第202話 職業ミュージシャン

 大学を卒業した俊は、正式に職業ミュージシャンとなる。

 作曲と作詞、そして編曲までも出来る、新しい時代の新人ミュージシャンである。

 もっともその楽曲の量などを見ると、多作な人間だと思われるかもしれない。

 確かに小手先で上手く作ってしまうなら、充分なものだと言えよう。

 そのあたりはやはり、納得するまで全く妥協しない、徳島とは違うのだ。


 俊はもっと成功したい。

 単純にミュージシャンとして生きるのではなく、100年後にも通用する音楽を作りたい。

 長寿と成功のどちらかを選ぶとするなら、成功の方を選ぶであろう。

 そういった執念というか怨念が、俊の原動力にはなっている。


 そんな俊に阿部は、少し尋ねてきたものだ。

「作曲の仕方ですか……」

 正直なところ、それは色々とあるものだ。

 俊はインスピレーションにある程度従うが、感覚派というわけではない。

 楽曲をそれぞれパーツとして分けて、再構成する。

 ただその中心に何があるのか、それをしっかりと把握しておかなければいけない。


 ノイジーガールがそもそも、最初はポップスであった。

 ロックテイストが強くなったのは、暁の存在によるものである。

 今ならば確かに、元よりもいいものだとは分かる。

 俊よりもさらに、60年代から80年代のロックに浸っていて、暁の存在があったからだ。

「ジミヘンやカートになれるなら、早死にでも構わないかな」

 この意見に頷くのは、ノイズメンバーでもいない。


 ただメンバーの中で暁などは、一歩間違えればそういうルートを辿ってしまう危うさがある。

 最近はロックスターも長生きになってきたものだが、そもそも音楽などという安定しないものを職業にする人間は、早世してもおかしくないものだ。

「いつの間にかシドの死んだ年齢を上回ったな」

 俊はそんなことも思うが、実は歴史的な意義はともかく、セックス・ピストルズにはそれほど魅力を感じていない俊である。


 それはともかく俊が阿部に声をかけられたのは、他のミュージシャンへの楽曲提供などを、する意志があるかということなのだ。

「俺っていつの間に、そんなに偉くなってたんですか」

 別に皮肉なわけでもなく、俊は素直にそう思う。

「ノイズの音楽は多彩でしょ? けれど全部をノイズで演奏出来るかというと」

「そりゃあそうですけどね」

 彩への楽曲提供から、そういう考えが出てきたのか。

「ノイズだけじゃなく、ノイズのサリエリ、でも売っていかないと」

「それは分かるんですけど、基本的に俺は歌う人間を想定しないと、曲が作れないんで」

 だから結局ボカロ曲では、ネタ曲以外は大きな評価は得られなかった。




 クラシックの理論なども、相当に勉強はしている俊。

 だから小手先のテクニックで、それっぽい曲を作ることは出来る。

 だがミュージシャンのアートというのは、感動から生まれるものだ。

 それがどれだけささやかなものであっても、最初は感情の動きから生じる。


 月子は本物だった。

 だからこそ俊は、彼女に惹かれた。

 そこから生まれた音楽が、さらに暁によって改変された。

 いまだにずっと同じぐらいの頻度で、再生されているのがノイジーガールである。

 大ヒットと言うよりは、ロングヒットと言うべきだろう。

 実際にもう、一年半も経過しているのに、これだけ回るのはそうそうはない。


 彩に提供した曲は、そもそも元になったものが、大昔に作ったものだった。 

 良好な関係であった頃に作った、彩のための楽曲。

 結局のところ自分は、人間を見てからでないと、その誰かのための曲は作れないのだろう。

 一定の才能と言うか、技術はある。

 だがそこから本物のアートが生まれるかは、微妙なところなのだ。


 そもそも芸術的な才能というのは何か。

 音楽家の逸話を聞いていれば、確かにそういうものはあるのかもしれないと思う。

 ただ環境によって、ある程度の素養は生まれるものだ。

 だが現在のアメリカの音楽などは、総合製作によって楽曲が生み出されている。

 大金をかけるために、失敗するわけにはいかないのだ。

 しかしEDMなどの、計算されて売れるという音楽。

