第226話 アンサー
二日目の夜の公演である。
阿部はステージ脇から、その様子をじっと見ている。
これまでにも担当したミュージシャンが、武道館でコンサートをしたことはある。
しかしノイズほどややこしかったのは、その記憶の中にはない。
俊がやたらと慎重であったのと、他のメンバーも擦れていた者が多かった。
また月子などはそれとは別の、面倒さがあったとも言える。
それだけにこの光景を見ていると、感慨深いものがある。
阿部からすればもどかしいものもあった。
回り道をしたり、石橋を必要以上に叩いたり、そういう期間であった。
だがこの期間の蓄積が、ノイズを強固なものとしたとも言える。
阿部からすれば大きく稼いでいない、悩ましい時期でもあったが。
ノイズの強さというのは、どこにあるのか。
俊などは何でもありの自由度だと言っていた。
確かにそれも、音楽性の根底にはあるのだろう。
だが阿部から見るならば、それはライブにおける熱量である。
慣れてきたバンドというのは、どうしてもそのモチベーションが落ちてくる。
もちろんまだ二年ほどしか活動していない、ノイズがモチベーションを保てているのは不思議ではない。
しかしライブのたびに、完全に熱量を使い尽くすのは、他のバンドにはないことだ。
悪い意味での慣れ、というものがノイズにはない。
暴走にも近い演奏をして、それを必死でコントロールする。
そういう意味では月子と暁の力が、共鳴して大きなパワーになっている。
元はと言えば俊も、この二人をコントロールするのが目的であったのだ。
ユニットとして存在したはずの、ノイズの違う未来線。
おそらくそこそこは通用しただろうが、ここまでのものにはならなかっただろう。
宣伝などにかけた予算は圧倒的に違うのに、およそ二年で武道館公演。
色々な偶然もあったが、これほどのスピードというのはなかなかにない。
この先もこの調子で進めば、果たしてどこまで届くのか。
阿部が想像できない、見たことのない景色を、六人は見せてくれるのかもしれない。
これが終わればしばらくはオフである。
そうは言っても夏休み期間中に、フェスが二つに仙台ライブと、まだまだ予定は入っているのだが。
忙しいことはいいことだ。
アーティストというのはそういうものであるし、もし暇があっても俊などは、作曲に全力を注いでしまうだけだろう。
暇と金があると、人間は安易な方向に走りやすい。
俊の父が破滅したのも、単純に時代のトレンドを奪われたというよりも、騙されて投資詐欺に遭ったり、見栄を張って生活レベルを落とさなかったからだ。
そしてあの当時としては、まだ当たり前のように愛人を持っていた。
それが原因となって、俊の母とは離婚となったのだが。
俊は基本的に、ずっと音楽に追い詰められている。
そして音楽に追い詰められることを、苦痛とは感じていない。
マゾと言ってもいいかもしれないが、音楽があればそれで幸せになれるのだ。
作曲が上手く降りてこないことさえも、音楽から離れていることに比べれば、まだ不快度は低めである。
天才ではないが、音楽に取りつかれている。
それはノイズの中では、暁なども同じであるだろうが。
四度目の演奏ともなると、同じ曲はどうすれば盛り上がるのか、おおよそ分かってくる。
ノイズの音楽はロックなのにシャウト系はあまり使わないが、千歳の場合は声に感情が乗って、上手く表現が出来ている。
幸福になってしまえば、歌えなくなるかもしれない。そんな歌声だ。
彼女が歌うことによって、軽音部は入部する人数が増えた。
今年は一人だけになったが、去年の部活紹介などは、暁と一緒に体育館を支配したものだ。
あの時よりも、10倍以上大きな人数でも、千歳は震えることなどない。
人生で一番ひどいことは、もう経験してしまったのだから。
感情を込めて歌うということは、一般的には恥ずかしいものであろう。
別に歌に限らず、楽器を弾くことであっても、自分の内面を誰かに見せるのは、ある程度の恥ずかしさはある。
俊が本当の意味でそのラインを越えたのは、スキスキダイスキをメンバーに公開してからであろうか。
恥ずかしがっていては、本気の作曲も作詞も出来ない。
ノイジーガールからアレクサンドライトはともかく、他の曲はかなり色んな部品を集めたものなのだ。
とにかくインプットをして、95%は他の曲。
それを4%再構成して、残りの1%が自分の要素であろうか。
だが別に音楽は、カバー曲ばかりしていてもいいものなのだ。
問題はそれであると、印税が入ってこないということであって。
しかしカバーアルバムは売れた。
また千歳はやりたいと言っていて、彼女のわがままめいた提案はおおよそ、従っておいたほうが上手い方向に転がる。
