第317話 ギターの遊び
インディーズのバンドではある。
ただそれは名目上のことであり、レーベルも事務所もメジャーレコード会社の影響下にある。
そして日本の巨大なフェスはおろか、海外のフェスにも参加している。
そんなバンドがどうして、突然にこんなライブハウスで演奏するのか。
何か特別なつながりであるとか、あるいはライブハウスの閉鎖への寂寥だとか、そういうものでもない。
一応はノイズが、ここから始まったという話は知っている。
理由は分からないが、2500円のチケットで数曲をライブで聴ける。
これを格安と感じる人間が、今の東京には多いのだろう。
あるいはチケット以上の交通費を使ってでも、聴きたいと考える人間はいるかもしれない。
もちろんそんなことをしようにも、チケットには数に限りがある。
集まったオーディエンスの前に、いつもと同じノイズが姿を現す。
ただいつもと違うのは、最初から暁が髪ゴムを解いているということ。
そんな小さな違いでも、気付く人間は気付くのだ。
(空気が軽い)
最終的なセッティングをして、ギターの音を鳴らしていく。
ベースにドラムと、ほんのわずかな調整。
MCはない。
ギターから始まる曲はノイジーガール。
暁の弾いた最初の弦が、空気を見事に切り裂いていった。
ベースにドラムも追随する。
マスターとして出しているものとも、また違ったアレンジがしてある。
これがライブ感というものなのだ。
暁のギターの最初の一音が明るかった。
それだけでもう、仲間を信じることが出来る。
フォローなどする必要はない。全力で行こう。
長めのイントロの後に歌が始まった。
月子の動きに派手なダンスなどはないが、わずかな動きにはリズム感がある。
アイドルをやっていたことも、それでは売れなかったことも、悪いことばかりではない。
人間は生きていれば、過去から何かを得ることがある。
苦しい記憶がいくらあっても、そこから何かを得ることが出来れば、それは幸いでもあるのだろう。
月子はそういう人間だ。
ギターが踊っている。
ゆらゆらと揺れる暁のギターが、踊りながら音を奏でている。
曲をリードする、暁のギターだ。
何も心配することなく、音を楽しんでいる。
(戻ってきてくれたか)
ほっとする俊は、結局のところ暁を信じ切れていない。
凡人には天才のやることなど、はっきりと想像することなど出来ないのだ。
一曲目からちゃんと、オーディエンスを煽っていくことが出来た。
小さなハコの小さなステージで、大きな音を鳴らす小さなギタリスト。
リズムに徹するドラムは、はっきりとパワーのある音を鳴らしていく。
鼓膜を破るかのような、巨大な音である。
ノイズの音がライブハウスの中を支配する。
熱狂するはずのオーディエンスの歓声さえも、遠くに聞こえるようなステージであった。
演奏が終わって、喧騒が戻ってくる。
たった一曲であるが、暁はもううっすらと汗をかいていた。
だがTシャツを脱ぐことはない。
そのまま他のメンバーを視線で確認すると、次の曲に入っていく。
ノイズが散々、ライブなどでもカバーしていたため、再度有名になっている曲。
タフボーイだ。
時代を超えた名曲、というのはあるものだ。
この曲によってオーディエンスの方も、バンドを煽ってくる。
月子のボーカルで歌いだすが、圧倒的な声の質以外にも、歌唱力全体が圧倒的に上がっている。
最初の場所に戻ったからこそ、比較もしやすくなっている。
俊はバンドの中でも一人、冷静に状況を見ている。
単純に名前だけで盛り上がっているのか、それとも本当に盛り上がった演奏が出来ているのか。
少なくとも演奏のクオリティは高くなっていた。
リズムギターがビートを刻む中、リードギターが自由なアレンジをする。
ソロの部分でここまで遊べるのなら、暁は復調したと言っていいだろう。
透き通っているのに分厚い、月子の声。
ボイストレーニングなどはしていないが、根本的に音階が広い。
それに千歳が被せていくと、コーラスが渾然一体となってくる。
二曲目で既に、興奮の坩堝となっている。
ライブハウスが狭いので、酸欠で倒れる客がいないか心配だ。
そこで三曲目には、アップテンポな曲ではなく、アレクサンドライトを演奏した。
ボルテージをいったん下げるのだ。
それでも高音域で月子の声が伸びていくと、歓声が上がったりする。
四曲目には久しぶりにロビンソンなどを演奏した。
上げて上げて、下げて下げる。
