第220話 武道館への道
暑さが増すと共に、時間が加速していくような感じがしている。
武道館公演は当然ながら、楽曲を演奏するだけで完成するわけではない。
MCを入れていくような、これまでのワンマンライブとも違う。
演出が重要になるのだ。
スクリーンを吊るしたり、映像を映したりと、事前の準備がとんでもなくかかる。
手間と時間が必要になり、さらに当然だが金がかかる。
ここに至ると俊も、自分の意見だけで全てを決めようなどとは、とても思わない。
だがいずれは自分が、一から出来るようになれば、と考えてはいたりする。
本質的には学ぶことが好きなのだ。
学ぶという感覚ですらなく、自分の出来ることを増やしていくのは、人間として快感ではあるのだろう。
もっとも下手に色々と出来ると、ただの便利屋になってしまうのだろうが。
音楽は聴覚に訴えるものだが、ライブは総合芸術だ。
視覚に加えて触覚、またある程度は嗅覚なども関係してくる。
あとは時間感覚の支配だ。
こちらが提供するものは、ある程度のタイムスケジュールに従っている。
しかしオーディエンスの反応を見て、ある程度の空気の緩急をつけなければいけない。
聴衆を煽っていくのは、俊のスタイルではない。
そういう感覚的なものは、優秀なフロントメンバーに任すのだ。
俊が計算していくのは、全体的な進行である。
そこは冷静に考えられる人間が、必ずステージにはいるべきなのだ。
俊はエンターテイナーではあっても、ライブに向いた人間ではない。
事前に用意をしておいて、そのプラン通りに進める人間なのだ。
生きたライブの中では、どうしても冷めた思考では、足りないものが存在する。
しかしそれも事前に、ある程度は予定を立てて演出するのだ。
こういったものには、専門の演出家がいる。
それと話し合って、実際の演出を決めるのだ。
舞台装置をどれぐらい使うのか、また飛び道具的なものも使うのか。
基本的にノイズは、質実剛健でこれまでのライブコンサートを行ってきた。
七月のこの季節、武道館は様々な行事で使われる。
別にそれに隠れるわけでもないが、普通に武道館の内部の様子を見ていく。
館内の中でも、イベントに使われているのは、柔道や剣道を行うフロアである。
もっとも今日はそういうものではなく、平和な日本の文化イベントが開催されているのだが。
実際のステージを確認して、企画を練るのは事務所である。
おおよその必要な人数や機材は、これ以前のミュージシャンのコンサートの蓄積から、既に準備はされている。
もっともどうすれば本当にオーディエンスが満足出来るのか。
それはやはり演奏の具合によるであろう。
新曲は用意してあるし、その練習もしている。
目玉となるのはアニメタイアップになった曲であり、こちらは武道館ライブまでは、OPバージョンでしか聞くことが出来ない。
ただあの曲が、OPだけは良かったと言われるたびに、俊や千歳は悲しくなる。
原作もとても面白かったのに、と。
しかし二話以降は、作画崩壊が本格的に始まっていた。
ノイズがどうにか出来ることではないし、どうにかするべきことでもない。
ただ、あれで得をしたのは楽曲がテレビも含めた場所で流れた、ノイズだけであるというのはよく言われてしまう。
そんなことを言っても、こちらは全力で作ったのみ。
責任の所在は、こちらにはない。
割を食ったな、と俊が思うのはやはり、MNRのことであった。
千歳が三話切りと言うように、かなりの駄作アニメでも、三話までは見てみるか、という視聴者がそれなりにいるらしい。
だが2クール目にまで、果たしてどれぐらいそれが残っているのか。
MNRの音楽は、ノイズに比べると聴かれないものになってしまう。
これもノイズの責任ではないし、白雪もそこは何も言っていない。
それでも無駄に使われたリソースについては、ため息をついてしまうのは確かだ。
今は目の前の、武道館に備えるべきである。
しかしそれが終わっても、今度はフェスがやってくる。
都市型の公園を使ったものと違い、完全な野外フェス。
テントを張って数日間、泊まり込みで参加する人間などもいる。
ちょっと俊のような都会の人間には、あまり縁がなかったフェスだ。
だが野外の大規模フェスは、そもそもそういったところで行われていたのが最初らしい。
日本でそんなことをやるのは、ある程度場所が限られるのではないかとも思うが、実際には日本も人のいない場所は多いのだ。
千葉でやったような大規模フェスが、俊としては一番好ましいものである。
ちょっと歩けば他のステージに行けるし、食事にも問題はなくトイレもたくさん設置されている。
それに比べるとどうしても、抵抗感があるのは都市で育ったお坊ちゃんであるからだ。
俊も避暑地などに、遊びに行ったことはある。
だがそれは用意され、管理された自然の中だ。
