第382話 八月の最後に
また夏が過ぎ去ろうとしている。
灼熱の季節は生物の生存を許さないかのように思えるが、実際には太陽の輝きが、多くの植物を育ててくれる。
水が枯れればその植物も、大半は枯れてしまうが。
まだまだ暑気の去る様子は見えないが、日没自体は少しずつ早くなっている。
それでも夏の名残は、ずっと感じられるのだ。
三日間にかけて行われる、都市圏の公園を利用したフェス。
ノイズも既に何度となく、これには参加している。
今回は一日目、メインステージのヘッドライナーとなっている。
単純な活動休止ならばともかく、ノイズの場合は病気療養と発表していた。
そして実際に戻ってきたのだから、そこにファンが集中してもおかしくない。
実際に去年からずっと、ノイズのライブは満員であるし、フェスでもしっかり客を集めている。
ただ活動を休止していたとか、また再開したとかでは、そこにストーリーがない。
ノイズの場合は俊や暁が、環境的には音楽エリートとして育った。
それに地方から雑草のようにやってきたメンバーと、そして悲劇に襲われたデュオボーカル。
月子の場合は使う楽器が三味線というのも、意外性が強くて良かっただろう。
先日のライブの映像を切り抜いたものが、既にオフィシャルで流れている。
これをフィジカル媒体でまとめたものが、発売されることは既に公表されていた。
ノイズはライブごとに、マスターとは違ったアレンジをしてくることでも知られている。
もっともそういったものは、バンドならば当たり前のこと。
そしてポップスに限ったことではなく、音楽のアレンジは当たり前のことなのだ。
どのバージョンがマスターなのか、というのはノイジーガールが一番よく言われる。
最初に発表したのは、3分を少し過ぎた程度の、まとまったものであった。
これには既に、後のアレンジの真髄が詰まっている。
暁が加入したことで、ここから大幅なアレンジがされていった。
一応はそのあたりの楽器も出来る俊であるが、ギターの自由度は暁の方がはるかに高い。
今でもずっと、ギターのアレンジは暁の意見を優先する。
他のパートとのバランスが悪くならない限りは、だが。
ドラムとベースのわずかなソロや、イントロドラムというのは基礎的な入り方。
他には月子の三味線が、ノイズの音の中では強く印象付ける。
この中で俊は基本的に、キーボードのパートを弾く。
だがシンセサイザーを活かすということは、他の楽器の音も出せるのだ。
さらに打ち込みで、ストリングス系の音も、自分でも弾けるからこそ作り出せる。
俊は他の誰がどう言おうと、主観的には努力と環境の人間である。
父が音楽全般に趣味を持ち、母はクラシック畑の方が強かった。
管楽器はさすがに手を出していないが、ヴァイオリンまで普通に弾けるのだ。
レコーディングでは打ち込みでもなく、自分で弾いていくこともあるし、稀にはライブでそこを弾いたりもする。
音楽の幅の広さが、他のバンドよりもずっと広い。
その点では英才教育を受けたゴートなども、本来は広かったはずであるのだ。
ただ彼の場合は、性格によって好みが激しかった。
夏休みの終りのフェスは、最終日が一番盛り上がる。
ただ一日目でもメインステージのトリを飾るとなると、名前が売れていなければいけない。
去年の夏は全休していたノイズである。
アリーナのライブの評判から、今の期待度は活動休止前よりも高い。
そもそもフェスは一度に、多くのミュージシャンを見れるのが魅力である。
しかしその中にはやはり、核となるような存在がいなくてはいけない。
ノイズは充分にそんな存在となっている。
人気には俊は、二種類のものがあると考える。
一部の熱狂的なファンがいるタイプと、一般人にまで好きなファンがいるタイプだ。
ノイズは基本的に、後者である。
だがたまに前者に突き刺さる曲を作るので、両方のファンがいるタイプとなる。
同じバンドでも最初は尖っていたものであったのに、どんどんメジャー志向になっていったという場合がある。