月子と千歳、二人のボーカル。
ツインボーカルのバンドというのは、それなりに存在する。
だがそれが女性で、しかもタイプが全く違うとなると、極端に少なくなる。
月子は本来なら、ソロ向けのシンガーであるのだ。
実際に月子のボーカルだけで、カバーをしたことなどもある。
だが千歳は千歳で、ギターの弾き語りだけをさせると、これもまた上手かったりする。
技術的には月子の方がかなり上だが、バンドのボーカルはそれだけが魅力ではない。
月子は本来、既に完成されていた。
民謡というジャンルは違うが、そちらの方のために、体が作られていたのだ。
もっとも声の質もまた、他にはそうそうないものであった。
高音で安定していて、透明感がありながらも圧力もある。
アイドルをやらせるには、絶対に間違っていると阿部も思った。
月子も千歳も両親がいない。
共に交通事故で失っているという、共通点がある。
不思議な縁と言うべきなのか、それとも単なる偶然なのか。
だが二人はむしろボーカル同士ではなく、暁を挟んで語り合うことが多い。
阿部からすると千歳は、確実にバンドボーカルの方に合っている。
弾き語りもギターはともかく、ピアノなどとはあまり合わないであろう。
もうラストが迫ってきていて、最後の力を振り絞って歌っている。
ギターに手をかけることもなく、マイクにしがみついて歌う。
そういったパフォーマンスが、自然と出来てしまう千歳。
彼女は動画などを漁って、そういうステージをたくさん見てきているのだ。
伸び代しかない、と最初は思ったものだ。
だがここまで成長してきて、全くその伸び代が損なわれている様子がない。
着実に毎日、ほんのわずかずつでも成長していっている。
もちろん本人の練習量が、それを成してはいるのだろう。
ノイズに暁がいて、そのテクニックを真似ているというのも、成長の要因ではある。
もっとも暁のギターの音とは、どうしても千歳のテレキャスは、違う音になるものだが。
それはギターが違うのだから、どうしようもないことである。
残る曲数も少ない。
アンコールにはもう、体力の続く限りやる気分はしている。
もっとも演出の関係上、どうしても出来ることは少ないのだ。
初日などは途中で使っていた、ハッピー・アースデイを最後に使う。
こういったセットリストの順番も、色々と考えて組まれたものだ。
ノイズのライブはまだしも、高額と言うほどに高額ではない。
なので一人のファンが、複数回やってきていることもある。
もちろんそれは「いつもの」ノイズを求めているとは言える。
だがいつものノイズでありながら、常に違うノイズでいたい。
俊はそう考えて、セットリストも話し合うのだ。
また暁のギターなどは、どうせ毎回アレンジが変わっていくのだ。
ジャズのソロなどのように、完全に違うことは出来ない。
それは打ち込みを使っている以上、当たり前のことである。
だが尻を上手く合わせてくれたなら、そこから展開を戻すことが出来る。
俊としてもキーボードの音は、アレンジを加えることぐらい出来るのだ。
ただそれを自分までしてしまうと、収拾がつかなくなりそうで怖い。
普段のライブであれば、なんとなく出来てしまう。
しかしこの大舞台でも、暁は同じように演奏する。
あるいは舞台の規模が大きくなればなるほど、鳴らす音も大きくなっていく。
そしてそれと一番共鳴するのは、やはり月子なのである。
千歳はリズムギターを弾きながら、月子に合わせていく。
これでノイズは、とりあえず完成する。
セトリの演奏は全て終えた。
だが拍手が鳴り止まない。アンコールを求めるそれに対し、ノイズメンバーは頷きあう。
静かなギターの旋律は、アルペジオである。
そこにわずかなキーボードが、ピアノの音でメロディを奏でる。
月子の歌は、透明であるがソウルフル。
だからこそ遠くまで届いていくと言うべきだろうか。
喧騒の中にあった会場が、今度は逆に静けさに支配される。
声だけを聴かせる、ブルースがそこにある。
月子のイメージで俊が作ったこの曲は「月華」という。
まさに月子の強みと、その淡い光を詰め込んだ、彼女のための曲だ。
高音のキーで歌って、その良さが発揮されるものだ。
歌詞は人の美しさと儚さを歌っている。
世界は醜く、だからこそ美しいものが見えてくる。
感情は常に世俗的で、欲望に満ちたものである。
そこから解き放たれたいと、ずっと思いながら生きてきた。
むしろそれは、人が生きることすらをも否定する。
死ぬことこそが世界からの解放とも言える、かなり感傷的ではあるが、同時に厭世的で自家中毒にも満ちた歌詞だ。
