第225話 武道館二日目

 疲労で倒れたまま眠った次の朝は、最悪な気分にもなる。

 俊はそれでもシャワーを浴びて、しっかりと食事などを始めた。

 本質的には朝型の人間である俊は、それでもなんとか起きることが出来た。

(いつの間にか夜型になってたんだよな)

 子供の頃は母がうるさく、早寝早起きを奨励していたものだ。

 大学に入ってからは、本格的に夜遊びを始めたというか、夜にしか活動していない場所が多くなったのだ。


 時間を確認し、これは起こさないとまずいな、と考える。

 信吾は叩き起こし、月子は室内の電話を鳴らす。

 二人ともどうにか起きて来たので、一階と二階のシャワーを使わせて準備をさせた。

「なんか興奮で眠れないかと思ったら、あっさりと眠れたな」

 信吾はそう言うが、俊としてはとてもそんな気分ではなかった。

 思い出すのはスポットライトの当たったステージ。

 黒子に徹した自分はともかく、月子などは相当に熱量を必要としたのではないか。

「化粧落としてくれてたから助かった……」

 メイクをしてくれた担当が、倒れるように眠ってしまうだろうと考えて、先にそんな気回しをしていてくれたらしい。


 すっぴんのまま今日も、サングラスとマスクをして武道館に向かうわけだ。

 ヘアセットなども含めて、着せ替え人形のようにしてもらう。

 そのあたり凝っているように見えて、月子は一番手を抜いているかもしれない。

 そもそも東京に出てくるまでは、ほとんど化粧もしていなかったのだ。

 それで充分以上に美人だったのだから、化粧をすればそれは化けるというものだ。


 栄二はともかくとして、高校生組は大丈夫であろうか。

 昨日は暁も父が留守にしているというので、千歳の叔母のところに泊めてもらったはずだが。

 考えようによっては、やはりいくら近くても、ホテルを取った方が良かったかもしれない。

 慣れたベッドで寝たいというのも本音ではあったが、今後のことを考えていけば、いずれは枕が変わっても眠れるようにならないといけない。

 日本だけにとどまらず、世界に進出するとするならば、だが。




 事務所の人間に拾ってもらって、ほとんど身一つでまた武道館に現地集合。

 全員が問題なく、揃うことが出来ていた。

 ここからはまた、リハを行ってセッティングを確認する。

 昨日の夜の部から何も触っていなくても、微妙な狂いが出てくることはある。

 しっかりと調整をしていって、万全の状態に戻さないといけない。

 そもそもギターなどは、放っておいたらチューニングが狂うものなのだ。


 気温の変化によって、どうしても音響というのは変わってくるものだ。

 昼前に集合して、余裕のあるスケジュールのはずであったが、もう開場時間の直前となっていたりする。

 なんとかセッティングを済ませたが、やはり一日目のような余裕はない。

 だが一日目の経験から、ある程度の変化は予想も出来る。 

 この大きな会場であると、気温に加えて湿度なども、音響にわずかずつの変化を与えていくのだ。


 ライブの魅力というのは、そういったささいな違いを、圧倒的なパワーで消し飛ばすことにあるのだろう。

 正確に演奏するだけならば、打ち込みの方がよほど正確だ。

 しかしボーカルの調子というのは、日によって違うのが当たり前だ。

 維持しておくのが役目ではあるが、場合によっては調子が良すぎることもある。

 そういう場合はやはり、バンドとしてはボーカルに合わせるのだ。


 誰かの調子が悪ければ、その分を煽って上げさせる。

 バンドというのは個人ではない。

 もちろんソロシンガーも、その舞台までには多くの人々が関わっている。

 だがステージの演奏で手助けが出来るのは、そのバンドのメンバーばかり。 

 そして今では六人全員が、それぞれのサポートを出来るようになっている。

 ようやくバンドとしては、安定期に入ったところだろうか。


 まだまだ満足などはしない。

 一万人を前に、二度のステージを終わらせて、ようやく二日目には感触が掴めてきた。

 昨日の公演とはまた、セットリストが変わってくる。

 一度として同じライブなどはない。

 全てが特別なパフォーマンス、などということは難しい。

 だが全力でオーディエンスを煽っていくのは、エンターテイナーとしては必要なことだろう。


 俊はこのライブで、オーディエンスとの一体感を感じている。

 自分がそうであるのだから、フロントとして前に出ている女性陣は、さらに強く感じているだろう。

 きらめくステージを経験してしまえば、もう後戻りは出来ないという。

 俊はそんなことは感じていないが、他のメンバーはどうなのか。


 まだ、ここで終わりたくはない。

 舞台をさらに大きくしたとして、どれほどの人数にまで、ノイズの音楽が伝わるのか。

 商業主義だとは批判されるが、本当に商業主義だけを考えるなら、アニソンカバーのアルバムなど出さない。

 千歳の要望によって夏が終われば、またやってみようかという話にはなっているのだ。

(来年は)

