第221話 直前

 機材が搬入されて、舞台が組まれていくスピードは、驚くほどに速いものである。

 それだけ慣れた裏方が、このステージのためには必要になっている。

 インディーズ扱いとはいえ、実際のバックにいるのは、メジャーのレコード会社。

 過去にはインディーズでありながら、武道館ライブをしたバンドなどもあるが、それに比べればずっとスムーズなものなのだろう。

「まあこういうのは、専門業者が決まってるからね」

 設営の様子を見るために阿部もこちらに来ている。


 既に事前にしっかりと、演出に必要な設営は話してあるはずだ。

 しかし何が起こるか分からないのが、現場というものである。

 朝からどんどんと組まれていくステージに、ノイズのメンバーも昼ぐらいからは確認のためにやって来ている。

 最終的にはリハーサルまで、一通りはやってしまう必要があるのだ。


 武道館は夢の舞台であるが、本格派のミュージシャンであれば、ちょっと敬遠するところもある。

 本来は音楽の演奏をやる場所ではないので、音響などが難しい部分があるのだ。

 そこも含めてセッティングには、経験と知識が必要となる。

 またそんな適していない武道館で、わざわざ蓄積された経験や知識が、他の会場の音響に活かされたりもする。

 実際にビートルズの来日時には、ほとんど演奏が聞こえない席もあったらしい。


 武道館コンサートの前日ではあるが、これ以前に俊はかかる予算なども見せてもらっている。

 そして思ったのが、これっきりにしよう、というものだ。

 武道館はおよそ14000席が用意された会場ではあるが、それはあくまでも本来の用途とした場合だ。

 ライブの会場として使うなら、最大でも一万人程度が限界となる。

 座席の場所によって、もちろん今回は大きくチケットの値段も違う。

 それでも平均して、おおよそ一度の公演で8000万円弱。

 二時間ちょっとでそれだけ稼いで、それがあと三回あって、さらに物販でも売るのだ。


 経済活動をしているな、という感覚が湧いてきたものだ。

「けれど武道館は、そもそものレンタル料が安いから、むしろお得なのよ」

 阿部はそう言って、東京ドームと比較してみる。

 また他のアリーナなどのレンタル料とも、比較をして見せた。


 東京ドームはとにかくレンタルもだが、前後の日も設営に使うことを考えれば、二日で5000万以上はかかるのだ。

 三日連続で満員に出来、しかもグッズも売れるアイドルなどなら、話は別だ。

 また外タレなどでも、なんとかペイ出来る。

 四大ドームツアーとでも銘打ってやらない限りは、東京ドームはペイしない会場なのである。

「それに比べると武道館は、500万円」

 あら素敵、なお値段ではある。


 ただどうしても設営などにかかる金額が、俊の目を引いてしまう。

 そういうところを考えるのは、アーティストではなくプロデューサーの仕事なのだが。

 事務所の所長でもある阿部は、武道館はかなりお手ごろ、と考えている。

「ちなみにやるとしたら、どこでやりたいの?」

「規模で言うならさいたまスーパーアリーナだけど、アクセスを考えると横浜アリーナかな」

 確かにどちらも、動員出来る人数は多い。

 だが時期的なこともあるであろう。


 東京を含む在京圏からの動員を考えるなら、埼玉の方がいいかもしれない。

 しかし交通のことを考えると、東京圏以外の西から来るのは横浜の方が便利であろうか。

 どちらにしろ、よくもこれだけかかるものだ、という金額になる。

「武道館の方が安い?」

「そうね。まあどれだけ動員出来るか、というのが一番の問題だけど」

 そのあたりの見極めをするのが、プロモーターの仕事である。




 俊は利益を出さない仕事は、続かないことを頭で理解している。

 一度のイベントにかかる費用が、どれぐらいになるかも計算してきた。

 バンドをやろうと思えば、アルバイトをしなければやってられない。