そして最後には、霹靂の刻である。
もちろんこの後のアンコールは計算に入れている。
アンコールを求める歓声が凄く、一度楽屋に戻るということもせずに、六曲目を弾いていく。
サバトだ。
デスメタルのような曲調を含んでいるが、それをポップス寄りにしている。
ノイズの音楽はどれもそうだが、メタルでもロックでもR&Bでもポップスの範囲内に入りそうな楽曲になっている。
これで盛り上がっていけるのだが、場合によっては盛り上がりすぎることもある。
ダイブなどが出来ないように、柵を作っておいたのは幸い。
ただこういったものを用意するのに、無駄に金は使ってしまった。
もちろん怪我人などを出すのが、一番避けなければいけないことではある。
もう一曲、と求める声。
ここでもまた懐かしいカバーを行う。
ノイズの初期からのファンであれば、当然ながら知っている。
打上花火で落ち着かせるのだ。
結局は七曲もやって、カバーが三曲にもなった。
オリジナルで全部やってもよかったが、カバーは昔はかなりやっていたものだ。
複雑なギターのテクニックよりも、繊細なフィーリングが必要となる曲。
暁はその感覚が戻って来た。
これで懸念なく、アメリカのシカゴに出発することが出来る。
「ごめん、俊さん手伝って」
千歳の課題は残っていたが。
七月にもう一度、ライブをやっておくのは決まっている。
だがそれを除いては、ずっと準備と休養である。
現地の情報なども、確認しなければいけない。
演出がどうなるかも、あちらとの連絡が必要だ。
契約関係などは、阿部がやってくれる。
しかしステージに関することは、自分たちでやらなければいけない。
この場合の自分たちというのは、ほとんど俊が一人でやるということだ。
シカゴ、アンストッパブル・フェス。
アメリカでも有数の巨大フェスであり、20世紀にその始まりがある。
後にイベンターが企画し、巨大になっていったものだ。
アメリカでも三大音楽フェスの一つとして数えられるぐらいで、日本のミュージシャンも近年ではそこそこ参加している。
9のステージに、四日間で40万人の来場者数。
シカゴの巨大公園内で行われるので、実は都市型のフェスでもある。
前にも確認していたが、決して日本のフェスよりも巨大すぎることもない。
敷地は広いが、パフォーマンスをするステージなどもある。
ノイズが出演するのはセカンドステージで、集まる人数は一万から三万ぐらいといったところ。
境界が曖昧な部分があって、やりようによってはもっと集まるだけは集まる。
ただアンプの音量なども考えると、楽しめる範囲にいられるのは、三万がやはり限度といったところだろう。
ステージ時間は一時間で、事前の準備などの待遇も悪くない。
順番は最終日のヘッドライナーの一つ前である。
つまりヘッドライナー目当ての客が、ある程度は先に場所取りに来てはいる。
またその前の三日間、他のステージを見るパスももらえるということだ。
不安はあるのだ。
ブラジルやスペインでは、成功したと言っていいだろう。
ただ国民性の違いなどが、どう影響してくるのか分からない。
アメリカでノイズの音楽は、既に流れた。
好評ではあったのだが、それがかえって先入観になっている可能性もある。
ハードロックはほぼ死滅したというアメリカにおいて、ロックが通用するのか。
実は意外と生き残っていたりもするのだが。
メインステージの最終日、ヘッドライナーはケイトリー・コートナーだ。
ジャンルとしてはR&Bなのだろうが、彼女はかなりポップス寄りでもある。
そういった一般性の強さを、このフェスは持っている。
そしてヒップホップも当然のように存在する。
また小さなステージにおいては、民族音楽もやったりする。
海外から知名度のないバンドも、相当に呼ばれているのだ。
俊は戦略を考える。
このフェスはあくまでも、戦略の中の一環である。
中長期的に見て、今年の夏までが一つの区切りとしていい。
夏場に三度のフェスで、そのうちが海外。
もっとも六月のバルセロナも、充分に夏ではあった。
体力的な限界もあるが、それ以上に気力の限界が来るだろう。
一ヶ月は休んでも、文句は出ないと思う。
秋は秋で長期休暇はないが、移動はしやすい時期だ。
10月に入ってから、再始動すればいいであろう。
今年はこれまで、もう充分に稼いできた。
それにここから、充分な演奏をしていくことになるだろう。
超長期的な戦略も考える。
