていなかったし、今も別にいらない。

 フィーリングは伝わっていくが、基本的には自分の満足が重要なのだ。

 だが俊の場合は、作曲までしていることもあるかもしれないが、承認欲求が強い。

 それは父の没落を見たからかもしれないし、母からの愛情が不足していたからかもしれない。

 もちろん純粋に音楽に惹かれていた、ということもあるだろうが。




 いい加減にノイズのメンバーも、男性陣だけなら下ネタが出来るぐらいには、親しくなってきている。

 女性陣は高校生も多いため、そのあたりの話題はかなり慎重になっているのだが。

 ただ女性陣は三人とも、恋愛経験はないようだ。

 暁のギターが恋人という発言は、まあ高校生だしな、と適度に流しておこう。


 月子の場合は下手に顔が良かったため、色々と嫌な経験もあったらしい。

 だからラブソングがないというのは、ノイズにとってはいいことなのかもしれない。

 千歳などは、なんとなく彼氏がほしい、ということは口にしたりしている。

 ただこの業界にいると、男共は女性関係がクズの人間が多い。

 栄二のような安心できる人間は、むしろ少数派だ。

 信吾も軽めにクズであるが、寄生しなくても生きていけるようになったため、ある程度は依存先を清算してきている。


「俊はどうなんだろうな」

「性欲自体が完全にないわけじゃないみたいだけど」

 それはさすがにそうなのだが、女の影が全く見えない。

 信吾と栄二はそのあたり、むしろ心配している。

「色々な意味で、でかい女はあんまり好きじゃないっぽいな」

 男同士で一緒に暮らしていれば、どういうのが好みか、などという話題は少しは出てくるのだ。

「あと年上も嫌いらしいし」

「そうなのか? あれは逆に年上に求めているものが多い気がするんだが」

 栄二の見立てでは、俊は母親からの愛情が不足しているのではと思える。

 でかい女が好みではない、というのは雑誌でも見ていれば話題にすることはある。


 ラブソングを作らないというのは、恋愛に対する幻想が薄いのだろう。

 ただ、栄二としては以前から思っていることがある。

「月子は俊のことが好きなんじゃないのか?」

「好きは好きだろうけど、どうなんだろうなあ」

 以前にも少し、話したことはあるのだ。


 ノイズはバンド内恋愛は禁止である。

 男女混合バンドの場合、恋愛関係で潰れていくことがあまりにも多いので、信吾もそれには賛成した。

 既に妻子持ちの栄二には、あまり関係のないことであったが。

 月子は俊のことを、かなり慕っていることは確かだろう。

 しかしあれは恋愛ではなく、自分を守ってくれる人間に対する慕情ではないか。

 もっともそれも、恋愛の感情の一部にはあるだろう。


 俊はおそらく、月子のことを大事には思っている。

 しかしそれは、ミュージシャンが自分の楽器を、大切にするのと同じような感覚ではなかろうか。

 もちろん楽器と生物は違うと、俊は分かっているであろう。

 月子のメンタルケアもしているのは分かる。

 ただそのご機嫌伺いは、ペットを大切にするような、いやペットですらなく家畜を大切にするようなものではないか。


 月子は一人で生きていくのは、とても難しい人間である。

 ある程度誰かに依存してしまうというのは、仕方がないかもしれない。

 そこをどうにかしようと、俊は月子のフォローもしているのだ。

「俊の場合はそのうち、打算込みで結婚相手を決めそうだな」

 栄二の言葉に信吾は深く頷いた。




 そんな未来の話はともかく、ノイズは忙しい。

 特にその中でも、俊は忙しかった。

 もっとも仕様は分かったために、あとはそれに合わせた曲を作ればいい。

 しかしそんな本来は使わない三味線ベースの曲などは、俊も作りにくいのである。


 民謡の場合はある程度、アレンジというものが即興で存在する。

 そのあたりはジャズに似ているかもしれない。

 今回の場合は、おおまかな設計図を俊が作り、月子が見た目のデザインを担当する、という形にでもなるだろうか。

 だが作業の途中で、月子がじょんがら節を変えていって、そこから俊が肉付けをする、という部分も出てきた。