美しい曲ではあるが、その歌詞がやたらと悲観的。
音を歪ませることもなく、ドラムも一定のリズムしか刻まない。
ベースはほとんど目立たないが、実はしっかりと根底を支えている。
そしてピアノの音は、ギターと共に歌声を彩る。
アンコールの一曲目が終わった。
どよめきのような歓声と、拍手が湧き上がる。
落ち着いた雰囲気の曲の後に、もう一曲予定してある。
そちらもまた、比較的おとなしい曲であるとは言える。
だがこちらはバンドミュージックの雰囲気をちゃんと持っていて、千歳が主体で歌う。
タイトルは「烏の飛び方」であり、これも少し厭世的なところはある。
烏という鳥は、賢くて攻撃的である。
雀が消えてしまった今も、東京の都心でそれなりに見かけることが出来る。
少し田舎に行けば、電線に何十羽も留まっている姿が見えたりする。
真っ黒な烏は、普段は何を考えて生きているのか。
どこか哲学的と言うか、プログレ要素もあるのだが、千歳のはっきりとしたボーカルを活かしている。
俊はノイズの音楽を作る時、絶対にこれだけは守るという鉄則がある。
それはボーカルに合わせて作曲する、ということだ。
歌詞についてはともかく、ボーカルの声を活かすために、音程をしっかりと考える。
千歳の場合はブレスの位置なども、しっかりと考える。
まだまだ声量が足りていないのだ。求める領域はまだ高みにある。
おおよそロックというのは、若者のための音楽であったはずだ。
しかし演奏している側は、年を食ったからといってもやめるわけにはいかない。
魂に訴えかけたい人間は、別に若者だけでもない。
ロックスターが非常識であることが、許された時代というものはあったのだ。
アーティストはいまだに、非常識であることが許される傾向にはある。
だがそれでも昔に比べれば、距離感が縮まってきてしまった。
アイドルもそうであるが、ロックスターなどというのは、本当は手の届かない存在であるべきなのだ。
むしろそういう存在であるからこそ、憧れて夢を見ることが出来る。
グルーピーを食いまくる男はいるが、それも今ならスマートフォンで撮影し、ネットに回してしまうことが出来る。
信吾などは危険であるが、そのあたりはしっかりと判別出来ているらしい。
俊はストイックな人間だ。
ノイズとしては活動を開始し、大学でもかなりの話題にはなったりもしたのだ。
だが性欲よりも音楽欲の強い俊は、そこで躓くようなことはない。
そもそもミュージシャンというのは演奏する音楽がその役割であって、人格などは求められているわけではない。
フレディが乱交パーティーを繰り返していたという話も、まあそういう時代だったのだろうな、と俊は思うだけだ。
ただネットの発達は本当に、距離感を近めてしまったな、とは思う。
これを利用して人気を拡散しているので、文句を言うわけにもいかない。
だが特に女性陣などは、身の回りに注意してもらった方がいいだろう。
もしも付き合うのならば、むしろ同じ芸能界の人間の方がいい。
お互いに公開されれば、ダメージになる者同士が、秘密を守られやすいのだ。
ただし個人的な付き合いが、普通にスクープされることにはなるが。
アイドルや女優でもないのだから、別にそれが大きなネタになるわけでもない。
汗だくになって、ステージは終わった。
なんだかんだ言って女性陣の中では、月子が一番体力が豊富である。
アイドル時代はダンスレッスンがあったし、毎日新聞配達もしていた。
それでも全身を楽器として使うなら、随分とカロリーを消費するものだ。
千歳はギターボーカルであるので、変に動き回ることは少ない。
しかし暁はリードギターとして、ほんのわずかにコーラスには入っても、パフォーマンスはほとんどしない。
演奏自体が既に、充分なパフォーマンスになっている。
体力をもっとつける必要がある。
だがそこからジムに行くという方向に入るのではなく、もっと練習量を増やすという方向になる。
さすがに声は消耗品だが、演奏はどんどんとやっていく。
暁などは月に二度ほども、念のために弦を替えるようになっているのだ。
武道館ライブが終わった。
終わってみれば本当に、あっという間であったような気がする。
いや、確かに決まってからは、スケジュールがかなり忙しかったのは確かだ。
そんな中では微妙に、千歳の方は学校の成績を維持するのが大変であったりする。
(まだ夏の間に、大規模フェスが二つあるのか)
宿題もちゃんと提出しなければ、成績の評価が悪くなるので、テストばかりに集中するわけにもいかない。
武道館は特別であった。
ノイズのメンバーは全員が、とにかう疲れたという点は共有している。
あの広大な空間を、熱量で満たすことには成功した。