 それが本来の音楽なのか、疑問を呈する人間もいる。


 単純に心地いい音楽を作るだけなら、AIにコードなどをぶち込めば、それでそれなりのものになるだろう。

 人間の脳は生まれてからずっと、なんらかの音楽を聞いている。

 それを心地いいものとするなら、再生産は可能であると思う。

 だがライブ感だけは、機械で生み出すのは、今のところ不可能である。

 そして機械から一番遠いのが、人間の声という楽器だろう。




 つまりなんだかんだと言いはしたが、俊は簡単に名曲を生み出せる人間ではないのだ。

 ただしノイズにいれば、次々と生み出すことが出来る。

 少なくとも今はまだ、お互いが刺激し合っている。

 音楽には時代が進むと、一気に新しいものが入ってきたりする。

 ずっと音楽文化をリードしてきた欧米にしても、レゲエやボサノヴァというものが入ってきた。

 それを消化して、より音楽は複雑化したり、逆に単純化して原点を目指したりする。

 どちらがいいとかではなく、それが人間の営みであるのだ。


 そういう意味では日本の、民謡のブルースというのはまだ、世界的な認知には至っていない。

 ただオリバーが関心を示したように、可能性は充分にあるのだ。

 もっともボカロPが、DAWで電子音から音楽を作るように、今は打ち込みの方面へ進むのが、正しいものであるのかもしれない。

 その中にはとても、人間では演奏できない楽曲が生まれる。


 しかしそれを言うなら、ジミヘンはエレキギターで表現に革命を起こしたし、シンセサイザーという楽器もそうであった。

 テクニック重視のメタルに流れが行こうとすると、ハードロックに戻ってきたりする。

 そういうことを考えていくと、ノイズの音楽の方向性も、ようやく見えてくるというものだ。

「最近……時間が経過するのが早い……」

 ぐったりとして千歳が言うが、もうあっという間に三月に入っている。

 彼女は彼女で、進路についての具体的な目標が出来てきた。


 俊のいた大学にも、推薦入試という枠がある。

 その中で特に重視されるのは、音楽的な活動だ。

 最低限の学力もないといけないが、偏差値で言えば45程度。

 ちなみに俊は60を軽くオーバーしていたので、別に推薦などなくても入れた。

 千歳はそのあたり、本当に平凡だ。

 模試を受けた結果では、偏差値が51という、ほぼ平均になっている。

「昔はAO入試って言ってたらしいんだけど」

 現在では総合型選抜、という推薦入試があるらしい。


 学校の成績と推薦、小論文と面接などの、まさに総合的なもので合否を決定する。

 この場合は芸術活動での実績等も、評価の対象になるのだ。

 七月に行われる武道館ライブが無事になされれば、それはしっかり推薦文に書かれるものとなる。

 ほとんど一芸入試に近いのでは、とも思えるものだ。

 普通なら音楽科のある高校から、推薦で入る場合が多いだろう。

 だが俊の大学などは、一般からも推薦を受け入れている。


 ノイズのメンバーに引っ張られたとはいえ、俊は高校生の頃など、まだ仲間内の身近な軽音部で活動をしていただけだ。

 暁と千歳が、高校生で武道館ライブをやるというのが、とにかく早すぎると言えるのだ。

 ただ最年少記録と言うならば、アイドルグループの中に、12歳で武道館のステージに立った人間がいる。

 また単独記録でも、さらに若い記録自体はある。

 それでもバンドの中で、17歳でステージに立つのは、相当に若い部類に入るだろう。

 まさかこんなところで、入試の役に立つとは思っていなかったのは、千歳や俊も同じことだ。




 才能というのはおおよそ、若い頃から発現することが多い。

 ただ音楽は、50歳を超えてからメジャーデビューという人間もいたりする。

 ずっとやってはいたが、50歳をすぎてブレイクというのもいないではない。

 スキャットマン・ジョンなどメジャーデビューが52歳の時である。

 しかも彼は、吃音というハンデを逆手に取ってのものである。

 57歳で亡くなっているのだから、実際的な活動期間では、ジミヘンよりも短いものだ。


 例外はあくまでも例外として、多くは若年から活躍し、マイケル・ジャクソンは元は声変わりする前から歌っていた。

