第39話 啓示と現実

 確保していたスタジオの時間が過ぎた。

 四人は撤収するわけだが、そこに岡町がいた。

「オカちゃん、聞いてたんだ」

「まあな。いいベース見つけたな」

「いや、そういうわけじゃないんだけど……」

 どう説明したものか、と俊は考える。 

 だがその間に、森脇が前に出ていた。

「あの、元マジックアワーの岡町周(あまね)さんですよね?」

「お、よく知ってるね」

「そりゃもう! 初めて聞いた時にはもう解散しちゃってたんですけど、あのTTプロデュースから辿っていって、ギター二本の底を支えてるような、あの音がかっこよくて」

「ベースの音に関心があるってマニアックだなあ」

「だってベースって、EDMの中でも通用するじゃないですか。ギターは主役を奪われがちだけど」

 ちょっと暁がカチンときているが、それはそれとして別の話。


 なんだか知らないうちに、話が広がっていく。

 大学のカフェ、つまるところは食堂に移動して、まだ話が続く。

「月子は今日はバイトは大丈夫なのか?」

「うん、念のために空けておいた」

 森脇の話というのが、どういうものか分からなかったからだ。

 ただ今の彼は、岡町との会話に夢中である。


 マジックアワーは確かに、伝説のバンドであったと言われる。

 メンバーの死という解散の仕方まで、完全にロックバンドらしい。

 もっとも死んだのがリーダーでなかったら、続けることが出来たのか。

 とはいってもその解散から、俊の父は活動の幅を広げていったのだが。

 音楽とはもう、完全に関わらなくなったメンバーもいる。


 俊はノイズの音楽に、森脇のベースは合うと思った。

 なのでそのあたりの話を、ここではするべきなのだ。

「しかしなんで俊のバンドとセッションしてたんだ? しかもベースを使って」

 おお、岡町が質問してくれた。

「いや、今のバンド抜けようかと」

「アトミック・ハート、メジャーデビュー前なんじゃないのか? それなのに?」

「先が見えてしまうと、ちょっと駄目です。せめて他にもう一人ぐらい、バンドの中に危機感持ってるやつがいたらいいんですけど」

「まあ、一人じゃ無理だな」

 なるほど、それぐらいの危機感を持っていたのか。


 俊にもその感じは分かる。

 朝倉と組んでいた時、バンドの限界を感じた。

 おそらく朝倉のバンドが、特にボーカルがコロコロと変わるのは、そのあたりに理由がある。

 バンドの他のポジションではなく、圧倒的に顔となるボーカルを新しくしたい。

 その気持ち自体は分かるのだが、そんなことをしていていいのか。

 自分が月子という、傑出したボーカルと接触しているだけ、俊は冷静に状況が分かる。

 ただその月子が、まだ完全に手の内にないというのが、悲しい話ではある。




 森脇の危機感について、詳しいところまでしっかり分かった。

「それで結局、ノイズに入りたいという話になるのか?」

 俊としてはそこが重要である。

「入りたいと言うか、俺が必要だと感じなかったか?」

「いたら便利とは思ったが、結局ギターは弾かなかったな」

「そっちが求めてこなかったからな」

 それはそうであった。


 俊は考える。

 単純に今のバンドの構成を考えれば、森脇のベースは確実にバランスを良くしてくれる。

 そして単にバランスを良くしてくれるだけではなく、さらに成長させることが出来るとは思うのだ。

 ただそんな損得だけで、決められるものでもないと思う。

「なんで俺たちなんだ? ギターにしろベースにしろ、新しいバンドは色々とあるだろ」

「もちろん他にも探してはいる。ただ今のところ、一番完成度が低くて、未熟で、それでも充分に満たされて、次が期待できるのがここだ」

 的確な評価だな、と俊は思う。

 それに森脇のベースは、おそらくまだ上がある。


 自分一人で決めていいなら、お試しはしてもいいと思う。

 だが俊はバンドリーダーかもしれないが、全てを決める立場ではない。

「月子とアキはどうだ?」

「わたしは、俊さんがいいなら、文句はないですけど」

「あたしもいいけど……お父さんに知られたらうるさそう」

「それはそうか」

 そういう問題もあるだろう。男女混合バンドというのは、とにかく恋愛ごとで崩壊する例が多い。

 朝倉のバンドなども、そういう面で崩壊しているのは少なくない。

「でも、今のバンドの人は何か言うんじゃないですか?」

 その点を気にしたのは月子であった。

 おそらくメイプルカラーにも所属している自分と、似たような立場だと考えたのかもしれない。

 