これが逆に、最初はメジャーでありながら、後にはどんどん尖った方向性の曲になる、というパターンもある。
一度ファンを手にしてしまえば、尖っていても受け入れられる、という考えだ。
俊もこの後者を意識しているが、霹靂の刻はどちらにも突き刺さったらしいので、悔しさも感じている。
もっとも俊のアレンジがなかったら、広範囲に受ける曲にはならなかっただろうが。
あれ以降も俊や月子は、三味線を取り入れた曲をいくつか作っている。
その中には霹靂の刻と同じように、人気のある曲もある。
だが三味線をしっかりと活かしていて、明らかに越えたといえるような曲は、まだ生み出せていない。
超えたとか超えないとか、そういう評価は野暮であるが、しかし大衆の声はそれなりに正直だ。
自分たちだけで分かっていても、評論家だけに分かっていても、それだけではいけないのだ。
自分たちの音楽を、一般人にも届けるのが、最大の目標であるのだから。
大衆受けするようなものがかっこ悪い、と思うのはただの子供である。
大衆に理解出来るように作っていないのだから、下手くそなだけなのだ。
大衆受けするのに、評論家が深堀りもする。
これこそが一番素晴らしいものであろう。
このあたりは千歳がやたらと持ってくる、マンガの影響がある。
音楽は三分から長くても六分の間に、世界を表現しなければいけない。
短いだけに難しいのは、凡人の考えること。
俊は凡人だから難しく考えるが、数だけはたくさん作る。
すると前半と後半をくっつけて、全く別のような曲にしてしまったりもする。
それで面白いのならば、悪いことのはずがない。
ヒップホップ要素さえも、打ち込みで取り込んだりするようになった。
ただあくまでもトッピングである。
魂がロックなら、それはロックなのである。
そしてロックの源流はブルースにある。
ロックもまたブルースであり、根本的にはソウルフルである。
ロックはヘヴィメタルまでぐらいが、ソウルフルであろう、と暁は思っている。
あまりにテクニカルに過ぎたり、冗長に過ぎたりすると、それはもうソウルフルではないし、ロックでもない。
ステージでやれば、なんでもロックになる、という考えもある。
レコーディングにしてもむしろ、一発録りの方が迫力があったりする。
ただ音源はどうしても、安定して聞けるものの方がいいだろう。
ミュージックDVDやブルーレイというのは、BGMではなく観賞用のものだ。
いまだにネットにおいて、40年も前の映像が残っているように。
ライブのステージというのは、特別なものがあるのだ。
夏の気配をここで完全に燃焼しつくす。
そういうつもりの人々が、このフェスには集まっているのだろう。
東南アジアツアーについては、ぎりぎりまで調整を行う。
ただ行うこと自体は、既に通知してあるのだ。
ネットが発達するにつれて、確かに世界は狭くなった。
だがそれは錯覚でもあるのだ。
実際には飛行機を使って、何時間もかけて移動する。
ネットを通じて見られるのは、せいぜいが視覚と聴覚の範囲内。
何より大事な熱量が、そこから感じるのは難しい。
ステージの上から見ると、日没後も残光があり、ペンライトが振られていたりする。
日中の人間の手が、波のように見えるのも好きだ。
だがこのペンライトは、月子にとっては夏の蛍のことを思い出す。
山形で行われていた、夏場の祭り。
そういったものにはちゃんと、参加もしている月子である。
また蛍狩りといって、蛍が輝くのを見たりもしたものだ。
そんなに大量にいるわけでもなく、東京の夜の星を探すような、淡いものでもあったが。
誰に聞かせるわけでもなく、ただ鬱蒼とした庭に向かって歌ったりもした。
そういうものは練習ではなく、稽古というのである。
ざわめいていた大自然と違い、ここには人間の集団がある。
もっとも大自然に対して弾いて歌っても、何かが自分に返ってくる感覚はあったのだが。
人間と人間の対決、というところがライブにはある。
プレイするメンバー同士の対決というところがあり、プレイヤーとオーディエンスの対決という面もある。