「あたしにあるこれって、才能じゃないと思うんだけど」

「才能と一つの語彙で表現するのも、乱暴なもんだな」

 千歳のそれは、あふれ出る情念だ。

 確かに歌は上手いのだが、それよりも感情の乗せ方が強い。

 共感型のボーカルであることは間違いなく、純粋な音階の広さなどは、そこまで極端なものではない。


 KCはアメリカの女性ボーカルとしては、かなり例外的な存在だ。

 とにかくアメリカの文化というのは、イノセントとかピュアというのを、未熟と考える文化と言える。

 声に濁りがあって、それがむしろいいと考えるのだ。

 女性ボーカルでその極端な例は、ジャニス・ジョプリンであろうか。

 ハスキーボイスにもほどがある、というものである。


 その中でKCは、例外的にクリアな歌声で、全米ナンバーワンとなった。

 元はヨーロッパ、アルプスの麓の出身であるという。

 田舎の娘がニューヨークのミュージックシーンで、今は歌姫として活躍している。

 一つのアメリカンドリームであるのは間違いない。

 月子の力は、果たしてどこまで通用するのか。

 俊としては単純な王道路線からでは、言語や文化の壁に阻まれると思っている。

 むしろ向こうにも分かりやすいのは、暁のギターの方であろう。

 楽器の演奏技術は、言語の壁など存在しない。


 千歳はどうであろうか。

 ある意味においては、彼女の歌には感情の濁りが乗っている。

 何を歌っても、それは千歳の歌となる。

 月子ももちろん上手いのだが、その色を楽曲に染めていくことが出来る。

 個性の押し付けというのを、月子はしない。

 個性を出してこそ、というミュージシャンとしては、それはどうかとも思うのだが。




 武道館に向けてやらなければいけないことは、まだ他にもある。

 とりあえず重要なのは、楽曲の認知度の向上だ。

 サブスクにYourtubeと、MVのない楽曲も流していかなければいけない。

 ノリというのはある程度、知っている曲でこそノれるものだ。

 どうせ本番のライブでは、暁がアドリブで走るのは分かっているのだから。


 そのあたりは本当に、打ち込み泣かせと言おうか。

 だがその場ですぐに、俊が修正すれば問題はない。

 なんだかやっていることが、DJに似てないか、とも思ったりする俊である。

 しかし根本的に、ステージの演出の全ては、俊が最初に考えている。

 アドリブのアレンジにしても、限度というものはあるのだ。


 三月になれば、まずは名古屋でのライブの準備をしなければいけない。

 コンサートホールとはいっても、それほど大規模なものではない。

 むしろレンタル料金は安くて、演出のための機材搬入などに時間と金と労力がかかる。

 チケットの料金はライブハウスでのものとは、かなりの差がある。

 しかし利益を出すためには仕方がない。


 東京ならば1000人以上は、簡単に集められるという自信が出来ている。

 地方でどうなるかは、もう告知と宣伝次第だろう。

 もっともそちらの方も、事務所がしっかりと頑張っている。

 雑誌などでも特集されるので、直前でもそれなりに売れているのだ。

 ほんのわずかに売れ残っても、当日で売り切れるだろう。

 それぐらいの計算でやっていて、大阪と福岡は売り切れている。


 名古屋が一番最初なのに、まだ売り切れていない。

 俊たちとしては、さすがにもうそのあたりの宣伝に、力をかけるのは事務所に任せている。

 ただライブというのはやはり、バンドにとっては直接的な収入だ。

 ノイズのような六人組では、かなり目標額が高くなってしまうのだが。

 インディーズレーベルの常として、ノイズメンバーは固定費の給料がとても安い。

 なので自前でライブハウスでワンマンをする方が、金銭的には儲かるぐらいである。




 音源も作っている。

 CDが売れない時代であるが、ライブなどでは直販で、それなりに売れるものなのだ。

 それに流通や小売を通さないので、かなりの収入になってくる。

 チケット代だけではなく、音源も含んだグッズというのは、重要な収入源である。


 基本的に作るのは、フルアルバムではなくミニアルバムだ。