 今年のフェスも終わっていないのに、こんなことを考えるのは早すぎる。

 しかしノイズとして活動してから、俊の体感時間はずっと、加速し続けているのである。




 二日目の公演が始まる。

 一日目の評判が、もうその夜には完全に伝わるのが、このネットの時代と言えるであろう。

 ノイズのメンバーは俊からも阿部からも、二日目が終わるまではネット禁止令を出されている。

 変にエゴサしてみれば、中には悪い評価もあるかもしれない。

 本当に聴いたのかも分からないのに、勝手に語ることが出来る。

 匿名でいくらでも、世界中に発信できるのは、非常に怖い時代でもあるのだ。


 そんなものは関係ない。

 このライブに来てくれて、そしてどういう反応を示しているか。

 それが音楽の全てである。

 ライブの評価などというものは、実際に体験してみないと分からない。

 だからこそ音源が無料で聴ける時代にも、人々はライブのチケットを高額で買うのだ。


 一枚当たり、席によっては一万円オーバー。

 それでも売れるのだから、期待度は高いのだ。

 もっともそれでしょぼいパフォーマンスを見せれば、逆に一気にファンは離れていく。

 全力ではやるのだが、ただ一生懸命にやればいいというわけでもない。

 確実に魂を燃焼させて、普段は経験しない体験をさせる。

 音楽はドラッグだ、などという極端な意見を言う人間もいる。

 実際にそれは間違っていないな、とも阿部は思うのだ。


 宗教的儀式の中に、音楽が含まれていることもある。

 トランス状態に入るのに、薬の他に音楽など、怪しいものを使う宗教はある。

 そもそも宗教が音楽を独占した場所や時代もあるのだ。

 世界のどんな場所にも、音楽は息づいている。

 一人で演奏し、自分で楽しむ音楽と、一万人の前で演奏する音楽。

 それは違うものであるが、同じものでもある。


 ノイズの共感能力は、阿部の見てきた中でも、相当に高いものだ。

 そしてクオリティにしても、回数を重ねるごとに上がっている。

 成長を止めないバンドというのは、本当に見ていて面白い。

 だがどんなバンドであっても、いずれは限界が来るというものだ。

 それは本人たちにしか分からないものであるかもしれないし、明らかに他者からも分かるものであるかもしれない。

 その頂点で安定するかもしれないし、そこでは満足できないかもしれない。

 変わることと変わらないこと、どちらにも価値があるものである。

 果たしてノイズというバンドは、どちらのものであるのか。


 おそらく変化を恐れるようになった時、それが解散の理由になる。

 音楽性の違い、などと言われるかもしれないが、それよりはもっと単純なのは、ギャラの問題である。

 バンドは作曲と作詞をすることによって、メンバーの収入が全く違ってくる。

 その点ではノイズは、俊が事務所に所属する前から、しっかりと稼げるようにはしていた。

 音楽はアートであるが、それでも生きている社会は資本主義社会だ。

 自由経済の中においては、売れないバンドをやっているだけでは、とても生きていけないのだ。




 今日のステージでも、何曲かはカバーをする。

 もう自前の曲だけでも、充分にステージを回すことは出来る。

 ただ全体の構成を考える俊は、公演を一種のコンセプトアルバム的に捉えているところがある。

 するとまだノイズの楽曲だけで、表現には充分と言い切れないのだ。


 基本的には80年代から90年代のノリのいい曲か、60年代から70年代の洋楽などをしたりする。

 最近は千歳も意見を出すようになってきて、その中で採用された意見もある。

 一度聴けば、サビだけは歌えるようになる曲。

 そういう曲は洋楽に、むしろ多いような気もする。

