第185話 歌姫の背中

 二日目の夜の部。

 MCの間に水分補給をしつつ、千歳はあと一息というところまで歌い上げた。

 最後には月子のメインボーカルに対して、わずかにコーラスを被せていくという演奏。

 肺活量も鍛えられた月子の声が伸びていって、やがて空気に溶ける。

 それに大歓声でホールのオーディエンスは反応し、ステージは終了した。


 アンコールもこれで終わりなので、ようやく二日間のスケジュールが終了する。

「疲れた~、ご飯食べたい~」

 ゾンビのようにふらつきながらも、千歳はそんな余裕を見せている。

 一日目が終わったところで、フロントメンバーはおおよそ3kgほどは体重が減っていた。

 そこから無理に体重を戻したものの、結局は5kgほどは減ってしまったのが今回のステージである。


 意外と元気な月子に、抱きつくように楽屋に向かっていたが、そんなノイズのメンバーの先に阿部が待っていた。

「お疲れ様。大成功ね」

「まあ、さすがに疲れましたけど」

 そう俊は応じたが、彼自身はそこまで体力を削られたわけではない。

 内心の緊張で、やはり消耗しているのは確かだが。

 それでもどこか泳いでいる、阿部の視線には気がついた。

「どうしたんです?」

「俊君に、話がしたいという人が来てるんだけど」

「俺に? お偉いさんですか?」

「う~ん、偉いわけじゃないけど……。関係者だって本人は言ってるけど?」

 岡町でも来たのかな、などと俊はのんびりと考えて、ドアを開ける。

 そこにいたのは楽屋の椅子に座っていながらも、どこかオーラを発する女性。

「げ……」

「随分な反応ね」

 俊の異母姉である彩がそこにいた。


 普段から全く接点などはない。

 ただあちらは有名人であり、名実共に日本でも屈指のディーヴァとして知られている。

 事情をある程度知っているノイズのメンバーとしては、単に姉が弟を訪ねてきただけではないとも分かる。

 ましてやこの、公演を終えたタイミングで訪れたというのは、何か画策しているのでは、と考えても無理はない。

 実際に彩には目的があるが、画策と言うようなものでもない。


「私のステージに、立たせてあげようか?」

「断る」

 間髪入れない俊の言葉に、メンバーさえもが少し驚く。

 彩との確執はある程度、俊から聞いている。

 そしてその関係さえも。

 だが俊がここまで感情的になるのは、見るのが初めてという人間も多かった。


 二人の間にある、複雑な過去というものは、お互いのみが共有している。

 もっとも二人のその過去に関する体験は、それぞれ別の感情と共に記憶されているのだ。

 人間関係の悪化というのは、こういうところからも生じる。

 座ったままの彩に、立ったままの俊。

「とりあえず、座ったら?」

 思わず阿部が口を出して、疲れきっていた暁と千歳が、そしてそれに続いて他のメンバーも座る。

 楽屋にはパイプ椅子しかなく、その安っぽい椅子に座っている彩は、それでも貫禄めいたものがある。

「話がそれだけなら、帰ってくれないか。これから打ち上げなんで」

「キャパ2000人で、昼夜を二日連続」

 彩はまだ、動こうとしない。

「私なら一日の公演だけで埋めることが出来る」

「今はな」

 彩の言っていることは嘘ではない。

 ただ嘘ではないが全てでもないのだ。




 彩は既に評価が確定しているシンガーである。

 数万のアリーナを埋めるような、日本でも五指には入るであろうミュージシャンだ。

 もっとも俊などからすれば、それがこの先もずっと続くのか、それは怪しい。

 彩に限ったことではなく、ノイズでさえも同じことは言える。

 旬の期間というのは短いのだ。

 もちろん先頭を走り続けるわけでもなければ、ずっと長くこの業界にいることは出来るが。


 彩は確かにトップレベルのミュージシャンであるが、ファンの増加は頭打ちになっている。

 だがノイズとしては、それを踏み台にすることはメリットしかない。

 しかし彩の音楽性と、ノイズのそれとは違うものだ。

 彼女のステージの前座というのは、失敗する可能性が高い。

 失敗まではしないまでも、踏み台としては不適当であるのは間違いない。


 彩の所属する事務所とレーベルは、ノイズとは同じレコード会社の傘下のようなものだ。

 だからこういうことが、出来なくはないのは分かる。

 ただ彩にとってのメリットはなんなのか。

 音楽性が大きく違うノイズを前座に出させても、ほとんど意味はない。

 ノイズを失敗させるというだけなら、確かに効果的かもしれないが、それならそれでバラード系を無難に歌えばいいだけだ。

 そういって曲も歌えるのが、ノイズの強みであるのだから。


 お互いの客層はあまり似ていないので、それぞれの新規客層を得るにしても、ノイズばかりが得をする。

 このあたり本当に、何を考えているのか分からない。

「その、私が説明しようか?」