 バンドをやっているのかアルバイトをやっているのか、分からなくなっているバンドはよく見たものだ。


 ただ金を稼ぐことばかりを考えていると、商業主義に陥ってしまうこともある。

 資本主義社会の中で、金銭欲を否定するのも、馬鹿らしい話ではあるが。

 金銭的に困窮したことがないからこそ、俊はそのあたりを客観的に考えられる。

 自分はともかく他のメンバーは、アルバイトをしながら必死で音楽活動をしいていた者がいるのだ。


 実際のところ、現代では音楽での成功を収めようと思えば、実家が太い方が成功しやすい。

 そもそそも練習するスタジオ代だけでも、馬鹿にはならないものなのだ。

 それがなければ成功したのか、というとそういうものでもないだろう。

 だいたい歴史に名を残すほどのミュージシャンというのは、音楽にとにかく魂を引かれた人間であるのだ。

 俊にしても様々な要因はあるが、運命のように音楽に生涯を捧げるようになってしまった。

 しかし成功しているからいいものの、親が太くない人間などは、どこかで諦めるのだろうな、とは思う。


 ただロックの歴史の源流をたどれば、黒人音楽にたどり着く。

 60年代よりもさらに前、黒人の人権活動がまだなされていなかった時代の話だ。

 楽器屋の中の、ピカピカのトランペットを見ていた貧しい黒人は、やがて帝王とも呼ばれるようになった。

 そこまでの存在となりながらも、日本での人種差別のなさに驚いて、涙したとも言われる。

 今の音楽業界でも、貧しさの中から音楽を選んで、成功しているという人間がいないではない。

 しかしどんどんと、初期投資が高くなっているのも、確かなことかもしれない。

 少なくともボカロPをするには、PCとソフトが必要であった。


 とは言えTOKIWAなどはギターもベースも演奏技術など持っておらず、格安のノートPCでブレイクするまで曲を作っていたらしい。

 ただ本物の貧困であれば、そもそもPCが手に入らないのか。

 おそらく月子や信吾は、貧しい中で音楽をしていた、という部類に入るのだろう。

 しかし月子もなんだかんだ言いながら、食費を削るほどのものではなかった。

 食べなければ動けない、というのも確かであったろうが。

 信吾も女を切らさないことによって、ヒモに近い生活をしていたわけだ。

 やはり本当の貧困とは、どうにも結びつかないものである。




 設営が終わり、セッティングが始まる。

 どうせ本番になれば、繊細な音などは必要なくなる。

 それでも事前にはしっかりとこだわるのが、暁や信吾などである。

 栄二もこだわらないわけではないが、その状況で出来る範囲でドラムを叩く。

 あとは千歳にしても、最近はさすがにチューニングが狂っているかなど、自分でも気づくようになっている。


 セッティングが終われば、各種演出機材もテストして、いよいよリハとなる。

 四回の公演があり、それぞれある程度は演奏する曲が変わっていく。

 その全てをやるわけにはいかないので、ある程度は省略していく必要がある。

 とは言えたっぷりとリハに時間を取れるのは、ここが最後である。

 あとは実際の演奏の前に、軽くセッティングの調整をまた行う程度になるだろう。


 これまでに演奏してきた会場の中でも、客席が二階にあるホールなどはあった。

 だが武道館の空間は、さすがにそれのはるかに上をいく。

 冬場の屋内フェスでも、ここまでの客席はなかったのだ。

 それにあれは、自分たちだけを見に来た客ではなかった。


 およそ一万人を、自分たちだけで二時間も満足させなければいけない。

 広大な空間でリハをしている間に、それが実感として触れられるようになってくる。

 人数だけなら去年の夏のフェスの方が、倍はいたはずである。

 しかしあれは野外の舞台であり、空間的には下から見上げられるものであった。

 だが武道館になると、客席が上のほうにまであって、こちらを見下ろしてくるプレッシャーがある。

(う~んこれは)