 まあYAH YAH YAHのような、上手く煽っていく曲も使ったりはするのだ。


 あとは定番となっているのは、タフボーイあたりであろうか。

 元から海外でも歌われているが、ノイズも何度となくライブでカバーしているし、アルバムにもカバーで入れた。

 このあたりは最初からノイズではやっていた曲だが、千歳の加入後は彼女の発掘してくる音楽が、かなり含まれている。

 俊や暁にはなんだかんだ言いながら、原理主義的なところがある。

 そのため古い曲となると、60年代から80年代ぐらいまでの、洋楽のアルバムを漁ってくる傾向にあるのだ。


 実際はハードロックの中でも、メロディアスなところからメタルに入るあたりが、ノイズのメンバーのツボである。

 しかし千歳はそこに、アニソンを持ってきた。

 現在の完全に、タイアップとして成立するアニソンでもなく、90年代の単純なタイアップでもない。

 当時としてはアニソンなのだろうが、その作品のタイトルを呼ばないようなものだ。

 空に青い流星が走るものや、さらにそれより古いものであったりする。

 さすがにステージには持ってこないが、千歳はいつもカラオケなどでは、仮面ライダーの昭和終盤のものを歌ったりするのだ。

 あとは宇宙刑事であろうか。

 戦隊物はさすがに少ないが。


 古い時代の、それこそ視聴率が30%を超えていた時代のアニメなどであったりすると、キャッチーなメロディーが意外なほど使われていたりする。

 それをどう持ってきて、現代風に翻訳し、そして再構成していくか。

 俊としてはそれだけで、いくらでも新しい曲が作れる。

 徳島のように、古い物を堪能はしても、自分の過去曲は全てゴミ、などと言えるメンタルにはならない。

 おそらく彼のような人間こそが、早世してしまうミュージシャンであるのだろう。


 同じ曲を何度も何度も聴いて、そしてその内容を完全に理解してしまう。

 俊はそんな楽しみ方は出来ない。

 もっと通俗的であり、商業主義的であることを、俊は目指している。

 後の世に理解されればいい、などということは考えない。

 後の世に残るのは、当時としても流行していたもので、その中の普遍性があるものが残るのだ。

 勘違いして独りよがりにはなったりしない。

 それでもビートルズは永遠だろうな、と思ったりする。




 音楽に限ったものではない。

 映画や小説、そして演劇などもまた、時代を超えて受け継がれていくものはある。

 ガリア戦記はキリスト教の焚書時代でも、内乱記と同じく消えることはなかった。

 シェークスピアの誕生よりもはるかに以前、源氏物語は王朝絵巻として存在している。

 シェークスピアの同時代の作家は、多くが忘れられてしまっているが、シェークスピアを基礎教養として作られる演劇は未だに多い。

 キケロの書簡などがいまだに残っているのは、当時のローマの学問の高さを示すものであろう。

 もっとも彼は、手紙魔であったという理由もあるだろうが。


 映画はどうなのであろうか。

 七人の侍は、ハリウッドで西部劇に再構成された。

 映画の影響は昭和の戦後あたりから、既に日本のマンガに影響している。

 日本のテレビアニメを作った手塚治虫は、ディズニーの影響を強く受けた。

 その手塚の時代にも、彼ほどの異常な多作ではないが、現代の基盤を作ったマンガ家が大量にいる。

 ドラえもんを見たことのない人間など、昭和の終わりごろには、一人もいなかったのではなかろうか。


 アニメやゲームの音楽も、また違う発展をしてきた。

 音楽だけなら楽しめる、そういう作中音楽を作る作曲家もいる。

 アニメの変身バンクの音楽など、多くの人間が聴いたことのあるメロディであろう。

 そういったものを流用してしまうあたり、俊は精神の柔軟性が高い。