富士山の麓で開催されるのは、本当に大自然の中のもので、ステージ間の距離もある。
移動するのが面倒だと思ってしまえば、人の流れは停滞してしまうだろう。
俊としてはそうも考えるのだが、それは今の時勢に影響されすぎである。
現代でもまだ、本当の音楽の人気というのは、人を動かす力があるのだ。
とりあえずチケットが全部はけたので、それは良かった。
あとは物販でどこまで売っていくかである。
常に利益を出すことを忘れない俊は、それが継続していく中で一番大事だと考えているからだ。
もっともバンドなどというのは、離脱や解散が普通にあるものなのだ。
今回の目玉となるのは、新曲のミニシングル。
これまではずっと、ミニアルバムなどのように、アルバムを作ってきたのがノイズである。
そろそろもう一回、アニソンカバーをやりたいな、などと言っているのが千歳である。
確かにあれからまた、多くのカバーをライブでやっているし、その音源を求める声もたくさんあるのだ。
俊としてもせっかく作ったアレンジを、ライブの演奏だけで終わらせるのは、もったいないかなと思っている。
権利関係も事務所がやってくれる今、以前ほどの利益にはならないものの、それでも普通にメジャーレーベルで出すよりも、多くの収入を得られる。
ただしあくまでもインディーズレーベルから出すので、もう自分たちで資金を用意しなければいけない。
これまでもミニアルバムなどは、かなり自分たちで予算を作ってから、改めてレコーディングしたものだ。
カバーアルバムとなるとやはり、売上が問題となってくる。
一度全てを買い上げた上で、流通と直販で売るならば、かなりの無茶も利く。
だがどれぐらい売れてくれるかが確信を持っていないと、大きな損になる可能性もあるのだ。
ノイズがまだしも無名であったからこそ、逆に売れたという面はある。
現在の知名度であると、アルバムが発売されればすぐにでも、海賊版が出回る可能性がある。
それならまだいいが(よくないが)データだけが流れるのが一番困る。
まあそれが嫌ならしばらくは、直販と通販、また予約販売を組み合わせていくべきなのだろう。
しかしいまだに少ないながら、ファーストアルバムは売れていたりする。
(よく分からないんだよな)
CDの売上は初動が全てである。
これがマンガなどであると、巻数が続いていくので、持続的に売れて行ったりする。
重版出来というものである。
だがCDは、初動でもう動きが予想出来てしまう。
そして今の時代、初動で売ることが出来なければ、どこからか海賊版が出てくるのだ。
どのみちそれは、夏のフェスなどが終わって、一段落ついてからになるだろう。
おそらくまた冬も、大きなワンマンライブをすることが出来る。
その時にでも合わせて、一気に直販で売る。
予約販売も組み合わせれば、また大きな利益を出すことが出来るとは思うのだ。
他者の楽曲をカバーするということに、俊は特に躊躇がない。
ボカロの文化というのは、ある程度の物まねから入っている人間も多いのだ。
そもそも現在の楽曲に関しても、おおよその展開の仕方や、リフにコード進行など、昔の曲から持ってきている場合が多い。
それこそStairway to Heavenの時代から、既にパクリと言われることが普通にある。
ならばDJが昔のレコードを使うのは、果たしてパクリであるのか、という話にもなるが。
人類の蓄積してきた音楽に、完全に新たな一曲を入れるなど、絶対に不可能なのだ。
霹靂の刻はかなりオリジナリティが高いと言われるが、津軽三味線の人間が聴けば、じょんがら節のアレンジだと判断するだろう。
そしてそれは間違いではなく、そこからどうアレンジを即興で入れていくかが、奏者の手腕とすら言われる。
ちなみにこれが理由で、霹靂の刻はそのまま使いでもしない限り、著作権侵害を問うのが難しいのだが、それは別の話である。
事前の準備には念には念を入れておく。
たとえば暁の場合であれば、予備のギターを全部持ってきている。
元からあったものが二つに、特注で作ったものが一つ。
いつもはせいぜい一つか、予備なしで演奏しているのだが、さすがに今回はそうはいかない。
ただセッティングもそれぞれ、微妙に違ってくる。
暁の演奏は、基本的に普段のレスポールに、最適化されているのだ。
二つのピックアップのうち、一つではテレキャスのような音が刻まれる。
もう一つはミニハムに近いような、厚みのある音になる。
おかしなピックアップのギターなので、特注品以外は本来、代替の利かない物であるのだ。
それでもレフティのレスポールなど、滅多にないので予備としては必要だ。
千歳は必死に、定期テストを終わらせた。
推薦入試を目指すとなると、普段からの成績を落とすわけにはいかない。
あるいは一発勝負の入試よりも、こちらの方が大変であるのかもしれない。
ただギターの練習を見れば分かるように、彼女はそれなりにコツコツやるのが苦手なタイプでもないのだ。