 お互いにいい影響を与える人間関係。

 俊はノイズという存在は、これが続く限りは消えることはないと思っている。


 今回の楽曲提供依頼において、本決まりでなかったとはいえ、ノイズは不義理なことをしている。

 ブラックマンタの前座として、アリーナで演奏するというのを、スケジュールの関係でキャンセルしているのだ。

 数万人規模の屋内アリーナで、ワンマンを行うという経験。

 それを身近で見る機会を失ってしまった。

 普段なら無理にでも仕事を終わらせて、参加の時間を作ったであろう。

 だが見通しが難しく、絶対に失敗できない仕事などが入ってしまうと、優先順位を決めなければいけない。

 事務所からも話は通したろうが、俊は自分でも電話で謝ったものだ。


 この間に暁と千歳は、学園祭でまた、演奏などをしていたらしい。

 千歳はアニソンメドレーでもしようとしたらしいが、さすがに暁が止めて、昨今の流行曲を何曲かやらせたらしい。

 もっとも全てが、アニメのOPかEDであったので、結局は千歳も目的を果たしたと言うべきだろう。

 楽しそうにその演奏について話している千歳を見ていると、俊は違和感に襲われた。

 その違和感が何か、その場では気づかなかったが。

「去年みたいに見に来てくれたらよかったのに」

「今は作曲の神が降りてきてるから、その間に出来るだけ作ってしまわないといけないんだ」

 インスピレーションは突然にやってきて、突然に去ってしまう。

 それでも俊は、ライブだけはやらないわけにはいかない。




 純粋なライブハウスでブッキングして行うのには、問題が出てきている。

 ただワンマンでソールドアウトを続けていても、そこからの発展性がない。

 ライブハウスではなく、ホールなどを使う段階に来ているのかもしれない。

 客の数は多くなって、収入も増えるが、機材や設備のセットには金がかかる。

 それぐらいはかかっても大丈夫、という段階になっているのだろう。


 俊はそのあたりのことを聞くために、今日も大学帰りに事務所を訪れる。

 霹靂の刻に続いてもう一曲も完成し、向こうからの反応を待っている段階。

「そういえば今度の曲も、また天候のタイトルなのね」

 俊が名付けたあの曲は、シンプルに『雷』というものである。

「今作ってるのは『渦潮』っていう仮タイトルになってますよ」

 どうも三味線の音を使っていくと、人間の感情を乗せる曲にはなっていきにくい。

 もちろん歌詞には感情があるのだが、感覚的なものとなっていく。


 俊は人の感情が分からない人間ではない。

 また性欲というのも、はっきりと分かっている。

 だが恋愛感情というものは、おおよそ勝手にイメージされたものであると思っている。

 千歳が少女マンガを押し付けてきても、恋愛主体のものは受け付けない。

 少女マンガでもバトルメインのものなどは普通に受け付けるし、青春期をこじらせた内容のものなども、普通に読めるのだが。


 恋愛なんて分からないよ、という女の子が恋愛を知っていく、という作品は読める。

 読めるというよりは、どういう理屈なのだろうか、と参考にしていく。

 ある少女マンガを参考にして、楽曲が作れるな、と思うこともある。

 もっとも初恋のときめきだとか、そういったものは分からないが。


「ところで今年は、年末までもう、あまり大きなイベントはないのよね?」

「向こうからのリテイクを考えて、時間を空けてあるんですよ」

 本当ならばもっと、試してみたいことは色々とあったのだが。

 その代わりに作曲作詞が順調なので、これはこれでいいことなのだ。

「実はタイアップの話が、少し来ているのよ」

「やめて」

 思わず言ってしまった俊であるが、彼は悪くないだろう。

「大丈夫、今回は焦げ付き案件ではあっても、原作のあるアニメの主題歌をコンペで決める健全なものだから」

「他の人にお譲りします。つーか焦げ付き案件って言ってるじゃないですか」

「主題歌やるはずのバンドが、覚醒剤で捕まったのよ」

「ああ……なるほど……」

 そういえばこの間、そんなニュースをやっていたな、と俊は思い出す。