 他人の作ったものを再構成しなければ、自分一人で作るのは無理だと、ある程度の割りきりがある。


 曲にはマスター版がある。

 だがライブにおいては、自分たちの曲であるなら、その通りにやる必要はない。

 暁などはゆったりとしたテンポであると、わざとコードではなくアルペジオを使ったりもする。

 そういう場合には信吾も栄二も、音を減らすことがある。

 ギターだけを聴かせる、ということで俊も音量を絞る。

 こういったアドリブこそが、ライブの醍醐味の一つでもあるだろう。


 一度落ち着かせた音楽を、また一気に引き上げていく。

 オーディエンスの反応を見る能力は、やはりフロントメンバーが上手いのか。

 ただ栄二は全体を見る、ドラマーのポジションにいる。

 メンバーの様子を見て、テンポを保たなければいけない。

 ちなみに千歳は一回か二回ほど、音を外した後のほうが、いい演奏といい歌になる。

 自分に対する怒りをぶちまける勢いだ。


 たった一人でギターを弾いていた暁が、他の人間と合わせるようになった。

 そして今では客の反応を見て、それに対応することすら出来るようになっている。

 かつては月子と二人で、暴走気味に演奏していたものだ。

 今でもパワーはそのままに、もっと安定した演奏になっている。

 だが客がより盛り上がっていけば、演奏自体を引き上げていく。

 ボーカル以外ではやはり、リードギターが見せ所ではあるのだ。




 普段はほとんど前に出てこないが、暁はギターを持たせると、明らかにナルシストになる。

 髪ゴムを外したり、上着を脱いで露出を多くしたりと、身長の割には大きな胸が揺れたりもする。

 彼女なりのライブパフォーマンスであるが、アンガス・ヤングのようなステージを走り回ることはしない。

 歯ギターもしないし、寝ギターもしないし、基本的に音だけで勝負する。

 そういった演奏スタイルは、本当に音の誤魔化しが利かない。

 ただずっと昔から、一人でそうやってきたのだ。


 自分の演奏した音を録音し、それにまた音を重ねてみる。

 そうやって一人だけで、ギターと遊んできた。

 それをずっと積み上げてきた、あふれてきたから他人と一緒にやることになった。

 そのメンバーが、彼女の満足するほどの能力だったのは、とても奇跡的な出会いであったのかもしれない。


 あるいは今でも一人でやっていて、それこそフラワーフェスタに参加したかもしれない。

 暁は母親がカナダ人なので、フラワーフェスタの面々と共通することはあるのだ。

 まさにギターパートが不足しているので、ヘルプを求められたら演奏をしてもいい。

 飛び入りでやってしまったことは、ちょっと注意を受けたりもしたが。

 だが今の暁は、ノイズのアッシュである。

 全力でプレイできる場所は、自分で作ってきたものだ。

 ノイズの初期からいるのが、暁であるのだから。


 フラワーフェスタのメンバーは、花音を抜きにしてもセンスがある者たちであった。

 技術が高い上に、華もある面子である。

 しかしバンドとしては、まだまだ発展途上。

 だがそのうちに追いついてくるだろう。


 どちらが上かどうかなど、本当は気にする必要はないのかもしれない。

 そもそも売り出し方が、あちらとは全く違うはずなのだ。

 女性ばかりで作るという、かなりハードルの高い条件。

 ただ暁からすると、どこかにはいるだろうな、とまだ見ぬギタリストについて想像したりする。


 日本でも今時、普通にギター演奏動画を流す、女性配信者はいる。

 ただ暁が父に聞いたところによると、アメリカなどでは平均的な技術というのが、日本よりもはるかに高いらしい。

 それこそ中学生や高校生でも、陽キャはほとんどがギターを弾けたりするそうな。