座席の奥深くまで、演奏が果たして届いていただろうか。
千歳としては、確かに反応があったと思う。
月子はほわほわとした表情で、まだ感動を反芻している。
あれがまさに、夢にまで見た武道館。
ずっとこのステージに、立つことを目標としていたのだ。
そして月子はこのライブでは、メインボーカルであった。
エレキ三味線という、まさか自分がまた使うことになるとは、という楽器の演奏も行った。
武道館ライブを記念にして、解散してしまうバンドというのが存在する。
実際にすぐではないが、解散記念として武道館、というバンドはそれなりにあるのだ。
ノイズの場合は常に、俊は持続的な活動を口にしていた。
音楽の高みに昇るのには、まだまだ足りていないものがある。
バンドとしての完成度は、かなり高くなってきてはいる。
しかしまだまだ成長の余地があると、俊としては考えているのだ。
月子と千歳のボーカルには、まだまだ可能性を感じる。
暁は技術的には、既に完成度は高いものがあるが、まだまだ変化していくことを恐れない。
ギターで遊ぶということを、彼女はずっと続けているのだ。
「よかったわよ。で、打ち上げをする?」
「いや、スタッフさんはまだ働いてくれているし、予定通りに」
俊としても今日は、シャワーだけを浴びて眠りたい気分だ。
信吾と取り合いになるであろうか。
自分たちだけの力で、成立した舞台ではない。
阿部のサポートももちろんあったし、多くのスタッフが関わっているのだ。
こういう場合にそういう裏方に、しっかりと挨拶をしていかないといけない。
そういうことは岡町から教えられて、暁の父などからも聞いている俊である。
一つの大きな節目であったとは言えるだろう。
だがまだ、この先があるのだ。
さらに大きな舞台、あるいはさらに権威ある舞台。
まずは夏のフェスであるが、出演は決まっていてもステージや時間帯は決まっていない。
本当にぎりぎりまで、変更の可能性があるのがこういうフェスなのだ。
あとは仙台へのツアーがある。
大きなものとしては、さすがにそれぐらいであろうか。
もっとも夏は夏で、色々と他のイベントもある。
千歳はコミケ参加に関して、かなりの熱を持っていたりする。
「あ~、軽音部の活動もあるしなあ」
既に完全にプロと言える千歳であるが、同時に普通の高校生でもあるのだ。
軽音部に顔を出すと、かなりのカリスマ扱いされるので、悪い気分にはならない。
「宿題はしっかりと終わらせろよ」
「大丈夫。まだ一ヶ月以上あるし」
それは駄目な言い方ではないのだろうか。
夏休みというのは高校生にとって、非日常が起こるイベントの日々でもあるだろう。
千歳としては他の友人と、普通に遊びに行く予定なども立てている。
しかし高校三年の夏休みとしては、普通ならば受験に忙しいものなのだろう。
千歳の場合は普段の成績で平均以上をキープし、推薦を狙っているわけであるが。
もしも大学に落ちたとしても、これで食っていくことは出来るのか。
そうも思うが叔母の文乃は、大学進学を望んでいる。
彼女自身はそれほどでもないが、千歳の亡くなった両親は、それを計算して保険などに入っていたのだ。
故人の意思を、踏みにじることは出来ない。
もちろん千歳に、他にどうしてもやりたいことがあるなら、それはまた別の話になるが。
夏はイベントの季節である。
高校二年の夏は、忙しくしている間に終わってしまった。
この高校三年の夏も、武道館にフェスにツアーと、スケジュールはかなり多い。
ただ取材などは、千歳は控えめになっていたり、かなりスケジュールの調整はしてもらっている。
進学を重要なものだとは、他のメンバーも分かっているのだ。
暁にしても大学には進学しないが、ちょっとしたバイトを始めるつもりではある。
それはギターショップのバイトだ。
都内にあるリペアもやっている楽器店などを、そのバイト候補としている。
演奏者としてはともかく、ギターの調整をするにおいては、暁にはまだまだスキルが足りない。
いずれは二年ほどもかけて、レッドスペシャルならぬイエロースペシャルを作るつもりなのだ。
「それじゃあ着替えて、お客さんがはけた頃に、車を回すからね」
阿部はそう言って、撤収の手配などを確認するために、スタッフの元へと向かう。
終わった。
間違いなくこれは、一つの目標点であった。
そして中継点であり、まだまだ目指す先はある。
「また来年もやりたいなあ……」
月子が小さく呟いたが、他のメンバーも心の中では、しっかりと頷いていたのであった。
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