ただそれはこの夏のフェスが、どういう結果をもたらすかによるだろう。
冬場に入れば、またイベントのシーズンにはなる。
また阿部と相談して、どういったスケジュールを立てるか考えないといけない。
来年は大規模な、今年よりもさらに大規模なツアーが行えるだろうか。
南は熊本が限界であったが、今度は鹿児島まで行けるであろうか。
コストに対してリターンがあまりないかもしれないが、いっそのこと沖縄まで行ってしまおうか。
また唯一足を踏み入れていない、四国に向かってもいいだろう。
松山から高知、そして高松へ。
実は高知県というのは、陸の孤島になっている場所であるらしい。
高知自体は、一年中過ごしやすいとも言われているが。
そんな先のことを考えすぎて、思考を元に戻す。
一時間の演奏時間で、いったいどの曲をどの順番で演奏するか。
MCはそれほど長くなくてもいいだろう。
ただ真夏のシカゴというのは、どういう気候であるのか。
そのあたりも考えて、最善を尽くしていかなければいけない。
さすがに俊も、自分一人で全てを決めることなど出来ない。
阿部にも相談するし、メンバーとも相談する。
そもそもステージ自体は、共有のものなので変えることなど出来ない。
(あとはスケジュールか)
細かいセッティングが必要なステージになるとは思わない。
昼の12時からスタートで、午前中にセッティングを終わらせる。
スケジュールは随分とタイトなものだ。
前のバンドの終了から、次のバンドの開始までが一時間。
そこで最終調整となるわけだ。
時期的に夕暮れの中で演奏することになるのか。
どのみちステージが派手なので、その薄暗さはむしろありがたいものであろう。
日本のバンドには、いくつかアメリカの大規模フェスで、メインステージに立ったことがあるバンドが存在する。
あるいはユニットであったりもするが。
しかしシカゴのフェスに立った中には、俊の知り合いがいない。
もっともそういう場合は、裏方の伝手をたどればいいのである。
またアメリカのことに関しても、色々と聞ける人間はいる。
相変わらずゴートはそういう経験に豊富であるし、白雪もかつてその直前まで行った。
その後は裏方として、何度も経験しているはずだ。
「永劫回帰かMNRが、一緒に参加してくれてたら良かったけどな」
俊としてはさすがに、その程度の愚痴めいたものは出る。
ヒート時代の白雪は、本当に一瞬で輝いた存在であった。
たった一年のメジャーシーンで、一気にトップに立っていた。
しかし一年は短すぎ、海外に出ることは予定で終わった。
彼女はその後、コンポーザーとして長く活動してきた。
またセッティングに関して、そしてプロデューサーとして、アメリカにも何度も渡っている。
シカゴのフェスに関しても、演奏はしていないが関係者として、何度か関わっている。
バンド以外も含めて、日本のアーティストは出演したことがあるのだ。
音楽業界のパイというのは、ある程度限られている。
それを食い合うというのが、今の日本の音楽需要であろう。
しかし海外を目指すのならば、協力することも出来る。
日本の音楽があることを、アメリカから世界に教えていくのだ。
既に前に、その道を歩んで行った人間がいる。
しかしそれ以前には、多くが壁を越えられなかった。
もっともさらに古くを見れば、坂本九がアメリカのチャートで、一位を取っている。
チャートなど今の基準では、さほど問題ではない。
人手と金があれば、いくらでも動くものだ。
そしてこれの上位に入れば、ある程度はつられて売れていく。
不正の出来る時代ではある。
またインフルエンサーの影響も巨大な時代だ。
ただ不正に対して、容赦がなくなってきた時代でもある。
ネットに残る不正の証拠は、消そうと思ってもなかなか消えるものではない。
そしてゴリ押しでの宣伝を、嫌う傾向は強くなっている。
七月に入っても、俊は新曲を作ろうとは思わなかった。
不思議なほどに、その欲望が薄れている。
今重要なことは、フェスのステージを成功させること。
アメリカで一度、日本で二度。
それが終わったならば、また新しいアウトプットが生まれていくであろう。
渡米する前には、もう一度ライブを行う。
都内で行う300人規模のハコである。
新しい契約により、ノイズの戦略は変化して行く。
しかしどの時点で変化させるかは、この夏次第となってくる。
アリーナを何度も満員にするような、そういうバンドに変化して行くのか。