 また若い女性のギタリストも、本当にいくらでもいて驚いたらしい。

 マジックアワーの最盛期、アメリカでツアーをした頃だから、今では少し変わっているかもしれいない。

 だがスタジオなどの練習が簡単な、アメリカではそれだけ練習の機会も多いし、イベントもずっと多いのだとか。


 未来について、俊は話すことがある。

 それは将来の夢とか、そんなあやふやでふわふわしたものではない。

 成功するためのルートの中でも、大成功するためのルート。

 アメリカ市場への参入と、そこで流通するということだ。

 なにせ未だに圧倒的に、アメリカの音楽市場は大きいのだから。


 霹靂の刻の影響か、ノイジーガールのPVに対しても、かなり海外からのアクセスはあったりする。

 あちらではサブスクが主流となっているが、DL販売の先を見れば、アメリカやカナダ、イギリスという場合がある。

 思ったよりも向こうで通用してしまっている。

 このままアメリカにも進出出来たのなら、それだけで大きな金が動くこととなる。

 キラーチューンを数曲も出せれば、一生遊んで暮らしていける。

 だが俊も自分も、おそらく一生音楽からは、離れて生きることなど出来ないであろう。




 二日目の昼、アンコールにも応えて、ステージは終了する。

 楽屋に戻ってきた六人は、またも崩れ落ちた。

 オーディエンスの反応はいいが、それに応えるためには全力のパワーが必要となる。

 軽い音を出してしまうと、空間に吸い込まれてしまう。

 これが武道館か、というのが演奏してみた感想だ。


 二日目の昼が終わり、これであと一回の公演となった。

 口数も少なく、メンバーは着替えたりして回復を図る。

 あと一回。

 二時間少しで、ライブは終わる。

 会場の奥の方まで、しっかりと歌は届いている。

 そして演奏もまた、上手く反響しているとは思うのだ。


 聖地における演奏で、初めてがこれならば充分。

 そもそもこれ以上の演奏をするほど、スタミナが残っていない。

 また体重が減っているのだろうな、と思ってしまったりする。

 ノイズの女性陣はライブでカロリーを減らすので、ダイエットいらずであったりする。

 だがこれでもさらに太れるぐらいに、体力はつけたほうがいいのだろうが。


 楽器演奏はパワーがいる。

 ただ聴かせるだけではなく、熱狂させる必要があるからだ。

 もちろん歌唱についても、よりパワーが必要になる。

 自分の肉体を楽器にするからである。

 あるいは他の楽器と比べても、格段に体力が削られる。

 ボーカルというのはそういうものであろう。


 あと一回、二時間とちょっと。

 ここが夢の到達点ではないが、一つの中間目標ではある。

 夏のフェスなどで、もっと大量の客の前で演奏したことはある。

 だがこのライブに関しては、ノイズだけを目当てに客は来ているのだ。

「気合入れてけよ。楽器の調子確認しろよ」

 さほど疲れるポジションでもないはずなのに、俊もまた精神的には疲弊していた。

 だが少し休んで、あと一回。

(またやってみたいな)

 あと一回だけとなると、そんな風にも思えてきてしまうのであった。



×××



 近日中にここまでに登場した人物やバンドの紹介を入れたいと思います。

 ・ノイズメンバー

 ・ノイズ関係者・家族・血族

 ・ノイズ関係者・仕事関係

 ・他バンド

 ・その他登場人物

 ・登場するバンド・事務所・レコード会社など

 こういった感じになる予定ですが、簡単なQ&Aも加えようかと思いますので、要望があれば感想欄で受け付けます。

 ただ全てには対応出来ないので、そちらはご容赦ください。

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