 ただその点では、森脇は迷ってはいない。

「どのみちアトミック・ハートは抜ける予定だった」

「え~、それってでも、そちらの人は困らないんですか?」

「メジャーデビューを待っている、腕のある人間なんていくらでもいるんだ」

「待ってくれ、その前に確認だ」

 俊としては、森脇のことをまだ知らなすぎる。

「森脇は今、何をしてるんだ? 学生? それとも何か仕事を? いや、まず年齢から聞こうか」

「22歳。高校を卒業してからずっと、配達のアルバイトをしてる。働けば働くだけ入ってくるし、かなり時間の融通も利くしな」

 そういえば身長もあるが、それなりにマッチョだな、と今さらながら俊は思う。

 この年齢でデブのミュージシャンは信用ならないが。ドラマー以外は。

「高校を卒業してからなら、もうデビューしたいとは思わないのか?」

「したいことはしたいが、まだ待てる」

 確信を持っている目を、森脇はしていた。

「俺はまだまだ、成長しているから」

 なるほど、ならば待てるのか。


 そこで岡町が割って入った。

「俊、お前は考えすぎてるぞ」

 確かに考えてはいるが。

「音楽をやるなら、考えることは一つだろ。一緒にやりたいか、そうでないか。技術的なことすら後回しだが、幸いこいつは技術を持っている」

「……考えすぎ、か」

 頭でっかちなのを、また指摘されてしまった。

「森脇、少し二人で話せないか?」

 そんなことは、もうずっと前から分かっているのだ。

「演奏じゃなく、対話か」

「俺は天才じゃないから、演奏だけで判断は出来ない。ただ聴く耳は持ってるから、音楽の良さは分かる」

 俊としてはこう言うしかない。

「一緒にやりたいかやりたくないかは、話してみて決める」

 岡町がため息をついているのが見えた。




 プライベートゾーンに、最近は他人を入れているな、と俊は思う。

 もちろんそれが、効率的で合理的だからと判断しているからだが。

 自宅までの道でも、森脇とは色々と話した。

 出身は仙台で、最初はやはりギターであったこと、そこからバンドのベースがいなくなって、ベースに転向したこと。

「ポール・マッカートニーがそんな感じなんだったっけ?」

「ビートルズも聴くのか」

「いや、古く聴こえても、ビートルズは聴いておかないとまずい」

「お前が言うなら、そうなんだろうな」

 森脇はそう、俊の主張を否定しない。


 仙台でもバンドを組んでいたらしいが、どうしてもメンバーが集まらないので、東京に出てきたこと。

 アトミック・ハートは四つ目のバンドであるということ。

「女が入ってるバンドっていうのは気にならなかったのか?」

「ボーカルだけ女性っていうのはあるしな。と言うか、彼女も無茶苦茶すごいけど、ギターの方が驚いた。高校一年生で、俺よりはるかに……上手いと言うよりは、凄い」

 なるほど、その判断まで出来るのか。

「アキは物心つく前から、言葉を話す前からギターを弾いてるから、キャリアだけなら上だと思う」

「どういう家庭だよ。俺でさえ親父のアコギに触るようになったの小学校高学年だぞ」

「アキの父親は、オカちゃ……岡町先生の元仲間だったからな」

「マジックアワーのか」

 そこはさすがに驚いたらしい。


 マジックアワーというのは、日没後に空の色が徐々にブルーから藍色になる時間帯を示す。

 事故が起こりやすい黄昏時でもあり、実際にマジックアワーのリーダーは、その時間帯の事故で死んでしまっている。

「マジックアワーのギタリストって、まだミュージシャンで色々とセッションしてるんだよな」

「ああ、だからアキもその影響が大きい」

「大きいか? 左利きが影響と言えば言えるかもしれないけど、彼女はなんていうかもっと、衝動的に弾いてる気がするんだけど」

「そりゃまだ進化の過程のギターと、完成に近いギターを比べたらそうだろ」

 暁はこのメンバーの中では、一番若い。

 だが楽器に触れている時間は、おそらく俊よりも長い。

 それは俊が、様々な楽器に浮気したり、EDMに触れているということも関係するのだが。


 基本的に暁の弾き方は、父親の弾き方である。

 そこから飛び出しているものもあるが。

 特にバーサーカーモードでは、完全に飛び出ている。

 そんなことを離している間に、スーパーで少し買い物をしてから、二人は俊の家に到着する。

「でけーな。親は何やってんだ?」

「父親は東条高志、母親はコンサートとかで世界中を飛び回ってる」

「TTの息子か! ……母親は、そうか……」

 今度こそ本当に、森脇は驚いたようである。

「今は俺一人で、週に三回ハウスキーパーが来てくれてるんだけどな」

 そして二人は、地下にある俊の生息域に踏み入った。




 明らかにここには、生活の匂いがする。

 ただレッスン用のスタジオになっているというのは、とてつもなく贅沢だ。

 移動の電車代を払ったとしても、スタジオを借りるよりは安いだろう。

 大学の、基本学生に無料のスタジオは別にして。