 この業界、いまだに薬物で捕まる人間はそれなりにいる。

 そもそもドラッグこそが人間を新たな世界へと連れて行くのだ、というのが60年代からあったのだ。

 それはベトナム帰還兵から広がった薬物汚染であり、これをミュージシャンがキメて作ったのがサイケというジャンルである。

 俊としてはまあ、そういうものに頼る気持ちも分かるし、未成年のうちに一度やってみたこともある。

 だが自分には合わないなと思ったし、リスクが高すぎると思ったのも確かだ。


 意識の拡張というのは、合法ドラッグである名曲で行うべきだ。

 あとは一応合法である、飲酒してインスピレーションを得ればいいだろう。

 実際のところ麻薬やアルコールというのは、自分の内面に深く潜るものだ。

 俊は現在、外に刺激を求めている。

 思えば月子と出会ってから、世界が広くなったと感じたものだ。

 そして自分の内にも、他の誰かを受け入れている。

 

「それで、このタイアップなんだけど、元々うちのレコード会社がスポンサーになってたから、そのレーベルからタイアップ曲を選ぶのよ。それをコンペで選ぼうか、という話になっているんだけど」

「そんなの普通に、売りたいミュージシャンで埋めるものじゃないんですか?」

「普通ならそうなんだけど……」

 普通ではないということだ。


 そもそもABENOレーベル系のレコード会社は、アニメタイアップなどには弱かったはずだ。

 それがわざわざ、スポンサーになっていった。

「原作はなんなんです?」

「もう10年ぐらい前に完結した作品なんだけど、知ってるかしら?」

 阿部の見せてくれたスマートフォンの画面は、マンガの表紙である。

「ああ、名前は知ってますね。千歳がそのうち見ておけって言ってた作品の一つだ」

 しかし10年も前に完結した作品を、今さらアニメ化というのは、どういうニーズがあるのだろう。


 まあ古い作品のアニメ化といっても、リメイクなどはある話か。

 他にも一度やったものを、もう一度という話はある。

「けれどこれなら、普通にスポンサーなりプロデューサーなりが選ぶはずなんじゃ?」

「あ~、もう先に言っておくと、ちょっと有名なスタジオに頼むことが出来なくて、あまり期待できないのよね」

「期待できないのであれば、そもそもアニメ化しなければいいのでは?」

「大人の世界には色々あるのよ」

「その理屈が通用するのは、ちゃんと仕事をしている人間を相手にした場合だと思うんですけど」

 おそらくもう動き始めてしまっていて、止めることも出来ないということなのだろう。

 そのあたり俊は分からないが、とにかく選ぶ必要はあるということか。


 つまり、別に勝たなくてもいい。

「内々にもう決まってるんですか?」

「それが本当に決まってないのよね」

 ならばそれこそ、売りたいミュージシャンに実績を作らせれば、と思うのだ。

 あるいはこれは、泥舟に乗る人間を募集しているということなのか。


 俊は無茶な注文を、ここ最近で頼まれている。

 事務所というのはアーティストを使って、利益を出すのが仕事であろうに。

「期限は?」

「来年の二月末」

「確認しますけど、勝たなくてもいいんですよね」

「それは大丈夫」

 なんだか勝たないほうが良さそうですらあるが、そのあたりの事情が不可解である。

「ちょっとだけ考えさせてもらってもいいですか?」

「こういう言い方はなんだけど、自信のない楽曲を持ってきてもらってもいいのよ」

「さすがにそれはしませんけどね」

 阿部の言っていることは、かなり無茶苦茶である。

 そしてそれを本人も自覚しているらしい。


 ただこれもまた、断れない仕事なのであろうか。

 もしもそうだとしたら、社内政治が絡んでいそうだ。

 そういうものとは離れて活動するために、インディーズでいるのがノイズであるのに。

(状況を整理した方がいいな)

 認知度を上げるためならば、駄作であっても楽曲が良ければそれでいい。

 俊はそういった作品を、いくつか千歳に見せられているのだ。

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