確かにそれはそれで、大御所としての貫禄がついてくるものだ。
まだまだ若いと思われていて、実際にまだ若いのだが、それでも結成からはほぼ四年。
急ぎすぎているということはないだろう。
ただ順調であるのを止める必要もない。
俊は頭を振る。
(先のことを考えすぎているな)
まずは目の前の、シカゴのフェスに全力を注ぐべきだ。
ブラジルやスペインでは、成功したと言ってもいいだろう。
しかし今度はついに、アメリカでのフェスの参加となる。
復調したはずの暁だが、果たしてどういうプレッシャーが来るものだろうか。
それは暁だけではなく、他の全てのメンバーにも言えることだ。
日程や予定についても、どんどんと詰めていく。
そして毎日、練習を怠らない。
「カバー曲はしないの?」
「やるとしたら日本のバンドの曲になるかな」
「タフボーイする?」
「まあ確かに知名度はあるけど」
いっそのことシティポップをバンド演奏で歌ってもらおうか。
千歳の声質とは合わないが、月子ならば歌えるであろう。
ただそれはあまりにも、既に存在する人気に乗りすぎているような気がする。
メンバーの中で色々と話し合うが、演出を考えるのは阿部も一緒である。
ノイズというバンドの曲を、アメリカ人はそれなりに知っているはずだ。
しかしノイズというバンド自体は、ほとんどがこれが初体験になるだろう。
それに向かって挨拶をするのなら、知名度の高い曲がいいだろう。
ノイジーガールの英訳版か、霹靂の刻か、あるいはアニメタイアップであった曲か。
一時間の演奏時間である。
おおよそ12曲は用意しておく必要があるだろう。
アンコールがかかったなら、それで完全な成功だ。
ただステージがヘッドライナーの前であることを考えると、そのあたりはどうすればいいのか。
「こういう場合は時間が押すことも考えないといけないのか」
ノイズはこれまで、野外フェスで天候の影響を受けたことはさほどない。
ただヘッドライナーの前であるとなると、前のミュージシャンたちが押してくることはあるのではないか。
完璧を目指しても、どこかで破綻することは考えるべきだ。
柔軟性を持つことが重要だと、ゴートなども言っていた。
「シカゴって治安良くないんだっけ?」
「また怖いこと言うなよ」
シカゴと言っても本当に、場所によるとしか言いようがないのである。
こういったフェスの開催中は、警備が厳重になる。
もっとも小さな窃盗などは、観光客を狙って多くなるだろうが。
ブラジルでは結局、観光のしようもなかった。
スペインもそうで、それは日程的に仕方がない。
シカゴにしても直前の練習など、必要なことは多いだろう。
それにフェスであるのだから、他のミュージシャンを見る機会があるはずだ。
ロックフェスではあるが、ヘッドライナーがR&Bのケイティ。
そのあたりもう、ビジネス的な事情もあるのだろう。
ハードロックが廃れかけているアメリカだが、ヨーロッパのロックや日本のロックは、それなりに受け入れられていたりする。
ポップスに関して言えば、日本のものは特にそうだ。
ただ色々と情報を集めていると、不穏なことも聞こえてくる。
いや、不穏というわけではなく、気になる情報と言った方がいいであろうか。
最終日のヘッドライナーがケイティである。
そして小さなステージであるが、フラワーフェスタも出演リストに名前があるのだ。
永劫回帰やMNRはない。
ここしばらく、フラワーフェスタのことなど、俊は忘れていた。
しかし確実に、ライブの回数は増やしてきている。
元々メジャーレーベルからなのだから、売れることは予想していた。
むしろそれが遅かったぐらいだ。
表舞台に立ってから、およそ二年といたところか。
人種に日本人は少ないと言うか、四代遡れば日本人以外の血が入っているバンドだ。
不思議な存在感があるのは間違いない。
ついに追いついてきたのかな、という印象はある。
こういったフェスにおいては、インディーズの有望株を、小さなステージでやらせることもある。
フラワーフェスタはインディーズではないが、潜在能力の割りには売れていなかった。
カンフル剤になるのが、このフェスになるのか。
「まあ他所は他所、うちはうちということで」
特に意識しすぎたりもしない、俊の言葉であった。
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