第38話 成功の反対は失敗ではなく経験である
最近、プライベートな空間が侵食されている。
そう考える俊であるが、ある程度は仕方のないことであろう。
無料で使えるスタジオがあるのであるから、そこを使わないという話がない。
ただ交通の便を考えると、大学のスタジオを優先して使った方がいいのだが。
そうそう上手く空いてはいない、というのが問題である。
先日の打ち上げの際、森脇との話を終えた俊は、阿部に捕まって話をした。
彼女は俊たちの話を聞いていただけに、何を話せばいいのか分かっていた。
即ち、リズム隊の導入である。
「いいドラマーやベースが、都合よく転がっていると思う?」
彼女の言うことはもっともであり、解散したバンドのメンバーなどから、上手く引き抜けるはずもない。
ただ彼女が決定的に間違っているのは、俊がもっと長いスパンで、このバンド活動を考えているということだ。
すぐに売れてしまうバンドは、すぐに廃れてしまう。
本当にそうだとは言えないが、少なくとも俊は音楽の世界から、短期間で消え去るつもりはない。
彼は既に音楽の女神の奴隷であるのだ。
(問題はいつ、月子とその周囲が自覚することなんだがな)
メイプルカラーのメンバーは、もっとあっさり瓦解すると思っていた。
二度目のライブにも来ていたはずだが、後ろの方にはいなかった。
ひょっとしたら目立たないように、真ん中あたりで見ていたのだろうか。
関係の破綻を期待する自分を、別に悪人とは思わない俊である。
元々あのグループは、学生のサークル活動の延長のようなものであった。
月子は全く稼ぐことができず、レッスンもほぼ最低限。
他の仕事で生活を支えていたのだから。
アルバイトはしているが、生活で困ったことなどない俊には、想像出来ない環境だ。
ただ俊も、あるいは月子以上に、やらなければいけないことを多くしている。
ドラムとベースの問題。
いや、やはりドラムであろう。ベースは最悪なんとかなる。
ただ俊は、あの何度も見る夢を、かなり意識している。
何度もみたため、なんとなく細部が分かってきた。
バンドが必要としているのは、合計で六人だ。
ドラムとベースが加わり、俊も入れたとしても五人。
あとの一人が入る余地があるとすれば、ストリングスか管楽器となるのだろうか。
ヴァイオリンやサックスなど、確かにいれば作る音楽は拡大する。
もっとも俊がそれを、正しい意味で活用できるかは分からない。
特にサックスなどは、さすがに経験のない俊である。
確かにロックバンドでも、そういったものを組み込んではいる。
むしろボカロ曲を作る上では、そういった音は絶対に必要であった。
しかし扱っていたがゆえに、中途半端にそういった楽器は使いたくない。
こんなことを言ってはなんだが、ストリングスはあまり作曲に使おうとは思わないし、使うとしても彩りとして使うぐらいなのだ。
管楽器はそれなりに使うかもしれないが、こちらも主力として使うほどではないと思う。
(ギターがツインリードギター?)
ならば森脇の存在も運命的とも思えるのだが、違和感が残る。
あの正確なタッチのリードギターなら、上手く暁とも合わせられるとは思うのだが。
あとは暁がコーラスに集中する曲があれば、そこでフレーズを任せることも出来るだろう。
西園の予定だけは合わなかったものの、それはいつものことである。
合わせる練習が少なくても、それなりに成立させてしまう。
そこはさすがに、様々なミュージシャンと合わせてきたプロと言えるのであろう。
月子と暁を先に入れて、俊は大学のエントランスで森脇を待っていた。
約束していた時間より早く、森脇は到着する。
だがそこで俊は当惑した。
「間に合ったかな?」
「時間前ではあるけど」
森脇は背中にギターケースを背負い、さらにもう一つケースを持っていた。
(いや、この大きさは……)
「ベースか?」
「ああ」
俊の疑問がわずかに解消された。
つまり森脇は本来、ベーシストであったということか。
いや、順番はどうか分からないが。
「ノイズに入りたいのか?」
「そう単純な話でもない」
それは確かにそうか。
ノイズとアトミック・ハートではその実績が全く違う。
ただここからの発展性に関しては、ノイズの方がはるかに上回っている。
森脇の持っていた危機感は、先日共有していた。
今のままではいけないということ。
ただノイズの場合はまだ、成長の余地がありすぎるというものであった。
リズム隊が必要だと、俊も口にしていたのだ。
ただ俊はメンバーに、技術だけではなく人格まで求めてしまっている。