 平行線の二人の交わらないのを見て、阿部が声をかけてきた。




 これは取引である。

 彩はシンガーソングライターと名乗っていて、実際にデビューからしばらくの間は、自作の楽曲を歌っていた。

 しかし昨今では他者からの楽曲提供を受けて歌っているのが本当のところである。

 そもそもルックス面でも売っている彩には、そこまで優れた作曲の才能などはない。

 シンガーとしての才能ならば、間違いなくあるだろうと俊でさえも思うのだが。


 女優業やお堅い感じのバラエティにも、彩は出ている。

 歌だけで食っていくのは、将来的には難しいという考えなのだろう。

 むしろ俊から見れば、今こそ歌で磐石なファン層を作るべきだと思うのだ。

 なんだかんだ言いながら、デビューからまだ四年。

 最初からいきなり売れてはいたが、まだずっと上の、長く音楽業界で活躍している人間というのはいる。

 そしてここで、俊を相手にこういう話を持ってきたわけか。


 別室で阿部と三人、話し合う俊。

 さすがに他のメンバーのいるところでは、話せないことであった。

 最近の彩の新曲には、新規性がない。

 それは当の昔に、俊も指摘していたことだ。


 なのでゴーストとして、新しく作曲してくれる人間を探している。

 俊の作曲している楽曲の中には、ノイズではあまり合わない、つまり月子や千歳向けでない曲もあったりする。

 そういうものを提供すれば、こちらも色々と便宜を図るという話なのだ。

「なぜこんなタイミングでこんな話を?」

 俊が質問したのは、むしろ阿部の方にである。

「本当に私が歌っても品を落とさないような曲を作れるか、この耳で確認したかったのよ」

 答えたのは彩の方であったが。


 馬鹿馬鹿しい話だ。

 俊は今、ノイズの方に全力をかけている。

 ファンが拡大していっている今が、重要な時なのは間違いない。

 それなのに彩の方にまでリソースを割くなど、意味が分からない。

「レコード会社や事務所も、ノイズを売り出す金を作るのに、言い訳が必要なのよ」

 阿部の言葉で、この取引が先にまでつながっていることが分かる。


 同じレコード会社ではあるが、レーベルは別であり、事務所としても系列が違う。

 しかし同じ傘下であることは間違いないので、ノイズが売れてくれるのもレコード会社だとありがたい。

 そしてその力でもって、また彩にも稼いでもらいたい。

「あんたはそれでいいのか? 俺の曲なんかで、たとえ売れたとして」

「俊ちゃんは相変わらず甘いなあ。私が求めているのは、一時的な売れっ子になることじゃなく、この世界で成功していくことなの」

 彩の上昇志向は、俊よりもずっと手段を選ばない。




 昔からそうであった。

 ほとんど盗作と言ってもいい、父親の残した曲の断片で、シンガーソングライターとしてデビュー。

 モデルや女優としても顔を出し、とにかく自分のルックスさえも利用してきた。

 それを普通の芸能人がするならば、俊としても流して済ませていたであろう。

 だが同じ父親を持つ彩が、本当に手段を選ばないというところには、嫌悪感を抱いてしまう。


 もちろん彼女の事情というのも、頭では理解している。

 父から完全に認知されて、そして恵まれた環境で育った自分と、顔はいいが頭の悪い母親から生まれて、父親からも認知されなかった彩。

 彼女もまた、人生が恵まれていないことを、音楽で表現する人間だ。

 ただそれだけでは足りず、もっと大きな成功を求めている。

 ノイズの中では暁などとは、正反対の価値観であろう。

 俊ともほぼ反発するものだ。


 ただ投下される資金が増える、ということの意味を阿部は分かっていた。

 もっともこういうことは、先にちゃんと根回しをしておいてくれ、というのが正直なところであったが。

(この二人、一応姉と弟だって聞いたけど)

 父親に愛されたか愛されてないか、他にも色々と環境が違いすぎる育ち方をした。

 しかし幼少期には、それなりに良好な関係であった時期もあったのだ。

「とりあえず、今日のところは話をするぐらいで。また機会を作りますし」

「私もあまり、暇があるわけではないのだけどね」

 確かに彩の方が、今は忙しいだろう。

 ミュージシャン、アーティストとしてだけではなく、芸能人としてのスケジュールが詰まっているはずだ。


 顔を逸らして、視線も合わせないようにしている俊。

 彩に対して抱いている感情は、どこか単なる嫌悪とも違うようには感じる。

 だが阿部が口を挟むべきものなのかどうか。

「話が急だったのは確かね」

 余裕すら見せて、彩は席を立つ。

「けれどこれは、お互いにとっていい話になるはずよ」

 感情ではなく、損得勘定で。

 今の俊が計算していることを、彩は口にしている。

 その点だけは、俊も認めないではなかったのだ。

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