 俊は演奏にプレッシャーがかからないというか、そもそも演奏の中で失敗などしないポジションにある。

 だが他のメンバーは、果たしてどうなのであろうか。


 栄二などはバックミュージシャンとして、この規模の会場でも数回、演奏したことはあるらしい。

 ただその場合はおおよそ、失敗しないように誤魔化す、テクニックもあったわけだ。

 ノイズというバンドメンバーとしての演奏であると、失敗が必ず分かってしまう。

 これは事務所の側では撮影し、映像記録として残しておくのだ。

 あるいは人気が出たら、ここからMVに使う映像を切ってくるかもしれない。


 演奏に合わせた演出も、実際に行われる。

 ライトを浴びるのは基本的に、フロントの三人、特にボーカルの二人だ。

 ギターリフのソロを、比較的長く含む曲を作っている。

 それでこそロックバンドだ、という意識があるからだ。

 実際のところは、シンセサイザーでかなり電子音を作っていく。

 ドラムとベースの生のリズムには負けるが、音の厚みは増えていくものだ。


 これで客が入ったら、どういう反応になるのだろう。

 舞台からは今、客席だけが見えている。

 そこに本当に、人間が全部埋まっていくのか。

 事務所と組んだプロモーターは、基本的には全てのチケットは売り切れたと言っている。

 だが実際にはほんの数枚は、直前まで売り切れることがない。

 直前でも見られるという、特権階級の人間のために、用意してあるのだ。

 そういうものは下手な最前列などではなく、奥まったところで会場全体を眺める。




 リハは問題なく終了した。

 ただ音響というのは本当に、わずかな気温の変化でも、また変わってくるものなのだ。

 最終的には明日、観客を入れる前にまた、チェックしていく必要がある。

 スムーズに終わるなどと思ってはいけない。

 何があっても音を届けるのだ、とある程度のプレッシャーがかかる。


 俊からすると自分の出来ることは、本当にもう少ない。

 大規模会場の音響などは、さすがに技術が足りない。

「そう言えば、皆は誰が見に来るんだ?」

「うちは奥さん。取材も込みで」

 栄二としてはそうだろう。娘さんは祖母が預かってくれるらしい。

「女たちは見に来るだろうけどな……」

 信吾がそう言うが、本当に見てもらいたいのは仙台の家族であろう。

 父と兄、そして妹。

 自分が好き勝手をしているだけに、余計にそのあたりは気になるらしい。


 月子は叔母が京都から来て、一緒に友人と見るらしい。

 千歳もこれは、叔母が友人を誘って見に来るそうだ。

 暁は父と、その恋人。こちらも取材を兼ねているそうな。

 誰も呼ばないのは俊だけかと言うと、一応岡町には渡してあるし、誰かを誘えばともう一枚渡してある。


 卒業が近くなってから、大学の友人グループとは、やや疎遠になっていた。

 あちらの方が嫉妬や羨望から、少し距離を置いたという方が正しいか。

 もっと純粋に、俊が忙しくなったというのはある。

 ただ朝倉などは、卒業と同時にメジャーデビューと、なんだか意外と上手くいっている。

 それが売れるかどうか、売れ続けるかどうかが、ミュージシャンとしては問題なのだが。


 ミュージシャンの中でも演奏だけをする人間は、果たしてどれだけ先のことを見ているのか。

 いや、演奏者だけではなく、作曲や作詞についても、ずっと売れっ子でいられる可能性などは低い。

 不労所得というものは存在するが、俊の父はあれだけ生前、大ヒット曲を飛ばしていたにも関わらず、それの永続性はあまりなかった。

 いまだにカラオケなどでは歌われて、少しずつ金にはなっている。

 だがそれは相続しないほうがいい、というのが俊の母の判断で、今のところはそれは間違っていない。


 武道館はまだ道の途中。

 目的としては永続的に売れていくことだが、それは難しいだろう。

 大人気バンドでも、ヒットチャートの上位を占めるのは、せいぜいが三年といったところか。

 もっともそういうバンドも、ライブをやっていればちゃんと稼いでいけている。

 ところがマイケル・ジャクソンなどは没後も、毎年数百億の金が稼げているらしい。


 上を見ればキリがないし、現実的でもない。

 だが上を見続けていくのを、目指して歩いていくのを、やめるわけにもいかない。

 今さらながら気づいた。これは終わりのない道だ。

(人生は重い荷を背負って、粛々と歩むのみ、だったかな)