最初はただ、月子のボーカルだけで充分であったのだ。
しかしそこに、暁のギターが加わってしまった。
そう、加わってしまったのだ。本来なら必要はなかったのに。
そこから俊は、作る曲がライブで出来るものになっていったのだ。
すると今度は、欲が出てきてしまう。
暁のギターによって、俊の頭の中の扉は、さらに開かれることになった。
今となってはもう、手放すことは出来ない。
だからといって女子二人がいるバンドに、腕がいいだけで新たなメンバーを入れるわけにはいかない。
予約をしていたレッスンスタジオに、森脇を伴って入る。
事前に知らせてはいたので、もちろん二人は森脇の存在自体には不審を抱かない。
ただ違和感は一つ。
「楽器ケースが二つ?」
月子の疑問はそこまでだが、暁はもう少し目ざとい。
「フェンダーの……ベース?」
ライブで森脇は、ストラトタイプのギターを使っていた。
ただ遠目には、フェンダーのストラトキャスターかはちょっと分からなかった。ストラトモデルであることは間違いなかったが。
基本的にギブソンのケースはギター型、フェンダーは箱型のケースであることが多い。
いくらでも例外はあるが、あの四角いケースはフェンダーである。
ちなみにギターの世界は、おおよそギブソン派とフェンダー派に分かれている、などとも言われる。
実際は現在の流行はフェンダーのストラトキャスターが多数派であり、また新たな勢力であるPRS(ポール・リード・スミス)などはギブソンに教えを乞いながら、レスポールとストラトキャスターの長所を備えているギターを作っているとも言える。
どのギターが一番いいのか、などというのは個人の主観である。
ただどういう演奏や曲に向いているか、というのはある程度存在する。
もっともこれも、エフェクターやアンプの調整によって、どうにかなることがほとんどだ。
つまり暁はレスポール派閥であるが、その父はレスポール一辺倒でもないし、ストラトキャスターに敵愾心を抱いているわけでもない。
実際にベースなどであれば、フェンダーの方が強いだろうな、とも思ったりする。
この場所に、ベースを持った人間が来るということ。
「俊さん、まさかその人をノイズに入れるの?」
月子の質問に、暁も似たような視線を向けてくる。
「いや、そもそもベースが弾けるとも知らなかったし、ツインリードギターなんてのも考えてなかった」
少しは考えたのだが、必要ないという結論に至ったのだ。
バンドのバランスというのは、とても重要なものだ。
今のノイズは確かにバランスが取れていないが、だからといって単純にベースやドラムを入れればいいというわけでもない。
他のメンバーを全て女性に、などという無茶も俊は考えていない。
そもそもベースとドラムは、ギターよりもやっている女性は少ないはずだ。
別に差別とかそういうわけではなく、体格の問題だ。
ベースはギターよりも長く重いし、ドラムはセットによるが腕の長さが必要になったりする。
暁がレスポールを使っているのも、ギターの中でもミディアムスケールで、扱いやすいからだ。
彼女は手は大きいのだが、腕の長さは平均的だ。
ならばなぜショートスケールのムスタングやジャガーを選ばないのかというと、理由はいくらでもあるが結局は、もう好みとしか言いようがない。
ベースの場合はショートスケールのものでも、ギターのスタンダードな大きなスケールよりもずっと長い。
暁の場合、それでもベースも弾けなくはないが、やはり本職ではない。
「そもそもなんで連れてきたの?」
「そりゃあ、メジャーデビュー直前のバンドのギタリストから、俺たちを見た感想を聞きたかったわけだけど」
それは最初から聞いていた建前だ。
しかしわざわざベースを持ってきた。
ここに意図を感じないはずもない。
さて、練習の時間である。
次のライブはもう決めてあるが、暁が夏休みに入ってからになる。
「何かフェスとか出られないの?」
「今みたいな不安定な状態で、出られると思うか?」
正直、出られなくはない。
ノイズはバンドにとって最初の関門とも言われる、大失敗でなければ成功と言われるファーストライブを、かなりの成功で終わらせた。
もちろん最後は、曲が台無しになる直前であったが。
ステージに慣れている俊と月子はともかく、暁があそこまでスペックを発揮しすぎるのは、ちょっと意外ではあった。
俊は勝手に、バーサーカーモードなどと呼んだりしている。
そのうちステージの上で、完全にトップレスで演奏するのではないか、と心配していたりもする。