 ただしいずれは、またフルアルバムも作っていきたい。

 また地方であると意外と、古いアルバムがまだ売れたりする。

 福岡の方は地元の大きなCDショップが、気合を入れて売ってくれた。

 その影響もあってか、チケットもかなり早く売り切れたのだ。


 ノイズ内部はともかく、その周辺を巡る動きが、もう把握出来なくなってきている。

 事務所の人間自体は、それほど増えるわけではない。

 だがローディーや、ライブの設営と演出など、専門家は普通に雇う必要がある。

「演奏するだけならライブハウスの規模が一番好きかな」

 暁はそんなことを言って、千歳も同意見らしい

「わたしはホールがいいかなあ」

 月子としては意外とそんなことを言うが、彼女の場合は中学生までは、地方のコンサートホールにおいて、三味線の演奏会でホール型に慣れているというのもある。


 バンドの基本はライブハウスであろう。

 それはビートルズの時代から変わらない。

 キャバーンという名の、どこか饐えた、アルコールやタバコの匂いがするライブハウス。

 そういう少しだけインモラルなところから、バンドというのは巣立っていく。


 意外と俊もライブハウスの演奏は、好みであったりする。

 あそこはオーディエンスの反応がはっきり分かるため、とにかくフロントのパワーだけでどうにかなるのだ。

 ただこの間のテレビの録画を見直すと、色々と客観的に自分たちが見れたりする。

 ちなみにこのツアーの演奏は、特に販売したりするわけではないが、カメラを入れて撮影したりしている。

 MVの素材として使うためである。


 ただ音楽だけを流すよりも、MVにした方が受けがいい。

 また俊は自分でも意外だが、映像のある音楽というのに魅かれるものがある。

 MVというのはバンドのイメージを、さらに強調するものである。

 もちろん音楽は聴いて楽しむものであるが、パフォーマンス自体は総合芸術だ。

 エンターテイメントであるのだから、五感に訴えるものが必要となる。

 暁の衣装などは、明らかにイメージ戦略が染み付いている。




 そんなわけであっという間に、名古屋でのライブがやってきた。

 大学を卒業して、自由になる時間が増えたはずなのに、本当に時間の流れるのが早い。

 基本的には作曲をメインにやってきたが、インタビューなども受けている。

 雑誌だけではなく、ネットブログなどの取材もある。

 個人のブログであっても、愛読者が10万人以上いたりするので、それなりの認知度を高めるのには役に立つ。

「こっちから金出してるんですか?」

「まさか。そういうの嫌いでしょ?」

 阿部としてはそう言うが、広告に金を使うというのは、現代では当たり前のことでもある。


 昔はテレビなどが、情報発信としては巨大なものであった。

 だが今では企業のCMにかける広告費も、テレビよりもネットの方が大きな割合を占めるようになっている。

 また今回のような個人での記事を書くとなると、下手なものを書いていては読者が逃げてしまう。

 広告料収入で食っているブロガーなどは、ちゃんと読まれる題材にしなければいけないのだ。


 武道館の件も公開したので、チケットは充分に売り切れた。

 阿部としては用意した会場が、ちょっと小さすぎたかなとすら思っている。

 到達点ではなく通過点と考えれば、武道館でライブをやるというのも、今後のための宣伝ともなる。

 興行として考えた場合、武道館よりもむしろ、アリーナでのコンサートの方がいい。

 なぜならある程度最初から、音楽を演奏する会場としても想定して作られているからだ。

 それに比べると武道館は、最初にビートルズの公演があった時など、ほとんど音が聞こえなかった席もあったという。

 今はその苦い経験を活かして、本来は音楽用途ではない会場を、上手くコンサートに使うようにしているが。


 商売の話となると、ノイズ側からは俊が代表して話すことになる。

 父の破滅を見てきた俊としては、相当に金銭にがめつくなっているのは確かだ。

 そもそも死亡した時には、10億以上の借金があったという父である。

 どうやってそんな借金を出来たのか、むしろ俊は不思議であったが。