ノイズの活動が完全に自由になるのは、千歳が大学に入学してからになるだろう。
特に平日には、出来るだけ昼間の仕事を入れるわけにはいかない。
高校生活の最後の一年間、一般的とは言いがたい生活を送っている。
それでも本格的に自由に活動できるようになれば、その活躍の舞台はさらに広がっていく。
「夏休み、札幌まで行くからな」
阿部が手配してくれた、夏休みのスケジュールは本当に、目いっぱいに埋まっていると言ってもいい。
フェスの他にワンマンライブと、週に二度のライブの予定もあったりする。
ノイズは結成から間もなく二年になるが、大小あわせてもう、100回以上のライブを行っている。
ほとんど毎週ライブをしているわけで、これだけやっていれば貫禄も出てくる。
惰性にならないように気をつける必要はあるが、基本的に場数を踏めばそれだけ、上手く乗せることが出来るようになってくる。
演奏ではなく、ライブは対話なのである。
コミュニケーションとして音楽は、たとえ言葉が分からなくても通じる。
おおよそどの民族においても、音楽と踊りはあるのだ。宗教的に禁じられてでもいない限り。
ちなみにその宗教儀式の中には、音楽と踊りの要素があったりして、つまりは独占されている。
舞台が大きくなると、それだけ動かす人間や金も多くなり、予定はかなり先まで入ってしまうこととなる。
こういったスケジュールを把握して判断するのも、マネージャーやプロデューサーの仕事だ。
基本的には阿部はプロデューサーであり、普段の現場にノイズが向かう時は、他の社員がマネージャーとしてついてくる。
だが大きな舞台などであると、そのプロデューサーがしっかりと自分で出てくるのだ。
「今年はレコード大賞にもノミネートされるだろうけど」
「それは別にどうでもいいです」
あっさりと言ってのける俊である。
基本的に日本の音楽の賞レースには、意義を感じていない俊である。
それは別に彼だけではなく、今の日本の若手ミュージシャンは、だいたいがそうなのだ。
特に日本レコード大賞の場合は、楽曲そのものの力で取れるものではない。
そういった楽曲を生み出した、プロダクションやプロデューサー、レコード会社までが評価の対象となる。
つまり弱いところから出たヒット曲などでは、取れないということだ。
それよりは年間のリクエストが最も多かった賞など、そういったものの方にこそ、価値はあると思う。
「けれど、紅白に出られるなら?」
「ああ、それは月子が喜ぶかな」
以前からずっと、紅白に出たいとは言っていた月子である。
俗なことを言うならば、武道館と紅白は、一つの区切りにはなるだろう。
ただ紅白は認知度を高めるために役に立つ代わりに、ギャラは安いというものになっている。
確かに昔、視聴率が50%も取れていた時ならば、それは良かったのだろう。
またチャンネルにしても、公共放送はどの地域でも放送されている。
ネットのない時代であれば、確かに数少ない娯楽であったのだ。
俊などの世代は、ほぼネットネイティブである。
栄二さえも普通にネットは存在し、せいぜいがまだスマートフォンの普及率がそれほどではなかった、という程度だろうか。
これが阿部の世代になると、ネットが全く一般的ではなかった世代が、若かった頃にあたる。
その時代のメディアの主役は、間違いなくテレビであった。
今でも年配の人間は、テレビを見る傾向にあるし、スマートフォンを持っていない人間もいる。
だが田舎暮らしでさえ、今ではそういったものは普及しているのだ。
世界的に見れば、水道やガスなどよりも、ネットの普及率が高いところもある。
そんなわけで俊としては、紅白にも全く魅力を感じていない。
そもそも反体制というのがロックの一つの主義である。
もっとも同時に言われていたのは、反戦というものであって、これは時代性から言われていたものだ。
今ではむしろ、侵略者とは戦え、と叫ぶ方がロックであろうし、平和主義の欺瞞を叩くのもロックであろう。
ただメンバーの意見を、全く無視するほど、俊は独裁者ではない。
知名度を高めることの意義は、確かに分かっているのだ。
もっとも月子の紅白に出たいというのは、自己肯定感の低い彼女が、過去の自分に対する環境を、見返すためのものだとも知っている。
中学時代までは、イジメのような感じであったし、また田舎では出来ない子扱いされていた。
文字を読むのが苦手で、それに対する理解がなく、また他人の顔も判別出来なかったからだ。
今の自分の姿を見せて、復讐のような気分になるのだろうか。
そもそも月子は顔出しをしていないし、垢抜けた今のルナと名乗る月子を見て、誰であったのか分かる人間も少ないだろう。
顔出しをしてまで、わざわざ識別できない相手に、自分の成功を見せ付ける意味があるのか。
そのあたりはちょっと、彼女と話してみたほうがいいだろう。