実際のところは、Tシャツがほんの少し腕の動きの邪魔になるので、脱いで演奏しているのだが。
ともあれ、小さなフェスには出られるかもしれない。
ノイズの評判は順調に上昇中である。
次はスパイラル・ダンスという敷居の低いライブハウスが決まっているのだが、その次にはまたCLIPで行う予定である。
夏のフェスは八月の終盤に行われるので、辞退したバンドなどがあれば、そこから声がかかる可能性はある。
もっとも全ては、タイミング次第と言えるだろうが。
いくら話題になっても、ライブは二回、音源は公開されているものだけ。
あまりにも実績が少ない。
それにそういったフェスの時期は、西園も忙しいはずだ。
リズムをしっかりと戻してくれるドラムがいない状態で、観衆の多いフェスで失敗したら、直接見たらたいしたことはなかった、という風聞が立てられる可能性がある。
ライブなど、どんどんと失敗して強くなっていけばいい、というのが世間での見方ではある。
しかし俊は月子の前に、失敗のライブなどは作りたくない。
調子に乗っても困るが、成功体験をどんどんと積み上げていきたい。
月子は自己評価が、まだ低すぎる。
そういった会話も休憩中に行っている。
何より問題なのは、二人の体力ではないか。
特に暁の方である。月子は新聞配達に、ダンスもしているため意外に体力がある。
だが暁は、ノってしまうと全てのエネルギーを一気に使い切ってしまう。
パフォーマンスなどしないと言っても、本気で演奏を始めると、自然とその動作が激しくなるのだ。
「それで、セッションしてみるか?」
俊は三度目の休憩のタイミングで、森脇に声をかける。
「どちらを?」
「タフボーイでギターを重ねてみてくれないか?」
「なるほど」
今のままでもいいのだが、よりメタル調にするなら、もう一人ギターがいた方がいいのだ。
しかし森脇が取り出したのはベースである。
「ベースが入ったらもっと低音域が安定するだろ」
「じゃあ重ねるのはシンセでやるか」
色々と音が出せるのが、シンセサイザーのいいところである。
ただ本物の音を出すのには、それなりのコツと知識が必要となる。
俊の視線をうけ、暁のギターから始まる演奏に、ベースがすぐについていく。
(おお)
ギターを弾いていた時から思っていたが、やはり森脇はリズムを取るのに向いている。
ベースを弾くとより、その重低音でグルーヴ感が出てくる。
暁の暴走を引き止めるというのでもなく、自然とこれがいいのだと思わせる、安定したこの音。
(ファンキーな音ってのは、こういうもんなんだろうな)
ボンボンボンと音に厚みが出来ている。
リズムを矯正するのとはまた違う、上手いギターの引き止め方だ。
打ち込みのドラムの音にも、しっかりと対応している。
それでいてラストのサビに入ってくると、テンポを上げろと要求してくる。
(よし、速く弾いてやれ!)
残りわずかな部分で、ぐんと加速した。
打ち込みの速まったドラムにも、難なくついていくギターとベース。
この最後の部分こそが、演奏としては最高潮であろう。
西園が作った土台の上で、安定はしているが不自由に弾いていたものとは違う。
もちろん西園も、状況的にああいうようにしか叩けなかったのだが。
間違いなく、このベースは素晴らしい。
月子がぽかんとしていて、暁が目を輝かせる。
「次、ディープ・パープルメドレー行こうよ! 俊さんがキーボード部分弾けるんだし!」
「いやいや、月子が置いてきぼりになるだろ」
いずれは、洋楽もカバーする。それは確定事項だ。
なぜなら世界で多く聞かれるためには、英語で歌う必要がある。
そのための前段階として、洋楽のカバーは必要になる。
ただ、そこに至るまでには、まだまだ段階を踏まなければいけない。
勢いはあるが、土台がまだしっかりしていない。
「せっかくだから、新曲を練習してみようか」
そう言って俊は、音源を三人に聞かせる。
ミクさんの歌うこの歌は、かなり演奏のテンポが早い。
しかし暁はすぐに気づいた。
「ディープ・パープルメドレーみたいなもんじゃん!」
その指摘に、俊はさすがに苦笑する。
「ここからどう仕上げていくかだな」
ちらちと見ると、森脇も面白そうな顔をしていた。
まだ何も確定はしていない。
だがこいつのベースなら、暁を上手く支えることが出来る。
(四人目になるのか?)
夢の啓示は、果たしてどうなるのであろうか。
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