 確か徳川家康がそんなことを言っていたと思う。

 最終的に天下を取った家康であったが、間違いなくその生涯は波乱に満ちたものであった。


 天下を取るからこそ、そこまで厳しい道を歩まなければいけなかったのか。

 あるいはそこまで厳しい道の果てが、たまたま天下であったのか。

 音楽的な成功というのも、中途半端なところで終わるのは、かえって難しいだろう。

 俊の父のように破滅するか、あるいは岡町や暁の父のようにそれなりに関わっていくか、それとも音楽から離れるか。

 マジックアワーの中では元ドラムの人間は、稼いだ金で不動産投資をして、店なども持って不労所得で生きている。

 しかし音楽をやり続ける限りは、上を目指していかなければいけないのか。


 あるいはこれは、上でもないのかもしれない。

 より世界を広げていくこと。

 世界が広がることによって、自分の音楽もより広く伝わっていく。

 また広がることによって、表現の幅も広がっていく。

 どこまで行けばいいのか、それを考えていてはいけない。

 広がっていくことをひたすら楽しむ、そいういう人間しかこの世界では生きていけないのかもしれない。


 音楽は創造的な作業だ。

 会社の歯車のような、時期が来れば次の人に引き継げるような、そういう代えのあるものではない。

 もっとも歯車でさえない、という言い方も出来る。

 多くのミュージシャンが、突然の死を迎えてきた。

 それによってその後に生まれたかもしれない、多くの音楽が生まれてこなくなった。

 だが世界は続いていくし、他の音楽が生まれてきている。


 惰性で人気があるミュージシャンなどは、むしろ死んでくれたほうがいい、という意見すらある。

 それは過激すぎると俊は思うが、アイドルに対して消えろと思ったことはあるので、あまりそういうことは言えない。

 そもそも俊の父が、終わった人間だと言われていた。

 ただ本当に終わったかどうかは、急死によって分からなくなったが。

 しかし死後もあまり、遺作がカバーなどをされないことなどを考えると、終わったと言うか時流に乗っただけというのが、正しいのだと思う。




 帰宅したが、メンバーが他に二人も同居しているのは、俊にとっては心強い。

 夕食のメニューなども、今日はかなり慎重に考えられている。

 他のライブも問題ではあるが、もしも武道館がキャンセルになどなれば、とんでもない金が飛んでいく。

 もちろんそういった例については、保険に入っていたりはする。

 だがファンの信用は、金で買えるものではない。


 顔を合わせて食事をするが、普段よりも口数が少ない。

「そういえば、暁の件なんだけど」

 特に今、話す意味はない。

 だが話して悪影響もない話題だ。

「母さんの許可次第だけど、夏休みの終わりにこっちに越してくるかもしれない」

「ああ、前に言ってたな」

 こくこくと月子も頷いている。


 普通科の高校だったら、多少は問題になっていたであろう。

 だが通信制に編入した暁は、かなり時間に自由度を得た。

 そして移動時間も無駄にしないために、俊の家に引っ越したいと言ってきていた。

 また父の再婚問題なども、それに絡んでいるなどとも言っていた。


 夏休み中に母は、また一度は戻ってくるだろう。

 なのでその許可次第ではあるが、さらに住人が増えるかもしれないということだ。

 それに関しては確かに、ギターリフを作ることが多い暁が、一緒にいるのはいいことだ。

 バンドメンバーとしては異論はないし、女性の数が増えた方が、向こうとしては安心だろう。

「佳代ちゃんにも、確認はした?」

 月子の言葉に、俊は忘れていたことを思い出す。

 この家にはもう一人、既に同居人がいるのだ。

 佳代はこの時間、部屋で作業をしている。

 そもそもこのメンバーにしても、普段から集まって食事をするわけではないのだ。


 信吾などは普段、外で食事をしてくることも多い。

 切れていない女たちのところで、それなりに生活をしているのだ。