「くっそ~、恵まれてるなあ」

 その森脇の正直さは、俊には好ましいものであった。

「コーヒーと紅茶と緑茶、どれがいい?」

「どれが一番美味い?」

「俺は緑茶だな」

「じゃあ同じ物を」

 この暑い時期に、熱い緑茶を飲む。贅沢なことだ。


 森脇はスタジオの床に腰を下ろし、そこで周囲を見回す。

「一日中練習出来そうだな」

「実際のところは、最近は自分で音を出すより、作曲をしたりインプットの方が多いんだ」

「インプットは大切だけど、お前は結局どれが一番やりたいんだ? キーボード? プログラミング? それとも作曲?」

「そうだな……」

 このあたりで俊も、自分のスタンスをしっかりとするべきだろう。

「プロデューサーだ」

「……なるほど」

 森脇は納得できたらしい。


 朝倉のバンドから抜けて、幾つかのバンドのヘルプもした。

 その中でボカロPとしての活動を多くしていた。

 それなのにまた、ユニットからバンドへと戻ろうとしている。

 月子を使って、自分の音楽を届けようとした。

 だがそれでは足りないと思ってしまったのだ。

「それで、そろそろ俺の値踏みは済んだか?」

「そうだな。問題というか懸念点は幾つかあるんだが、男女混合バンドの場合、まず問題になるのが恋愛騒動だな」

「なるほどな」

 森脇もそれは理解しているらしい。


「少し真面目な話だが」

 そう前置きをして、森脇は話し出した。

「俊は恋愛ってしたことあるか?」

「……一応あるな。ひどい恋愛に、雑な恋愛だけど」

「俺はない」

 森脇の表情には嘘がない。

「俺は普通に性欲はあるし、たとえば家族や親戚、あと友人にも愛情を感じることはあるけど、恋愛感情を感じることがないんだ」

「同性愛というわけでもなく?」

「そっちは完全にないな。女友達と寝ることは出来るけど、それが恋愛に至らない」

「バンド内でそういう関係になると困るんだけど」

「だからバンド外で発散するから、そこは信用してくれていい」




 性的なマイノリティの問題は、昨今はオープンになってきている。

 むしろそこをオープンにしてこそ、というリベラルな空気がアメリカにはある。

 ただ俊の感じるそのオープンさは、なんだか不自然なものなのだ。

 ゲイがゲイと主張しなければいけないというのは、窮屈なものであると思う。

 ただ日本の芸能界には、性的なマイノリティが、裏方にも相当にいる。

 俊自身は自分のことを、おそらくストレートだとは思っているが。


 森脇の場合は、正直なところ分かりやすい。

 性欲はあって、それを解消するのに相手を必要とする。

 ただそこから愛情を抱かないというわけだ。

 やれればそれでいい、というのは一般的な男としては、分かりやすいものだ。

 おそらく女性に比べると男は、恋愛関係のないセックスに抵抗がない。

 森脇の場合は、完全に恋愛関係が必要ないため、まさにセフレなどがいれば充分、というものなのだろう。


 俊はこういう時、デリケートな問題と承知の上で、色々と尋ねたくなる。

「そういう性志向があると、子供を持ちたいとかは思うのか?」

「子供……そもそも家庭を築くのに、恋愛感情は必要かな? むしろない方が変な嫉妬や期待もなくて、上手くいきそうな気がするんだが」

「どうなんだろうな。まあうちの女性メンバーに手を出さないなら、それは問題ないんだが」

「と言うか、アキの方はともかく月子は、お前のことが好きなんじゃないか?」

「アキも月子も、俺のことは好きだろうさ。でもそれは恋愛感情じゃないと思う」

「そうか。それで結論は出たか?」

「今日は無理だな。おそらく明日か、数日中には出る」

「何か考えることはあるのか?」

「いや、考える範囲では、お前を取れという結論は出てる」

 それは間違いのないことだ。

 しかし論理的な考えだけで、これは決めない方がいいだろう。


 森脇は不思議そうな顔をしたが、俊は説明をしようとはしない。

「俺もただ待っているわけにもいかないんだが……」

「そうだな、三日待って連絡がなければ、縁がなかったと思ってくれ」

「その日数に何か意味があるとは思えないんだが、まあリーダーの意見には従おう」

「もし組むことになれば、リーダーの意見なんかには従わなくていいけどね」

 リーダーはいても、それは全てに従わなければいけないというわけではない。

 それでは単に、ヘルプのスタッフがずっと続いていくだけ、ということになるのだから。


 俊は思ったとおり、その日の明け方に夢を見た。

 予想していた夢と、半分ほどは合っていた。

 だが予想のまま、というのとは違った。

(どういうことだ?)

 夢はインスピレーションの結果だと、俊は思っている。

 実際に月子と暁は、それに従って組んできた。

 俊はその日、そのことについて、長く考えることになった。

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