発する人間に対して、それを受ける人間も返していくのだ。
そしてその全てが共鳴し合って、より大きなパフォーマンスとなっていく。
パッションがクオリティを凌駕する。
本当ならばどちらも、しっかりと高い水準になっていくのがいいのだが。
ライブは音を外してしまっても、かえってそれが味になる部分がある。
暁などは意地でも音を外さないし、信吾などもベースの意地にかけて正確だ。
だが栄二などは行き過ぎた勢いを抑えるために、外した音も鳴らす。
なお千歳はいまだに、少しミスをしたりする。
俊は微調整が役割であるが、打ち込みのテンポが変わってくると、そちらに忙しかったりする。
結局一番融通が利くのは、ボーカルであるのだろうか。
だがボーカルにしても、ミスをすることはある。
声が割れてしまって、しかしそれが逆に迫力になったりもする。
レコーディングの方が、クオリティが高くなるのは当たり前なのだ。
しかし正確なだけでは、人の心を動かすことにはならない。
ボカロPの黎明期なども、そういうものであったらしい。
俊はもうある程度、周知されてから入っていった人間だ。
だが最初に曲があって、誰かがそれにファンアートを描いて、それをアニメにしてMVを作って。
そういった動きがあってから、メジャーシーンに出て行くことになる。
俊が始めたのは、実はタイミング的にも良かったのだ。
MOONとSNOWが発売されるまで、またやや停滞の時期にあったのだから。
一日目のフェスが終わった。
ノイズはしっかりと、五万人以上をメインステージの前に集めた。
本当ならもっと集まってもよかったのだが、安全のために人数制限がされている。
枠の外から見ていた人間も含めれば、六万人には到達していたであろう。
とりあえずしっかりと盛り上げることには成功。
残り二日間、これ以上に盛り上げるバンドが出てきたら、それはそれで音楽業界全体にはいいことである。
あとはもう関係者パスにより、好きなステージを自由に見ればいい。
ただノイズのメンバーも最近は、さすがに囲まれてしまったりすることが多くなってきた。
すると顔を出していない月子が、ゆったりとステージを巡ることが出来たりする。
まったくこういう場所で、そういうことをするのは野暮であろうに。
もっともアメリカなどであると、もっとサインを求めてくることはある。
日本でも関西圏などは、ファンの距離感が違うと言われる。
こういったものは芸能人だけではなく、人気商売なら全て鉄則だ。
どれだけイメージで売っていくか、それを考えておかなければいけない。
栄二などはドラムのおっさんなので、同じドラマーなど以外からは、それほどリスペクトも受けていない。
もちろんバンドをやっていれば、他の楽器でもその凄さは分かるのだが。
身内からの評判では、信吾の方が悪いだろう。
もっとも信吾の女癖などは、今では注目もされにくいが。
なんだかんだ言いながら、フロントマン以外は注目度が薄いのだ。
ボーカル二人に加えて、そこまで派手ではないはずなのに、派手に目立つ暁。
そしてリーダーの俊あたりまでは、それなりに目立つと言えるだろう。
成功してるな、と二日目からを巡りながら、俊は考えていた。
メガネをして帽子を被れば、おおよそ注目されないのが俊である。
なんだかんだ言いながら、カリスマやオーラというものがないのだ。
ここまでノイズを大きくはしたが、それは執念によるものだ。
あとはインプットに加えて、色々と考えて工夫したからである。
フィーリングだけでは、俊はとても成功しなかった。
大きな創造性をもたらすのは、常に内部からの衝動ではなく、外部からの刺激によるものであった。
もっとも積み重ねたものがあるからこそ、刺激が生み出すのであるが。
俊はその点では自分に厳しく、今も新しい刺激を求めている。
月子の病気については、完治というものがない。
遺伝子的な癌の発生率だと、説明は受けている。
今回の癌に関しては、五年生存していたら、一応は完治と言えるものであるという。