 だがさすがに今日は、他のことに気を取られるわけにはいかない。

「夢の一つが、やっと叶う」

 月子は感慨深そうにそう言ったが、果たしてそれは本当に月子の夢なのか。


 誰もが何かになりたい。

 月子はそう思って、東京に出てきた。

 アイドルになりたかった、と最初に思っていたわけではない。

 ただ、何かになりたかった。

 そしてそのルックスが、偶然にも比較的まともな人間に、拾い上げられることとなった。

 そこから音楽の道に入っていったのは、俊が導いたということもある。


 だが音楽の素養は、充分にあったのだ。

 アイドルなどよりも完全に、ボーカルとしての素質。そして蓄積。

 それがシンガーとして花開いている。

 誰かになることが出来た。

 そしてアイドル時代の目標であった、武道館は達成することとなる。

 アイドルとしてのライブではないが、同じく歌うということに変わりはない。

「夢はこれからも続いていくんだろうな」

 俊はなんとなく、そんな言葉を呟いていた。

「歌詞に出来そうな台詞だな」

 軽く信吾が混ぜっ返したが、俊は沈黙で返したのだった。




 翌日、昼前には既に、メンバーが集合する。

 東京の交通事情を考えて、念のために車で移動した。

 開場よりもはるかに早く、問題なく集まれた。


 事前に確認していたように、全員がかなり食事などにも気を遣っている。

 しっかりと眠れたかというと、俊も含めてほぼ全員が、わずかに眠たそうな顔をしていた。

 経験の豊富な栄二や、ギターだけを弾いていたら満足な暁さえ、そういうことなのである。

 あとは他のメンバー次第、と割り切っていたはずの俊さえ、結局は安心出来なかった。


 自分の緊張もであるが、他のメンバーの緊張も、リーダーであるがゆえに感じてしまう。

 それに月子や信吾は、やはり朝から顔を合わせている。

 この二人は普通に、緊張しているのが分かった。

 図太い千歳でも、さすがに武道館は緊張するらしかったし、また暁さえも緊張している。

「ギター持ったまま寝たら、朝には顔に弦の跡がついてて焦った」

 ……いや、それでもこういうレベルなのか。


 あるいはメンバー以外である、阿部が一番リラックスしているかもしれない。

 もちろんこれで失敗したら、大きなダメージにはなる。

 ただ彼女の担当するミュージシャンの中には、既に武道館を経験した者もいたりした。

「あんたたちの緊張具合、今までのグループとかに比べると、ずっとマシだと思うわよ」

 そんなことを言ってくれる余裕もあるのだ。


 どのみちもう一度、セッティングの調整は必要になる。

 腹がもたれないように、軽い食事などは買ってきた。

 とは言ってもゼリーなどの、食中毒の危険のないものだけである。

 昼の部は開場が一時で、演奏開始が二時から。

 そこから二時間のライブがあって、アンコールで少しは長くなるだろう。


 ノイズメンバーが休んでいる間に、客席などの清掃が行われる。

 そういった手順を粛々と行使していって、ようやくこのイベントは終わる。

 演奏をする前から、既に精神的に疲労している。

 これは武道館が決まってから、それが実際に始まるまで、ずっと続いてきたプレッシャーだ。

 それが今、完全に最高潮になっている。

「よし、じゃあ最終チェックを始めるか」

 ここを無難に終えれば、もうあとは待つだけである。


 何も、悪いことは起こらなかった。

 直前での機材の不備など、そうそう起こることではない。

 おかげで無駄なプレッシャーが、また加わることはなかった。

 だが同時に、プレッシャーが解消するわけでもない。

「ちょっと弾いたら、少しはマシになったね」

 そう言っている千歳や、頷いている月子などは、本当は図太いのか。

 きりきりと胃が痛む中で、開始時間は迫ってきていた。

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