 金儲けに利用されるのは、絶対に御免の俊である。

 もちろんお互いに、儲けを出していくのには異存はない。

 事務所に頼らなければ、とても手が回らないところもあるのだ。

 そこを上手く調整してくれるのが、上手いマネジメントということになる。




 今後は五月、ゴールデンウィークにまたフェスに参加し、そこそこ大きなワンマンライブをする予定は入っている。

 六月は通常のスケジュールでライブをし、七月の武道館に備えるのだ。

 新曲も作ったり、告知のための活動もしたりと、色々と忙しくなるのは確かだ。

 まさにこれが、芸能人の生活というものなのだろう。

 ただノイズはタレント売りをしていないため、これでもまだ音楽に集中できている方だ。


 阿部からすると、そろそろスキャンダルなどについても気をつけるステージになってくる。

 もっとも武道館を経験してから後の方が、よりそういったスキャンダルは大きなネタになるのだが。

「そうは言っても、うちはあんまりスキャンダルなんてないからなあ」

 俊はそう言って、確かに健全なのがノイズである。

 暁や千歳が飲酒や喫煙をするわけでもないし、ドラッグに手を出してもいない。

 グルーピーを食ったりするわけでもないが……。

「信吾の女性関係ぐらいか」

 栄二の指摘に対して、信吾としては特に表情も変えない。


 ノイズは別にアイドル売りもしていないのだ。

 確かに暁などは、可愛いのにカッコイイ、などと言われていたりはする。

 また信吾には特に、アトミックハート時代からのファンがついている。

 今も三人の女性と関係しているらしいが、来るもの拒まずというわけではない。


 そのあたり女性陣、特に千歳がちょっとうるさい。

 月子は理解不能という顔をするし、暁などはロックスターならそれぐらいはするかな、と意外と寛容であったりする。

「結婚しようとか、そういうことを言ってないなら問題じゃないと思うけど」

 俊としても不倫をしていないなら、それでいいだろうと考えている。

 むしろ大きく取り上げられるとしたら、俊があの父の息子であるというところだろう。


 ただ父が亡くなってから、もうそれなりに時間は経過している。

 また知っている人間は、普通にその関係は知っている。

 公開しているわけではないが、特に隠しているわけでもない。

 ノイズはコンペなどで受賞したバンドではなく、普通にライブハウスから成り上がった、旧来からあるタイプのミュージシャンなのだ。

 そして俊は父のコネを、特に盛大に使ったりはしていない。


 ある程度のスキャンダルは、むしろ知名度を上げるのに役に立つ。

 しかし阿部が心配しているのは、信吾の相手は一般人であるということだ。

 三人とも年上で、一時期の信吾は食事や寝床を、三人に依存していたことがある。

 つまりはヒモであったのだ。

 有名になって食えるようになったから、切ってしまえばいいのか。

「むしろそれは悪手なんだけど」

 そこは阿部も困るところである。


 別に清廉潔白である必要などはない。

 ある程度破天荒であってこそ、むしろロックスターと言えるだろう。

 だがそれは古い時代の話であり、今は世間が勝手に叩く。

 信吾としては自分から、切っていくつもりは全くない。

「まあ不倫でないならそれでいいとは思うんだけど」

 俊としては、一晩の夢であっても、それはそれでいいと思う。

 もっともどうせなら、業界内部同士でくっついた方が、お互いに対するダメージは少ないと思うが。

 まことに遺憾ながら、こういう恋愛関係は、明らかになったら女性側の方が、圧倒的にダメージは大きいのだ。


 今後スキャンダルというか、大きく何かが取り上げるとしたら、自分と彩の関係が明らかになった時ではなかろうか。

 もっともそれは自分と彩の問題ではなく、父の問題とも言える。

 ニュースではあってもスキャンダルではない。

 なので注意の必要もないだろう。

「面倒だね」

 その一言で済ませてしまうあたり、暁はこの中で一番のロッカーであると思う俊であった。

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