だがまた違った部分から、癌が発生する可能性がある。
今回は大腸と、そして肝臓の切り取れる部分であったが、取れない部分であればまた薬の治療になる。
そしてその薬も、またちゃんと効果があるものなのかどうか。
月子には死んでほしくない。
これは当たり前のことである。
戦友のようなバンドメンバーには、共に戦ってほしい。
だが同時に燃え尽きる前に、全てを出し尽くしてほしい、などとも考えてしまう。
地獄変だ。
芸のために、どれだけのものを犠牲に出来るか、どれだけの悲劇を許容できるか。
少なくとも俊は、自分の魂に関しては、既に悪魔に捧げたつもりでいる。
ただそんなことをしても、月子がずっと長生き出来るとは限らない。
癌になりにくい体質にする、という食事や生活習慣は、ずっと見張っているのだが。
ミステリアスピンクのステージにもやってきた。
本当はこのユニットは、レコーディングだけで売りたいのだと、徳島などは言っていた。
実際にその声の質などは、レコーディングを重ねるごとに、クオリティが上がっている。
ただ事務所的には、二人のビジュアルの強さも含めて、売っていくという方針なのだ。
徳島はそこで、強く反対するタイプではない。
自分の音楽さえ出来ていれば、発表の仕方にはこだわらない。
今日もステージには登らず、むしろ関係者として控えにもおらず、普通に遠くから眺めている。
後方待機彼氏面であるが、確かに間違ってはいないのである。
俊は軽く視線を合わせて頷いたが、声をかけることはない。
音楽に集中している徳島を、邪魔してはいけないのだと分かっている。
ミステリアスピンクは徳島の主張もあるが、ワンマンの巨大なコンサートはやらない方針をしている。
単純に言えば二時間もやるほど、ホリィの方にまだ実力がない、ということになるのだ。
もっと練習するべきなのだが、売り出すための時間も取られる。
もう少し売れる前に、完成度を高めておくべきだったのでは、と俊などは思う。
ノイズはまさにそうであった。
初期のころは月に三度ほども、ライブをしていたものだ。
ほとんど毎週ライブをやって、そこで経験値を上げてきた。
音楽以外のバイトに、時間を取られることもあったが。
体力のためにも、月子は新聞配達をしていたものだ。
長時間の練習をする集中力を維持するためにも、まずは基礎体力が重要であったからだ。
スポーツの話であるが、心技体といううち、一番最初には体を鍛えた方がいいらしい。
これははっきりと、目に見えて結果が変わってくるからだ。
そしていくらでも練習の出来る、体力が備わってから、本格的に技術を磨き始める。
この技術の蓄積により、自信が生まれてからが、本当の心の練習になるのだという。
まあそうかな、と俊も間違いではないと思う。
そうするとノイズの方は、最初から技術はあったのか。
ただその点、千歳は基礎的なボイストレーニングから始めた。
腹に力が入っていないと、声は出ないものである。
だがそれは力んでしまうものとも、ちょっと話は変わってくる。
力を上手く発散させるのが、声を出すことにつながっている。
声楽の世界などは、基本的には体を楽器として、最終的に声を出していく。
オペラの歌手などに太っている人間が多いのは、その肉で声を出すからだという。
千歳はそういう訓練を、初歩的な部分から受けなおした。
それでもたとえば、月子や花音といった、本当の意味での声の才能には敵わない。
(今年の夏も終わるな)
去年のノイズには、夏がなかった。
来年の夏も来るとは、限らないのである。
三日間のフェスを終えて、ようやくノイズは打ち上げを行う。
今回はフェスなので、裏方の人間もさほどは多くない。
その間も俊は阿部と、秋の東南アジアツアーについて話し合う。
今までにはない場所で、歌うということ。
また新たなインプットをしていかなくては、俊のアウトプットは枯れてしまうのである。
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