それは置いても、紅白に出るのは悪くはない。
だが一度きりでも構わないだろう。
どうせ紅白に出るというのなら、公共放送で持ち込み企画をやってもらいたいものだ。
それは月子のディスレクシア、そして相貌失認という症状の、一般社会への認知という形だ。
ノイズというバンドの紹介と共に、世間にはこういう障害があるのだと、理解してもらう番組を作ることになる。
「でもそれは、ツキちゃんのことを公に晒すということでしょ?」
「そうですね。まあ本当の意味で見返したいというなら、これぐらいはやった方がいいというだけで」
知名度のある人間が、こういった障害を公言することには、ちゃんとした社会的な意味がある。
トム・クルーズがそれを公に言ったため、ある程度はこれが認知されるようになった。
障害のない社会というのは、絶対に作れないものである。
だが障害があっても、出来るだけ一般人と同じように、生きていける社会は目指していくべきだ。
「それは……もうちょっと、ノイズの認知度を上げてからの方が、いいと思うわね」
「順番としてはそうでしょうね」
俊もそれが、分かっていないわけではない。
そもそも音楽で歴史に名前を残すような人間は、何かに傑出した天才であるか、もしくはどこかが大きく欠落しているかのどちらかであったりする。
ジョン・レノンもまた、その人格には、なんらかの障害があったのでは、などとも言われているのだ。
俊は基本的に勉強が出来て、顔もそれなりにいい。
なので割とイージーモードの人生を生きてきて、それでいながら音楽という表現を選んだ。
そして今の年齢になって、なんとなく自分の欠点にも気づき始めている。
自分は他人の心が分からないか、分かっていてもそれに適した反応が出来ないのではないかと。
音楽を最優先した結果、最初のバンドは早々に壊れた。
他人が他のことに、無駄に時間を使っていると感じてしまう。
今ならばそれは、仕事であるのだから、音楽を最優先にするのは当たり前だ。
だが高校生や大学生であると、音楽は本当に音の楽しみ。
それで食べていくというか、そのために生きて行くと決めた俊とは、温度差があって当たり前なのだ。
なんでそんなに本気になれないのか、不思議に思ったものである。
ノイズのメンバーの中では、暁が一番感性は近いだろう。
そしておそらく、一番感性の遠い千歳を、最後には必要としたのは皮肉である。
彼女は一般目線を必要とするためにも、ノイズの中の一員となっているのだ。
発達障害の一つには、過集中というものがある。
これはゲームなどをしだすと、いつまで経っても終わらない、という集中力の子供によく見られる。
ただこの症状が、勉強や芸術に向かったりすると、とんでもない成果が出たりする。
俊の知る限りでは、徳島などは明らかにこのタイプだ。
音楽をやるような人間で、特に作曲をするタイプは、この傾向があるのではないか。
俊はそう思って、周囲の人間を判別したりしている。
すると栄二や千歳などは、かなり一般的なものの見方をしている。
信吾などは実は、音楽に対してはストイックなだけだ。
暁は明らかに、この過集中ではある。
もっとも他のこと、たとえば勉強などに、全く集中できないというタイプでもない。
月子はそれこそ、欠落したからこその、執着がその音楽を作っている。
技術はあっても嫌ってはいた、民謡と三味線の能力。
それが舞台を変えた途端に、彼女にとっては巨大な武器となった。
そして何より、自分はどうであるのか。
少なくとも限界までやって寝オチするぐらいには、音楽に傾倒している。
ただ高校時代も大学時代も、打算はあったが人間関係を作ることは出来た。
欠落したものは月子や千歳だけではなく、俊にも充分すぎるほどあるものだ、
母からの愛情は満足なものではなく、最愛の父は他の女の元に去り、姉と慕っていた人間からは裏切られ陵辱された。
(肉親に恵まれてないなあ)
今さらながら、そういうことがいえるのではないか、と考察してみる。
社会や自分に対する不満を、青い若さではなく切実なものとして、歌うことが出来る。
正確には、歌詞を作ってそれを月子と千歳に歌ってもらうのだが。
ラブソングに関しては、そもそも恋愛に対する不信から、作ることが長らく出来なかった。
しかし過去の出来事を許すことによって、今はもうその呪縛からも逃れている。
満たされてしまうと、創造性がなくなってしまうとも言われる。
だが逆に満たされることによって、新たな創造性も生まれてくるだろう。
武道館というステージは、まだ道の途中である。
その行き着く先は、東京ドームや海外フェスなどでもない。
純粋に音楽と向き合い続けること。
終わりのない旅の中の、一里塚と言ってもいいのであろう。
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